「寒いなあ」
「まだ十一月だぜ」
「いや、もう十一月、じゃないか?」
「そうかあ?」
薄暗くて薄ら寒い夜道を、作業服を着た男二人が談笑しながら歩いている。
男たちは駒台の工事現場からの帰りだろうか。
突然、強風が吹き出す。
うわっ、と男たちから声が上がる。
突風が過ぎ去ると、道の左側を歩いていた男が転んだ。
「あ? おいっ」
「あれ?」
立っていた男が声をかける。
意識はある様だが、何故か立ち上がることが出来ない。
仕方なく、倒れた男に肩を貸す、もう一人の男。
「おい、寄り掛かりすぎだぞ」
「あ、ああ。悪い……」
謝るが、どうやっても右に重心が傾いてしまう。
男はどうしても左足に力が入らないようだ。
「おい、本当にどうしたってんだよ?」
分からない、と首を振る倒れた男。
その時、ふと、後ろを振り向いた男が情けなく、短く声を上げた。
「何だよ?」
「お前、足……」
暗くて見え辛いが、男たちが目を凝らす。
すると確かに、後方に足らしき物体が落ちているのが確認できた。
そして、視線を倒れた男にずらしていき、再び声が上がる。
「あ、俺の足」
倒れた男の左足が無かった。
ズボンの生地ごと、脛辺りから下の部分が付いていなかった。
にも関わらず、傷口からは血も出ていなかったし、男は痛みすら感じていない。
だが、間違いなく男の足は失われていた。
痛みが全く無い事や、血が一滴すら流れ出ていないためか、青褪めてはいたが、冷静な様子の男。
むしろ五体満足の方の男が取り乱している。
「まだ間に合うかもしれないから! 足取ってきて氷で冷やすぞ、お前はそこで救急車呼んどけっ」
そう言って男が駆け出す。
残された男が座り込んで、携帯電話を取り出す。
そうか、俺の足取れたのか。
意外にもこういうもんなのか。
男は酷く落ち着いている。
やがて、コール音が聞こえると同時、男が持っていたタオルに足だったものを包んで戻ってきた。
「電話は!?」
「今掛けてる」
少し安心した男の手から力が抜け、包まれていたモノが地面に落ちる。
――あ、これ、俺の足?
『災害庁。火事ですか、救急ですか、ソレですか』
「あ、あ、あああああああ!」
『は!? もしもし!? もしもし!?』
「おい! どうしたんだよっ」
「俺のっ俺のっあしがあっ! いてぇえぇえ!」
男の左足の欠けた所から血が噴出す。
歪んだ表情からは、やっと男に痛覚が戻ってきた事が窺い知れる。
火事、救急、ソレに対応する災害庁へ一本の連絡が入ってから数分。電話が途切れるまで数分。
その間、男の苦悶に満ちた叫び声が途切れる事は無かった。
オンリーワン北駒台店。
駒台の住宅街の、ほぼ真ん中に位置するコンビニ。
パンドラ事件と呼ばれる出来事が地球に起きてから数年。
世界に災厄を撒き散らすべく、むしろ自体が災厄である「ソレ」が現れてから数年。
政府は法を曲げ、作り、変え、ソレに立ち向かうべく様々な策を立てた。
そして今も新たな希望は生み出されている。
事件は収まりつつあるが、未だ世界各地で散発的に現れ、人類に害を与えるソレ。
ソレという人外を殺す為、世界各地に人外を派遣して対処させるのがその希望の内の一つ。
通常業務時間外店員、勤務外と呼ばれる人材を派遣させる勤務外サービスを生み出したオンリーワン。
何故、一コンビニチェーンであったオンリーワンがこのようなサービスを思いつき、更にそれを採用されたのかも詳しく分かってはいない。
今や、地球上のどこにあってもおかしくないコンビニという気安さ、フットワークの軽さ等理由は多々思いつくが、答えではない。
答えが無くとも、ソレに一方的に怯えるだけの力の無い人間にとっては、救いのあるシステムである。
そしてまた、別の点でも救われる。
人間というのは、しっかりとした足場が無いと上手く立てないものだ。
自分より体力で、学力で、容姿で、様々な角度から弱い人間を探し出し、自分より低い立場にいる者を見つけて、やっと人は安心できる。
安心しては行動を起こし、徒党をなして弱者に襲い掛かる種類の生き物。
そうしなければ人間は生きていけないものだ。
ソレが出てからは状況が変わったが。
状況が変われば、状況を変えるのも人間の知恵。
今度は誰を貶めて虐めればいい?
