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喜びの子

作者:霧原真
 昔、あるところにひとつの王国がありました。
 この国を治める王さまには、お妃とふたりの息子がおりました。
 ある冬の朝、お妃さまは三番目の子供を産みました。赤ちゃんが生まれるとき、お妃さまはたいへん苦しみ、そして赤ちゃんを生みおとすと同時に亡くなってしまいました。
 王さまはとても悲しみました。美しくやさしいお妃さまを、それはそれは愛していたからです。
 生まれたばかりの赤ちゃんを見せようとした産婆に向かって、王さまは言いました。
「その子を私に近づけないでくれ。その子が妃の命をうばったようなものなのだから」
 大臣をはじめ、多くのものが王さまをたしなめました。しかし、悲しみにとらわれた王さまは自分の言葉をひるがえそうとはしませんでした。
 生まれてきた赤ちゃんは男の子でした。この国の末の王子です。
 母の死と父の悲しみの中に生まれましたが、末の王子は元気で健康な、かわいらしい赤ちゃんでした。

 あのように言いはしたものの、王さまは末の王子をわが子と認め、きちんと世話をするように取り計らいました。ですが、その心の中には、最初に口にしたように、この子を遠ざけておきたいという気持ちもまた、ひそんでいたのです。
 この王子さまは亡くなったお妃さまと、とてもよく似ていました。
 黒い髪に色白の肌、星のように輝く濃い色の瞳。それらはみな、亡きお妃さまと同じ色をしていました。
 それだけではありません。この末の王子は、その気質もまた、お妃さまとよく似ていたのです。
 末の王子を見ていると、もういないお妃さまを思い出さずにはいられない。王さまにとって、それはとてもつらいことでした。
 末の王子はすくすくと育っていきました。ですが、王さまがこの末の王子に声をかけることはあまりありませんでした。


 末の王子は心やさしい子供でした。ですが、同じ年頃だったころの兄君たちと比べると、どうも見劣りするところがありました。
 一番目の王子は勇敢で武勇に優れた、頼もしいお方です。
 二番目の王子は知識深く思慮に満ちた、賢いお方です。
 末の王子は、一番上の兄上ほどには、うまく武器をあつかえません。二番目の兄上ほどには、聡くもありません。
 ですが、末の王子には、ほかの王子たちにはない、すばらしいところがあったのです。
 末の王子には音楽の才能がありました。どんな曲でも一度聞けばすぐに覚えてしまい、美しい声で歌ってみせることができるのです。ただ歌がうまいだけではなく、リュートをつま弾き、自分で新しい曲を生み出すことだってできるのです。
 また、末の王子は、動物たちからなつかれていました。
 たやすく心を開かない野の獣や気性の荒い猟犬が、まるでお供のように、王子のそばについてまわるのです。
 こういったところはみな、亡きお妃さまにもそなわっておりました。
 お妃さまは音楽を愛する方でした。お妃さまがその美しくやわらかな声で歌うと、人々ははるかな夢に心羽ばたかせるような、そんな心地を味わったものでした。
 お妃さまは草や木や獣を愛していました。庭園をそぞろ歩き、折々の花々を眺め、小鳥のさえずりに耳をかたむけ、時には傷ついた生き物に癒しのわざをほどこしたものでした。

 末の王子はお妃さまの愛した庭園で多くの時間を過ごしていました。
 この庭園には、かつてお妃さまによって助けられた生き物たちが今でも住み着いていました。
 そういった獣たちの一匹に、賢い狐がおりました。
 お妃さまの忘れ形見である末の王子を、狐は大切に思っていました。末の王子が庭園に姿を現すと、狐もどこからか現われて、王子のそばに寄り添って時を過ごすのでした。


