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プロローグ
またまたあぶないデカ女
 アパートの一室。
 そこに男と女が二人。
 時刻は夕方を過ぎた頃。
 そこでやる事は一つしかないだろう。
 一が靴も脱がずに玄関に突っ立ったまま、女に声を掛ける。
「警察を呼ぶぞ」
「あっ、それは勘弁して。何もしないからさー」
「どうして俺の家を知ってるんだ?」
「学生証に住所書くアンタが悪いのよ。それとお守りなんて入って無かったんだけど?」
 一が部屋のドアを開ける。
「とにかく、俺の財布を置いて出てってくれ」
「……薄情ねえ」
 そう言って女が一をジト目で見る。
「俺に犯罪者を匿う趣味は無いから」
「私がこんなに頼んでるのに?」
 何時に無く一が強気な口調で女を責める。
 そんな一の態度を気にも留めず、女は寝転がりながら媚びた視線を送り続ける。
 一はドアのノブに手を掛けたまま、侵入者をよく観察した。
 見れば見るほど、店のポスターに「指名手配犯」として写っていた人物にそっくりな女。
 ――タルタロスからの脱獄者。
 一は警察を呼んで、さっさとこの女を引き渡したかったが、相手はその警察の居る刑務所から逃げてきたのかもしれない犯罪者。
 下手に行動を起こせば何をされるか分かった物ではなかった。
「とりあえずお金を返して下さい。困ります」
 一は口調だけでも下手に出ておくことにした。
「うーん、返してあげたいのは山々何だけどなあ。雀の涙も今の私にとっては必要だからさー。ちょっと無理かな?」
 雀の涙と言う発言に一の眉が反応する。
「無理ですね。金が無いと俺も年を越せません。……ストーブが欲しいんですよ」
「すとうぶ?」
 カツアゲ犯に何言ってんだ俺は、と一が少し後悔した。
 一は女の軽い口調、性格に乗せられてしまっている。
「この部屋にはストーブも無いの?」
 見れば分かるでしょ、と一が女に言い放つ。
「だから返してください。お金を奪うなとは言いません、俺以外から奪って下さい」
「アンタってホントに薄情ね、それでも人間?」
 少なくともアンタよりは。
 一はその言葉を飲み下した。
「埒が明かないわね」
「なら電話使わせてください、埒でも何でも明けますよ」
 一が靴を脱ぐ。
「駄目よ。余計な事したら金だけじゃ済まないんだから」
 女が凄みを利かせた。
 冷たい目。
 その瞳は黒く、そして暗い海を思わせた。
 何処までも深く、冷たい海。
 一の心臓が止まりそうになる。
「……じゃあどうしろって言うんですか? 言っておくけど、金は渡せませんよ」
 気力を絞って、何とか言葉を繋いだ。
 一の言葉に、女が黙って腕を組む。
 何か考えているらしい。
「一緒に住もっか」
 女は考えた。


「何時まで付いて来るんですか?」
 一が振り向きもしないで、背中越しの人物に声を掛ける。
「いつまでもー」
 その人物が適当に答えた。
 長い髪を指で弄りながら、辺りを見回している。
「その服、俺のですよね?」
「うん、アンタってセンス無いわ」
 冬の夜道を二人が歩く。
 一人は一。
 一人は名前も知らない、名前を言おうともしない女。
 一は益々、女に対する不審を募らせていった。
 そして店で見たポスターの顔写真を、頭の中で反芻する。
「ね、何処に行くの?」
 女がやけに親しげに、一に話し掛けてきた。
 一はそれを無視して、目的地である駅前の電器店へ黙々と足を進める。
「答えなさいよ」
 女の口調に殺気めいた物が入った。
 鳥肌が立ち、一は心底嫌そうに答える。
 力の無い者の精一杯の抵抗。
「……電器屋です」
「何買うの?」
「……何でも良いでしょう」
 一がぶっきら棒に答える。
「ルームメイトに向かって随分な口の訊き方ね、お姉さんキレそう」
「誰がルームメイトですか」
 わたしー、と一の後ろから能天気な声が聞こえてくる。
 ――何なんだコイツは。
 一は煙草に火を点けると、溜息と一緒に煙を吐いた。