オンリーワン北駒台店。
駒台の住宅街の、ほぼ真ん中に位置する勤務外サービスを導入された唯一のコンビニ。
アルバイトは、コンビニの仕事のみをこなす一般と、ソレにも対処しなければならない勤務外に分けられる。
勤務外店員はソレと場合によっては戦闘を行い、命も危険に晒されるので、アルバイトとしては破格の待遇を受ける事が出来る。
まず、時給。同じ時間働けば、通常のコンビニの時給よりも良いと言われるオンリーワンの一般からですら、二、三倍近く月給に差が出るといわれ、一般業務をしなくても、オンリーワンの各店舗に用意されているであろう仮眠室などで惰眠を貪っていようが何をしようが給料は出る。
また、自分が属している店の商品は全て無料で獲得でき、ソレが現れ、対処する勤務中では勤務外が仕事の邪魔と判断さえすれば、器物の損壊、全く関係無い人への殺傷行為、その他の行為も不問となる。
他にも多数の恩恵を勤務外は受けているが、良い事尽くめという訳では無い。
デメリットは大まかに二つ。
一つは、ソレの対処。ソレ出現後は、如何なる行動を取っても良いが、大抵はソレとの戦闘になる。
命の奪い合いの果て、勤務中に死んでしまう者も多い。
そしてもう一つは、同じ人間から迫害に近い扱いを受ける事である。
弱い人間が集団で襲い掛かるのが、人外。普通とは一線を画したモノを持った強い勤務外に他ならない。
だからと言って、むやみやたらに弱い者を手に掛ける事も、勤務外と言えど普通は出来ない。
ソレと命を掛けて戦い、守るべき人々には疎まれる。
一体、今の世の中でどうすれば、どんな人間が幸せになれるのか?
混迷を極めた地球上で、それを知っているものはいない。
「おはようございまーす」
今、その店のバックヤードで挨拶をしたのが一般のアルバイト店員である、一一。
先日、北駒台店に採用された新人。
新人とは言っても、オンリーワンに来るまでは他のコンビニで働いており、一般としては『使える』部類に入る人材である。
「おはよう」
誰かがバックヤードのパソコンと睨めっこしながら煙草を吸っている。
短く切った黒髪が似合う、吊り目のきつそうな印象を受ける女性だ。
何を隠そう、この人物こそ北駒台店を取り仕切る女店長である。
「三森さんは?」
「何だ? やっぱり気になるのか?」
違いますよ、と詰らなさそうに返す一。
「アイツは夕方からだよ。それまでは一人でレジでも打っといてくれ」
「っていうか、レジ打つのはいつも俺ですけどね」
ジャージから制服に着替えながら一が不満げに言う。
「だって、面接希望の電話ですら掛かってこないんだぞ?」
知るかよ。
一般が一人。勤務外が一人。社員が一人。店長が一人。
このままでは合計四名で二十四時間を三百六十五日回さなければならない状況。
一は溜息。
「なら誰か紹介してくれ。面接だけで採用してやるよ」
「残念ですけど、俺にそういう知り合いは居ませんよ」
既に短くなった煙草を、中身の少ないジュースの缶に放り込む店長。
消えかかっていた火が弾ける様に消える音。
「一、ここに来てからどれ位経つんだ?」
思案。
「一年ちょっとですね」
「一人ぐらい居るだろ……?」
居ません、と念を押す一。
「そういえばお前、携帯持ってないんだったな」
「それが何か?」