 ある日のことです。庭園で王子が涙を流しておりました。
「どうしたのです。王子さま」
 狐は王子に訊ねました。
「ああ、狐。ぼくはどうしたらいいのかわからない」
 王子はしゃくりあげながら狐に言いました。
「先ほど、大臣とお父さまがお話ししているのを聞いたんだ。
 大臣は言っていた。『もう少し、末の王子さまにも関心をお持ちくださいませ』。そうしたらお父さまは言った。『あの子を見ていると悲しみがよみがえる。あれは悲しみの子。できればあまり触れたくはない』と。
 ねえ狐、ぼくは生まれてきてはいけない子供だったんだろうか。お父さまをそんな気持ちにさせてしまうなんて」
「生まれてきてはいけない子供など、どこにもおりませんよ」
 おおきくため息をついて、それから狐は言いました。
「王さまは、ただただ悲しみにとらわれておいでです。大切なものをなくして、心がこおりついたままなのです。王子さまの生まれた朝、お妃さまはお亡くなりになられました。王さまはただひたすら、お妃さま――あなたのお母さまを、今でも求めておられるのです」
「じゃあ、ぼくはどうしたらいい。どうしたら、お父さまはぼくを見てくれるようになるのだろう」
「私にもわかりません。ですがきっと、いずれ王さまもお気づきになられるでしょう。王子さま、あなたの歌はうるわしく、あなたの笑いは私たちの心に明かりをともす。あなたは悲しみの子などではない。むしろ喜びの子と呼ぶべき方です」
 末の王子は狐の言葉にじっと耳をかたむけていました。そして狐が語り終えると、何も言わずにぎゅっと狐を抱きしめました。

 こうして、末の王子は育っていきました。


 ある年のことです。長くきびしい冬が訪れました。
 冬至が過ぎ、新年の宴が終わり、さらに三月(みつき)。ふつうならばそろそろ雪が溶けだす頃になっても、いっこうに冬は去りません。
 いったい何が起こっているのだろう。王国の人々は首をかしげはじめました。
 さらにひと月たちました。木々が芽ぐみ、雪は消え、緑萌えいずる季節のはずです。ですが風はするどい刃のようにきびしく、いまだに白い雪が大地をおおいつくしています。
 王さまは学者や占い師を呼び集め、何が起こっているのかと問いただしました。
「古い文献によれば」と、国一番の知恵者と呼ばれている学者が言いました。「北の森の奥深くに《四季の塔》と呼ばれる建物があるのだそうです。この塔にそれぞれの季節をつかさどる精霊の女王が宿ることにより、季節は移り変わるのだとか」
 白い鬚の占い師も言いました。
「私の水晶玉も同じことを示しております。深い森の中に高い塔が見えます。そしてその塔の中に、ひとりの女の姿がございます」
 王さまはうなるような声をもらし、学者たちに問いかけました。
「《四季の塔》に季節の女王か。たしかに聞いたことがある。だが、ただのおとぎ話だと思っておったわ」
 学者は丸眼鏡を押し上げながら言いました。
「たとえおとぎ話であろうとも、今はほかに手がかりがございませぬ。すみやかに塔に向かい、冬の女王を去らしめ、春の女王を迎え入れなければ」


 学者たちの言葉を受け、王さまはお触れを出しました。
 ――《四季の塔》におもむき、冬の女王と春の女王を交替させよ。みごと成しとげたものには、望むままのほうびを取らせよう。

 お触れを聞きつけた人々は、次々に《四季の塔》めざして旅立ちます。ある者はほうびをもらうために、ある者は手柄を立てて名を成すために、またある者は長く続く冬を心から憂えて、王さまのお触れに従ったのです。
 ですが、しばらく経ってみても、まだ冬は続いたままでした。
 そればかりではありません。《四季の塔》をめざし、そのまま戻ってこない者が多いことに、人々は気づきはじめました。
 《四季の塔》はおそろしい場所なのだろうか。そして、もう春は来ないのかもしれない。人々はおそれおののき、そうささやきあいました。


