『いいから、さっさと来い。もう三日も休みやがって! 本部に応援頼むのがどれだけ面倒な事か分かってんのか!』
電話越しから店長の怒声が聞こえてくる。
一は酷く面倒くさそうに返事をした。
『あのな。こないだの事がしんどいのは分かるけど、それでもバイトをサボっていい理由にはならないからな! 早く来い。三森も待ってるからな』
「え」
そして電話が切られる。
殺風景な部屋に置かれた電話を呆然と見つめる一。
オンリーワン北駒台店が釣瓶落とし出現の後、撃破してから三日経つ。
命を狙われ、救われ、何も出来なかった自分。
初めての経験ばかりで、一はショックを受け、三日引き篭った。
否、未だ引き篭っている。
――三森さんが居るって言っても、何を話せば良いんだよ。
命を救ってくれた事への感謝? 何も出来なかった事に対しての謝罪?
アレコレと思考を巡らすが、自身を職場へと奮い立たせる理由は一には見つからない。
出たとこ勝負はしない主義。
何か一つの行動に対しても、常に逃げ道を作ってから動いてきた一にとっては非常に悩ましい事態であった。
――それでも。
バイトを辞めるにしても、あの人にお礼だけは言いたい。
一つの思いを胸に秘め、一は生まれて初めて無策の勝負に出るべく、立ち上がった。
北駒台店に着いても、一の足は中々進まなかった。
いつも以上に重く感じられた扉を開く。
店内には相変わらず誰も居ない。
フロアにも埃が散らばっているし、フェイスも揃っていない。
一の足取りは重く、そして鈍かった。
それでも二つ目の、バックヤードへ通じる扉に手をかける。
――お礼を言って辞めれば良いんだ、猿にだって出来る。やってやる。
覚悟を決めて一は進んだ。
「お早うございます」
聞き慣れた舌打ちの後、早くねぇよと店長が奥から現れる。
いつも通りの煙草と服装、いつもどおりの顔。
尤も、店長の顔は不機嫌その物に染まっていたが。
「店長。怒ってます?」
「お前……私をこれ以上怒らせたいのか……」
煙草を指で挟んだまま、店長がそのままそれを圧し折った。
ビビるな俺、と自分に言い聞かせて、平静を装う一。
「あの、三森さんは?」
何も言わず、仮眠室を指差す店長。
一は歩いていって、そこのドアノブに手を置く。
一捻りすれば、仮眠室へと開かれる。
それが一には中々出来なかった。
「言いたい事があるならさっさとしろ。どうせ三森もお前が来たのは知ってるよ」
「分かってますよ」
深呼吸して捻る。
一が思っていたよりも、ずっと軽く扉は開いた。
仮眠室に一は今まで入った事が無かった。
と言うより、普通のコンビニにはそんな部屋なんてまず無いだろう。
仮眠室に備えられた三つのソファ。黒光りしていたソファが一の目には安っぽく映った。
ブラウン管型の小さいテレビ。テレビの配線は数あるゲーム機のケーブルに繋がっていて、テーブルにはトランプが散らばり、整列とは程遠い形で本が積まれた棚、ハンガーには適当に上着がかかっていて、仮眠用のベッドは隅に追いやられている。
ここで睡眠と言う休息を取るものは、果たしているのだろうか。
一にはとてもじゃないが、仮眠室とは名ばかりの物にしか思えなかった。
娯楽室と呼んでも差し支えないような部屋の、唯一の窓を開けて、三森が煙草を吹かしている。
――お礼を言わないと。
しかし一は扉の近くに立ち尽くしたまま。
頭が真っ白になって、シミュレートしていた言葉も、全て一の頭からは飛んでしまっていた。
三森も、一が入って来た事に気づいては居たが、お互い一言も口を利かないまま。
点けっ放しのテレビからは賑やかな笑い声が、痛いほど静かな部屋に流れ続けている。
沈黙は金、雄弁は銀。
「あのさ」
先に銀を取ったのは三森だった。
今まで何も言えずに俯いていた一が顔を上げる。
「あ、はい……」
しかし三森は、「あー」や「えー」と唸って、何を言うべきか迷っているらしい。
煙草を銜え、やがて決心したかの様に煙を外に吐き出した。
ごほン、と喉の調子を調えて。
「……あー、その、な。ありがとな」
と、三森はそれだけ言った。
後は、顔を窓の外に向け、一の方を見ないように努めている。
「何で、ですか?」
何で。
その台詞は。
その言葉は。
その「ありがとう」は。
「……俺が言うべきです。俺が言われる言葉じゃないんです……」
ソレからも、人間からも救ってもらった命。
俺が居た所為で、燃えるほど苦しんだのに、死ぬとも言われたのに。
