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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第伍章 坂東怒濤編
98/140

第玖拾捌話 やることが多すぎる。誰か手伝え!

お待たせしました。


皆様のお蔭をもちまして、第三巻好評発売中です。

これからも頑張ります。

永禄元(1558)年七月十三日


■相模国西郡小田原 三田康秀


「今日も朝日が眩しいぞ」

帰国してから早一ヶ月たったが、その間に色んな事が山ほど有ったぞ。


嫁が増えて、毎日がヘロヘロなのは仕方ないにしても、妙と祐子、千代女と美鈴の連携は判るが、四人の連携が百年来の友を迎えるような程で、恐ろしい事に・・・・・・

マジで腎虚になりそうな勢いだよ。まあ腎虚は実際にはないけれども窶れるわ。


疲労に関しては千代女が配下の甲賀衆に命じて怪しげな栄養剤を作って俺に飲ませるから何とか成るんだが、イモリだの赤蝮だのって完全にあっちの方の栄養ドリンクじゃんけ!

このままだと来年辺りには子供が四人ほど増えそうな勢いだよ。


沙代は大人しい子で何時も可愛いんだが、鎌倉襲撃時の血塗れ状態の話を聞いた時はビックリして息が止まりそうだった。妙も危ない目に遭ったし、本当に里見の連中は碌な事をしやしねー! 絶対海軍の強化をして太平洋の藻屑にしてやるぞ! 


里見と言えば以前北條水軍がフロッグマン部隊の様な連中に船底破られて負けたんだよな。その後、注意して今度は鉄炮や弓で水中に潜む影を撃ちまくって安心したら、それが人形でまた負けるという体たらく。んー今度は水中爆発で内臓破裂にしてやろう。妙や直虎さん沙代に危害を加えようとした里見に情けは無用だ。そうなると、開発している花火筒改良の迫撃臼砲を改良して水中爆発可能な様にしないとだな。


宮様による征東大将軍府は当初の予定では鎌倉に開府するはずが、里見の襲撃の影響で暫くは小田原市内にする事が決まって建築開始、しかもその場所が、小田原城内本丸という事に、まあ本丸と言ってもこの時代の本丸は近代小田原城の本丸では無く、八幡山古郭と言われる場所を提供する事に、それに伴い本丸を近代本丸の位置に変更するという大工事になっているが、景気が良くなり北条領国は賑わいまくりだ。実家も木材や石灰供給で儲かっているらしい。


しかし、公家衆も一度温泉の魔力に掛かったからって、箱根に御所をとか無茶を言う事になったが、さすがに無理があるので、箱根へ時々行くという事に決まったんだが、今度は行ったきり返(帰)ってこない女官が多数出るという結果に、あーこれも、美肌に良いというキャッチフレーズで温泉客を増やし、箱根湯本を観光名所にしようと言う、以前行ったキャンペーンの影響という自業自得な結果なんだよな。


仕方が無いので、皆と話しあい、つい提案した為にまた苦労するはめに、それは、箱根湯本から温泉を導水管で小田原市内へ送水するという大プロジェクトになった。


流石にヒューム管は作れないから、源泉から火山灰コンクリートで作った蓋付き導水路を山側に作って、高度を稼ぎながら尾根筋を入生田、風祭、水之尾、十字を超えて北西から城内へ入れる凡そ5kmほどの設計を行った訳で、現在は工兵隊が作業中だ。


他にも、一年半近く留守にいていたから、継続開発していた新兵器の数々のテストや考査など、それに雑賀衆に渡す新型鉄炮の構想図などなどまで作るはめに、人手が足りないのが泣けてくるわい。

こうなると早い内に士官学校でも術科学校でも作らにゃあかんと、必要な資材、教科書、カリキュラムなどまで考案し始めるから更に時間が・・・・・・


やらなきゃ良いじゃんと言う気持ちは出るんだが、出来ることをやらずにいて、死者が多数出るとかなんかは嫌なので、働くしかないんだよな。それでも温泉引き湯計画は後回しにするつもりだったんだが、温泉で疲れを取り、嫁さん連とイチャイチャしたいというストレス発散に心が動いて設計してしまった訳だ。