 ついに一番目の王子が言いました。
「私が塔へ向かいます。民に任せず、最初からそうすべきだったのです」
 一番目の王子は選りすぐりの兵士をひきつれて、北の森へと旅立ちました。
 王子の旅立ちからひと月、しかし、春はまだ来ません。王子からのしらせも途絶えたままです。
 二番目の王子が言いました。
「兄上の身が案じられます。私も参りましょう」
 ですがこのとき、末の王子が歩み出て、王さまに向かって言いました。
「いいえ、ぼくが行きましょう」
 二番目の王子はおどろいて、弟をたしなめました。
「何を言う。お前はまだ十二歳。兄上と選りすぐりの兵士たちが戻らないような場所へ、お前のような子供を送り出せるものか」
 末の王子はこたえて言いました。
「たしかにぼくは子供です。ですが、ぼくには味方してくれる獣たちがいます。獣たちは強く賢く、頼りになるものばかりです。それに、兄上たちはこの国にとってぜひにも必要なかた。失われるようなことがあってはなりません。くらべてぼくは、歌う以外にはこれといった取り柄もない子供。ぼくでお役に立てることがあるならば、これほど嬉しいことはないのです」
 末の王子の言葉を聞いて、居並ぶ人々はだまりこみました。

「ならば行くがよい」
 沈黙をやぶって、王さまが言いました。
 王さまの言葉に、人々は息をのみました。
 末の王子の言うことはもっともだと人々は考えていました。ですが同時に、まだ幼い王子がこのような申し出をしたことを、そして、王さまが迷うことなく王子の旅立ちを許したことを、痛ましいと感じていたのです。
「お父さま、いえ、国王陛下のお望みのままに」
 末の王子はそうこたえると、ていねいなおじぎをひとつして、王さまの御前から立ち去りました。

 末の王子は、庭園の獣たちに自分の気持ちを伝えました。すると、三匹の獣が王子と一緒に旅立ちたいと申し出ました。
 まずは白い猟犬が。
 次には若い白鳥が。
 そして最後に名乗りをあげたのは、あの賢い狐でした。

 三匹の獣とともに、末の王子は《四季の搭》を求めて旅立ちます。
 冬の旅はきびしいものでした。ですが三匹の獣たちはほんとうに頼りになりました。狐は食べ物のありかや宿るにふさわしい場所を知っていましたし、白鳥は空から道を探すのが得意でした。猟犬はおそろしい野獣を追い払ってみせたし、王子がこごえないようにその毛皮であたためてくれたのです。
 夜の休みにつく前に、王子はリュートをつま弾いて、さまざまな歌を歌いました。歌は獣たちの心に、そして王子自身の心にも、明るく楽しい気持ちを呼び起こしました。このひとときがあったからこそ、王子も獣たちも、心くじけることなく、冬の旅を続けることができたのです。


 都を旅立って十日あまり、北の森の奥深く、末の王子の一行は高くそびえる塔にたどりつきます。
 塔の入り口に続く門の前には、おおきくて真っ白な狼が寝そべっていました。
「何をしにきた」
 狼はじろりと王子をにらみつけてたずねます。
「冬の女王さまに会いに来ました」
 狼は立ち上って王子に歩み寄り、ふんふんとにおいをかいでまわります。
 身がまえて狼におそいかかろうとする獣たちに王子はそっと首をふり、狼のなすがままにまかせました。
「勇気のある子供だな。よし、女王さまに取り次いでやろう。中へ入るがいい」
 狼の後に続いて、王子とその一行は氷に閉ざされた塔の門を通り抜けました。

 塔の前庭にはたくさんの氷の彫像がならんでいました。
 彫像はみな、人間をかたどったものでした。
 若い男のものが多いようですが、なかには女の人や年寄りのものもあります。
 そんな彫像の中でひときわ目を引いたのは、兵士を引き連れた騎士の像でした。
 王子は足を止め、目を凝らして騎士の像を眺めました。
 ああ、思ったとおりです。騎士の顔だちも、まとっている外衣(サーコート)に描かれている紋章も、王子には見慣れたものなのです。
 そう、こおりついた騎士は、一番上の王子にそっくりでした。

