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「どうして……?」
 私はお母さんに震える声で聞いた。
 でも、お母さんは目を見開いたままで何も答えてくれない。
「そんな目で私を見ないでよ!」
 その目は恐怖に怯えて、というよりは私を憎んでいるかのように見えた。
「お母さんが悪いんじゃない。私にあんなこと言うから……」
 お母さんのお気に入りのブランド物のブラウスは真っ赤に染まっていた。
 私がお母さんの胸を包丁で刺し殺したからだ。
「どうしてこんなことになっちゃたのよ?」
 私はお母さんの血で染まった包丁を投げつけた。
 こんなはずじゃなかったのに。
 殺すつもりなんかなかったのに。
 私は膝を抱えて小さく丸まった。
「ねぇ、誰か助けてよ……」
 私は呟いた。
「助けてあげようか、佐倉麻耶(さくらまや)さん」
 背後から聞こえてくる声に、私はビクッとなる。この家には誰もいないはずなのに。
 恐る恐る振り向いてみると、一人の男の子が立っていた。ランドセルを背負っているから、小学校の高学年ぐらいかな。
「あ、あなた誰?」
「ボクのこと忘れちゃったの? じゃあ、改めて自己紹介。ボクの名前は天漠敦(てんまくあつし)。いろんな人から『テンシ』って呼ばれているけどね」
「天使?」
「じゃあ、私を助けに来てくれたの?」
「それはお姉さんの気持ち次第だよ。どうする?」
 男の子は悪戯っぽく笑う。
「助けて!」
 私は大声で叫んでいた。



     *          *          *



「…………?」
 気が付くと、私は教室でテストを受けていた。
 今のは夢?
 ぼんやりと教室を見渡す。見慣れたクラスメイトたちが必死になってテスト用紙と向き合っている。
「どうしたの、佐倉さん?」
 担任の女教師が不審な目で私を見ていた。カンニングでもしていると思ったのかもしれない。
「いえ、何でもありません」
 私は小さく答えると、テスト用紙に目を向けた。
 物理かぁ。物理は苦手だけど、さっきの夢よりはずっとマシだわ。
 こっちが現実なのよね。そうよ。私がお母さんを殺すはずないじゃない。やだな、私ったらテスト中に寝ちゃうなんて。徹夜で勉強したのがいけなかったのかもしれない。
 私はシャーペンを握る右手を見つめた。夢だったはずなのに妙に生々しくて、お母さんを包丁で刺した感触が残っているのが気持ち悪かった。
 今はそんなこと考えている場合じゃない。テストに集中しなくては。テストの点が悪かったらお母さんに怒られるのは事実だし。
 あれ? この問題、前にもやったことがあるような気がするのだけど。ううん、一問目だけじゃない。このテストの問題を私はやったことがある。そうよ。学年末テストで。3分の2くらいしかわからなくて後でちゃんと復習したから間違いないよ。
 どういうこと? 前と同じテスト問題が出るなんて。先生のミスとは思えないし、それに他のクラスメイトたちは難しそうな顔をしながらテスト用紙と向き合っている。
 よくわからないけど、もしかしてラッキーかも。
 私は難なく物理のテストをクリアしてしまった。

 休憩時間になると、前の席に座っていた桐原結花(きりはらゆか)がうんざりとした顔で振り向いてくる。
 結花は私の家の近所に住んでいる幼馴染。お母さん同士が高校時代から親友で、私たちは偶然にも誕生日も同じで背格好も似ているから双子の姉妹といった関係に近かった。
 でも、私と結花は外見が似ていても中身は違った。結花は努力しなくても何でもできてしまう。その上人望も厚く、一年生だというのに生徒会の書記までやっている。男子からの人気も高い。引っ込み思案の私とは正反対。
 お母さんは私と結花が世間から比べられるのが嫌みたいで、よく「結花ちゃんに負けちゃダメよ」って口癖のように言う。私にはそれが辛かった。結花は私のあこがれの存在であって、ライバル意識など持ったこともなかった。
「テスト初日が物理なんて最悪よね。私、今回は自信なしだわ。麻耶はどうだったの?」
「う、うん、まぁまぁかな」
「自信ありなの? すごいじゃない。ということは、物理嫌いが克服できたってことね」
「だといいんだけど」
 私は苦笑した。
「次はお得意の英語だから、私も頑張らないとね」
 そう言って、結花は前を向いた。



