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天からの贈り物
作:南田朱夏


 
 
 
 赤と緑に彩られた街を、眼下に見下ろす。
 
 明日はクリスマスイブだ。今日が天皇誕生日だなんて、あの浮き足立ったカップル達にはどうでもいいことなんだろう。
 
 まあ、私にとってもそれはどうでもいいことだ。弾むようにイルミネーションの間を縫って歩く人々が心待ちにするクリスマスだって、どうでもいい。むしろうっとうしいくらいだった。
 
 時刻を確認するために携帯電話を開くと、またもや不在着信が4件も入っている。私はため息をひとつついて、のろのろと備え付けのコーヒーを淹れた。
 
 ちっとも美味しくない。安いビジネスホテルのそれは、何度飲んでも色のついた苦いお湯みたいだ。
 
 美味しくないコーヒーを飲んでみると、彼のコーヒーの美味しさがわかる。いつもはコーヒー通の夫が、どこかから仕入れた豆を挽いて、丁寧に淹れてくれていたのに……。

 淋しさと、悲しさと、もどかしさと、怒りと……とにかく色んなものが高波となって私を押し流す。

 不妊治療のことで口論になり、離婚を決意して家を飛び出したのは、つい3日前のことだ。
 
 結婚して5年。子宝に恵まれず、不妊治療を始めたのは一昨年の夏だったか。治療に協力して欲しいという私に、夫は言った。
 
「いいか、美冬。子供は授かりものなんだ。何もそんなに目の色変えてやらなくてもいいだろ」
 
 早く彼との子供を授かりたいと精一杯の努力をしてきた私には、許せない言葉だった。
 
 どうして私だけが一人で子供を切望して、一人で頑張っているのか。どうして彼は一緒に頑張ろうと言ってくれないのか。彼も、結婚前は子供が欲しいと言っていたのに。
 
 孤独がどうしようもなく胸を刺す。私はまずいコーヒーを洗面所に流し、ベッドに沈み込んで、布団に包まった。
 
 心の傷なんて、風邪のようなものだ。丸くなって寝ていれば、そのうち時間がなんとかしてくれる。
 
 私は込み上げるものから逃れるように、夫の名で埋め尽くされた着信履歴の画面と、涙が滲む目を閉じて、夢に身を任せた。
 
 
 
****
 
 
 
 夢の中で、私はからっぽのくせにやたらと重たい心を持て余し、彼のいなくなった病室の窓に目を向けている。ずいぶん昔のことだ。
 12月25日の早朝、彼は眠るように旅立って行った。半年の闘病をおくびにも出さない、穏やかな表情で。
 
 ホワイトクリスマスと言うには少々ロマンチックさに欠けるような、北国特有の横殴りの雪。
 
 細かい雪の乱舞は辺りを幻想的にぼかして、彼がこの世から去ったこともまた……幻であったかのような気にさせられる。
 
 
 彼は、大体いつも難しい顔をしているけれど、遊びに行くと嬉しさを隠し切れない表情で、お見舞いのお菓子やヨーグルトなんかを振舞ってくれた。こんなので喜ぶほど子供じゃないわよと笑うと、一人では食べきれないのだと困ったような笑顔を向けるのだ。その笑顔が、私は本当に大好きだった。
 
 部屋を片付けるからと言って、彼に付き添う大勢の親族の群れを抜けた私は、薄情者かもしれない。
 
 けれど、これから彼は『一体、二体』と数えられるのだという事実が、私の前に重々しく横たわって。霊安室で眠る『かつて彼だったもの』を見ているのが、どうしようもなくつらかったのだ。
 
 今は冷たくなったその人の余韻を求めるように、部屋をゆっくりと歩く。早くここを片付けなければならない。
 ……生きた患者に、ベッドを明け渡すために。
 
 頬を熱いものが伝った。幾筋も、幾筋も、彼が駆け抜けた人生の重みの分だけ、胸の底にできた泉は大きく深い。
 
 苦労の多かった彼の人生を思う。貧しい母子家庭に生まれ、お約束のように継父に虐待され、後はひたすら身を粉にして働いて――
 
 ――彼は幸せだったんだろうか?
 
「努力や苦労はいつか報われるもんさ。おばあちゃんも若い頃は苦労したねぇ。だけどありがたいことに、その努力のおかげで、ある日何より強力な守護霊様がついたんだよ。すごいだろう」
 
 祖母は、亡くなる半年ほど前に、菩薩のような笑顔を湛えてそう言っていたけれど……彼は? 彼は、報われたんだろうか。苦労に見合った守護霊なんて、彼についていた?
 
