第捌拾玖話 態と面倒を作らないでくれ
お待たせしました。今回は比較的早くできましたが、未だ駿府です。小田原は未だ遠い。
書籍版二巻十二月二十五日発売決定しました。
今回もオマケ様の三話とウエーブ版の一話を考え中です。
小平太君の日記を本文に入れました。
その他、加筆をしています。
永禄元(1558)年六月二十九日
■甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館
「うむー、抜かったわ」
「御屋形様、如何為されました?」
「勘助、氏康の狙いが判ったが、まさか将軍下向とは」
苦虫を噛み潰したような顔の晴信を見ながら勘助は苦笑する。
「御屋形様も抜かりがあるとは」
「なんじゃ、儂とて人の子じゃ、失敗ぐらいはある」
「善右衛門尉殿(秋山虎繁)からはなんと?」
「この通りよ」
勘助の質問に対して晴信は秋山虎繁からの文を渡した。
「ふむふむ、上総介殿(織田信長)からの知らせですな」
「たまには尾張のうつけも役に立つわ」
「宮を将軍とし関東へ下向させるとは、思いもよらなんだ」
「直宮というのも厄介ですな」
「そうよ、腐っても鯛と言うからな、頭の固い関東者も氏康に頭を下げる事は出来ずとも宮将軍であれば、鎌倉の前例がある以上は抵抗しづらかろうし、矜持も立つと言うもの」
「そうなりますと、氏康の力が強くなりすぎますな」
思案顔の二人。
「いっそ宮を始末するか?」
晴信は、黒い笑みを見せる。
「それも重畳ではございますが、向こうには風魔がおりますからな」
「風魔か、信光の手の者が大分殺られたようだな」
「はい、あまりの被害に三つ者の再編に時間が掛かると申しております」
「うむー、では無理か」
「無理でございます」
元々本気では無かった晴信はもう諦めたとばかりに顎に手をやり考え始める。
そんな姿を勘助はニヤリとしながら眺めていた。
暫く考えた晴信は徐に部屋の外に声をかけた。
「源五郎はおるか?」
晴信の声に反応して小姓が現れた。
「はっここに」
「太郎(武田義信)と次郎(武田信繁)をここへ呼んで参れ」
「はっ」
真田源五郎は直ぐさま次郎を呼ぶために部屋を出て行った。
「御屋形様、やはり御自分では行かれませんか?」
「左様じゃ、今は越後がどう動くか判らぬ時に甲斐から動けば何が起こるか判らんからな」
「確かに、そうでございますな。信濃表もきな臭くなっておりますからな」
「そうよ、阿呆(長尾景虎)のせいで、善光寺平が落ち着かんからな」
「そこで、太郎様と次郎様をでございますか」
「うむ、太郎は義元の婿、それに公方様より准三管領に叙されているからな」
「確かに、格的には義元殿より上ですからな」
「ハハハ、そうよ、義元の悔しがる顔が目に浮かぶわ」
「その姿を見られないことが残念です」
「そういえば、勘助は義元には思う所があったな」
「昔のことでございますし、あのお陰で御屋形様にお仕えできたのですから、恨みも減り申した」
晴信と勘助がニヤニヤと笑う。
「そうよな、義元がお主の異形を嫌って禄を与えぬまま七年も捨て置かれたのだからな」
「はい、あの折は藤三郎殿(朝比奈信置)安房守殿(庵原忠胤)が再三に渡り仕官を願ってくれたのですが……」
「しかし、儂には幸運であったわ。お主と言う男を得られたのだからな」
「御屋形様……」
晴信の話を聞いて勘助は感動していた。
「御屋形様、太郎様と次郎様がお着きになりました」
丁度、源五郎が帰って来た、
「うむ、太郎、次郎入ってこい」
「「はっ」」
障子を開けると、年の頃二十代前半と三十代中盤の武将が入って来た。
「父上、如何様な事が起こりましたか?」
「御屋形様、何事にございますか?」
「太郎、次郎、お主たちも知っておろうが、鎌倉に向かう為に宮が下向してきている」
「はい」
「そこで、お主らに府中まで行き挨拶してきて欲しい」
「父上は、行かれないのですか?」
「太郎様、御屋形様は信濃表の事があります故に」
「なるほど、確かに越後の事は難題だな」
勘助の説明に納得したのか太郎は頷く。
「さて、儂の名代として太郎に、副使として次郎に向かってもらう。出立は一週間後だ。それまで準備を怠らぬようにせよ」
「はい」
「御意」
二人が部屋から出て晴信と勘助が残った。
「御屋形様、この度の事は、太郎様の箔付けですな」
「それもあるが、公方の手前、儂が動くのも不味いのでな」