いや、と店長が一の目を見ないで返す。
「友達居なくて悪かったですね」
「別に悪くないさ。そもそも、私は友達なんて言ってないぞ」
ダスタークロスとモップを手に取り、一がそうですか、とバックヤードから立ち去る。
店長が新たに煙草を取り出し、火を点ける。
「……悪くないさ」
床掃除を済ませ、商品の補充やフェイスアップでとりあえずの体裁を整えると、一は裏から肉まんの袋を持ってきた。
今日は寒いから、いつもよりは売れるだろ。
スチーマーに肉まんを仕込んでいく一。
「おっ、肉まン。一個貰うぜ」
金髪の小柄な、赤のジャージを来た女性が当たり前の様に店の商品を掴み取る。
「おはようございます三森さん。つうか肉まんは、出来てないですよ」
いいよ、と言いながら、三森はカウンターの中に入ってきて、棚から芥子を一袋摘んだ。
出来てないんですけど。
そのまま中へ消えていく三森の後ろ姿を見届ける一。
――意味分からねぇ。
客も居ないので、掃除用具を片付けにバックヤードへと入る一。
ふわりと、鼻を擽る香りが漂う。
一が不思議に思いながら、辺りを見回す。
三森が、どう見ても出来立てといった肉まんを美味しそうに頬張っていた。
「え? 何で?」
口に肉まんを入れたまま、人差し指を振って、三森が一を呼び寄せる。
何ですか、と一が開けた口に煙草を押し込まれた。
手を広げて、動くな、と合図している三森。
三森が右手の親指と人差し指を指の腹で擦り合わせると、そこから空気が燃える音とともに、小さな火柱が上がる。
は? と面食らう一に、口の中の物を飲み下した三森が吸え、と言う。
仕方なく、煙草を銜えなおし、三森の指に顔を近づけていく。
火に煙草の先を浸すと、一がいつも吸っているように何の苦も無く、バックヤードに紫の煙が立ち込めた。
「分かったか?」
「え? ああ、そういう事ですか」
一が釣瓶落としに襲われた時の事を思い出す。
あの時助けに来た勤務外、三森の姿を。
赤い炎に身を包み、熱い炎でソレを焼き尽くす三森。
思い出しすぎて吐きそうになったが、一は何とか堪えた。
今の様に三森は、ライター代わりに小さな火柱を上げる事も出来れば、カチカチに冷えた肉まんに火を通せるぐらいの高熱も自在に操れるのだろう。
なるほど、納得する一。
「便利だろ?」
そう言って、三森は笑う。
一は煙を吐きながら、改めて勤務外と言うのはどのような人間かを思い知った。
「何やってんだ、とっとと仕事に戻れっ」
店長の檄がサボっていた一に飛んだ。
店内で働く一。
仮眠室でだらける三森。
パソコンと睨めっこする店長。
オンリーワン北駒台店にいつもと同じ時間が流れる。
そして、その平和とも言える静寂を破るのは、電話のコール音。
ややあって、店長が電話に出る。
「毎度。オンリーワン北駒台店です」
『……。二ノ美屋さん、ソレが出ました』
またか、店長は煙草を灰皿に押し付けて、煙をだるそうに吐き出す。
「数と種類と場所は?」
『場所は駒台二丁目の住宅地、工事現場近辺です。それ以外は分かっていません』
「分からない? 情報部は何やってんだ」
面目ないです、と、申し訳無さそうにオペレーターが弁解した。
『目撃者の話では、強い風が吹いた、とだけ。犠牲者はその目撃者の友人で、工事現場からの帰りだったそうです。昨晩、連絡が来て調査しましたが、ソレらしい物は……』