 次のテストは英語。
 私は配られたテスト用紙を見て唖然とした。さっきの物理のテスト同様、やったことのある問題ばかりだったからである。
 これってデジャビュ? だとしたら超ラッキーかも。
 なんて軽い気持ちで、私は英語のテストも難なく回答していった。
 だけど、偶然っていうのが三回も続くとさすがに怖くなってくる。
 次の古典のテストも同様だった。
 どういうことなの?
 まさかこっちが夢でした、なんてオチはないよね。
「どうしたの、麻耶?」
 ふさぎこむ私を、心配そうな顔でのぞきこんでくる結花。
「古典のテスト、ダメだったの?」
「う、ううん。何でもない。帰ろう」
「あ、ごめん。私、生徒会に用事があるから。先に帰っていてくれる?」
「テスト期間中なのに?」
「そうなの。これでテストの成績が落ちたら生徒会のせいね」
 結花は苦笑して、教室を出て行った。
 私は呆然していた。
 どっちが現実で、どっちが夢なのか、わからなくなっていた。
 まるで『胡蝶の夢』だわ。
「これは現実だよ」
 誰かが私の心の中の問いに答えた。
 聞き覚えのある幼い声。
 教室の窓際の一番前の席に、ランドセルを背負った男の子が座っていた。
 その姿を見て、私の全身は総毛立った。
「天使、様?」
「ボクはお姉さんのテスト当日に戻りたいという願望を叶えてあげたんだよ」
 確かにあの時私は心の中で切望していた。
 テストの点数さえ良ければお母さんに罵られないから、カッとなってお母さんを刺し殺すこともない。
「じゃあ、私はやっぱりお母さんを殺したのね。夢じゃなかったんだ」
「でも、それを回避することもできるんだよ」
 天使――敦くんは微笑んだ。その微笑は『天使』というよりは『小悪魔」のように見えた。
「やり直せるってこと?」
「後はお姉さん次第だから。もう要領もわかっているでしょ?」
「どういうこと?」
「忘れたいって気持ちはわからないでもないけどね」
 敦くんは意味深な言葉を残して窓の外へとぴょんと飛び降りた。
「ちょっと、ここ三階!」
 わたしは慌てて駆け寄り、窓から下を見た。
「えっ……?」
 そこに敦くんの姿はなかった。
 あの子、本当に天使なのかもしれない。うん、きっとそうだわ。私のことを哀れに思った神様が遣わしてくれた天使なんだわ。
 やり直せるんだ。
 大丈夫。一度やっているテストだもん。復習だってちゃんとしているし。全教科百点だって取れちゃうよ。
 そうしたら、お母さんだってきっと私のことを褒めてくれる。お母さんのヒステリーが治ったら、お父さんだって毎日家に帰ってきてくれるようになるはず。
 昔みたいに明るい家族に戻れる。
 私はそう確信した。
 


 一週間後。
 学期末テストの成績の発表があった。いつもなら結花は一位で、私はギリギリでトップ10入り。
 だけど、今回は違う。
 私は一位で、結花が二位。
「すごいじゃないの、麻耶!」
 結花が信じられないといった表情で私を見ていた。
「うん。私もビックリしちゃった」
 わかっていたことだけど、私は大仰に驚いてみせた。
 初めてだった。優越感がこんなにも気持ちがいいものだったなんて知らなかった。
 結花はいつもこんな気持ちだったんだ。何だか羨ましくなってくる。
「でも、次からが大変よ」
「どうして?」
「だって常に一位をキープするのってすごく大変なことなのよ。今回たまたまテストで満点が出たからって次もそうとは限らないでしょう」
 結花の言葉は有頂天だった私を谷底へと突き落とす。でも、確かに結花の言うことは当たっている。今回は同じテストを二回受けたから満点も取れた。でも、次はそうはいかない。また結花に一位を奪われて、私は……。
 いやよ。この優越感を失いたくない。結花にだけこんな気持ちいい思いはさせたくない。
 私の中に今まで思ったこともない結花への感情が芽生え始めていた。



