第玖拾壱話 蹴鞠で無いサッカーであ~る!
お待たせしました。
一ヶ月ぶりです、お陰様をもちまして、書籍版二巻絶賛印刷製本中です。
オマケは、「とらのあな」「メロンブックス」で四ページ小話で、『風魔VS三ツ者』、『直虎さんと妙ちゃん』のお話しですが、どっちがどっちだが判りません。あと、「Wonder Goo」でポストカードが付くそうです。
永禄元(1558)年閏六月九日
■駿河国安倍郡府中 今川館 三田康秀
「ほう、奥(綾)の妹婿ですな、面白い是非とも見せて頂きたい物だ」
「そうですな、それは楽しみだ」
「長四郎、ここへ来て見せてみろ」
「義兄上、如何なる仕儀で蹴鞠を?」
「長四郎は、都で蹴鞠を配下の者に教えていてな」
おいいいいい! 氏政!! 俺のは蹴鞠ちゃうやろうが、サッカーのリフティングだって言うのに、何と言う事を宣うか!氏真は当代きっての蹴鞠の名手なんだぞ!俺が敵うわけがないだろうが!
氏政のせいで、静かにステルスしていた俺がいきなり目立ったんだが、しかもだ色々噂が出始めたんだが……
「ほう、彼の方が、あのじゃじゃ馬を仕込んだ武者か」
「あのじゃじゃ馬を乗りこなすとは、よほどの威丈夫かと思えば、未だ毛も生えていないような小童では無いか」
「言い過ぎぞ、ああ見えて、左京大夫殿の婿がねよ、何かしら秘めたるものを持っているに違いない」
「そう言えば、御新造様(綾姫)がお作りする珍しき料理の数々は典厩殿の考案とか」
「ほれ天麩羅も佃煮などもそうだ」
「なるほど、左京大夫殿は食通と言われておる故か」
「これほどの美味を作れるならば、婿がねにもしかねぬと専らの噂じゃ」
「何でも、都では天子様より絶賛を受け大膳亮の官位を授けると言われたそうだ」
「なんと、天子様が絶賛とは、よほどのものであろうな」
「なんじゃ、知らぬのか?昼間御屋形様から下賜されたカステラがそれよ」
「なんと、あの何とも言えぬ食感と甘さが素晴らしきものがか」
喧々囂々しているけど、もう一寸小声で話した方が良いと思うんだが、幾ら無礼講とは言え宮様と義元殿たちが見ているんだけどね。
あっ、義元殿が、何とかしようとしているけど、宮様が目配せしたぞ。
「治部大輔殿、これは楽しき宴ですな」
「はっ、お気に召して幸いにございます」
宮様ナイスフォロー。
「私は残念ながら仏門にいたために蹴鞠は不得意でしてな。典厩殿の蹴鞠を見せて貰いたいものです」
じゃねーや、無理を言わないで欲しい、二度目だが蹴鞠ちゃう、サッカーだって。
「宮、麻呂も見たいですの」
「金吾(飛鳥井宗禎、史実では伊豆国修善寺住持、二卜と号す)は飛鳥井の出であるから興味があるか?」
「はい」
蹴鞠師範の飛鳥井家からも飛鳥井雅綱の息子の一人が還俗してお供についてきているんだよな。んーどうする。
「三田殿、どうなさいました。顔色が優れぬようですが?」
瀬名源五郎がここぞとばかりに、底意地の悪そうな笑みを浮かべて話しかけて来やがる。
「いや、拙者のものは、正式なものではございません故、躊躇しているのです」
「ほーう、所詮は田舎武者ですな。いやいや、何でもございませんよ。独り言ですからな」
チッ、扇で口元を隠しながら皆に聞こえないように小声で嫌みを言いやがる。
「金吾、蹴鞠の技は飛鳥井流だけではなかろう?」
「はい、我が家以外にも難波流、御子左流などがござりますし、加茂の氏人たちが行う地下鞠もございます」
「ならば、典厩、構わぬ故、見せてみよ」
仕方ないか、リフティングで行くぞ。
取りあえず、氏真から受け取った鞠を蹴りながらするんだが、作りは素晴らしいんだが俺が作らした、豚の膀胱から作ったサッカーボールと違うから扱いにくい事ったらありゃしない。
「お相手をいたそう」
氏真たちが相手を勤めてくれると言ってきたから頼むとするか……
「お願い致します」
始まったんだけどなー、蹴鞠のルールと違うからな、こっちは2人が組になって総員8名で最初に「上鞠」が3回蹴り上げてから次に渡し、順に鞠を回して鞠を下に落とさずにどれだけ続けられるだからな。
やり始めれば、リフティングとの違いが明確になって指導の嵐に……
「三田殿、それは違いますぞ」
「これが、我の方法でして」
「いえいえ、飛鳥井、難波、御子左は疎か、地下鞠でもその様な事は致しませんぞ」
「はぁ」
「蹴鞠は、三足以上蹴ると申しまして、一足目は貰って受ける鞠、二足目からは自分が蹴って楽しむ鞠、そして最後に相手が蹴りやすいように渡す鞠ですぞ。三田殿の様に足を高く上げて足の裏を見せるは邪道ですぞ。ましてや頭で弾くとは、嘆かわしいことです」
