第玖拾漆話 それぞれの家事情
お待たせしました
今回は、佐竹家、三田家のお話しです。
徳寿丸=義重にフラグがたった?
林ちゃんは史実では太田氏資に嫁ぐ姫ですが、直虎さんと康郷のせいでチートキャラに・・・・・・林=木=ジュピター、美少○戦士セー○ージュ○ター!
永禄元(1558)年七月九日
■常陸国久慈郡 太田城
常陸の雄、佐竹家の居城太田城に届いた数通の書状を前に、当主佐竹義昭、嫡男徳寿丸、義昭の末弟五郎、 一門衆佐竹東家の佐竹義堅、佐竹北家の佐竹義廉、佐竹南家の佐竹義里、幕府奉公衆で天文六(1537)年より佐竹宗家に寄宿し幕府との取次を行っている美濃佐竹家出身の佐竹基親、元岩城氏家臣で娘を佐竹氏に嫁がしたために一門衆に準じて扱われ、外交を任されている岡本禅哲らが集まっていた。
集まった七人を前に、義昭はそれぞれに書状を回覧させる。
七人が文字を目で追い始める。
読み終わると唸る者、考え込む者、目を瞑る者、三者三様である。
全員が読み終わると、義昭が徐に口を開いた。
「皆、この度の事、どう思うか?」
義昭の問いかけに先ず、義里が発言する。
「殿、里見殿の元におられる左兵衛督様(足利義淳)は、京の公方様より正式に関東公方に任じられたとの事、ここで当家が協力すれば小田などに対する大義名分を得る事が出来るでしょう」
義里の意見に対して義堅が疑念を示す。
「次郎左衛門殿(義里)、それは如何な物か、里見は二月の鎌倉攻めで大敗し正木大膳すら討ち死にしている。そのせいで、最近は上総国衆の中から北條に鞍替えする者も増えている所だ。その様な様で関東管領だと言っても画餅にしか過ぎんぞ」
義堅の意見に対し義廉が同意する。
「うむ、左近将監殿(義堅)の言う通りだな。この書状の書きようも負けた事による焦りが見える。そのうえ、関東公方に関東管領からの命という感じが上から目線で好かぬな」
義堅、義廉の話に、義里が丁寧に説明する。
「左近将監殿、左衛門督殿(義廉)の言われることも尤もですが、問題は京の公方様も左兵衛督様の関東公方就任を認めている事です。それに北條は他国の兇徒と呼ばれる身であり里見とは違います。今は古河公方様より関東管領に任じられたとは言え、関東管領職は京の公方様に任命権がございますので、私称にすぎません」
「それよ、里見殿は公方様より関東管領職に任じられたという話だが有り得るのか?」
「左様、越後には尾羽打ち枯らしたとはいえ、上杉様がご健在では無いか」
義堅、義廉が再度疑問をぶつける。
「それに関しては、京に詳しい、中務(基親)に尋ねるが、公方様はどの様な考えだと思うか?」
義昭に質問された基親は数少ない義輝との接触の際に感じた事と、京で聞き及んだ話を基に話し始めた。
「はい、公方様は、非常に気性の荒いお方で、些細なことで太刀を抜くと聞き及んでおります。先だっても北條の副使である三田と言う若侍に帰洛など現状では無理であると論破された際も太刀を抜いて凄んだという話を聞き及びました。また都にいた頃は夜な夜な洛中へ繰り出し辻斬りをしていたと言う噂も聞き及んでおります」
「中務、それは真か?」
基親の話に、徳寿丸が驚きの表情で聞いた。
「徳寿丸、未だ最中だ後にせよ。中務、続けよ」
徳寿丸を諭した義昭が基親に続ける様に命じた。
「はっ、公方様は幾度となく三好筑前守殿に刺客を送ったと、京の童でも知っております。それにその場限りの命を出す事も多々有ると聞き及んでおります」
「うむー、聞きしに勝る酷さよの」
義昭が眉間に皺を寄せながら唸る。
「中務、良いのか?奉公衆たるお前が、公方様の事をそこまで言って?」
徳寿丸が基親に京へ帰る事が出来なく成るのではと心配して聞く。
「徳寿丸様、それがし、先代の公方様(義晴)には御恩がございますが、当代のあの様を知れば京などへは帰りとうはありません。願わくばこのまま殿の旗下に加えて頂きたく、御願い申し上げます」
「中務がいてくれるのであれば頼もしいが良いのか?」
義昭の質問に基親は頷く。
「はい、先代様(義篤)、殿には並々ならぬ御恩を受けました。それに既に五十を越え、今更の上洛はきつうございますし、あの様な分からず屋に顔を会わせるのはまっぴらご免にございます故」
基親の冗談に義昭は笑っていた。