 神の子がこの世に生を受けた日。私は天に問うように窓を開ける。
 
 下から吹きつけるような吹雪が隙間から病室に舞い込み、私は思わず首をすぼめた。雪は荒くれものの風に煽られて、ここでも小さな猛威をふるう。
 
『美冬、美冬』と、まるでその言葉自体が宝物であるかのように、私の名前を発音した彼の声が、生き生きと耳に蘇る。
 
 不意に、肌を突き刺す冷たい雪が、わずかに残された彼のぬくもりを消し去ってしまう気がして、私は慌てて窓を閉めた。窓を開けた自分の愚かさが腹立たしい。
 
 雪の冷たさが心の芯まで染み込んで、ただただ溢れる。私は嗚咽をこらえきれず、椅子に崩れ落ちて顔を覆った。
 もっと遊びに来ればよかった。もっと優しくすればよかった。もっとストレートに愛情を表現すればよかった。そうすれば、彼も少しは報われたかもしれないのに。
 
 もっと、もっと、もっと。後悔が後から後から湧き出して、津波のように心を飲み込んで行く。
 
 と、視界を塞ぐ指の隙間から、足下に落ちた紙切れが目に入る。そろりと拾い上げると、それは万年筆で「武田幸子殿」と書かれた封筒だ。先ほどの風に飛ばされて、どこからか落ちたらしい。
 流れるような、達者な文字には見覚えがある。彼の字だ。
 
「おじいちゃん……」
 
 そして宛名は、この手紙が天国に宛てて書かれたものであることを示していた。
 封はされていない。私は震える手で、飾り気のない封筒から、丁寧に三つ折にされた便箋を取り出した。



「幸子へ。

 月日が経つのは早いもので、君を見送ってもう10年になろうとしている。子供たちはしっかりおばさん、孫たちはすっかり大きくなって、ひ孫が4人もできた。
 
 紀美代と博子はようやく子供たちが巣立って行き、安堵と少しの寂しさを感じている様子だ。二人ともまあまあ夫婦仲良くやっている。
 あのじゃじゃ馬の晴香は医者に嫁いで、ひ弱だった彰人など今では体育大学で教師をしている。
 
 美冬は案の定、高校を卒業してすぐ美容師の道に入って、おととし自分の店をもった。店が忙しいだろうに、しょっちゅうここに来ては、見舞い品の消費を手伝ってくれる。
 
 ひ孫の紹介は、そっちでゆっくりすることにしよう。
 
 クリスマスイブということで、今日は皆総出で私のところまで来てくれた。そして明日はクリスマスだからと、また朝からここに入り浸るのだそうだ。
 
 君がいなくなってからというもの、元日は夫の実家に行かなければいけないからと、毎年こうして娘たちが皆を連れて集まってくる。
 我が家は仏教なのだから、キリストの誕生日など祝わないと言っているのに、毎年毎年欠かさずに。彼女らに嬉しいとは決して言わないが、実は少しいい気分だ。
 
 最近、生前の君を思い出す。
 私は浮気をしたこともあった。数度手を上げてしまったこともあった。子供たちの反抗期を君のせいにして叱責してしまったこともあった。仕事でうまくいかず、八つ当たりをしてしまったことも。それでも君は、良き妻、良き母でありつづけた。
 
 子供たちをまっすぐに育てたのは君だ。君自身と、子供たちを誇りに思って欲しい。
 
 本当に、君は何時でも太陽のような存在だった。
 
 私の母に手酷い扱いを受けても、決して母や子供たちの前で涙を見せなかった君。
 
 私には母がいないから、あなたのお母様と本当の親子のように仲良くさせていただきたいと、私の前だけで泣いた君。
 
 夜中、布団の中で声を殺して泣いていた君。
 
 あれほど苛められたにも拘らず、慈愛に満ちた笑顔を湛え、母の介護をたった一人でこなした君。
 
 死の間際、母に『死んだ後、私はお前を守る守護霊になる』と言われ、ありがとう、ありがとう、至らぬ嫁でごめんなさいと、泣きじゃくった君。
 
 並々ならぬ苦労をかけてしまったこと、ろくに恩を返すこともできぬまま見送ってしまったことを、心の底から後悔している。すまなかった。そして、こんな私を最期の瞬間まで支え、付いてきてくれたことを、本当にありがたく思っている。
 
 
 今になって、私は君の偉大さを思い知っている。君の遺した暖かい家族に守られて、私は君という存在をなくしても、なんとか生き延びることができたのだから。
 
 私の人生はとても豊かなものだった。私たちの血を受け継ぐ者たちを、この命よりも大切だと感じることができる幸福は、何物にも代えがたく。それもすべて君のおかげと感謝している次第だ。
 転生があるのならば、私にまた君の伴侶の席を予約させて欲しい。今度こそ私に君を守らせて貰いたいと思っている。
 
 幸子。そちらの世界はどうですか。悲しいこと、苦しいことなどありませんか。
 
 幸子。私ももうすぐ傍に行くことになる。お迎えは君にお願いしてもいいだろうか。土産話をたんまり持っていくから、一緒に皆を見守ろうじゃないか。
 
 幸子。君に話したいことが山ほどある。
 
 幸子。私は、君という妻を持てたことを、心から誇りに思う。
 
    武田正彦」
 
 
 