「で、何買うの?」
「ストーブです」
「えー、私こたつの方が良いなー。こたつに入ってみかんを食べるっ。あー、この国に生まれて良かったって感じしない?」
 一は返事をしないで、煙を吐き続ける。
 このまま警察に向かうのも、北駒台店に向かうのも一の自由だ。
 面倒なこの女をどうするか。
 一は悩んだ。
 悩んだ結果、店が閉まる前に暖房器具を購入する事に決めた。
 警察にもオンリーワンにも、その後で充分に足を延ばせる。
 二十四時間開いているのは、一にとっては心強い。
 考えを纏めると、一の足が速まる。
 少し行くと、信号に捕まった。
 この信号は。
「あ、朝通ったトコロね」
 女がヘラヘラしながら、一を見る。
 ――虫唾が走るなあ。
 一は煙草をコンクリートに落とすと、スニーカーの裏で残っていた火ごと踏み潰した。
 信号機の光が赤から青に変わって一が歩き出す。
「待って」
 女は歩かない。
「待ちません」
 一は女の言葉を無視して歩き続ける。
 歩道の真ん中まで来たところで、一はしょうがないなと思い足を止めた。
 振り返ると、女が一を睨み付けていた。
 真っ暗に近い冬の夜。
 その闇の中でも分かる位、分からされてしまう位の凍える様な鋭すぎる視線。
 シン、と辺りが静まり返る。
「死ぬわよ」
 女が憎憎しげに言い放つ。
 言われた方は、体の芯まで冷える様な怖気の走る言葉。
「何で!」
 一が叫んだ。
 ――突然過ぎる。だけどやっぱり。
 夕方店長に言われた事を、一は思い出す。
 ああ、ちょっと良い女だったから。
 とてもとても罪を犯した人間に見えなかったから。
 少しでも気を許してしまったから。
 ――逃げられませんでした。
 一はこちらに疾駆する影を確認してから目を閉じた。


 長い髪の女が何かを蹴っ飛ばす。
 蹴られた影は、低く唸って地面を転がった。
 だが、直ぐに体勢を立て直すと四つの足で地面に立つ。
 その姿は夜に良く似合っていた。
 黒い毛を並べた体に、血走ったような赤い瞳が一際目立っている。
 黒と赤の色合いが実に美しい。
「犬?」
 一が呆然としながらも、やっとそれだけ呟いた。
 女が一を庇う様にして前方に立つ。
「退いて、そのまま逃げなさい」
 そう言って、女が『犬』を見た。
 その犬は子牛ほどの大きさをしており、口からは赤い息が見え隠れしている。
 犬の中でも、ドーベルマンに良く似ているだろうか。
 それを大きくすれば、今、一たちの目の前に居るソレになる筈だ。
 ――ホント最悪過ぎる。
 一が逃げる間も無く、ソレが二人に襲い掛かる。
 涎を垂らしながら、犬の姿をした異形が爪を伸ばす。
 その爪を女が紙一重で避け、がら空きの脇腹に足を伸ばした。
 鋭い蹴りがソレに突き刺さる。
 痛みに声を上げる事も無く、ソレが地面を滑って行く。
 訓練された盲導犬は吠えないと聞くが、ソレも近いものがあるらしい。
 犬は飛ばされた意識を取り戻す為に、毛を散らしながら首を振った。
 警戒心を強めたのか、一気に飛び掛ろうとはせずに足踏みをして様子を見ている。
「あ、あの、アレは?」
 小声で一が聞く。
「黙っててよ、気が散るから」
 片手で一を制止し、女が真っ赤に光る双眸を睨んだ。
 ――しつこいっ。
 女は昨晩に仕留めた、ソレの片割れを思い出す。
 大方、復讐にでも来たんでしょうけど。
 そうは行かない、とばかりに女が先手を取る。
 走って距離を詰めると、女は履いていた靴をソレに向かって蹴り飛ばした。
 靴はソレの顔面に命中する。
 ダメージこそ無いが、ソレの注意が完全に散った。
 その隙に女が、ソレの足の付け根をトーキック。
 四つの内の一つの足が、バランスを崩す。
 崩れ掛けたソレの体に女が追い討ち。
 再度、脇腹に蹴りを入れると、犬のソレは体を浮かせた後、コンクリートに倒れこんだ。
 打ち所が悪かったのか、濁った色の泡を吹き、四肢を痙攣させる。
「すげぇ……」
 流れる様な女の姿に、一は見惚れた。
 ――勤務外?