「ハハハ、それもそうか、で公方様はどう言う気であるか?」
「はい、考えますに、今回の左兵衛督様の公方就任、里見に対する関東管領職補任は何時ものように場当たり的な、言って見れば行き当たりばったりな考えでは無いかと思います」
「なるほど、そうなると当家も慎重にならざるを得ぬ訳だな」
「して、殿如何為さいますか?」
「左様、のらりくらりとしていても何れは旗幟を鮮明に為さるしか無いかと」
義堅、義廉が心配そうに義昭に質問した。
「それなのだがな、其方たちには悪いが先だって梅江斎(岡本禅哲)を里見に遣わした」
「なんと」
「それは」
「して、如何だったのでしょうか?」
「それなのだが、梅江斎に聞いた方が早かろう」
義昭が目配せすると梅江斎は喋り始めた。
「それがしが、里見殿の元へ行ったところ、公方様は御病気とのことで会うことは叶いませんでした」
「それは、怪しいとしか言いようがないのでは?」
梅江斎の話に、徳寿丸が疑問を持つ。
「徳寿丸様、その通りにございます。帰りに土気酒井、東金酒井、万喜土岐などの諸将に会いましたが、皆が皆、二月の鎌倉襲撃以来、公方様の姿を見ていないと聞きました」
「これはやはり、あの話は本当と言う事だな」
梅江斎の話に対して義昭が話す。
「殿、あの話とは?」
「うむ、鎌倉襲撃の細評を簗田殿より聞き及んだのだが」
「簗田殿と言えば、古河公方様の筆頭宿老ですな」
「うむ、それに、あの襲撃時には兵を率いて戦っている」
「為るほど、それならば信用出来ると」
「うむ、その際、あの鎗大膳と松田孫太郎なる者が一騎打ちを行い、松田が勝ったのだが、その場にいた北條の姫が場を納めたそうだ」
「何故その様な事が?」
「大膳は、逃げ去った里見刑部少輔が捨てた兵の命を救うために自ら残って一騎打ちを願ったらしい」
「見事な」
「流石は鎗大膳ですな」
「武士の誉ですな」
義昭が話す正木大膳の潔さに皆が感動した。
「北條の三の姫が、大膳の心根を汲み取り、大膳を含む残った兵を全て帰すと約束し、傷ついた大膳を手当しようとした最中に、公方(義淳)は事も有ろうに、姫に弓を放ったそうだ」
「何と、卑怯な」
「武士の風上にも置けぬ仕儀」
「公方など名乗る価値無し!」
「して、父上、その姫は?」
「大膳が身を挺して姫に向かった矢を受けたそうだ」
「正木殿は真、日の本一の武士よ」
「そう易々と出来ることでは無い」
「大膳は、息子平七に遺言を残して逝ったそうだ。その後、約束通り、平七以下全ての兵が無事安房へ戻れたそうだ」
「父上、北條も天晴れですね」
「武士の心を知るか」
「して、公方はどうなったのですか?」
既に呆れたのか義里は公方と呼び捨てである。
「うむ、その際、一人の女武者が遙か遠くから公方の乗った船の兵を射倒し、公方には鬢に矢が刺さり帆柱へ縫い付けられたとか」
「女武者とは、巴御前か坂額御前のようですね。北條の姫といい勇敢なお二方には是非お目にかかりたいものです」
「徳寿丸様も色気づきましたかな?」
「その様な事では無いわ!」
からかわれた徳寿丸が顔を赤くして否定した。
「ハハハ、徳寿丸も未だ未だよな」
「父上」
「まあ、良い良い」
「殿、して如何様な仕儀になりましたか?」
「やはり、公方は殺められませんか」
「いや、話によると、止めを刺そうとしたが、弓が割れたとか、そして船は見えなくなったと言う」
「殿。その話と梅江斎殿や上総の諸将の話を考えるに、公方は既に海の藻屑なのやもしれません」
「有り得ますな。二月以降誰も会っていないという事に答えがでます」
「父上、女子に弓を向ける様な者を公方と呼びたくはございません」
「左様左様」
「鎌倉を焼き討ちしようとしたことも気に喰いませんな」
徳寿丸の言葉に義里らが頸を縦に振る。
「皆、この様な碌でもない男に頭を下げるなど、新羅三郎様に顔向け出来ぬわ。里見への返答は無視しておけばよい」
「はっ」
「次に簗田殿より、征東大将軍様、古河公方様(足利恭氏)、北條殿からの書状が届けられている」
義昭が恭しく書状を取り出し、北條からの書状以外を皆に廻す。その姿だけで、先ほどの里見からの書状と扱い方が違っていた。
「うむ、これは・・・・・・」
「見事な」
「なるほど」
全員が読み終わると、義昭が再度口を開いた。
「皆、どう思うか?」