「無かった、と。そんな物どうすればいいんだ、ウチが現場まで出向くってのか?」
『ええ、まさにそうです。それじゃお願いしますね』
そう言って、電話が切れる。
――どうしろってんだ。
店長が受話器を力いっぱいに叩き付ける。
「出たンすか?」
その音を聞きつけ、仮眠室から三森がやって来る。
「ああ、しかも全くのノーデータだ」
「はあ? 私はどうすりゃいいンだよ?」
うーん、と唸る店長。
「お疲れ様でーす」
「ああ、お疲れ」
唸る店長を尻目に、悠々と一がバックヤードへと帰ってきた。
既に、今日の夕方シフトが終わる時間になっていたらしい。
一がパソコンで退勤の処理を済まし、制服からジャージに着替える。
「それじゃ俺帰りますね。んで、次はいつ来れば良いんですか?」
「朝から」
「学校あるから無理です。それと、いくら人が居ないからってシフト表ぐらいどうにかして下さいよ。後、ポリッシャーも支部に頼んどいて下さい。ポリッシャーが無いなんて有り得ないですよ。それから肉まんの発注は多めにお願いしますね、最近売れ行きが良いんで、在庫切らさないで下さいよ」
頭を抱えながら、店長がうるさいっと怒鳴った。
「何で店長怒ってるんですか?」
「正体不明のソレが出たんだってよ、そンでさ」
三森が答える。
店長が苛立ちながら、三森の言葉を遮るべく口を挟んだ。
「おい、一般に余計な事言うな」
「……別に良いですけどね。それじゃお先に失礼します」
バックヤードから一が出て行くと、店長はまた頭を抱える。
三森は正直、この場をどうしていいか分からずに煙草を吸い始めた。
「あ、そうだ。三森、一と一緒に帰れ」
「ハア!? 何で!」
一の履歴書をファイルから取り出して、その住所を指差す。
「一の家はソレが出たって場所の近くだ。……前みたいな事があっても困るからな。調査の序にボディーガードでもしてやれ」
「だから、何で私が」
「アイツは私が守るって言ってただろ?」
口元を弛ませながら、店長がおかしそうに言った。
「ンな事言ってねェよ」
「まあ、それはどうでも良いとして。仕事だ、行け」
三森の舌打ちが聞こえた後、バックヤードにけたたましい音が響いた。
暗くなりかかっている道に影が二つ伸びている。
「ああ、そういう事だったんですか」
「そうだよ」
一は後を追ってきた三森と合流し、事情を聞かされた。
説明していた三森の顔が、何故か赤かった事に一は、またこの人怒ってる、と少し怯えていたが。
「にしても。俺んちの近くにソレが出たんなら、店長教えてくれても良かったのに……」
「しゃあねェだろ、お前は一般だから。あの人もそういう事は言い辛いンだよ」
そこから会話が途切れる。
少し歩くと、件の工事現場が見えてきた。
今の時間ならまだ工事の音が聞こえてきても良さそうなのだが、どうやら作業員達が仕事を早く切り上げたらしい。
人の気配は周囲に全くと言って良いほど無かった。
「あ、この辺で出たんですよね」
一の体が硬くなる。
先日のソレをどうしても思い出してしまう。
「つっても、正体が分からないンじゃ話にもならねェよ」
薄暗い夜道に街灯の光が差さる。
一と二人で歩いていた事に、気まずさを感じていた三森の背中に悪寒が走った。
突然の遭遇?
