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バスに乗って……
作:宇都宮 古穂


『バスに乗って……』

 やはり、どうしても好きになれない。
 窓から見える景色はさして変わらないし、どれも同じ乗り物だと思うのだが、今もこの座っているシートもフワフワとした揺れ具合がお尻をムズムズさせる。
 座り心地は決して悪くない。やわらかいものと分かっていてもどうしても落ち着かない。けっして狭いとは思えないシートだが、座ってしまうとそこからはなかなか動きがとれなくなる。
 窓の横に備えつけてあるカーテンが風に揺れ、窓から入る陽ざしがきらきらしている。
 普段の見慣れてる道路を走るが、どこに向かっているのかが見えない。路線は、運行時間も停車場所も毎日が変わることのなく同じ場所にあるのだが、不安な気持ちは消えない。そんな気持ちにいつも駆られてしまう。
 停車する場所に立ち、列に並ぶ。時計と時刻表と睨めっこし、何度も何度も見直している。
 何度みても間違いないと思う。
 もし、この時刻表の看板を見間違えていたら……。
 見ている時刻表が別に路線のものだったら……。
 それに乗り込んでしまうと、もうどこかにいくのだろうか?
 呼鈴に手をかけ、行く先が分からず、不安になりそうものなら、耐え切れずに押してしまいそうだ。
 整理券を持つ手が汗でベットリになっていた。
 しっかりと握っていたので、つぶしてよれよれになる整理券。汗だくて、降りる時に出そうものなら……。そう思うと恥ずかしくて心臓が二倍にも三倍にも膨れ上がっている。大きな鼓動を打つ。
 小銭は準備できてるのか? 一万円札しか持ち合わせてがなかっただろうか? つい、財布の小銭入れを確認してしまう。
 それ以上に、小銭もきっちりなくて、入れたおつり皿からへ指を入れて取る時に慌てて、床に落としたりしないだろうか? 支払った後に気持ちが急いて降りる時、段差を踏み外さないだろうか?
 事実、一度だけ、出社の時、今思った事件が起こった事がある。
 その時は、周りの乗客は全然見向きもしなかった。いや、その瞬間、僕は周りを見渡す余裕なんて全然なかったのだから、顔を下向いたままだった。
 ――もしかすると僕のその姿を見ていた乗客に女性でもいたら、口元に手を持っていき、クスッと笑っていただろう。そんな事もその場ではもう、赤面していて精一杯のすました顔で下向いていた。
 だから、あの時を思い考えると今のうちに小銭に崩しておこうか? つり銭にならぬようにしておこうか?
 それでも、立上り、揺れる中歩く時に誰かの足を踏んだり? 肩に手をかけ「不快な目つきで見られたりしないだろうか?
 ……だろうか? ……だろうか?
 座ったらもう、立ち上がることも出来ず、いつも乗り込むと降り口付近に立っている。目の前に空いているシートを見つけて座っても、お尻の半分くらいが宙に浮いたままである。そんな事を思いながら時々、どうしても気が急くのである。

 外の景色は、さっきとは違っていた。それでも、バスは、「俺に任しておけ! お前の気持ちなんか気にしちゃいない。黙ってすわってろ!」
 全然、速度は落ちない。それどころか、勢いを増して、コーナーを横に大きく揺れながら走る。
 バスには、指定席がない。高速バスは別だろうが、路線バスじゃそうはいかない。
 窓際に運よく座れ、それに財布には小銭がぎっちりと詰まっていて、料金表がいくら変わろうが、全然気にならない。でも、そんな時も行き先が不安になり落ち着かない。降りるバス停がまだ遠く先であっても呼鈴の位置を確認する。目線を上げると、その場近くに老人。おばあちゃんやおじいさんが、つり革に縋るようにシワシワの細い指で握っていたら、どうしても譲ってあげたくなるが、隣の席の人が寝込んでいたりすると、動くに動けず目線がつい足元をみてしまう。
 やはり、一番の落ち着かない事は、行き先が書かれたバスでも、番号が書かれた路線バスでも、いつもの見慣れた道でもあろうが、いつもの交差点を左折したりして、走るバスは、僕をどこかに連れ去って、「おまえなんかの思ってる場所には行かないぞ!」なんて言われてるような警笛が鳴る。
 運転手が突然、ウインカーを揚げて曲がってしまったら?
 今日も本当に同じ道順で走るんだろうか?
 ほんといつもドキドキもんである。