 一は目の前でソレと戦う女と、三森がダブって見えた。
 だが、どうにもこの女は人間らしい(・・・・・)
 三森の様に炎を使った――つまりは人間から外れた能力を使っていない。
 あくまで、人間として戦っている。
 現に、女は肩で息をして、相当に疲弊している様子だった。
 並みの人間ならば、肉体的にも精神的にも大幅に力を削られる状況。
 果たして、この女は人間なのか、そうでないのか。
 倒れているソレと女を交互に見ながら一が思った。
 ――赤い、赤い目。
 一が女に声を掛けようとしたその時、その目に捉えられる。
 目の主はソレ。
 地に臥しながらも、赤い眼は一の目を掴んで離さない。
 ソレと視線がほんの少し交わっただけで、一の体は嘘の様に動かなくなった。
 まるで自分の影を地面に縫い止められた感覚。
 一の体のどの部位も、指一本ですら言う事を聞かない。
「な……で」
 声を出そうにも、喉からは潰れた音が吐き出されるだけ。
 やがて呼吸も苦しくなる。
 一は動けない。
 ソレも動けない。
 女は一の方を見て、嫌らしい笑みを浮べて動かない。
「ね、アンタ助かりたい?」
 その笑みを顔に張り付かせたまま、女が一に尋ねた。
 一が縋る様に女を見る。
 見る事しか出来ない。助かりたいと首を振る事も、返事をする事も許されていない。
「じゃあさ、私の言う事を一個。何でも絶対に聞きなさい、分かった? ああ、分かってても分かって無くても返事は出来ないわよねー」
 ――クソ女が。
 目の前が真っ白に塗り潰され、にきびの様な物々が点々と視界の隅に転がる、そんな気持ちの悪い感覚に襲われ、一の意識が段々と薄れていった。
 

「落ち着いたー?」
 声を出さずに、一は首を動かすだけで返事をした。
 一はどうやら、歩道の脇にいつの間にか移動させられていたらしい。
「そ。なら良いけどね」
 冷え切った地面に膝を突いて、一はゆっくりと空気を取り込んでいく。
 一は深呼吸を何回かして、やっと落ち着いた様だ。
「さっきの犬は?」
「そこらに転がってるわ」
 一は辺りを見回した。
 道路に、ガードレールに、歩道に。
 所構わず、細切れになった肉片らしき物が散らばっている。
 パズルみたいに元通りにしないと分からないが、おそらくソレのモノなんだろうと、一は吐き気を堪えながら納得し、気を持つ。
 飛び散っているソレの血はまだ乾いておらず、付着した箇所に広がって赤い染みを作り続けていた。
 一が何か(・・)を見るような目で女を一瞥する。
「……あなたが?」
 笑う。
 女が笑う。
「そ、私が」
「どうやって?」
 女は指を口元に当てて。
「秘密よ」
 ――気持ち悪い。
「……慣れてますね」
「え?」
「殺す事です。慣れてますね」
 一が立ち上がり、女に言った。
「どういう意味?」
「一応、ですが。助けて貰った事に関してはお礼を言います」
 そう言って一は頭を下げる。
 ありがとうございます、と付け加えて。
「糸原、四乃さんですよね?」
「違うわ」
「オンリーワンのバイト何ですよ、俺」
「へえ、羨ましいわね。あそこって時給良いんでしょ?」
 良くご存知で、と一がシニカルに笑った。
「タルタロス、でしたっけ? そこを脱獄したから指名手配犯になってますよあなた。因みに、あなたを引き渡せば謝礼が貰えるらしいですね」
「アンタ頭オカシイんじゃないの?」