「なるほど、先ほどの事は表向きの理由でございましたか」
「まあ、今は動く時ではないからな」
「確かに、今川は尾張を呑む支度をしております」
「信長と義元がつぶし合えば駿河も三河も楽に手に入ろう」
「御屋形様も、相当なお方ですな」
「ふふふ、策多ければ勝つものよ」
晴信と勘助は二人で笑い合う。
「所で、今回は勘助にも行って貰うぞ」
「拙者がでございますか?」
晴信はニヤリとするが、勘助は驚いた顔をする。
「そうよ、お主を袖にした義元に武田の使者の一人として堂々と挨拶してやるが良いぞ」
「御屋形様……」
再度感動した勘助が頭を下げる。
「それと、府中へ着いたら、岡崎の小倅の資質を見て参れ、お主が三河出身と聞けば何かと話も出来よう」
「竹千代殿ですな」
「そうよ、雪斎が手塩にかけたそうでは無いか、祖父の清康は勇猛果敢であったから、何かの役に立つやも知れんからな」
「雪斎殿が見込んだのであれば、期待は持てます」
「そうか、義元が尾張へ出る時は、小倅が先鋒であろうからな」
「そうですな」
「そうそう、後学のために源五郎も連れて行くが良いぞ」
「源五郎殿にも良き経験となりましょう」
「そうよな」
部屋に二人の含み笑いが続いていた。
永禄元(1558)年閏六月九日
■駿河国 安倍郡府中
「親王殿下、態々のお運び誠に忝なく存じます」
今川義元が氏真以下の親族を引き連れて安部川の船橋まで迎えに出てきた。本来であらば関口親永では無く自ら赴きたかったのであるが、母親である寿桂尼の無駄な矜持により宇津ノ谷峠では無く安部川河原になってしまっていた。
公家出身である寿桂尼にしてみれば、恭仁親王などは一度仏門に入り俗世から消えた身で有りながら、北條如きに担がれてホイホイと下向するなど朝廷の権威、公家の矜持が汚されるとへそを曲げていたからである。その為、母には頭が上がらない義元もギリギリまで交渉し府中側ならばと宥め賺したのである。
(この寿桂尼、公家の中御門家出身で有りながら、夫である氏親の晩年から活躍、東国最古の分国法である今川仮名目録も彼女が監修したという説もあり、我が子の氏輝、義元を補佐し桶狭間で義元敗死後は孫の氏真をも補佐するという姿は、『女戦国大名、尼御台』と呼ばれた。死に際しても『死しても今川の守護たらん』と今川館の東北、鬼門の方角にあたる竜雲寺に埋葬された。死後九ヶ月にして今川領への武田勢の侵攻が行われている事からも『戦国のゴットマザー』と呼ぶに相応しい人物で有った。)
「親王様、先ずは旅のお疲れを癒やすために風呂を用意致しましたので御緩りと」
「治部大輔殿、忝い」
「はっ」
親王一行は今川館に新設された湯殿へ向かい、夜には宴が開かれる事になっていた。
宴には武田家からも、武田太郎義信、武田左馬助信繁らが参加するために甲斐より到着していた。
北條家一行も宴に参加するために重臣屋敷へ案内されそれぞれ支度をする事になった。
それ以外の者たちは町屋や寺社に草鞋を脱いで、休んだ後、府中の町並みの見学などにめいめい散っていった。
永禄元(1558)年閏六月九日
■駿河国 安倍郡 府中 関口親永屋敷 三田康秀
「楽にしてくだいませ」
「忝い」
宴まで時間があるからと、氏堯殿達は重臣の朝比奈元長殿の屋敷に世話になるが、俺は何故か、新野殿に連れられて関口親永殿の屋敷に招待された。
しかし、新野殿はいざ知らず、関口殿との関係って、宇津ノ谷で挨拶した程度なんだけどな?
「いきなりの招待に驚きでしょうが、これには訳がありまして」
だよな、訳が無きゃ見ず知らずの人間を招待する訳が無いからな、さて何が起こりますやら?
「訳とは?」
「三田殿が、祐子殿を娶ったことでございます」
へっ?直虎さんと関口殿ってなんか関係があるのか?
「旦那様、それでは判りませんよ」
関口殿の奥方がフォローしてくれたんだが、何処と無しに誰かに似ているような気がするんだが、気のせいかな。
「そうで有りました。実は信濃守殿(井伊直盛)は奥の甥でして」
はっ?関口殿の奥さんは、今川義元の妹だったよな。そうすると、親父殿(直盛)の母親が今川義元の姉妹?はっ?直盛殿が永正三(1506)年の生まれで、氏親殿が確か早雲殿が伊勢新九郎の時代にはまだ元服前の龍王丸で1470年代の生まれだから、何とか成るけど、正室の寿桂尼は1500年頃に嫁に来たはずだから、側室の子かな?