 そう、高速バスもそうだった。
 高速道路は、一つの道を速度を上げて走る。電車のレールと同じように、高速道路は、目の前に「ここの道がそうですよ!」と遠くへと続いている。
 停車するバス停は、インターチェンジの近くであるが、たまにインターチェンジ降り口へと向かい料金所を越え、「どこまで行くんだ?」その場から五〇〇メートルもの先のバス停止まる事も度々だ。
 そんな時の僕の心臓はもう破裂するくらいなもので市内路線バスならその場で降り、タクシーを拾って行き先を告げる。ところが、不慣れな場所でそれも、降り立ったらもうタクシーどころか店一つ開いてない。夜行バスだったら、ひとたまりもないく気絶しそうだ。極まりなく最悪な乗り物だと思った。

 そうそう、子供の頃にもう一つ決定的な嫌な思い出があった。
 小学校六年になった春先、修学旅行での事だった。
 そこは、通う小学校から遠くはなれた北部九州を廻る旅だった。北部九州と言ってもそこ頃は、子供だったから遠く離れた場所だろう。
 クラスごとに分かられたバスは、四十人くらいをひとまとめにして、隙間無く騒がしい小学生らを乗せて走っていた。
 そのバスは、時折トイレ休憩を入れながら走ったいた。
 休憩先の自動販売機の『缶コーヒー』に目がいった。いつも飲んでいる砂糖・ミルク入りの甘いコーヒーを横目で見ながら、つい横に並んでいる『ブラック缶コーヒー』のボタンを押してしまった。
「ガタゴト、ガシャーン」と目の前に転がるようにトレイに落ちてきた『ブラック缶コーヒー』を引きずり出しながら、「しまった、間違えた!」ブラックなん……、それは「大人が飲む黒い液体」としか思えなかった。
「砂糖・ミルクいりならな……」なんて思った。
 うしろにはクラスの仲間が順番待ちしていて、誰も僕のことなんか見てもいなかった。
 仕方なく、その「黒い液体」を持ち、バスへと乗り込んだ。
 「大人は、いつもブラックなんだから!」自分に言い聞かせながらも少し、何故か不思議と大人の味、「黒い液体」に興味が湧いていた。
 缶のプルトップを開け、恐る恐る口をつけた。
 いきなり、ゴクリと飲めなかった。
『ズズーッ!』
 口に含んだときに嫌な苦味みたいな、泥ーっとした。何とも言えない、たまに飲む砂糖・ミルク入りコーヒーとは程遠い味だった
「やっぱり!」 
「げー! まずー!」

 せっかく買ってしまったのだからと思うのと、バスに乗ってしまったから捨てる訳もいかなかった。
 半分位無理して飲んだ、それが運の尽き。
 その後は、もう飲めずにカップホルダーに差したまま、その「黒い液体」が、カチャカチャとバスに揺れていた。
 口の中に残る『ジカジカ』な味。
 窓の外を見ていた。少しづづだか胸の辺りに違和感を感じ始めていた。
 そこからは、早いものでもうムカムカにどうしょうもないくらいになっていた。フワフワした揺れも追い討ちをかけるように僕の体はバスに酔ってしまった。最悪! 絶対絶命の状況だった。
 横に座っていたクラスメイトが誰だったかは覚えてないが、紙袋だったか? ビニール袋だったか?とにかく、僕の顔の前に差し向けた。
 幸いにして、大事には至らず、周りのクラスメイトにも被害は無かった。
 あとにも先にも、その時の事を今でもハッキリと頭の奥にへばりついている。
 今では、その「黒い液体」は平気に飲んでいる。でも、好んでは飲まない。あの時は、コーヒーに似た苦い経験だった事。

