第玖拾参話 関東よ私は帰ってきた!
お待たせ致しました。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
旧年中は一巻二巻発売できました。これも偏に皆様の応援のお陰です。
今年もより一層頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
永禄元(1558)年閏六月十一日
■駿河国富士郡善徳寺城 三田康秀
うむー、駿河まで来ての三日の足止めは何と言うか、歓待とは言え嫌がらせに近い感じがしたんだよな。それに氏政のせいでインチキサッカーを教えるはめになったし、瀬名源五郎とはもめるし、それでもってやっと出立だと思ったら、義元殿が黄瀬川まで送ると来たもんだ。まあ、俺には関係無いので良いか、それより相変わらずの悪路に工兵隊も持ち前の技術力を見せたいと言う考えと共に悪路はこりごりという事で道路改良をしたいと組頭が訴えてくるんだが、『それに関しては他領では出来ない相談だから判ってくれよ』と宥めるはめに。まあ国に帰れば幾らでも仕事があるから今は我慢してくれ。
まあ、工兵隊の言う事も判るんだよ、薩埵峠は坂はきついし道幅は二間(3.6m)ほどで南側は断崖絶壁だ。しかもこの時代は東名高速や新幹線の通っている海岸線は、江戸時代の東海地震で隆起した土地だから、今は海の底だから無理なんだよな。
峠から富士山を見た、親王殿下が万葉集に載っている山部赤人の歌を語ると、流石は氏堯殿は立て板に水の答えだった。義元は判らない様だったけど、文化大名の筈なんだが……あっ思い出した、今川家の歌のLVは非常に低いと公家の誰かが日記に残していたからそれかな?
峠を越えて進むと、富士川が見えてくるんだがこの当時は非常な暴れ川で橋すら無く、普段は渡し船で渡河するんだが、今回は親王殿下の下向だと言う事で富士川西岸の蒲原郷を領する今川一門で蒲原城主の蒲原氏徳が船橋を作って渡してくれた。
船橋は彼方此方から船を集めて敷板、竹、縄とかを集めるのが大変なんだが、今川家だけあって馬が並列で通っても大丈夫なほど立派な物だった。これには我が工兵隊も関心していたな。
富士川を渡って一刻で今日の宿泊所である善徳寺へ到着。此処は今川義元殿が坊さんの頃に住んでいた寺であの太原雪齋が住職を務めていたと言う由緒と共に、三国同盟締結時に北條氏康殿、今川義元殿、武田晴信の三者が一堂に会した場所としても有名なんだけど……
実際の所、幻庵爺様に聞いたら、『その様な会合は無かったぞ、あれは太原雪齋殿が中心となって纏め上げたもので、各家の宿老が話し合ったに過ぎぬ。それにあの情勢で御本城様がノコノコ出かける訳が無かろうに』と言われたからな。
結果的に”善徳寺会盟”と言われるものは後世の歴史家の創作に過ぎなかった訳だ。まあ昔のことだからどうしても判らない所は想像しか出来ないから、仕方が無い事だが、この世界では後々のために確りとした記録を残しておかないと駄目だな。よし帰ったら色々聞いて記録を残すことを氏康殿に提案してみよう。
永禄元(1558)年閏六月十二日
■駿河国駿東郡興国寺城 三田康秀
善徳寺は河東の乱で焼けてから再建されたので義元殿のいた頃とは建物が違うけれども、頻りに『懐かしい』と言っていたそうだ。それと、平野権平も義父が善徳寺城に詰めていたからなのか、『義父上に聞いていた通りに富士の御山は美しい』って感動していたな。
夜は早めに寝て、翌日には朝早くから出立し直ぐに浮島ヶ原に着くんだが、この頃は一面の湿地帯で岳南鉄道が通っている場所なんか完全に湖の中、葦や葭が一杯だ。此処なら浮き草栽培の適地なんだけどな、流石に他国で生産できないから、全くもって残念だ。