なのに。一はそれ以上、もう何も言えない。
「私を助けてくれようとしたろ?」
一は確かに三森を助けようとした。
――助けようとはしたが、俺は何も出来ませんでした。
「あン時な、熱くて辛くてゲロ吐きそうでさ。周りはぼやけて何も見えなかったし、気分悪くて、もう何も聞きたくなかったんだけどよ」
三森は依然、窓の外を見つめたままで。
「お前がさ。消火器持って店長に怒鳴ってンの、見えてたし聞こえてた」
「……でも、俺に出来たのは、それだけです……」
外をぼんやりと眺めていた三森の瞳が、一の瞳を真っ直ぐに見据える。
「それだけで良かった、嬉しかったンだよ。だから、ありがとな」
瞬間、一の何かが音を立てて壊れた。
ああ、この人のこんな表情は初めて見る。
何だよ、出たとこ勝負も良いもんじゃないか。
心配する事なんて無かったのか、な。
自分の事なんてどうでも良くなってきた。
一の悩みを吹き飛ばす程に、三森の笑顔は嬉しそうで、楽しそうで、眩しかった。
「言いたい事は言ったんだろ? なら掃除でもして来い」
店長が仮眠室から出てきた一を睨みつけながら、モップを突きつけてそう言った。
「あ、でも俺三日も無断で休んだし……」
一は言いよどむ。
「……休んだし、あんな目に遭うのは嫌だから。辞める、か?」
一の脈が速くなる。
「あー。やっぱ分かりますか? 俺の言いたい事」
「今までお前みたいな奴は何人もいたからな」
「なら、俺もやっぱり辞めたいです」
「駄目だ」
バックルームに、先程の仮眠室の二人とは違う種類の沈黙。
お互いの意見だけを、何も考えずにぶつけ合う。
見えない糸が部屋中にピンと張られている感覚。
一も、店長も、そこから何も話せず動かない。
いや、話そうともせず、動こうともしないのだろうか。
アクションを起こせば、その糸で自身が縺れそうで、絡まりそうだからだろうか。
「なら理由を言えよ」
そんな物関係無いとでも言うかのように、三森が糸を無理矢理引き裂きながらやって来た。
張り詰めた空気を読んでいないのか、読んだ上での行動なのだろうか。
とにかく赤い女が蛮勇を奮って飛び込んできた。
一は三森に気圧されながらも、唾を飲み込んで喉を潤す。
「そ、その、俺じゃ、この店の役に立てないからです。……怖いからってのも有りますけど」
一が躊躇いながらも、何とかそれだけ口にした。
静まる場。
「あのなあ、一。……何か勘違いしてるだろ。お前は充分役に立ってるぞ」
やがて店長が呆れ顔で口を開く。
「でも、俺……」
「お前は一般だろが、勤務外の仕事にまで気を回すんじゃない。それとも、あの時の自分が情けなくて気に入らなかったか? 格好悪い自分をもう見られたくないのか?」
一気に捲くし立てる店長に、一は反論したかった。
が、言う事全てが一々当て嵌まってもいた。
故に一は情けなくも、黙る。
馬鹿ヤロウと、三森が一に追い討ちをかける様に迫った。
「オイ、イイか? お前がビビるような思いは二度とさせねェ。私が全部何とかしてやる」
だから辞めンな、と三森が付け足した。
「え?」
一は三森に何を言われたのか分からない。
クッ、と店長が笑いを噛み殺す。
「良かったな、一。三森がここまで言ってくれるなんて、私も思ってもみなかったぞ。いや、全く」
「……はい?」
「オイ勘違いすンなよ! 別に深い意味は何も無ェんだからな!」
堪え切れずに店長が笑う。
――クソ、何だよこの人たちはよ。チクショウ。
「三森、照れてるのか? 顔が赤いぞ?」
「うるせェな! 顔が赤いのは元からだよ!」
――これがバイトって呼べるかよ。あー、でも。
一が深々と頭を下げる。
「……もう辞めるとか言いません。スイマセンでした」
「分かれば良いんだよ、お前は立派なウチの戦力なんだからな」
店長が美味そうに煙草の煙を吸い込む。
「人には向き不向きがあンだ。私は勤務外、お前は中」
三森が顔を赤くしながら、一から顔を逸らす。
――糞が付くほどしんどいけど、もう少しここで頑張ろう。
「良し。分かったなら掃除して来い、二日分の汚れがお前を待ってる」
灰を床に零しながら店長が扉を指差し、一にモップを再度突き出した。
一は躊躇いながらも、モップを受け取る。モップの形をした『何か』を受け取る。
さあ、働け若人。
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