「まあ、お金は返ってきたので、今更謝礼なんて欲しくありませんけど」
 一が何食わぬ顔で言う。
「……仮によ。仮に私が糸原四乃だったとして。アンタは糸原四乃に何をして欲しいワケ?」
「思いつきませんね。金も要らないし、俺に危害さえ加えなければ別にどうでもいいです。タルタロスに引き渡すのも面倒そうだし」
 何度も何度も。
 女が爪先を地面に当てる。
 遠まわしな一の発言にイライラしているのは、女の仕草から直ぐに見て取れた。
「じゃあどうしたいのかな? アンタは」
「あなたは何をして捕まったんですか?」
 は? と女が固まる。
 ややあって、顔に掛かる長い髪を女が掻き分けた。
「気になるの?」
「答えて下さい」
 一が正面の女を見据える。
「仮によ? えー、と。……詐欺、盗み、違法賭博」
 女がゆっくりと答えていく。
「それだけですか?」
「そうよ。失礼ねアンタ」
「いえ、それだけでタルタロスに連れてかれるんですか?」
 ソレ絡みの犯罪者が送られる場所。
 詐欺と言った犯罪が、ソレにどう結びつくのだろうか。
 一は頭を捻った。
「アンタ、あそこについて誤解してない? 送られる奴にソレがどうとかなんて関係ないわよ」
「でも、ウチの店長は確かに」
「ま、その事は別に良いでしょ? とにかく、私はお金が好き、そんで捕まったのオッケー?」
「……じゃあ人を殺した、とかそんなんじゃないんですか?」
 何よそれ、と女が眉を吊り上げる。
「言っとくけど、私はそんな事してないし、するつもりも無いわよ」
「何で逃げたんですか?」
「馬鹿じゃないの、あんなトコに居たら一年経たない内に死んじゃうわよ。詐欺ぐらいで無期懲役なんて聞いた事無いわ。ああ、仮の話だけど」
 ――犯罪者の考えだな。
 一は言い出したいのをぐっと堪えた。
「やっぱイマイチ話が繋がらないんですけど。タルタロスってのはヤバイ所で、あなたは詐欺で捕まって、そんで逃げてきたって事で良いですか?」
「ま、そんなトコロねー。ああ、けど仮よ仮なんだから」
 分かってます、と一が頷く。
「じゃあ何でソレと戦えるんですか?」
 何かを殺した訳でもない、唯の詐欺師がソレと互角以上に戦い、殺しきるなんてでたらめな話。
 一はそのでたらめな話を信じる事が出来なかった。
「私の邪魔をするからよ。ソレだろうと人だろうと関係ないわ」
「いや、そういうのじゃなくて。勤務外でも無いあなたが何で?」
 女は少し考え込む。
「別に勤務外だけがソレに太刀打ち出来る、って事じゃないのよね、きっと」
「はあ、そうですか」
「あ、信じてないわね?」
 詐欺師の言う事を一体誰が如何して信じられるだろうか。
 一は溜息を吐く。
「いや、やっぱその辺りの話は俺にとってはどうでも良かったみたいです」
「何よそれ。まあ、アンタが信じようがどうでも良いけどね」
 けどね、と女が更に付け足す。
「仮によ? 仮に私が糸原四乃だとして。これだけ言えるわ。いや、言いたい」

 
「私は地獄を見てきたのよ」

 
 暗い部屋。
 照明に乏しく、唯一の光源はテーブルの上の粗末な蝋燭。
 部屋にあるのが豪奢なテーブルなだけに、その蝋燭との組み合わせは酷くアンバランスに感じられるだろう。
 装飾を気にする人間は居ないのだろうか。
「結局、脱走者はどうするんだ?」
「犬に追わせた」
「フフ、優しいのね。ここを抜けるニンゲンよ? ヘルハウンドなんかに追跡者の任が勤まると思って?」