「結花、帰ろうよ」
「ごめん。今日も生徒会なの」
「最近多いね」
「卒業式とかも近いし。いろいろやることが多いみたい」
「ふーん。でも、その分真東先輩に会えるんだからいいよねぇ。ねぇ、真東先輩に私のこと言ってくれた?」
 生徒会長の真東朝孝(まひがしともたか)先輩は高校に入学してからずっと私のあこがれの人。もちろん生徒会長になっちゃうくらいだから、女子だけではなく男子からも人気がある。私にとっては雲の上のような存在。だから、せめて結花を通じて『お友達』という地位を確約したいと思っているのだけど。
「それが女子の先輩たちの目がきびしくって、なかなかチャンスがないの。ごめんね」
 結花は苦笑すると、慌てて教室を出て行った。
 こんな調子でなかなか真東先輩とお近づきになることができない。
 結花はいいよね。入学式の朝に偶然にも真東先輩と正門の所でぶつかったのがきっかけで顔と名前を覚えてもらって、あげく生徒会の書記にまでなれて。
 こんなことなら私も生徒会の役員選挙に立候補すればよかったなぁ。でも、生徒会の仕事をやって成績が落ちたらまたお母さんのヒステリーがひどくなるだろうし。
「とにかく今は勉強よ! 塾もあるし、早く帰ろう。せっかくの一位をキープできるように頑張らなきゃ!」
 私は教室を出た。



「お腹すいたなぁ」
 私は街灯の下で腕時計を見る。十時をすぎていた。
 今日はついついムキになって先生に質問攻めしちゃったら、先生もムキになって答えてくれて、すっかり遅くなってしまった。あの講師は嫌味な人だと思っていたけど、意外と熱心で親身になってくれる人だったのね。今までちゃんと話をしたことなかったから、どんな人なのかがわからなかっただけなのよね。人と話すことって大切なんだ。
 ぐぅ〜。
 私のお腹の虫が騒ぎ出す。
 こんなことなら塾に行く前に何か食べていけばよかったなぁ。
 私は静まり返った住宅街を足早に歩いた。いつも通っている道とはいえ、誰もいないと気味が悪い。
「あ、誰かいる」
 私の前を歩く二人の人影を見つけた。背格好からして、制服姿の男女だってのがわかる。もしかしたら結花かもしれない。男子に送ってもらうなんて、結花も隅に置けないなぁ。誰だろう? 結花のハートを射止めた男子って。
 私は気付かれないようにゆっくりと後をついて行った。
 しばらくして結花たちが街灯の明かりに照らし出される。
「っ!」
 私は言葉を飲み込んだ。
 真東先輩?
 もしかして二人は付き合っているの? そんなことあるはずないよね。生徒会の仕事で遅くなった結花を送っているだけだよね。生徒会長としての使命感だよね。
 私は自分にそう言い聞かせた。だけど、その思いはあっけなく覆された。
 結花と真東先輩がキスをしていた。
 ウソ……?
 二人は重なった唇を名残惜しそうに離すと、再び歩き出す。
 これで納得がいく。結花がテスト期間中でも生徒会に行っていたのは、真東先輩に会うためだったんだ。だから、私のことも真東先輩に話してくれなかったのね。自分が真東先輩と付き合っているから。結花は私の気持ちを知っていたはずなのに、どうして? 
 これって裏切りだよね。親友だって信じていたのに。
 私はショックのあまり、その場から動くことができなかった。