んー、氏真は心底蹴鞠が好きなのか、俺の仕儀を見てチャンと説明してくれるんだが、参加者の中でも虎の威をかる狐が一匹。
「三田殿は、帝の覚え高きお方と拝聴致しましたが、いやはや見事な頭捌きですな」
チッ、相変わらず小声で言いやがる。
「源五郎、静かにせよ」
「はぁ」
「三田殿、申し訳ない、源五郎は未だ中身が伴わないものでして」
おっ、氏真が源五郎を諫めたぞ、意外にやるな。源五郎は下を向いたが、手を震えさせているな。屈辱なんだな。
氏真が素直に謝ってくれたのならこれ以上騒ぐことはないだろうから、此方も矛を収めよう。
「いえいえ、それがしの仕方が変なのは判っておりましたから」
「ほう、それでは何故?」
氏真もだが、聞いていた宮様も聞きたいみたいだな。
「恐れながら、それがしが得意なのは、蹴鞠では無く蹴鞠なのです」
「蹴鞠では無いと?」
「はっ、漢字で書けば同じ蹴鞠と書きますが、読みが違います」
「字が同じであるのに、何故読みが違うだけで違うものになるのか?」
そうだよな、不思議がるもの判るんだが、意外に中国の漢字と日本の漢字が意味が違うからな、手紙や愛人とかなんかは全然意味が違うもんな。中国じゃ手紙はトイレットペーパーだし、愛人は奥さんの意味だものな、これは詳しく説明しなきゃ駄目か。
「説明致しますと、元々漢字は唐より伝わりしものでしたが、その際に、遣唐使によってもたらされた漢音とそれ以前からの呉音に別れます。更に漢字に本朝の言葉を仮託した和音がございます」
「なるほど」
「仏典を読むは呉音が殆どでございます」
「ほう」
「神は漢音では神、呉音では神と申します」
「なるほど、和音では神か」
「左様にございます」
「それで蹴鞠としゅくきくが違う訳か」
「はっ、元々蹴鞠は唐から伝わったものでございますが、本来は蹴鞠と呼ばれていたのです」
「なるほど」
「蹴鞠は、戦国時代の斉の軍事教練に始まりました。その後、漢代には十二人の集団どうしが対抗して鞠を争奪し「球門」に入れた数を競う遊戯として確立し、宮廷内で大規模な競技が行われるようになりました。本朝で行われております鞠を蹴る蹴鞠と言うものは、蹴鞠の派生として始まったもので、漢字を和音で読んだ名残なのです」
「なんと、その様な由来があるとは驚きよ」
「その後、宋代になるりますと蹴鞠は、集団競技としての姿を消し、鞠を蹴る方法が主流となりました。明初になりますと、役人たちが蹴鞠に夢中になるあまり仕事をしなくなり、それに肖った娼妓が男たちの好きな蹴鞠をおぼえて客たちを店に誘う口実にしたりすることが多くなり、余りの風俗の乱れに、時の皇帝は禁止令を出したそうにございます」
「うむ、何をするにしても程々が良いと言うことよな」
「それにしても、三田殿は何故それほど詳しいのですか?」
宮様も公家衆も氏真も義元も武田の面々も何でそんな事を知っているのかっていう顔だよな、此処は某漫画の如く某書房の出番だな。
「これらに詳しいのは、それがしの師である『沢庵殿』から授かった明初に書かれし貴重な書籍『宇内の競技』なる書の写本にて種々の競技を知り再現を試みた次第なのです」
「なんと、その様な書があるとは」
「その書には、唐を始めとして大秦に到るまでの種々の競技の歴史や規則、規定などが描かれていたのです」
「三田殿は、それほどの貴重な書を持っていると言う訳ですか」
氏真が興味津々に聞いてくるな、学問に相当興味が有るみたいだな。
「此処には、持ってきていませんが、後でお見せ致しましょう」
「おお、是非御願いしたい」
「典厩殿、私にも御願いしたいですな」
宮様も氏真も見たいみたいだ、まあ適当に現代のスポーツとかを某書房風に書いたものだからな。別に書いた者勝ちだよな。
「無論にございます。原書は流石に師より預かりしものと考えております故、それがしが、写したものを宮様と上総介殿にお渡し致します」
「典厩、すまぬな」
「おお、三田殿、忝い」
「長四郎『百聞は一見にしかず』と言うであろう、明日にでも競技としての蹴鞠を宮にお目にかけたらいかがであろうか?治部大輔殿、この件如何でありましょうか?」
「宮、如何で有りましょうか?」
「治部大輔、霜台、それは面白き事、よしなに頼むぞ」
「「はっ」」
氏堯殿と義元が宮様にお伺いをしたら、宮様凄い笑顔で頷くから明日サッカーの親善試合決定!って言うか、グラウンドどうすんだよ!