 広い部屋。
 空っぽな部屋。
 テーブルに敷かれた真白いテーブルクロスが、暗がりの中一際輝いて見える。
「……彼女には泳いでもらう。その為に逃がしたのだからな」
「ではオンリーワンに協力を申し出たのは何故ですか? みすみすあのニンゲンが捕まる様な事になれば……」
「ポーズだよ」と誰かが笑いながら言った。
「ニンゲン? ニンゲンには捕まらないわ」
 最後に発言した人物が、椅子から立ち上がり自らの右手を掲げる。
 その手が蝋燭の灯りに照らされると、周囲から驚きの声が上がった。
 右手は歪に、醜く継ぎ接ぎされている。
 肘から下に、縫い合わせた後が何箇所、何十箇所と痛々しげに残る腕。
「私にここまでの事をしたのよ? ニンゲンなんかに捕まらないわ、捕まえられて堪るものですか」
 語気を荒げて影が感情を露にした。
「不様ね」
「何ですって?」
 止さないか、と卓の上座に位置する人物が諌める。
「我々は仲間だろう。目的を達する為に一時的でも同盟を結んだ者同士、詰らない事で中から崩れるのは望まない。そうだろう諸君?」
 チッと舌打ちした後、右手に傷を負った人物が席に着く。
「それで? 脱走者は放っておくとして今後は?」
「待つ。只管な。なあに、今までも我々はここでずっとそうして来たんだ、我慢できるだろう?」
「フフ、それに私たちが心配しなくても、上が勝手に動き出すわ」
 場が静まる。
 他の意見は無しと判断したのか、上座の人物が解散を宣言した。
 一人、また一人と部屋を出て行く。
 残るのは上座の人物、唯一人。
 それが口元を歪める。
「最後に残るのは我々タルタロスだ。それまで待っていろゼウス」
 部屋に響き渡る哄笑。
 やがて、蝋燭の火も消え、何もかもが暗闇に包まれた。


「私を助けなさい」
「……それがお願いですか?」
 そうよ、と女がふんぞり返る。
「本当に何度も言いますが、お金は貸せません」
「別にアンタのはした金なんか要らないわよ」
 ――このアマ……。
「俺の部屋に住むってのも、ナシで。ややこしい事この上ないです」
「何で!? それがベストじゃない! おまけにこんなきれいなお姉さんも付いてくんのよ! もれなくよ、もれなく!」
「きれいなお姉さんは好きですが、良く考えてみると、犯罪者を匿ったら俺共犯者になっちゃうんですよね」
 一がにべも無い態度で言う。
「カンケーないわよそんなの、何でも言う事聞くって言ったじゃない」
「一言も言ってないんですけど……」
「うるさいわね、良いから聞きなさい」
 女は只管にゴリ押してくる。
 正直、一はもう女の攻勢に限界を感じていた。
 城の外堀、いやもう本丸にまで敵兵が乗り込んできたイメージが浮かぶ。
「分かった、分かりました。一ヶ月です。一ヶ月なら俺の部屋に居ても良いです」
「一ヶ月ぅ?」
 女が一を睨む。
「俺は危ない所を助けて貰いました。で、俺は危険を冒して犯罪者であるあなたを匿う事になります」
「交換条件? ナマイキねぇアンタ」
「俺に出来る最大で最高の譲歩です。一ヶ月の間、あなたには駒台から逃げる準備、お金とか。それと他に住む場所を探して貰います」
「ふうん。お金と家ね」
 そうです、と一が力強く首を振る。
「じゃ、とりあえず仕事ね。当分は危ない橋渡りたくないからバイトでも探すわ。あ、アンタが探しても良いけど」