 どれくらい時間が経ったんだろう。
 私はやっと動くようになった重い体を引きずりながら歩いた。そして、私は自宅には戻らず、結花の家に向かった。
「あら、麻耶ちゃん久しぶりねぇ。どうしたの? こんな夜遅くに」
 玄関のドアを開けて、結花のお母さんが驚いた顔を見せた。ヒステリーな私のお母さんと違って、美人で優しいお母さんだった。もしかしたらお母さんも結花のお母さんに、今私が結花に抱いているような感情をずっと持ち続けていたのかもしれない。
 私は少しだけお母さんがヒステリーになった原因がわかったような気がした。お母さんもいつも結花のお母さんと比べられて辛い思いをしてきたんだわ。
「ごめんなさい、おばさん。結花の忘れ物をどうしても今日中に届けたくて」
「わざわざありがとう。さぁ、上がってちょうだい。結花なら自分の部屋にいるから」
「はい」
 私は結花のお母さんに通されて、二階へ上がっていく。そういえば、高校生になって結花の家に来たのって初めてかもしれない。高校に入ってからは、学校と塾に通ってばかりだったもんね。
 私は結花の部屋のドアをノックすると、返事を待たずに入る。
「どうしたの、麻耶? こんな時間に来るなんて。でも、久しぶりじゃない。麻耶がこの部屋に来るのなんて」
 結花は笑顔で私を迎える。
 私のこと裏切っておいてどうしてそんな平然とした顔でいられるの?
「麻耶? 何かあったの?」
 黙っていた私を、結花は怪訝そうに見つめる。
「ねぇ、結花。私に大事な話があるんじゃない?」
「大事な話?」
 結花はきょとんとした顔をしている。私にはそれがだんだん腹立たしく思えてきた。
「しらばっくれないでよ! 真東先輩とキスしたくせに!」
 私の言葉を聞いて、結花の表情が凍りつく。
「もしかして、見ていたの?」
「見ていたじゃないよ!」
「ごめんね。でも、私、麻耶の気持ちを真東先輩に伝えたのよ。そうしたら、『オレが好きなのは君だ。入学式のあの時からずっと』って言われて……」
「だから、付き合ったの? 私の気持ち知っていたんだから断ってくれればいいじゃない! ひどいよ、結花」
 私は自暴自棄になって叫んでいた。
「麻耶、落ち着いてよ。ねっ」
「結花はそうやって努力もしないで何もかも手に入れるんだね」
「そういう言い方ってないんじゃない?」
 私の言葉に、結花の口調もいつの間にかきつくなっていた。
「麻耶はどう思っていたかしらないけど、私はいつも努力してきたわ。それが成果として表れているだけよ。麻耶こそ努力が足りないんじゃないの?」
「そんなことない! 私は毎日毎日頑張ってきたもの。だから、今回一位になれたんじゃない!」
「みんな、噂しているわよ。麻耶がカンニングしたんじゃないかって」
「そんな……」
 カンニングではないけど、してないとは言い切れなかった。一度受けたテストなんだから、カンニングみたいなものだ。
「もううんざり。私ね、麻耶のそういうネガティブなとこ大嫌いだったの」
 私は自分の耳を疑った。いつもの温厚な結花はそこにはいなかった。
「そんなだからいつまでたっても成績は上がらないし、真東先輩にだって好きになってもらえなかったのよ」
「…………」
 私の中で大切なものが音を立てて崩れていった。
「あんたに何がわかるっていうのよ! 小さい頃からずっと比べられてきて、お母さんにいつも罵られてきた私の気持ちが」
 私の手はいつの間にか結花の細い首を絞めつけていた。
「なっ……」
 必死に抵抗する結花に、私は馬乗りになって押さえつける。絞める手に力がこもる。
「あんたのせいでお母さんがヒステリーになって、お父さんはよそに女を作って帰ってこなくなったんじゃない!」
 結花の顔から徐々に生気が薄れていく。
「あんたさえいなければよかったのよ! そうすれば、私は。私は……」



 気が付くと、目を見開いたまま結花が動かなくなっていた。
「ゆ、結花?」
 私は結花の名を呼んだ。だけど、結花は返事をしてくれなかった。
「ひっ……」
 私は慌てて結花の体の上から飛びのいた。
 結花を殺したのは――
 私?
 体の震えが止まらなかった。
「どうして、どうしてこうなるの?」
 やり直せたはずだったのに、今度はお母さんではなく、結花を殺してしまうなんて。
「助けて。助けてよ、敦くん!」
 私は叫んでいた。
「しょうがない人だね、お姉さんは」
 敦くんは結花のベッドの上に腰掛けてくすくすと笑っていた。
「お願いよ。また時間を戻して。今度は……そう入学式の朝よ!」
 あの時、真東先輩とぶつかったのが結花ではなく私だったら、真東先輩と付き合っていたのは私かもしれない。そうよ、きっとそうだわ。そうすれば、私は結花を殺さないですむ。ずっと親友のままでいられる。
「今度は失敗しないでよ」
 そう言い残して、敦くんは消えていった。


    
     *         *         *



 桜が満開だった。
 私と結花は桜並木を歩いていた。
 私にとっては二度目の高校の入学式。敦くんは私の願いを聞き入れてくれた。
 もう失敗は許されない。
 そう。あのレンガ造りの正門を先にくぐった方が真東先輩とぶつかるのよ。
 私は足早に正門に向かった。
「どうしたの、麻耶? そんなに急いで」
「だって念願の高校に結花といっしょに入学できたんだもん」
 私は振り向きながら答える。
「きゃっ」
 私は誰かとぶつかり、転んでしまう。もちろんその誰かというのは、真東先輩なんだけど。
「ごめん、大丈夫?」
 真東先輩が申し訳なさそうな顔をして手を差し伸べてくる。
「は、はい。私の方こそすみません」
 私は真東先輩の手を借りて立ち上がる。
「君、新入生?」
「はい。佐倉麻耶って言います」
 私はとびっきりの笑顔で答える。確か結花はこんな感じで答えていた。不本意ながらも私は結花の真似をした。
「オレ、真東朝孝。二年。よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします、先輩」
「じゃあね」
 真東先輩は爽やかな笑顔を残して去っていった。
「ねぇねぇ、麻耶。今の人すっごくかっこよかったよね。先輩?」
「うん、二年生だって」
 駆けつけてきた結花が開口一番に聞いてきた。もしかしたら結花もあの時からずっと真東先輩のこと好きだったのかもしれない。でも、残念だったね。今度は私が真東先輩とキスする番だから。