「ハハハ、刑部殿、三田殿が混乱しているでは無いか」
新野殿が笑いながら指摘してくるが、それほど混乱していたかな?
「これは失礼いたしました。実は奥の父親は直平殿でしてな」
「は?」
「刑部殿、それでも判らないで有ろう。三田殿、実は圓殿は養女でな、実の父親は井伊直平殿で先々代様(今川氏親)の養女として関口へ嫁いだわけだ」
「なるほど」
これはビックリ、じゃあ築山殿は今川本家の血を継いでいないんじゃ無いか。軍記物だと散々今川の血を誇っていたのに、意外な事実が判明!
「実は、私は井伊が降伏した砌に人質として差し出されたのですよ。その後、紆余曲折があって義元様に側室としてお仕え致しましたが、武田家より定恵院様をお迎えするに当たって旦那様に下げ渡されたのです」
なんと、更に意外な事実が、人質に手を出した挙げ句、正室をもらうからとポイ捨てで家臣に押し付けるとは、とてもじゃ無いが真似できないな……あーーーーーーーー、築山殿も氏真が弄んで捨てたって話を読んだ気がするんだが、まさか親子二代でなのか?あとでさり気なく聞いてみよう。
「なるほど、では、奥方は祐子の大叔母にあたられると」
「そうですね、父(直平)の長男が兄(直宗)で孫が直盛殿ですから、私から見れば、直盛殿は年上の甥になるのですよ」
なるほど、この時代もそうだけど、昔は兄弟で親子ほど年が違うとかあったからな。
「しかし、祐子が子を産むとは、感無量だな」
「全くだ、あのまま行かず後家だと諦めていたんだが」
「三田殿のお陰で、甥も肩の荷が下りたでしょう」
「妹も殊の外、喜んでいるし」
「これで三田殿とは親戚と言う事になりましたな」
「はい、今後ともよろしくお願い致します」
こう言わなきゃ駄目だろうに、けど、直虎さん経由で新野殿とは義理の叔父甥関係、関口殿とは圓さん経由で義理の大叔母で瀬名殿が義理の叔母みたいな感じ、てことは家康の親戚になった訳か。んーなんか複雑。
「三田殿、この事ですが、瀬名は一切知らぬ故、次郎三郎(松平元康)殿と共に内緒にお願い致す」
なるほど、家康にしてみれば今川の姪という軛と単なる一族の軛じゃ弱いという訳か。
「判りました」
「まあ、何れ判るやも知れませんが、その時はその時としておきましょう」
この後、軽い食事と風呂を頂いてから、朝比奈屋敷へ向かったんだが、その途中で事件になったんだよ。
永禄元(1558)年閏六月九日
■駿河国 安倍郡 府中
府中の町に少女たちの笑い声が聞こえていた。まあ若干一名、少女と言えない方がいるのであるが……
「のう美鈴、津島や熱田と違って道も悪いし、品揃えも良くないの」
「千代女様、それは仕方が無い事ですよ。田舎ですから」
「そうかのー」
「千代女ちゃん、あのーあんまり大声で言わない方が良いと思うんだけど」
「なんじゃ、凜もそう思わないか?」
「凜ちゃん、千代女ちゃんは、山国出身だから、よく判らないのだと思うぞ」
「なんと!舜には判るというのか?」
「ふふふ、無論じゃ!妾は石山の生まれぞ、天下の堺は直ぐ其処じゃ!」
「堺か、それならば、府中は比べものにならぬな」
売り言葉に買い言葉、千代女の質問に舜も答える。
「そうよな。道はデコボコで石は浮いておるし、道々に不浄が落ちておるとは問題じゃ」
「であろう、せめて不浄ぐらいは始末せんと器量を疑われるぞ」
二人が大声で話しているなか、美鈴はニヤニヤしているだけ、凜はオロオロしてたが、そこへ大声が響き渡った。
「そこの女ども、御屋形様のご批判とは無礼であろう!」
見ると、一五~六歳ぐらいのニキビ面の若侍が屈強なお供を連れて凄んでいた。
益々オロオロする凜、スーッと目が細くなる美鈴、聞こえていないのか無視する千代女と舜。
振り向いた凜を、若侍がニヤニヤと値踏みをするように見る。
「な、なんでございましょう」
凜が勇気を持って聞く。
「お主ら、御屋形様の御治世を批判するとはけしからん、尾張の間者か」
「その様な事はありません」
益々ニヤニヤし始める若侍一行。
「問答無用!ゆっくりとその体に聞いてやる!連れて行け!」
その言葉にいやらしい笑みを浮かべた兵が近寄ってくる。
そんな危機に、凜一人だけが慌てているが、千代女も美鈴も舜さえも落ち着いていた。何故なら美鈴と千代女だけで、殲滅が可能だったからであろうし、更に視線の先には彼女らの信用する人物が映っていたからであろう。
永禄元(1558)年閏六月九日
■駿河国 安倍郡 府中 三田康秀
新野殿と別れて金次郎たちと朝比奈屋敷へ向かう最中に、望月家から千代女のお付きに新たに付けられた、香澄がふらっと現れボソリと言ってきた。
「御屋形様、姫様たちが今川の侍にさらわれそうになっております」
「はっ?おい、千代女だけでも充分対処できるだろう?」
「そうでは有りますが、下手をしますと今川との間に凝りが出来るとの事でございます」
「仕方ないか、案内してくれ」
「はっ」
路地を走り抜けると、そこには破落戸風の連中に囲まれた千代女たちが見えたが、あれ完全に余裕の表情だよな、唯一凜ちゃんだけが青い顔している。まあ、颯爽と現れるナイトに成れるかは判らないが助けなきゃだからな。
「待たれよ」
俺の一言で、連中の動きが止まって、こっちを向いた。
「なんだ、お前は!邪魔をするな!」
うわー柄悪ー!