「ヤです。……俺の条件、呑んでくれますか?」
 仕方無さそうに、首を縦に振り女が肯定の意を示す。
「それじゃ行きましょうか」
「何処へ?」
「電器屋です。あんな寒い部屋じゃ死んじゃいますよ」
「もーう。寒かったら私が暖めてあげるのにー」
 急にご機嫌になる女。
 一が鬱陶しいです、と寄り掛かる女を手で除けた。
「ヒドイわねー、お姉さんの好意を無駄にするなんて……」
「掌ひっくり返す様な人は嫌いです」
 一の歩幅が、女を引き離すように広がっていく。
「ごめん」
 女が立ち止まって言った。
「……あなたって突然ですよね、ホント」
「うん、ごめんね。今更だけど、流石にちょっとは悪いかなーとは」
 女が上着のポケットに手を突っ込みながら、下を向く。
 ――泣く女も死ぬほど嫌いなんだよなあ。
 一は癖のある髪を掻きながら。
「あなたって、付き合ってた女の子に似てるんですよ」
 女は下を向いたまま。
 言葉を慎重に選ぶように、一がゆっくりと話し始める。
「別に、あなたに脅されたからとか、助けて貰ったとか、借りを返す、みたいな物であなたを住まわせる訳じゃありません。それと、家やお金が無くて可哀想だなーで、助けてあげようって気持ちもありません。その子に似てるから、それだけです。そんで女の人と一緒に住めたらちょっとラッキーかなとか。うーん。あー、つまり完全に俺の自己満足です」
 だから、と一が言葉を止める。
 自分でも何を言ってるか分からない。
 それでも、必死に続きを考えた。
「……一。一一(にのまえはじめ)です。数字の一が二つで一一」
「は? それ、アンタの名前、よね?」
 女が顔を上げる。
 変わってるでしょ、と一が笑う。
「早い話が俺はもう何も気にしてません。だから、自己紹介です」
「自己紹介って、今更? 初めて会った訳でも無いのにさ」
「なんて言うか、あー。俺はついさっき、やっとあなたに初めて会えた気がしました」
 気恥ずかしさを漂わせつつ、一が視線を逸らせて言う。
 白い息を吐いてから、馬鹿じゃない、と女が鼻で笑った。
「私は糸原四乃。タルタロスから脱獄した、美人できれいな指名手配犯にそっくり(・・・・)でしょ? ま、これから一ヶ月宜しくね」
 宜しく、と一も返す。 
「あーあ、瓜二つだなあホントに」
 一はこれから本当にどうするか、考えるだけで胃が痛くなる気がした。
「良し、後は家に帰ってからにしよう? こたつ買お、こたつ」
 糸原が楽しそうに一の隣に並ぶ。
「こたつか……うん。こたつも良いかも知れないですね」
「決まりね。そんで帰りにみかん買ったらもう最高じゃない?」
「いえ、アイスですね」
 アイス? と糸原が訝しげに一を見つめる。
「こたつに入りながら食べるアイスは別格ですね、譲れません」
「アンタって趣味悪いわね……。あ、アンタってのも変かな?」
 いえ、と一が答えた。
 「好きな様に呼んで下さい、糸原さん」
「……私は好きに呼べとは言ってないわよ」
「じゃあ何て呼べば?」
「二号で良いわよ、二号で」
 ――悪趣味なのはどっちだよ。
 ま、いっか。
 煙草を箱から摘み上げ、一は火を点ける。
「あ、私にもちょうだーい」
「ヤです」
 一は美味そうに煙を吸い込むと、今夜は星が綺麗に見える事にやっと気が付いた。


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