「像が気になるのか」
 狼が笑いをふくんだような声で言いました。
「その像はみな、この塔を訪ねてきた人間たちだ。女王さまの機嫌をそこねて、氷に変えられてしまったのだ」
 ふるえながらも、王子はりんとした声で狼に問いかけます。
「この人たちは、まだ生きているのだろうか」
「生きているとも。女王さまが望めば氷は溶け、もとどおり元気に動き出すことだろう。ただ、すべては女王さまのお心しだいだが」


 狼にみちびかれるままに、王子の一行は塔に入ります。
 塔の中はきらきらと輝き、明るく透明な光があふれ出ていました。
 床は磨きあげられた白い大理石、壁にはガラスでできたランプがきらめき、そして塔の中央をつらぬくように、透明な水晶の階段がはるか上まで続いています。
 その水晶の階段から、白い衣をまとった背の高い女の人がしずしずと降りてきて、一行を出迎えました。

「ようこそ、《四季の塔》へ」
 おごそかなよく通る声で、女の人は言いました。
「あなたが冬の女王さまですか」
 王子の問いかけに、女の人は黙ってうなずきます。
「冬の女王さま、ぼくはお願いに参りました」
 王子が続きを述べるよりも先に、女王が口を開きました。
「そうだと思った。この塔を去り、春の女王に塔を譲り、季節をめぐらせよと、そう言いにきたのであろう」
 女王の問いに、王子はうなずきます。
「いやだとこたえれば、そなたはどうする」
 王子は考え込みながら言いました。
「ぼくにはただお願いすることしかできません。どうかわかってください。みなが困っているのです。春が来なければ、緑は生えず、花は咲かず、作物も実りません。そうなれば、多くのものが飢えて死ぬことになるでしょう」
「みなのために、と、そなたは言うのか」
「みなのために。そしてぼく自身のために」
 そう王子はこたえます。
「飢え死にはいやです。ひもじいのも寒いのも、つらくてなりません。それにぼくは春が恋しい」
「素直な子供よ」
 冬の女王はかすかにほほえみ、言葉を続けました。
「そなたらの願いは承知している。だが私はこの塔を離れるつもりはない」
「理由を教えていただけませんか」
「理由を語ったとて納得すまい。少なくとも、今まで来たものたちは納得しなかった」
 そう語る冬の女王は、どこかさびしげに見えました。
「今日はもう遅い。この塔に泊まっていくがよい」


 《四季の塔》の客室で、王子と獣たちはその夜を過ごすことになりました。
 夜もふけたころ、王子はふと目を覚ましました。
 かすかな歌声が、塔のどこからか聞こえてくるのです。
 高く澄みきった声でした。明るいのにどこかさびしげなメロディは、王子がはじめて聞くものです。
 王子はリュートを手に取ると、眠っている獣たちを起こさないように気をつけならが、そっと部屋の外に出ました。そして歌声に誘われるままに、塔の階段をのぼっていきました。
 のぼるにつれ、歌声はしだいに大きくはっきりしていきます。と同時に、その歌詞もしっかり聞き取れるようになりました。

  おやすみ いとし子よ
  やさしい夢みながら
  星影さやけく 闇を照らし
  つららは奏でる 風の歌を

 それは子守歌でした。吹雪の後の晴れ渡った夜空にまたたく星のような、雪に包まれた森に射し込む月光のような、静かで美しい歌でした。
 いつしか王子は、この歌に重ねるにふさわしい和声を口ずさんでいました。

 歌いながら、王子は階段をさらにのぼっていきます。
 高く高くのぼりつめた先に、小さな扉がありました。
 歌声はこの扉の向こうから聞こえてくるようです。
 思い切って、王子は扉を開けました。