 それから数ヵ月後。
 私は一度受けたことのあるテストのおかげで、成績は常に一位をキープすることができた。結花はいつも二位。
 今までのネガティブだった自分を捨てて、私は生まれ変わるのよ。
 だから、面倒に思えていた生徒会の役員にも立候補した。みんなに好印象を与えるように努力した。そのかいあって私は生徒会の書記になることができた。
 いつの間にか私と結花の立場は逆転していた。
 私はその優越感に酔いしれていた。
「麻耶、高校に入って何か変わったね」
「そう?」
「うん。明るくなったっていうか、自分で何でも進んでやるようになったっていうか。いいことだと思うよ」
 結花はいつもの優しい笑顔を見せた。でも、きっとその笑顔の下では私への嫉妬で怒り狂っているにちがいない。私はそうであったように。
 でも、私は心地良かった。
 私は結花に勝ったのよ。お母さんは昔みたいによく笑うようになったし、お父さんも毎日家に帰ってきてくれる。すべては順調に進んでいる。
 後は真東先輩に好きだって告白されるのを待つだけ。
「ねぇ、麻耶は真東先輩のことどう思う?」
 唐突に結花が聞いてくる。やっぱり結花も真東先輩のことは好きになっちゃったんだね。
「どうって?」
「私、思い切って告白してみようと思うの」
 私は愕然とした。確かに結花は積極的だからいつも好きな男子ができたら自分から告白していた。でも、今回はダメよ。そんなの予定に入っていないんだから。
「やめておいた方がいいと思うよ。真東先輩、彼女がいるみたいだから」
 咄嗟にウソをついてしまう。
「そうなの? そうよねぇ。あんなにかっこいいんだもん。彼女がいない方が変よね」
 結花は私のウソを信じて苦笑する。
 そう。これでいいのよ。結花は勝手なことしちゃダメなんだから。
「私、今日は生徒会あるから」
「そっか。じゃあ、私は先に帰るね」
 私は逃げるようにして教室を出た。



 生徒会室に行くと、真東先輩一人きりだった。
 もう告白されるのを待ってはいられない。
 私は思い切って自分から告白することに決めた。
「あ、あの」
「あのさ、佐倉くん」
 私の言葉は真東先輩の言葉にさえぎられた。
「は、はい」
 真東先輩は頬を紅潮させて、何か言いにくそうにしている。もしかしたら、真東先輩に告白されるのかも。
 私は期待に胸を躍らせた。
「君の友達の桐原結花くんなんだけど」
 予想外の結花の名前を聞いて、私の胸に不安は走る。
「結花、ですか?」
「つきあっている男子とかいるのかな?」
 私の不安は的中した。
 でも、どうして? 入学式の朝にぶつかったのは私なのに。真東先輩はあの時結花との接点はなかったはずなのに。
 運命は変わらないっていうの? ううん、そんなことない。私が変えてみせる。
「いますよ。結花ってモテるから、いろんな男子と付き合っているみたいで」
 私はまたウソをついてしまう。
「そうなんだ……」
 ガッカリとする真東先輩。そんなに結花のことが好きだったんですか?
「あ、あの私じゃダメですか?」
「佐倉くん?」
「私、初めて会った時からずっと真東先輩のこと好きだったんです!」
「でも、オレは……」
「結花のことなんか忘れてください! いえ、私が忘れさせてみせます。だから……」
 私は思い切って真東先輩に抱きついた。もう三度目はない。ここは強引に迫るしかない。
「……時間がかかるかもしれないけど、いいのかな?」
「私、待ちます。真東先輩が私だけを見てくれる日を」
 私は顔を上げ、自分の唇を真東先輩の唇に重ねた。真東先輩は最初のうちは戸惑っていたけど、私をきつく抱きしめてくれた。
 勝った。
 私はすべてを手に入れて、つい結花に勝ったんだわ。これでもう恐れることは何もない。
 私は人生のやり直しに成功したんだから。