永禄元(1558)年閏六月十日
■駿河国安倍郡府中 三田康秀
グラウンドはアッサリ、馬場を工兵隊が徹夜で均すことで完成しました。小田原へ帰ったら工兵隊にはボーナス出してやらなきゃあかんな。
石灰で白線を引いたサッカーグラウンドで宮様を始めとする公家衆と義元率いる今川家臣団、松平家一同、武田家使節団一行にうちら北條家一行、更には府中の町民まで集まって観戦という事になった。
で、試合するのは、今川氏真率いる蹴鞠チームじゃなくて、我が工兵隊や五色揃えからの選抜チームが紅白戦方式で最初に試合を見せて、出来る様なら氏真が参加するとの事に。
笛の音とともに、総勢二十四人が一個のボールを奪い合いながらゴールを目指す姿に、最初はよく判らないと言う顔をしていた皆も次第に判ってきたのか興奮してきたのかゴールの度に歓声が上がるようになった。
ローカルルールで30分1セットで1時間20分で終了したけど、ルールを覚えた氏真勢が参加決定!
「典厩殿、これは面白うござるな、早速試合をお願い致しますぞ」
「介殿、規則、規定は大丈夫ですか?」
「無論、先ほどから皆に叩きこみました故」
うーん、完全に新しいスポーツに目覚めたかな?
「では、宜しくお願いいたします」
「此方こそ、よろしくお願いいたします」
結果、試合は、驚きの連続に、氏真、強ー!ヘディングやシュートを速攻で覚えて走る走る!
動きも速いし、瞬間的な閃きやなんやらは、流石は塚原卜伝の弟子だわ。赤い人の様に『通常の三倍のスピード』だな。
まあ氏真だけが活躍してもその他大勢はダメダメだったから、結果的にうちのチームの勝ちだが、それでも氏真一人でハットトリックって凄すぎ、21世紀に生まれていたならJ1で活躍していたかも知れないな。
「いやー、負けましたが、これほど清々しいのは久しぶりでした」
「介殿は凄いですぞ」
氏真がスゲー爽やかな笑顔なんだよな、まるで『もこみち君』みたいだ。
宮様を始めとする観客も両者の健闘を称えて歓声が大きくなった。
まあ、相変わらず、源五郎はブツクサ言っているが、氏真も完全に無視状態だな。
こうして、北條家による、サッカー大会は無事に終わったわけだが、適当にでっち上げた、某書房刊擬きの『宇内の競技』によって、今川領でサッカーを始めとするスポーツが流行るようになるとは思ってもみなかった訳だ。そのうえ、宮様に『蹴鞠としゅくきくでは紛らわしかろう』と、氏真から『何か新しい名前はないかな?』と言われて『サッカーです』と言ったのは早計だったかもしれない。説明が某書房のパクリで済ましたが、そのうち消える話だろう。まあまあ、静岡はサッカー王国だから、歴史が500年ほど早く為ったと思えば良いよな。
某書房は、やり過ぎた。しかし後悔はしていない。
次回は、今川領から旅立ち、小田原辺りまで行けるはず。