 扉の向こう側にはちいさな部屋がありました。
 扉の正面に窓があり、窓のそばに椅子が置かれ、その椅子にちいさな白い女の子が腰掛けて、窓の外を眺めながら歌っていました。
 扉が開いたのに気づくと、女の子は歌うのをやめて、驚いたように振り向きました。

 まだ幼い女の子です。十歳になるかならないかくらいでしょうか。
 とてもかわいらしいのですが、とても変わっているようにも思えます。
 王子は目を凝らして女の子を見つめました。

 部屋にともされた明かりはランプがひとつ。ほかは窓から差し込む月の光ばかり。
 そのうすぼんやりとした明かりの中で、女の子はほのかに輝いているように見えました。
 髪の色や瞳の色ははっきりとはわかりません。ですが、どれもこれも、真っ白かそれに近い色のように思われます。

「君はだれ?」
 王子の問いに、女の子はこたえました。
「わたしは雪の子。あなたはだあれ」
「ぼくはこの国の末の王子。冬の女王さまにお願いがあって、ここに来たんだ」
「お願いって?」
 女の子は小首をかしげて問いかけました。
「ずっと冬が続いているだろう。だから冬の女王さまに、春の女王さまと交替してくださいって頼みに来たんだよ。冬を終わらせて、春を呼ぶために」
「春ってなに?」
 女の子は不思議そうにそうたずねます。
「君は春を知らないの?」
「うん」
 春を知らないなんて、いったいどういうことだろう。王子は不思議に思います。
「冬の次に来る季節だよ。あたたかくて、花がたくさん咲く、気持ちのいい季節なんだ」
「季節ってなに? あたたかいってどんな感じ?」
 女の子は矢継ぎ早にたずねてきました。

 なんだろう。なにかがおかしい。
 不思議なのを通り越し、王子はすこし薄気味悪いような感じがしました。
「あたたかいっていうのは、こんな感じ」
 王子は女の子に歩み寄り、その手に自分の手を伸ばします。一瞬、王子の手が女の子に触れました。
 そのあまりの冷たさにおどろいて、王子は思わず手を引っ込めました。
 女の子の肌は、まるで、じかに氷にさわったみたいに冷たかったのです。
「あ、だめ」
 女の子はあわてて身を引きます。
「わたしにさわらないで。お母さまが言ってたの。誰かにさわってはいけないし、さわられてもいけないって。そうしないと溶けちゃうから」
「溶けちゃう?」
「うん。だってわたしは雪の子だもの」
 あっけにとられて、王子は女の子を見つめます。

 この部屋がずいぶんと寒いことに、王子はふと気づきます。
 王子の泊まっている客室は、王宮の部屋と同じくらいあたたかでした。塔の中心をつらぬく階段も、そんなに寒くはなかったように思います。ですがこの部屋の空気は、外と同じくらい――いいえ、それ以上に冷たいのです。
 もしかしたら、この子は名前のとおり、雪でできた子供なのだろうか。そんな考えが、王子の頭をよぎります。

「君のお母さまって、冬の女王さまなのかな?」
「うん、そうよ」
「君はお母さまが好きなの?」
 女の子はうれしそうに、はしゃいだ声で言いました。
「大好き。お母さまはいつも親切で、やさしい声で歌ってくれるもの」
 そう言ってから、女の子は思い出したようにつけ加えました。
「さっき下のほうで歌っていたのはあなた?」
「うん」
「ねえ、もっと歌ってくれない?」
 女の子は無邪気な顔で問いかけてきます。
「あなたの歌、すてきだった。あんなふうに、音と音が重なりあうのは初めてだったの」

 ほめられていやな気分になる人はあまりいません。それに王子は音楽が大好きでした。ですから王子は女の子の願いを汲んで歌って聞かせることにしました。
 リュートで伴奏を弾きながら、まずは女の子が歌っていたあの子守歌を、王子はゆっくりと歌いはじめます。
 次には王宮で聞き覚えた歌を。自分で作って獣たちに聞かせていた歌を。
 請われるままに、王子はさまざまな歌を歌い続けました。
 女の子はうれしそうに王子の歌に耳をかたむけます。そのさまがあまりにもかわいらしいので、王子は知る限りの歌を歌って聞かせたいような気持になりました。