 電車は、子供の頃から幾度も一人で乗って次の駅まで行く事はあった。
 バスにも時々は乗る事もあった。電車と同じくらいの回数は乗っていたと思う。
 電車に乗るときは、最初に切符を買うことである。
 そこがもうバスとは違っていた。
 買った切符を手に持ち、改札口で駅員の人に見せるとその場で声をかけて、ホーム番号までの教えてくれる。バスみたいに乗り口一つしかないような待合所じゃないから、それにそこまで教えてくれる駅員の人はとても良い。それよりなによりも切符を見せる事でもう、小銭もおつりも準備する事はないのだ。でも、最初に切符を買うときは、財布からお金を取り出し、買うじゃないか? 買う順番、支払う順番が違うというだろうが、あの降りる瞬間の精算はとても精神的に僕には耐えられない。

 電車のレールは、人生のレールなんて例えられるが、僕にとっては安心できるレールである。
 だれもが心配しないでこの見えるレールを歩けば、必ずたどり着けるじゃないか……。道を外しそうになっても、そこの目の前のレールに戻れば、いいじゃないか……。
 レールは何時だって目の前に長く続いているんだから……。
 いつもレールは、安心を与えてくれる。
 電車に乗り込み、『フワフワ』としない『ゴトゴト』した座り心地を味わいながら、仕事や遊びに行く。そんな電車なら、いつでも乗って行きたい。

 バスの窓の外に見える景色。だいぶ走ったみたいだ。景色の流れるのがゆっくりとなっいたいた。
 少し、窓を開けてみた。隙間から流れ込む少し肌寒いが、心地よい風が僕の心を和ませた。
 季節も少し早い春が出迎えてくれそうだ。
 嫌な事ばかりを記憶しているバスだが、道が悪くなるとき、「ゴトゴト」した座り心地にも思える。
 少し遠い道のりのバスは向かう。時間がある。
 子供のころから避けてきた、「大人が飲む黒い液体」は目の前のカップホルダーに差さっている。

 やっと、運転手上にある目的地の料金表がシフトして、丁度お釣りの要らない料金になった。
 信号機も少なく、右へ左へと折れる道も殆ど少なく、そわそわしないで要られる。
 深く下ろした。お尻もムズムズせず、ゆっくりと呼鈴を押せそうだった。
 そろそろ、この狭い一本道が大きなカーブに差しかかる。バス停が見えてきた。
 スムーズに指が動き、呼鈴を押せた。
 バスはスピードを落とし、ここしか停めるところがないぞといえるバス停で停車した。
 すでに整理券と五百円玉を握っていた。整理券はすこし汗で湿っぽくなっている。
 手から落とさないように立ち上がり、座席シートの肩をつたいながら歩く。
 料金箱へ手から離れる時、絡まりながら落ちていった。
 制帽の鍔を左手でギュッとすると軽く被りなおしたのか、一礼したのか良く分からないが、とにかく僕を少し見上げた。運転手の横顔で頬が笑っていた。
 左に下りる階段に足をかけ降りようとすると、扉の向こうから見あげる彼女が目に入った。
 何も言わず、微笑んで左手を軽く上げた。
「おかえり」
 すぐさま、駆け下り、彼女に歩み寄ると、背中の扉がプシューと閉じた。そのまま、するするとバスが滑り出した。

 バスの方へ振り返ると警笛を遠慮がちに鳴り響かせ遠ざかって行った。
 これから、彼女のアパートに向かう。ここは、僕の家から少し遠く田舎だけど。
 この道だったら、迷わず飛び乗って、彼女に会いに行くだろう。そして、途中で不安になっても大丈夫、道順も向かうバス停も見える。
 とは言うものの、いつまで経っても好きに慣れそうもないが、少しづつは好きになっていこう。
 いつもの道で、バスに乗って。
 行き先のバス停先には、必ず君がいるから……。














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