義昭の問いかけに、義里が発言する。
「殿、公方様が正当になられたことで、北條殿と争う事が無くなりつつ有ります。そのうえ、征東大将軍恭仁親王殿下は帝の直弟宮にございませば、今回の事は帝のご意志、関東静謐を求められるであれば、北條殿も無茶はしないのでは無いかと」
「次郎左衛門殿の意見は尤もだ。それに里見と違い、公方様、宮様とも高圧的では無く『民の為に是非力を貸して貰いたい』と書かれておられる。これは充分に考慮すべき事由になる」
「左様、当家は幾度となく京の公方に煮え湯を飲まされてきた。あの山入(山入祐義)とて六代(足利義教)が守護職を与えなければ血で血を洗う戦いに成らなかったものを」
「兄上、北條殿からの書状にはなんと?」
今まで聞き役だった五郎が初めて意見を述べた。
「うむ、北條殿は『今後の坂東に関して話し合いたい。是非御願いする』とある」
「それは・・・・・・」
「罠では?」
「梅江斎、どう思う?」
「当家と北條殿は、今のところ小田殿の件でギクシャクした程度でさほど恨みがあるわけでもございません。そのうえ、今現在北條殿は征東大将軍、古河公方様、帝の信任の厚いお方。そのお方が奸計を巡らしてまで、殿を罠にはめる利がございません。その様な事をしたら、却って信頼を無くし、誰も付いてこなくなるでしょう」
梅江斎の言葉に、口々に意見を言い始めた。
「しかし、信用出来るか否かは・・・・・」
「そうは言っても、帝の御不興を得る事は・・・・・・」
「会うとしてもどこで会うのか、殿が鎌倉まで行くのかどうかで・・・・・・」
「それは不味い、岩城が不穏な動きをしている以上は・・・・・・」
「北條殿は自らがこの太田へ向かうと伝えてきた。これは出来ることでは無いぞ」
義昭の発言に場が大いにざわつく。
「当主自らがでございますか」
「うむ」
「それは、あまりに無謀なのでは」
「普通であればこれが好機と討ち取りに」
「そうよ、北條殿は自らの危険も顧みずに儂と話をしたいと言う。この様な事をされては、我が佐竹としては受けざるを得ぬわ。北條左中将侮れぬ男よ」
義昭が氏康を官位で呼んだことで、皆は義昭が本気であると判った。
「殿、では」
「梅江斎、そろそろ客人を迎え入れるとするか」
義昭がニヤリとしながら、梅江斎に指示を出す。皆が客人が誰だか判らない表情をする中、梅江斎が二人の人物を連れて来た。十代半ばぐらいの少女と五歳ほどの幼児が案内されると、年齢にそぐわない見事な姿で義昭に挨拶を始めた。
「右京太夫様、わたくしは北條左近衛権中将氏康が四女林と申します。暫しご厄介になりますが宜しく御願い致します」
「右京太夫様、私は北條左近衛権中将氏康が六男西堂丸と申します。姉共々よろしくお願いいたします」
事情を知る義昭、梅江斎以外は、二人を見て驚く。
「お二人はお幾つかな?」
「はい、十三になりました」
「五歳にございます」
義昭ははきはきとものを言う二人を微笑ましく見ながら答える。
「二人とも利発で良き事と言えましょうぞ、当家を我が家だと思って過ごして下され」
「ありがたき幸せ、ならば日課の武術の鍛錬は続けさせて頂きとうございます」
「ありがたき幸せにございます」
姫の方から聞き慣れない言葉を聞いた徳寿丸は思わず声を上げた。
「姫が武術とは、怪我をするだけではないか」
その言葉に、キッとした目で林は徳寿丸を睨む。
「そこのお方は、どなたでしょうか?」
今の今になって自己紹介していなかった事に気づいた徳寿丸は威厳を以て挨拶した。
「佐竹徳寿丸だ。下手に怪我でもしたら如何するつもりだ?」
徳寿丸としては先ほどの女武者の話は板額御前の様な大女だと思っていた事と、話に聞く北條の姫とこの姫は違うと判ったので、下手な考えは止めておけという気持ちで行った一言が事件を引き起こす。
「これはこれは、徳寿丸様、女子と侮ると怪我を為さいますよ」
「なに、女子と思って大人しくしていれば言いたいことを」
既に、義昭は含み笑いを始めていた。
「女子でも出来ることはできますので」
「なにを」
「勝負しますか?」
如何にも挑発的な態度で臨む林だが、既に義昭からは試合の許可を受けていたからこそのこの態度である。
「ああ、してやろう。泣きべそかくなよ」
「其方こそ、泣かないようにして下さいませ」