 そうやって何曲も歌い続けたあとのことです。
 突然、扉を開けて入ってきたものがありました。
「お母さま」
 女の子は顔を上げ、うれしそうに呼びかけます。
 冬の女王は黙ったまま、王子のそばに歩み寄りました。
「お母さま、この人すごいの。たくさんの歌を知ってるのよ」
 はしゃぐ女の子をなだめるように、冬の女王はやさしく言いました。
「ええ、歌声は私のところにも聞こえてきました。でも、もうこの人を放してあげなくては。こごえてしまうから」

 その言葉を耳にして、ようやく王子は気づきます。
 王子の体はすっかり冷え切っていました。
 ですが歌うことに夢中になるあまり、そのことにすら今まで気づいていなかったのです。
「私はお客さまに御用があるのよ。だから、あなたはもうおやすみなさい。私の娘」
 そう言って、冬の女王は王子にめくばせをすると、部屋の外へと立ち去りました。
 王子は女の子に礼をして、冬の女王に続いて部屋を出ます。

「無茶なことを。人間があの部屋に長くいつづけるなど。こごえ死んでしまいますよ」
 冬の女王は気づかわしげな声で言いました。
「女王さま、あの子はいったい」
 王子の問いかけに、冬の女王はそっと首をふります。
「話はあとで。まずは体をあたためなさい」
 そして扉の前に控えていた狼を呼び寄せました。
「お客さまをお部屋へ。私もあとから行きましょう」


 部屋に戻った王子を、三匹の獣は心配そうに出迎えました。
 王子は暖炉の前に座り、火を大きくかき立てます。
 こうして火にあたっていると、どれほど自分が冷え切っていたのか、今さらながら王子は気づきます。足は氷のように冷たく、手はかじかみ、歯の根があわずふるえてしまうのです。
 猟犬は不安そうに王子の足もとをその体で包み込みました。狐は王子の膝に乗り、ふさふさした長い尾で王子をあたためます。

 そうやってしばらく過ごしていると、冬の女王が訪れました。
「だいぶ冷えたのではありませんか」
 まず女王が口にしたのは、王子を気づかう言葉でした。
「そうですね。でももうだいぶあたたまりました」
 そうこたえる王子に、女王は黙ってうなずきます。
 女王はしばらく黙ったままでした。ですが、大きく息をつくと、ゆっくりと話しはじめました。
「この塔で過ごすとき、私はいつもさびしかった。だから、何か、いとおしむものが欲しかったのです」


 ――あの部屋にいたのは雪の子。名前のとおり、雪でできた子供です。
 今年、はじめて雪が積もった日、私は雪で子供の彫像をつくると、動いてしゃべるようになる魔法をかけました。そうしてできたのがあの子です。
 あの子はとてもかわいらしくて、私はすっかり夢中になってしまいました。
 あの子は本物の子供ではありません。その命もかりそめのものでしかない。でも、私にとっては本物以上に本物なのです。
 あの子は雪でできています。熱を受ければ雪は溶けてしまう。だから私は、魔法の氷室にあの子を住まわせて、誰にも触れさせないようにしているのです――


「だからなのですね。あなたがこの塔を出ないのは。季節をめぐらせて春が来れば、あの子は消えてしまうから」
 王子の問いかけに、女王は黙ってうなずきました。
「ただの雪人形のために、世界のおきてをやぶるのか。塔を訪れた者たちは、そう言って私を責めました。もっともな話です。
 雪でできた人形が愛しいなら、また次の冬に同じものを作ればいいではないか。そう言った者もおりました。でも違うのです。まったく同じ姿に作りあげたとしても、それはけっしてあの子ではない。あの子はただひとり、あの子だけなのですから」
「そうですね。雪の子はとてもかわいらしい。あの子に歌を歌うのは、ほんとうに楽しかった」
 そう王子はこたえます。
「どうしたらいいんでしょう。春が来ればあの子は溶けて消えてしまう。でも、このまま冬が続けば、みんな生きてゆけなくなってしまいます」