 帰る私の足取りは軽かった。こんな楽しい気持ちになれたのって何年ぶりだろう。
「楽しそうだね、お姉さん」
 校門を出たところで敦くんに話しかけられた。さすがは天使。神出鬼没だなぁ。
「今度はうまくやっているんだね」
「うん」
「ボクも協力したかいがあったってわけだね」
「敦くんのおかげだよ、ありがとう」
 私は心の底から感謝した。その気持ちが敦くんに通じたのか、敦くんはにっこりと微笑んでくれた。
「佐倉くん!」
 少し遅れて真東先輩がやってきた。私は自分がした強引な行為を思い出して、恥ずかしくなって真東先輩の顔をまともに見ることができなかった。
「良かったらいっしょに帰らないか?」
「は、はい!」
 私は真東先輩の申し出を素直に受けた。
 その時にはもう敦くんの姿はなかった。



 次に春が訪れて、私は二年生になった。
 悪夢が再び始まろうとしていた。
 一学期の中間テストで、私の成績は一気に八位まで転落した。そして、今まで二位の座に甘んじていた結花が一位になった。しかし、これは当然の結果なのかもしれない。どんなにあがいても私の実力なんてしょせんこの程度。でも、まだ大丈夫。再生はきくはず。
「どうしての、麻耶? 体調でも悪かった?」
 結花の心配する顔が同情されているようでたまらなく嫌だった。きっと心の中では優越感に浸って私のことを蔑んで笑っているにちがいない。
 私は苛立った。
「トモの風邪がうつっちゃったのかな」
 私は結花に聞こえるような声で呟いた。勘の良い結花のことだから絶対に気付くと思ったからだ。
「トモ?」
「ううん、何でもない」
「麻耶、もしかして真東先輩と付き合っているんじゃないの?」
 予想通りの質問に、私は少しだけ間を置いてうなずく。
「ごめん。隠すつもりはなかったんだけど、結花のこと思うとなかなか言い出せなくて」
「だから、最近の麻耶ってキレイなんだね。そっか。良かったね」
 結花は笑ってそう言った。本当は悔しいんでしょ? 素直に悔しがればいいのに。無理しちゃってさ。
 成績では負けたかもしれないけど、真東先輩だけは絶対に渡さないから。



 その日の放課後も私は生徒会室にいた。
 役員会は終わって、残っているのは私と真東先輩だけ。
 私が真東先輩に寄り添うと、真東先輩は私から距離を取った。
「真東先輩?」
「ごめん。オレ、もう君とは付き合えない」
 突然の言葉に、私は愕然とする。
「どうして、急にそんなこと言うんですか? 私、気に触るようなことしましたか?」
「今日、桐原さんがオレの所に来たんだ。付き合ってほしいって」
「結花が?」
 結花の行動はまさに計算外だった。あの女、私が真東先輩と付き合っているって知っているのに、そんな姑息なことするなんて許せない。
「オレはやっぱり桐原さんのことが好きなんだ。偽った気持ちで君と付き合うわけにはいかないよ」
 真東先輩はそう言うと、きびすを返して生徒会室から出て行こうとする。
「待って!」
 私は真東先輩にしがみついた。
「お願い、別れないで。私、何でも言うこときくから!」
「オレ、ウソつきは嫌いなんだ」
 真東先輩は冷たく言い放つと、私を突き放した。
 どうして? どうしてこうなるの?
 また私はすべてを失って、結花がそれを手に入れるっていうの?
「そんなの嫌!」
 私は生徒会室にあった折りたたみ式のイスを握りしめて大きく振り上げ、真東先輩の後頭部目掛けて振り下ろした。
 鈍い音がして、真東先輩は頭を抱えてうずくまる。
「な、何をするんだ?」
 真東先輩が振り向く。
「結花にだけは渡さない!」
 私は間髪入れずに何度も何度もイスを振り上げては真東先輩を殴りつけた。
 真東先輩はうずくまったまま動かなくなっていた。
 それでも私はやめなかった。
 びちゃ。
 赤い何かが私の顔に飛び散った。生温かくて気持ち悪かった。私は頬についたそれを右手でぬぐう。
 それが真東先輩の血だと気付くのに時間は掛からなかった。だって、真東先輩の頭が血だらけになっているんだもん。
 私、また殺しちゃったんだ。
 不思議と冷静だった。やっぱり三人目ともなると慣れちゃうのかな。なんて、客観的に思っていた。
 でも、私が真東先輩を殺してしまったのは結花のせいだわ。
 許さない。
 私に大好きな真東先輩を殺させた罪はちゃんと償ってもらわなきゃあ。
 私は血塗れとなった真東先輩の遺体を残して、生徒会室を出た。