湿地帯の軟弱地盤なので、二一世紀でも東名高速は愛鷹山南部に迂回する形だからな。今のルートは海岸沿いの千本松原ではなく、愛鷹山に近いルートで途中には早雲殿縁の城、興国寺城で一休みしたので、今回は氏堯殿や氏政がしみじみとしていたんだよな。流石に祖父、曾祖父が活躍した城だからだろうな。
もうこの頃になると、親王殿下一行のお付きの還俗公家や二男三男、次女三女なんかの本来ならば余り物で寺に入れられるか、どっか地方の戦国武将の嫁に成るかしかなかった連中もすっかり地方になれてきたのと、都にいた時に比べて、新鮮で美味しい食事が出来るので、肌つやが良くなって来た。
特に女性陣は元々腐っても公家だから、美貌が栄えるように成り教養もあるので今川家の男衆からアプローチが増えて来ていたんだが、流石に『親王殿下のお付きの女官として下向している最中でありますので』と断っていたな。まあ以前なら取る物も取り敢えずに嫁や妾などになっていたんだが、俺のせいで実家の経済状態も復活したので、そんなにがっつかずに自分を安売りしなくなったわけだ。
これは、都の公家衆にも言えることで、息子や娘を出家させずに、息子は新たに復活した検非違使とか鋳銭司とか諸々の仕事に従事させる事が出来た。地下でも一家が持てるとあって、時ならぬ新居の建築ラッシュが起こり、それに伴い、娘たちは条件の良い結婚を求めてのお見合い合戦で、婚姻ラッシュが起こっている訳だ。
まあ、お見合い合戦は、俺が山科の爺さんにバブル期や平成のお見合いイベントを、適当に大秦の婚姻事情だと嘘こいて教えた結果なんだが、婚姻率UPと公家と地方武家との必要以上の繋がりを薄くするための算段だとしておこう。
直ぐ横では、小平太が富士山を見ながら『スゲーでっかい』などと、岩鶴丸と一緒に感心している。あとは、凛ちゃんと金次郎が暑い。暑苦しいぐらいだ。クッ、イチャイチャしやがって、こちとら一年以上も禁欲生活だと言うのに、まあ、あと数日で小田原だから我慢しているんだい!
しかし、何故だが知らんが、ここへ来て一時はエスカレートしていた千代女と美鈴の悪戯の数々、いわゆる所の夜中にスケスケ寝間着で忍び込んでくる。何かにつけて胸を押し付けてくる。上目遣いでウルウルする。見えそうなスゲーミニの着物を着て見せる。風呂で千代女と美鈴以外にも連れてきた女忍者が全員で
水に透けた湯着で現れるなどが、ここへ来てピタッと止まったんだよな。
無論期待している訳じゃ無いぞ、下手に手でも出してみろ、妙が悲しむだろうが、それに許されたとは言え、氏康殿に合わす顔が無くなるし、それに直虎さんが笑顔で鎗とか持ってきそうで怖い。
まあ、悪戯が収まったなら良いとするかな、美鈴の太股とかあの巨乳とかをまた見たいわけじゃ無いからな絶対だぞ!
興国寺城での休憩を終えると、駿豆国境の黄瀬川までは二刻ほどの道のりを兵や工兵隊の面々も一歩一歩家へ近づいているから、足取りも軽く進んでいく。
永禄元(1558)年閏六月十二日
■伊豆国田方郡三島 三田康秀
いよいよ、見えてきたあの川こそ駿豆国境の黄瀬川だ!この地こそ源頼朝と義経が兄弟対面を果たしたと伝えられる場所だ。既に北條側から先走りが来て知っているが、対岸には北條家からの迎えが煌びやかな五色旗と共に勢揃いしている。
ああ帰って来たって感覚がビンビンするよ。
氏堯殿も氏政も長順殿を含めて兵も工兵隊も皆、感無量なんだろうな双方から歓声が上がっている。
「関東の静寂と繁栄のために、関東よ、私は帰ってきた!」
俺もそれにつられて思わず宇宙世紀の某氏の台詞をオマージュして言ってしまったが、後悔はしない!