 そのとき、王子の膝の上で丸くなっていた狐が言いました。
「冬の女王さま。もし雪の子が消えずにこの世界にあり続けることができるなら、春を招いてくださるでしょうか。たとえあなたの手元から、雪の子がいなくなったとしても」
「どういうことですか」
 問いかける女王に、狐はこたえます。
「北の果てに氷に閉ざされた土地があります。白鳥に頼んで、雪の子をそこへ移すのです。春から秋のあいだ、雪の子は北の果てで暮らし、そして冬になれば、渡り鳥とともにこの国へと戻ってくる。そうすれば、女王さまが塔にこもるあいだ、雪の子も塔で暮らすことができるでしょう」

 狐の言葉を聞いて、女王は考え込みます。
「もしあの子が消えてしまわないならば、そして次の冬にまた会えるなら」
 長く長く考えた末に、女王はぽつりと言いました。
「それならば私は、春を呼んで季節をめぐらせよう」
「狐、お前はほんとうに賢いなあ。雪の子が消えなくてもいい方法を思いつくなんて」
 感心したようにつぶやく王子に、冬の女王は問いかけました。
「王子よ、あなたは雪の子の無事を望んでくれるのか」
 王子は笑顔でこたえます。
「ぼくはあの子に歌を歌いました。女王さま、あなたがあの子を思う気持ちには及ばないでしょうが、ぼくもまた、あの子のかわいらしさを知っているのです」


 その翌日、冬の女王は雪の子に、白鳥とともに北へ向かうように言いました。雪の子は母との別れを惜しみつつも、冬の女王の心を汲み、北の果てへ向かうことを約束しました。
 王子もまた、ともに旅をしてきた白鳥に雪の子を連れて北へ向かってほしいと頼みました。白鳥はこころよく引き受けて、こう言いました。
「私ももう王子さまに助けていただいた迷子のひな鳥ではありません。北へと渡り、同胞(はらから)と出会うべきときが来ていたのです。あなたの願いは私の進むべき道と重なっています。喜んで北へ向かいましょう」
 さらに翌日の朝、雪の子は白鳥に吊り下げられたかごに乗りこみ、北を目指して去っていきました。白鳥の姿がすっかり見えなくなるまで、冬の女王は空を見上げて見送り続けていました。


 雪の子が去って三日目の朝のことです。
 《四季の塔》の客室で目を覚ました王子は、なにかがいつもとは違うことに気づきました。
 空気はどことなくあたたかで、それになにやらざわざわと物音が聞こえてきます。
 身なりを整えて塔の前庭に出た王子は、驚いて目をしばたたかせました。
 前庭に並んでいた氷の彫像は消え去り、代わりにたくさんの人々が姿を現し、驚いたような様子で互いにがやがやと話し合っているのです。
 そればかりではありません。ほのかではありますが、どこからかふんわりとしたやさしい香りがただよってきます。よくよく目を凝らすと、雪のあいだから顔をのぞかせている花がそこかしこに見つかりました。
 白い水仙やスノードロップ、黄色に輝くプリムローズ。まだまだ雪は深いのですが、春を告げる花々が、ようやく咲きはじめようとしています。
 春が来たのです。冬の女王はついに、春の女王に《四季の塔》を譲り渡したのでした。