あー、疲れているから支離滅裂になりそうだよ。最近じゃ松葉サイダーに生姜汁入れてジンジャーエールにしてガブ飲みだ。本当はコーヒーが欲しいんだが、コーヒー豆がないので代用品のタンポポコーヒーを作って見たんだが、あれってカフェイン無いんだよな。作った以上は仕方が無いから外郎屋の宇野藤右衛門に仁丹みたいな外郎薬と同じ様に口内がスッキリすると飲ませて製造販売させる事に、しかもサイダーもジンジャーエールも一緒に販売だから、外郎家が最近では薬屋だけじゃ無く喫茶店状態になりつつ有るよな。その他に、紅茶の試作を成功させたので、何れは外国への布教もしたいものだが、どうなるやら。


そんな事より西国から多くの鋳物師を始めとする職人衆が移住してきたので、在来の鋳物師などが集まっている大工町では完全な手狭になるので、大工町は小売り店を残して、製造拠点は小田原郊外の山王川と酒匂川の間の平成時代の寿町付近へ移動させることになった。ここは元々は酒匂川の氾濫原だったのが治水による堤防設置で整地され二十二万坪という広大な土地が手つかずで残っていたので製造業種は集約しようと言う事だ。ここには工業団地として職業訓練学校と工業学校も開校する為に工事が進んでいる。


更に酒匂川と山王川から用水を引いているので、工業用水の供給はバッチリだし、用水に水車を設置して水車動力を設置したので、初めて見る移住者たちは驚いていたな。


それでも、先進地帯出身者らしく、直ぐに水車動力の利点を理解してどの様に使うかを鋳物師を始めとする職人集団が喧々諤々と話し会ったな。無論俺も色々アイデアを出したが、目立つのは駄目なので、風魔衆の一人を大久保長安や二宮尊徳の様に田中儀右衛門として世に出した。


色々教え込んだから、儀右衛門は職人連中の間では有名人になったので、アイデアを教え込むために更に俺がオーバーワークに・・・・・・


しかし、そのお蔭でアルキメディアンスクリューに変わる井戸水ポンプの製作に目処が立ちそうな感じに、あれは鋳造、鍛造、木工、皮脂の複合だからこそ腕が必要だからな。鋳物師屋、鍛治師、木地師たちも概略を聞いて張り切って試作中だ。


寿町の南には、酒匂川旧河口を利用した港湾施設の築港も決まりその設計もするはめに。場所は平成時代の小田原市東町で、二十万坪の内、酒匂川側の十万坪を港湾施設として五万坪ほどを掘り割り式の港湾として開削して残りを倉庫などにする事に。


更にはその港に続く形で修造船渠ドックや 造船船台の設置も決まり、その設計も同時にすることに……。まあ酒匂川の右岸と左岸の違いだから、地質的にはほぼ同じだから基本設計や造築は酒勾村造船所を造築した連中に頑張って貰えるから多少は楽だし、それに酒勾村造船所と違い大規模な港が出来るお蔭で、船台とドックの大型化も出来て大型船も建造できるから結果良しとしよう。


海岸沿いの砂浜は五万坪の塩田にし、その後背は高波に対応するために堤防を築く事も決まった。同じ様に山王川から早川に至る海岸線も旧来の塩田を残しながら後背には堤防を設置し、市内を高波から護る事を決定、これにより台風シーズンに高波の被害を受けていたのが払拭される予定なんだが、完成は数年後なので、暫くはでかい台風が来ない事を祈るばかりだ。


工業団地や港だけじゃ無く、井細田口、平成時代の小田原市扇町付近の十六万坪を居住区、練兵場、銃器工場を含む雑賀衆などの移住者たちや増員することが決まった工兵隊、検地と同時に行われる戸籍新設で徴募する新兵の訓練施設、居住区などとして雑賀町を建築する事も決定したんだが、資金は有るんだが、人手が足らなくてなかなか大変な状態に。