確証も何も無かったが、勤務外として、人外としての勘で三森は一を道の端っこに蹴りやってから。
「伏せろっ」
と叫んだ。
一は何が起こったかも分からずに、その場に蹲った。
風が木の葉を引き連れて奔ってくる。
音でそうだ、と分かる程の強い風。
それが三森に襲い掛かる。
目を瞑りそうになりながらも、三森はその正体を見極めるべく、堪える。
――当たりかよっ。
いきなりのターゲットとの遭遇に焦ったが、三森も勤務外だ。
心を落ち着かせて、風が奔る一瞬の内に炎を身に纏わせた。
しかしソレは、炎を三森の左肩ごと切り裂いてまた奔り去る。
一が目を開けると、血を流している三森の姿が映った。
風らしき物はそこに居ない。
「三森さん!」
「そのままそこでジッとしてろっ、アレはまた来るぞ!」
その言葉どおり、先程とは反対側から風の音。
距離は若干離れてはいるが、三森との邂逅まで数秒もかからないだろう。
三森はソレを確認するべく、目を凝らした。
本当に風なら目に見えない筈だが、遠くの枯葉が不自然に宙で舞っている。
葉の中から、一瞬だがソレの姿が見えた。
小動物の様な姿。
その手には鈍く輝く刃物。
「三匹か!」
向かってくるソレは一列に隊列を成す。
生半可な炎では自分の体ごと切り裂くだろう。
そう判断した三森は右手に意識を集中させる。
体に火を纏わせたのでは、広い範囲をカバーできるが威力は落ちる。
その逆、右手のみに火を集中させて威力を高めるのだ。
そして邂逅。
突っ込んできた先頭のソレを、三森の右手が捉える。
三森の炎で周りの物が燃え出した。
その光に照らされ、動きを止められたソレの姿が露になる。
細長く、しなやかな胴体。
短い四肢。
丸く小さな耳に、尖った鼻を持つ顔。
「イタチ?」
一が呟く。
昔読んだ動物図鑑のページを一は思い出す。
だが、そこに載っていたイタチと呼ばれる物より、随分とソレは大きかった。
空中に浮いたまま、炎で体を焼かれながらも、ソレは前進を図り続ける。
だが、やがてソレは短くて高い、獣特有の悲鳴を上げると灰に姿を変えた。
――まず一匹。
直ぐにソレらは軌道を変え、上空に逃げるように飛び去る。
三森が標的を変えるべく、後ろのソレにも手を伸ばす。
が、後少しというところで届かない。
ソレの手には鈍く輝く鎌。
先頭のソレは空手だったのか、どうやら二匹目のみ武器を持っているらしい。
「何処行きやがった!」
一は上へ逃げ去るソレを目撃したが、距離の近かった三森には何が起こったか分からない。
ソレは上昇を止め、二匹目が鎌を構えなおし、落下。風の行く先は三森。
「上です!」
ソレの攻撃より、声を掛けた一が少し遅れた。
獣ではなく、人間の短い悲鳴が聞こえる。
赤い飛沫が風で舞い上がる。
「三森さん!?」
「心配ねェよ!」
上がった飛沫は真っ赤な炎と肩口からの血液。
出血量自体は大した物では無いが、ダメージを受けた三森の意識が乱れる。
さっきまで一定の大きさを保っていた三森の、右手の炎が風で揺らぐ。
――集中できねェ!
三森の右手が、ソレの鎌を掴んではいるが、掴んでいるだけ。
一匹目と違い、鎌を盾に三森の右手を掻き切ろうと遮二無二突っ込む二匹目。
三森はソレの勢いに押されつつあった。
応援を呼ぶ携帯電話も所持していない、ソレに対抗する力も持っていない。
一はあまりの不甲斐無さに、三森に掛ける言葉すら思いつかず、声も出なかった。
黙ってその場に突っ立って、見ている事しか出来ない。
人通りの全く無い住宅街。
作業員がここでソレに襲われた、その情報が流れてからは、家から誰も出ようとしない。
そもそも人が居るかどうかですら怪しいぐらいだ。
その道のど真ん中で三森が血を流しながら、ソレと戦闘に入っている。
三森は右手のみに炎を集中させようとするが、傷口に走る痛みで集中できずに形が安定しない。
イタチに似たソレは、両手に持った短い鎌で三森を掻っ切るべく、襲い掛かる炎に焼かれる事も構わず、前進を止めようとしない。
何とか三森が抑えているが、それも紙一重と言った所だろう。
先程から黙って見ている一だったが、ある事に気付いた。
――何で三匹目はジッとしているんだ?