「殿様は凄く帰りたかったんですね」
「いや、殿はなー時々ああなるんだよ」
小平太の感想に満五郎が失礼な事を言っているが、今は彼の方に免じて不問にするぞ、別に今から核バズーカをぶっ放す訳では無いのだから。
よく見れば川の向こうには氏康殿が衣冠束帯で畏まっているのが見える。流石は氏康殿だわ、確りと自領境に親王殿下を迎えに来ているんだからな、まあ今川の場合は三河まで遠いし通過点だから府中直前だったんだろうな。
国境の黄瀬川には流石に永久橋が架橋出来ないからか、その代わりに見事な木製トラス橋梁の戦時橋が架設されている。これは凄いわ、残っていた工兵隊が散々訓練したようで見事としか言いようが無い。
これには、こちら側にいた工兵達がライバル心を燃やしたようで組頭連中が歩きながら相談をはじめたよ。ここまでマニアックになるとは、結成時には考えられ無かったよ。
それはそれで、初めて見るトラス橋に今川、武田も公家衆も驚いているな、これは公家衆は別として今川と武田からは技術供与とか振られそうだな。まあ、その時は簡易版の工兵マニュアルを渡してある程度までは技術供与をしなきゃだろうな。問題は今川は良いとしても、武田をどうするかだよな。まあ架橋ならまだ危険じゃ無いから塩梅を間違えなければよいな。
そう思いながら、川を渡ると、皆の歓声が更に上がって『親王殿下万歳』と俺が教えた万歳三唱をして迎え入れる。これにも北條勢以外の随伴者は驚いているけど、元々は明治二十二(1889)年の大日本帝国憲法発布の日に青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって万歳三唱したのが最初だというから、三百三十一年も早いことになる訳だ。
親王殿下の元に氏康殿が伺候すると親王殿下も御簾を開けて挨拶を返している。そのまま五里(3.3km)進んで三嶋大社で大休止、今日は親王殿下一行は此処で泊まるそうだ。それに伴い、明日には氏康殿、義元殿、義信殿、信繁殿との会談が行われるそうだ。
その前に、北條領へようこそと言う事で、関東の山海の珍味をふんだんに宴に出すことになっていた。無論俺も今川家と武田家一行に御馳走するために、色々作るはめになりましたよ。
その夜は、宴で大いに賑わったんだが、小田原まで僅かなのに此処でまた足止め、まあ刑部の三男金四郎が妙や直虎さんの手紙と共に手作りの菓子とかを持ってきてくれたから我慢できるが、暗闇に隠れつつある箱根山を見ると、あの向こうにみんながいると思うと、速攻で帰りたいよー! って周りを見ると、皆同じらしくて、東をジーッと見ているのが判る。
夜は皆、明日の事を考えているのか、酒もガブ飲みしないで軽くすまして寝入っていくし。明日の出立が遅れたらみんな勝手に帰る可能性が大だな。かく言う俺も、速攻馬を走らせて帰りたい。
待ちに待った朝になると、早速、兵と工兵隊、それに一緒についてきた鋳物師やらの職人たちとかは、軽く朝食を食べおわると、そそくさと出発して行く。羨ましい!
将兵は、ご苦労さんと言う事で、氏康殿が率いて来た兵に全てを任せて今日中に箱根を越えて夕方には小田原に到着してそこで解散する事になっているんだが、俺らは、親王殿下と一緒に今日は湯本まで行ってそこで温泉で疲れを癒やせと言う事に……
「ガーーーーー! 温泉より妙や直虎さんの太股や胸に飛びこんで致す方が良いんじゃ! それぐらい考えてくれよ!」
って悶えていたら、久々に小太郎が現れた。
「三田様、お久しゅうございます」
「小太郎殿、一瞥以来ですね」
「お変わりないようで安心致しました」
んー、小太郎はなんか苦笑いしているんだよな、聞かれたぁ。
「えーと、聞いていた?」
『ぷっ』と噴き出しながらそっぽ向いたぞ。
「いえいえ、何も……」
嘘こけ、聞かれたが、此処は落ち着こう。
「所で、小太郎は何の用で?開発の件かな?」
「いえいえ、開発は順調にございます故、今日明日に来て頂かなくても大丈夫でございます」
「ならいいか」
「幻庵様より文を預かってきましたので」
げっ、爺さんからかよ、なんか碌な事が書いていない気がするんだが。
仕方が無いからお手紙読んだら。
何とくだらない、『沙代姫に病気をうつしかねないので、湯本で汗を流して綺麗な体で帰ってこい』って拍子抜け……
うーん、沙代姫に早く会いたくなったな。どれ程育ったんだろう?
そうだ、金四郎ならどんな子か知っているよな、道中質問攻めにしてやるぞ!
「小太郎、御苦労様」
「いえいえ」
さあて、金四郎は何処にいる!
小田原まで後一歩。
ガトーさんネタはここに入りました。
前回の感想返しは、正月も仕事なので、手が空いたら返事しますので申し訳ありませが、ご容赦ください。