「二人とも静まれ」
「父上」
「右京太夫様」
「試合をするのであれば、如何するかを先ず決めよ」
「女、得物は何を使う?」
「わたくしは、鎗を使わせて頂きます」
「ほう、奇遇だな俺も鎗だ」
にらみ合う二人に対して、防具と練習用の鎗が用意されたが、徳寿丸の鎗は素鎗であるのに、林の鎗は康秀と康郷から習った十文字鎗であるので、皆が目を見張る。
「それはなんだ?」
「これは、かの正木大膳殿と戦った松田孫太郎殿より習いし十文字鎗、いざ勝負」
「なるほど、これが、正木大膳殿を」
義昭の合図で、始まった試合は、軽々と身をこなす林に対して徳寿丸は天性の動きでそれを追う展開になっていった。
数合ごとに突きを入れ、切り払いを行うが、林は素早く避け、穂先の鎌で打ち込みを止める。
双方とも千日手に見えた瞬間、一瞬の隙を突いて林と徳寿丸の穂先が交差した。
「止め!」
義昭の一言が過ぎた先には、肩にあたった穂先により利き手を痺れさせ鎗を落とした二人がいた。
「この試合は引き分けじゃ」
息を呑んで見ていた者たちが駆け寄り、二人を介抱する。
両者とも汗だくで、息も荒いがその顔には満足感が在り在りとみられた。
「凄いじゃ無いか、見直したぞ」
「そっちこそ、凄いわね、あたしの師匠は孫太郎と祐子姉さんなんだけどな」
「孫太郎殿とは松田殿か、祐子姉殿とは?」
疑問に思った徳寿丸が質問する。
「正解、孫太郎は松田。祐子姉さんは、鎌倉で公方を射た人」
「なんと、それほどの方から教授を受ければこれほどになれるのか、納得した。馬鹿にしてすまなかった」
心底申し訳ないという表情で徳寿丸は林に謝った。
「良いって良いって、女だてらにとかは慣れているから。それにしても徳寿丸殿の鎗捌きも素晴らしいね」
いつの間にやら林のお淑やかな言葉遣いが乱暴な言葉遣いに変わっていた。
徳寿丸も林も満更では無い表情でお互いの健闘を称えていた。
それを義昭はニヤリとしながら、心の中で面白い事が起こりそうだと思っていた。
この数日後、小田原に、岡本禅哲、佐竹五郎が到着し、会談の細評を話し会った。
この件で関東では勢力図の大規模な変革が起こる事になる。
永禄元(1558)年七月二十日
■武蔵国多西郡 勝沼城
勝沼では慶事が起こっていた。
「なんと、私に難波田の家を」
「そうじゃ、将軍宮様、公方様、御屋形様より、五郎太郎に難波田の家の再興と難波田城と所領五百貫を賜るとの事じゃ」
五郎太郎はあまりの驚きに顔が喜色に染まる。
「長四郎が京まで行った事で、御先祖様の働きが帝から絶賛され、それに伴い当家に褒美が出された訳だ」
「長四郎がか」
五郎太郎の胸中は複雑であった。あれ程憎んだ弟が自分の出世の役に立ったのだから。
「そうじゃ、亡き義父殿もあの世で喜んでおろう」
関東管領対策に川越夜戦で没落した難波田家を再興する事になった際に、白羽の矢が三田五郎太郎に立ったのは、三田家の三兄弟の母は難波田家の出身であった事と、康秀の兄弟であると言う理由からであった。同じ娘婿でも太田資正は信用できない為に除外されたのである。
「そこで、御屋形様から、そなたには難波田家の通字重と、偏諱を与え康重と名乗る様とのお話しだ」
「はは、謹んでお受け致します」
「五郎、良かったな」
「兄上」
更に正式に長男綱重の養子となった喜蔵綱行にも偏諱が与えられ氏定と名乗ることとなり、台所領として二百貫が与えられ、大いに満足することになった。
夜になると、二男氏定、三男康重が酒盛りをし始めていた。
「いやー兄者、長四郎様様だな」
「全くだ、長四郎のお蔭で当家も大いに大きくなれる」
「母上の実家の再興とはこれほどの誉はないですよ」
「そうだな、母上も御喜びだし。藤乃殿も良き子を産んでくれたものだ」
「そうだな、一時は管領なんぞに靡きそうになったが、旨く行かなくて良かったな」
「そういえば、塚田に任したままであったか」
「うむ、不味いな。直ぐに塚田に動くのを止めさせねばならんな」
「明日にでも、言い聞かせよう」
「それが良いわ」
「では、長四郎に感謝感激雨あられじゃ!」
「長四郎、有りがたいぞ!」
「ワハアッハハ」
「ハハあっは」
皆様のお蔭をもちまして三巻フライング発売中です。
色々ありますが、これからもよろしくお願いいたします。