「その者たちは我の身内でしてな、何様でその様な無体をするのですかな」
「お前も此奴らの仲間か、胡乱な奴め構わん此奴らも引っ捕らえろ!」
「問答無用とはこれは些か驚いたな」
一応かっこよく言っておいてから対処。
動きの遅い取り巻きを軽ーく撃退し始めたら、リーダーがいよいよ時代劇の台詞を言い出した。
「えい、構わぬ斬れ斬れ!」
「寄らば斬るぞ、命が欲しい者は逃げるが良いぞ」
言っても掛かってくるのが普通で、追いついてきた金次郎から木刀を受け取って僅かで撃破。だって卜伝爺さんや幻庵爺さんの扱きに比べたらぬるいぬるい。それに全然鍛えてないらしくて、金次郎もバッサバッサとかっこよく気絶させていたからな。
で、叫んでいた若侍に木刀を向けたらかかって来たんだが、あっと言う間に刀をはじき飛ばして終了!
すっころんで倒れた首筋に木刀突きつけたら漏らしやがった。
「ななな、無礼者、俺の伯父上は治部大輔様だぞ、お前なんか磔にしてやる!」
なんだ此奴今川縁者かよ、不味いか?まあ平気か?
「俺は、三田右馬権頭だが、今川家は客人を襲撃するのがしきたりなのか?」
俺の言葉が最初は判らなかった様だが、一緒に倒されていた近習が気がついたらしく青い顔して此奴に耳打ちしていくが、次第に本人も青い顔をし始めたな。
「な……、俺は知らんぞ、俺は巻き込まれただけだ!」
情けなく泣き言を言い始めたよ。
「ヒッ!」
一寸、鯉口を動かして音をさせたら、大きいのまで漏らしたようで臭いが酷い。
どうしようかと思案してたら、助けが来た。
「三田殿、お待ちくだされ」
「関口殿、新野殿」
「伯父上」
関口殿を伯父上と言って安堵した顔を向ける、此奴は誰?
「この度は申し訳無い事を、この者は瀬名源五郎と申しまして、御屋形様と私の甥にあたりますが、未だ十五でございます故、酒に酔って酩酊したのでありましょう。ここは平にご容赦を」
親戚が旨く纏めてくれるなら、みんなにも被害が無いから矛を収めよう。それにしても瀬名って遠江今川家か、あの有名な今川了俊の子孫だけど情けない。
「判り申した、酒は怖いものですからな」
「左様、左様」
一通り笑いながら、関口殿の手勢が気絶から回復した瀬名源五郎たちを担いで行って、こっちには新野殿が残って説明してくれた。
「あの者の母親は、御屋形様の妹でして、しかも遠江今川一門でありますから、幼い頃から甘やかされてきまして、ほとほと困っておるのですよ」
「なるほど、何処にでもいるのですね」
「ええ」
これで、この場は済んだんだが、この因縁がどうなるかは神のみぞ知る状態だった。
「しかーし、千代女!美鈴!お前たち、態々喧嘩のタネを作るんじゃ無い!」
「誰も、今川殿の悪口など言ってはおらぬぞ」
凜ちゃんに聞いたが確かに暈かしてやがった。知能犯め!
「けれども、暫くは大人しくしてくれ!」
「仕方ないの」
まあ、この事件は関口殿が纏めてくれたそうで、お咎め無しだけれど、千代女に遊ばれた感じがするのは気のせいであろうか?
『小田原よ!私は帰ってきた!』をやりたいが、某関白様と被るのでやれない。
オマケ
助けられた後。
「凜ちゃん、凜ちゃん?」
凜がポーッとしながらこっちを見ていた。