「結花……」
 私は結花の部屋に入った。
 机に向かって勉強していた結花は、体をビクつかせて振り返る。
「ま、麻耶ったらいきなり入ってきて脅かさな」
 結花が言葉を切る。それはきっと私が血に染まった包丁を手にしているからだろう。
「麻耶……?」
「ごめんねぇ。おばさんがうるさいから先に殺しちゃった。でも、すぐに結花も殺してあげるから安心して」
 私はにっこりと微笑んだ。
 結花の顔が恐怖で醜く歪んでいく。その表情が滑稽で面白かった。
「どうして私が殺されなきゃいけないのよ?」
「その理由は結花が一番良く知っているんじゃないの? また私を裏切ったくせに」
「裏切った? 裏切ったのは麻耶でしょう! 真東先輩に私には付き合っている男がいっぱいいるなんてウソついて、自分は真東先輩と付き合っていたんだから」
「違う! 先に裏切ったのは結花の方よ! 私の気持ちを知っていたくせに真東先輩とキスしたんだから」
「何を言っているの?」
「真東先輩も死んじゃった今、そんなことはもうどうでもいいんだけどね」
 私は自嘲じみたため息をもらす。
「まさか麻耶。真東先輩まで殺したの?」
「だってしょうがないじゃない。結花のことが好きだって言うだもん」
「この人殺し!」
「そうさせたのは全部あんたのせいだからね、結花。だから、死んで償ってよ」
 私は包丁を持って結花に迫った。
「いや、来ないで!」
 結花は悲鳴を上げて、部屋の中を逃げ惑う。机の上にあった教科書やノートを投げつけてくるけど、私はそんなことにかまわず、ただ結花だけを狙って包丁を振りかざした。
 包丁が結花の腕を、背中を切り刻んでいく。
 もっと泣き叫べばいいわ。
 結花の恐怖に怯える悲鳴を上げる度に、私の心は優越感で満たされていく。
 なんて心地が良いのかしら。
 つまずいた結花が怯えて瞳で私を見つめる。
「もうやめてよ。私たち親友でしょう?」
 結花が懇願する。
「そうね。うわべだけのね」
 私は包丁を振り下ろした。
 包丁は結花の胸に深く突き刺さった。
 結花は醜い断末魔の悲鳴を上げて絶命した。
 私は結花を二回殺した。