 氷の彫像からもとにもどった一番上の王子とともに、末の王子は《四季の塔》を後にしました。
 事のあらましを聞いた兄王子はいきどおり、冬の女王を罰するべきだと言いました。ですが末の王子は静かに首をふりました。
「冬の女王は精霊です。ぼくたち人間がどうにかできる相手ではありません。それに、なにかことを起こすにしても、都に帰ってお父さまや大臣たちと相談すべきではないでしょうか」
 兄王子はおどろいた表情で弟を見つめました。
「たしかにお前の言うとおりだ。しかし、しばらく会わないうちに、すっかり大きくなったのだな。私が、いや、ほかの何者にも成しえなかったことを、みごとお前は成しとげたのだから」


 都に帰りついたふたりの王子は、父王の御前で《四季の塔》で起こったことを話しました。
 一番上の王子は公正な方でした。自分の失敗を恥じながらも、弟から手柄を取り上げることなく、すべてをありのままに話したのです。
 報告を受けて、王さまは考えこみました。
「それでは、冬から春への交替を成しとげたのは、末の王子だというのだな」
 一番上の王子がうなずくのを見て、王さまは末の王子に目を向けました。
「前に出なさい」
 言われるままに、末の王子は王さまのそば近くまで歩み寄ります。

「私は触れを出した。『冬と春との交替を成しとげたものには、望むままのほうびを取らせよう』と。さあ、お前は何を望む」
 王子は静かな声で言いました。
「ぼくの成したことは、獣たちの助けとさまざまな偶然がかさなってのことです。《四季の塔》まで無事にたどり着けたのは、獣たちのおかげです。そしてぼくはたまたま雪の子と知り合い、雪の子を知ることによって冬の女王の気持ちを知りました。そのあと、どうしたらいいかを考えついたのは狐だし、実際に雪の子を北へ運んだのは白鳥です。だからぼくは、自分がなにか特別な手柄を成しとげたとは思えません。ですが、もしなにかを望んでもいいと問われたならば」
 そこで末の王子は言葉を切り、王さまをひたと見すえて言いました。
「国王陛下、いえ、お父さま。目を背けずにぼくを見てください。ぼくは悲しみをもたらすものではなく、喜びをもたらすものでありたい。あなたが誇り、あなたに愛されるものとなりたいのです」

 王さまは、末の王子をじっと見つめました。やがて、その瞳からは涙が次から次へと流れ落ちました。
「わが子よ。お前はやはり妃に似ている。その姿も、その才能も、だが、なによりもその心のありようが」
 そして王さまは玉座から立ち上がり、末の王子のそばに歩み寄ると、王子をそっと抱きしめました。
「許してほしい。わが子よ」
 王さまはささやくように言いました。
「失ったものをいたむあまり、私は手元にあるものから目を背けていた。悲しみにとらわれ、心をこおりつかせ、そうして新たな悲しみを生み出していた。だが、お前は氷を溶かして春を呼び込んだ。わが子よ、お前はわが誇り、わが喜びだ」


 このときから、王さまは三人の息子を平等に、大切にあつかうようになりました。
 やがて王さまが年老いて一番上の王子が国を継いだ後は、弟王子たちは兄を支え、王国のために力をつくしました。
 二番目の王子は知恵深き宰相となりました。そして末の王子はと言えば、人々の仲立ちをつとめる役目を担いました。末の王子の奏でる音楽とその物腰柔らかなふるまいは、多くの人々の心をひきつけて、おだやかな気持ちを引き出したのです。

 毎年冬が訪れるたびに、末の王子は《四季の塔》へとおもむいて、そこで数日過ごすのでした。
 人々は噂しました。
 王子はあのかわいらしい雪の子に会いにいっているのだ。いやいや、孤独な冬の女王をなぐさめているのだ。いや、そうではない。二度と冬の女王が季節をめぐらせることをおこたらないよう、そばで見張っているのだ……。
 本当のところは誰も知りません。理由を問われても、王子は笑うばかりで何も語らなかったのです。

 ただ、このことだけはたしかです。
 その後、季節がそのめぐりをとどこおらせることは二度となく、王国は平和のうちに栄えつづけたのでした。
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