 祖父が、祖母の元へ上っていく。
 細い煙がまっすぐに青い空を目指すのを、私は鼻をすすりながら、だけどできるだけ笑って眺めている。天国の二人の幸せを思った。
 
 ふと、10年前の祖母の言葉が記憶の奥底から蘇った。
 
 
 おじいちゃんはねぇ、本当に優しい人なんだよ。
 長いこと一緒に生活していれば当然喧嘩も苦労もするだろう。おじいちゃんはそれを自分が悪かったといちいち気に病むんだ。そのくせそれを表現するのが下手でねぇ。
 そんな不器用なおじいちゃんだから、おばあちゃんもここまで付いてこられたんだろうさ。
 
 
 まだ高校生だった私には到底理解できなかったし、正直今でもよく分からない。大体、まだまだひよっ子の私に分かるはずなどないのだ。祖父と祖母の半世紀は、そんなに薄っぺらなものではないだろう。
 
 祖母の傍らを目指して迷いなく一心に天に向かう彼の煙。
 いつか、私にも分かる日が訪れるだろうか。
 
 人生の伴侶に出会い、家庭を設けて、その人と喜怒哀楽のすべてを分かち合う日が。いい所も悪い所もすべてひっくるめて、その人を受け止められる日が。
 
 もし、互いの最期の瞬間まで想い合うことができたら。その時は、胸を張って二人に報告しよう。……してみせよう。
 
「おじいちゃん、おばあちゃん、もう会えた?」
 

 空に向かって、心で語りかける。
 思えばあの日、窓から舞い込んできた風と雪こそが、神様から私達遺された者への答えであり、クリスマスプレゼントだったのかもしれない。

「今までありがとう。お疲れ様でした。これからも二人で見守っていてね」

 二人が、あの働き者の証明書のような手と手を携え、顔をますます皺くちゃにして笑い合う姿が脳裏に浮かんだ。
 その光景は、胸が苦しくなるほど幸福に満ちていて……滲んだ景色も夢のように美しく思えた。

「ずっとずっと、大好き」

 冷たい吹雪が運んできた温かい手紙を、私はしっかりと胸に抱いた。



****



 目が覚めたとき、枕はじっとりと濡れていた。
 随分と懐かしい夢だったと、まだ夢に片足を突っ込んだまま考える。クリスマスの時期だからだろうか。10年近く前の夢を、今頃見るなんて。

「美冬、長い結婚生活、別れたいと思う日もあるだろう。だけどな、いくら喧嘩をしても、相手に分かって欲しいと思っているうちは、決して別れちゃいけないよ。そういう時は、まず自分が相手を理解しようと頑張ってみることだ。糸口はそこから見えてくる」

 高校の頃、初めて彼氏を家に連れて行った日の夜、祖父が私に言った言葉だ。

 ――おじいちゃんときたら、本当に昔から気が早くて、心配性だった。

 今も、私を案じてこの夢を見せてくれたんだろうか。大切なことを忘れかけていた私を思って。
 ああしてくれない、こうしてくれない、わかってくれない。私の心の中で渦を巻いていた感情が、優しく浄化されていく。

 携帯電話を開くと、また新たに1件の不在着信。夫の名前が表示された。
 眼下に広がる色とりどりの光の粒が、ぼやけて煌めく。今日はクリスマスイブだ。明日はクリスマスで――祖父の命日。
 雪に埋もれてお墓参りはできないけれど、実家に帰ってお仏壇を拝もう。祖父の好きだった大吟醸と、お団子を買って……彼と、二人で。

「幸せになるんだよ、美冬」

 祖父の言葉が温かく背中を押す。私は意を決して通話ボタンを押した。
 ポチッと、明るい音がした。






 
〜Merry Christmas〜


「永遠の愛」について、みなさんはどうお考えでしょうか?
私が思うそれは、作中のおじいちゃんとおばあちゃんの愛です。
生きている間には手に入らないものだと思っています。
 
綺麗なばかりではいられなくて、正しいばかりでもいられなくて、良い時もあれば悪い時もあって……時には過ちも犯して。
 
それでも何十年という歳月を手を携えて歩いて、最期の時まで互いが自分なりの形で思い合ったら……それこそ「永遠」と呼ぶに相応しいんじゃないかな、と。
 
そして、夫婦生活を営む上で最も大事なことは、「自分に焦点をあてる」ことだと思っています。
喧嘩をした時、不満がある時。
「夫が○○と言った」
「妻が○○をしてくれない」
ではなくて。
大切なのは、自分に向けられる思いやりじゃなく、自分が相手に与える思いやり。
 
 
うーん、自分で書いておいて言うのもアレですが、わかりにくいですね。汗
でも今の私にはこれが精一杯みたいです。
 
 
とにかく、これを読んで、一人でも自分なりの形を考えてみていただけたなら、最高に嬉しく思います。
 
拙い作品を、後書きまで読んでいただいて、本当にありがとうございます!!
 
感謝感謝!













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