その上流の平成時代の大雄山線五百羅漢駅の前の氾濫原五万坪を整地し、サッカー場などを含む運動場の建設まで、氏康殿は完全に、この際一気に小田原城の外郭工事を含む土木工事を行うそうで、その為の基本設計まで俺にのしかかることに・・・・・・・


まあ、こうなったのは俺が石山本願寺に送った最強大坂城設計図が原因だから、自業自得と言えなくは無いんだが、確かに、このまま無頓着な都市設計をしたら、山王川より東は天正期小田原城でも城外だったから戦馬鹿(上杉謙信)やダボハゼ(武田信玄)に蹂躙されるからな。ここは強化された酒匂川堤防を城の外郭として防御した方が良いからな。


最終時期の小田原城よりでかい外周13km、面積三百三十万坪の大城郭を設計したらアッサリ許可がでて、設計した俺自体が唖然となった。何故かと言うか万が一籠城に為ったとして、小田原の陣時には外周9kmを兵五万で護ったので、あの時は1mに5.5人の防御だから、この城だと、七万一千五百人の兵が最低限必要になるが、そんなに大量の人員を何処からと氏康殿に聞くと、徴募兵と俺が以前提出していた志願兵式精鋭部隊の設立で充分護れるとの事。


精鋭部隊は、山岳猟兵とか、海兵隊とかをアイデアに提案したんだが、以前は家臣団の手前許可が出なかったが、今回は宮様を護ると言うカモフラージュで許可が出た訳だ。この部隊の基本的な部隊編成も俺がするはめに・・・・・・本当に過労死しそう。


部隊は最低限、各一個の山岳猟兵師団、海兵師団を一万名ずつ都合二万名を志願させねばならないが、給与や待遇を良くすることで集める予定だ。何と言っても武家の三男以下は余っているし、農民も同じ、流民もいるからな。基本的な指揮官たちに信頼出来る連中を入れれば良いし、鉄炮隊は孫六たちに任せれば良いからな。


他にも、散々先送りにしていた相模野台地開拓計画も基本設計から始めにゃならんし、それに関して必要な測量に関しては資質が優れた者に教え込んでいるんだが、如何せん京都行っていた間のブランクが大きすぎだが、これをしないと、用水が引けないからな。


測量師が増えれば増えるほどに相模野用水、玉川用水、それに上野こうずけで五百年近く建造途中で放置されてたままの利根川から用水路女堀の再建もしたいからな、あれは、藤姓足利氏が中心になって、十二世紀頃に掘り始めたのだが、源平の合戦で平家に味方して藤姓足利氏が滅んで以来そのままだからな。


あれが開通すれば、利根川から恒久的に用水が送られて新田郡の水利不足も緩和されるから渡良瀬川水利の件での金山横瀬氏と桐生佐野氏との争いも緩和出来るはずだ。何と言っても足尾銅山の開発には両家の協力が必要だからな。その辺も皆に要相談だよ。


あ。そう言えば、上野で思い出したが、上州名物空っ風から田畑を護るために頑張った大谷休伯が防風林や用水を作るのはこの頃じゃ無いか? 休伯は元上杉憲政の家臣でこの頃は浪人していて、館林赤井家から資金援助を受けて始めたんだよな。それが謙信のせいで赤井家が滅ぼされて一時は挫折しかけたけど、近隣の農民が協力して完成させたんだ。彼としてみれば北條には含むところが有るかも知れないが、民の為にと言う事で協力を要請しよう。


そう言えば、佐竹家との話し合いもあるんだな、まああれは氏康殿や新九郎に任せればOKだろうし、あの有名な佐竹義昭、義重親子なら膝詰めで誠心誠意話し合えば平和的な関係を築けるだろう。問題は義昭の健康問題だよな、確か1565年に三十五歳で急死しているからな。毒殺の可能性も囁かれているから、氏康殿と一緒に薬に詳しい甲賀衆を宮様に頼んで御殿医として遣わす事が出来ないかな。そうすれば心証が相当良くなると思うんだが、まあ俺は行かないから仕方が無いんだがな。


最後がフラグですw


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