 家に戻った私を待っていたのは、不機嫌な顔をしたお母さんだった。
「どうしたの? 血だらけじゃないの! そんな格好で歩いて、近所の人たちに何て思われるか」
 お母さんはヒステリー気味に怒鳴った。きっと私の成績が落ちたことが原因なのね。でも、もう心配いらないよ。私とお母さんを脅かす存在だった結花はもういないんだから。
「あのね、お母さん。私ね、結花とおばさんを殺したの」
 私がにっこりと笑ってそう告げると、お母さんの表情がどんどんひきつっていく。
「麻耶、自分の言っていることの意味がわかっているの? 冗談でもそんなこと言うものじゃないわよ」
「だって、お母さんもおばさんのことが憎かったんでしょう? だから、殺してあげたんじゃない。ねぇ、私いい子でしょう?」
「バカなことを言っているんじゃありません」
 褒めてくれると思ったのに、お母さんは私を蔑んだ目で見つめて頭を抱える。
「どうしてこんなことになったのかしら。頭が悪いだけじゃなくて、人まで殺してしまうなんて。まったく、誰に似たのかしら」
 どうしたの、お母さん。どうしてそんな目で私を見るの?
「ここまでバカな子だとは思わなかったわ。あんたみたいな子産むんじゃなかった」
 お母さんが私を罵る。
あれ? この台詞、前にも聞いたことがある。
 そうだ。あの時といっしょだ。ここでカッとなって私はお母さんを刺し殺してしまうのよね。
 じゃあ、私はお母さんを殺さなくていけないんだ。
 私は包丁を求めて台所に向かった。
「死んでちょうだい!」
 背後からお母さんが私の首を絞めてくる。
 何だか息苦しくなってきた。私、死ぬのかな? 違う。ここはお母さんが死ぬところなんだから。私は死んじゃあダメ。
 私はスカートのポケットの中に忍ばせておいたカッターナイフを取り出して、お母さんの腕を切りつけた。結花を殺すために持っていたカッターナイフがこんなところで役に立つとは思わなかった。
「!」
 お母さんはうめき声を上げると、後ろに転んでしまう。
 私はゆっくりとお母さんに歩み寄る。
「私、いい子なのに。どうして殺そうとするの?」
「いい子ですって? お前は出来損ないのクズだわ! 私の子供じゃないわ! 近寄らないでちょうだい!」
 お母さんの目はすでに娘を見る母親の目ではなくなっていた。
「ひどいよ! そんなこと言われたら私、お母さんのこと殺すしかないじゃない!」
 私は泣き叫び、わけもわからずただカッターナイフを振り回した。
 サクッ。
 切っ先に何かが引っかかって止まる。それはお母さんの首筋だった。
 カッターナイフを抜くと、鮮血が飛び散ってお母さんは倒れた。お母さんは顔面蒼白になってピクピクと全身を痙攣させている。まだ生きているんだ。すごいね、人間の生命力って。
「ねぇ、お母さん、苦しい?」
「…………」
 お母さんはかすれた声を絞り出していたけど、聞き取ることはできない。
「私だって苦しいんだよ! いつもお母さんに褒めてもらいたくて一生懸命頑張ってきたのに……ひどいことばっかり言って。私がこんなになっちゃったのは全部お母さんのせいなんだから!」
 私は今まで胸の奥に溜め込んでいたものをすべて吐き出した。
 だけど、その言葉がお母さんの耳に届くことはなかった。お母さんは目を見開いたまま、動かなくなっていた。
 どこからか救急車のサイレン音が聞こえてくる。結花たちが死んでいるのを、帰ってきたおじさんが見つけたのね。
「ねぇ、敦くん! いるんでしょう? 出てきてよ! またやり直させてよ!」
 私は叫んだ。けど、敦くんは現れてはくれなかった。
 私、神様に見放されちゃったのかな。そうだよね。四人も殺しちゃったんだもんね。ううん、お母さんと結花は二回殺しているから、六人になるのかな。
 こんなことなら人生をやり直したいなんて思わなければ良かった。そうすれば、結花も真東先輩も殺さなくてすんだのに。こんな苦しい思いを何度もしなくてすんだのに。
 もしかしたら、敦くんは天使ではなくて悪魔だったのかもしれない。
私は悪魔の囁きに耳を傾けてしまった。
 だったら、ちゃんと罰を受けなきゃ。
 そんなことを思いながら私はお母さんの遺体にテーブルの上に置いてあったライターで火をつけた。お母さん、ストレスを紛らわすためにタバコまで吸うようになっていたんだね。お母さんも辛かったんだよね。
「ごめんね、お母さん。いい子じゃなくて」
 私は燃えるお母さんの体にそっと寄り添った。
 温かい。
 死への恐怖はまったくなかった。
 私、また人間として生まれることができるかな。できるのなら今度は……。



      *         *         *



 どくん。
 どくん。
 あれ? ここはどこだろう。
 どくん。
 心臓の音? 何て心地の良い音なんだろう。
 体がふわふわと揺られて、まるでゆりかごの中で眠っているみたいに気持ちが良い。
 もしかして、ここはお母さんのお腹の中?
 私は胎児になっているの?
「女の子に間違いないだろうって医師(せんせい)が言っていたよ」
 男の人の声が聞こえてくる。
「私、もう名前も決めたのよ」
 女の人の声に聞き覚えがあった。
「何て名前だい?」
「結花よ」
 この声、結花のお母さんだわ。ってことは、男の人は結花のお父さん。
 私は結花に生まれ変わったっていうの?
 神様はまた私の願いを聞き入れてくれたの? 結花として生まれて、幸せを手に入れたいという私の願いを。
 良かった。
 私、また人生をやり直すことができるのね。今度は結花として、輝かしい未来が待っているんだわ。
 じゃあ、私は生まれるまでこの胎内でゆっくりと眠ろう。
 輝かしい未来を信じて。



「また結花に戻っちゃったんだね。懲りないお姉さんだね」
 どこかで敦くんの囁く声が聞こえたような気がした。
                 


                               終  

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