一人と一匹の膠着状態を打開するには、第三者の介入が必要になる。
――何で仲間を助けようとしないんだ?
その第三者は鎌を持った二匹目の後ろで、まるでその背に隠れる様にして大人しくしていた。
三匹目も一匹目と同じく、何も持っていない。
そして二匹目は三森に全ての意識を注いでいる様だ。
今ならアイツの意識を反らせるかもしれない。
でも、出来るのか? 体は動くか? 化け物に立ち向かえるか?
言い知れぬ不安が一の足を止める。
ソレとは違う、一際強い風が一の体を撫でる様に吹き去っていった。
体中から吹き出る冷汗が更に冷える。
転がってきた木の枝が、一の近くで止まった。
どっちにしろ、このままじゃ二人とも死ぬ。
鎌を持った人外相手には、頼りの無い不安定な武器。
木の枝をしっかりと掴んで、一が目標とするソレを確認する。
掌には汗が、背中には冷や汗が、頭には恐怖が浮かぶ。
――でもやるしかない……!
――いい加減にしろよッ!
三森が力任せにソレを押す。
が、炎が上手く右手から出ずに刃先を素手で掴む羽目になる。
右手からは炎ではない赤い物が流れ出る。
鎌の大部分は熱によって溶かされていたが、まともに斬られれば致命傷になりかねない。
野生の獣の一番恐ろしい所は無知な所だ。
獣はマナーも知らないし、言葉も話せない。
皆、本能のみで行動する。
食べたいから食べる、寝たいから寝る。
殺したいから殺す。
獣は自身が、いくら傷を負えば死ぬか分からない、故に止まらない。
死ぬまで相手と闘い続ける。
三森は自分のある程度の限界を知っている。
知らない獣と知っている人間。
差が出るのはまさにそこだった。
「――っ!」
じわじわと三森の体が押され始める。
ソレが鎌を持つ手に力を込めた。
三森がソレに、ソレが三森に気を取られている隙に事が動く。
それは奇跡か、偶然か。
誰にも邪魔される事無く、気付かれる事も無く。
一の握った木の枝が、三匹目のソレの頭に叩きつけられた。
弱弱しい声を上げ、そのまま三匹目のソレがバランスを崩し、地面に落ちる。
仲間の声に、二匹目が思わず振り返る。
仇を討つべくソレの鎌が、奇襲の成功に喜ぶ間もなく一に襲い掛かった。
何も考えずに、咄嗟に一はしゃがみ込む。
鎌が空を切り裂いて行き場を失う。
――熱い。
一がそう感じるのと同時に、ソレの鎌が、握っていた部分と一緒に音も立てずに消えてなくなった。
黒い灰が風に流される。
一は身の危険を感じ、その場から距離を取る。
両の手を失った獣が聞き苦しい声で叫んだ。
「消えろッ」
暗い夜道が明るくなる。
街灯の様な、小さい光の所為ではない。
散らばっていた真っ赤な炎が三森の両手に集束していく。
獣の叫びを掻き消す様に、炎が酸素ごとソレを呑み込む。
右手にソレを、左手にソレを握った三森が力を込めた。
一瞬の静寂の後、爆発音とともにソレは跡形も無くなる。
握った拳を開いて、三森がその場に立ち尽くした。
不自然な炎の明かりが消え、元の暗さが住宅街に戻る。
一は前回の釣瓶落としと同様、火に魅せられていた。
「……あ、その三森、さん……」
動こうとしない三森に一が話しかけるが、反応は一向に帰ってこなかった。
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