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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第肆章 帰国編
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第捌拾陸話 柳の下に二匹目の泥鰌はいない

お待たせしました。

今回は、岡崎までの話です。

永禄元(1558)年六月二十六日


尾張国おわりのくに愛知郡あいちぐん熱田神宮


長嶋における諸般の行動が終わった一行は盛大な見送りを受けると木曽川を渡り尾張へ入国した。今回は尾張国守斯波義銀自らが案内し熱田神宮に到った。この行動に尾張の実質的な支配者である織田信長は苦々しく思っていたが流石に今の段階で帝の直弟宮を蔑ろにすることも出来ずに、一行と義銀の監視として丹羽長秀を案内と称して再度送るしかなかった。


熱田神宮へ到着した恭仁親王一行は熱田神宮大宮司千秋季忠の案内で熱田神宮に鎮座する三種の神器の一つ草薙劔くさなぎのつるぎ天叢雲劔あめのむらくものつるぎ)の拝覧を行うために進む。これは本来であれば門外不出の品であるが、恭仁親王が征東大将軍として東国へ下向する事が、日本武尊やまとたけるのみことの東征と被る形で有るため、日本武尊の武勇にあやかる形で方仁帝よりの勅により拝覧する事が許可されたのである。


恭仁親王や氏堯、氏政らが拝覧する事は当然としても、料理の腕や博識ながらも驕らぬ態度が恭仁親王に気に入られている康秀も拝覧を許されていたが、本人にしてみれば前世でも本物は写真ですら見たことも無く想定図か想定したレプリカの写真でしか見たことのない伝説の劔を見る事にどきどきしていた。


千秋季忠が恭しく案内した先に、副宮司である尾張氏以下四、五名の神職が緊張の顔つきで櫃を護っていた。何と言っても神器であり、見た者が祟りで亡くなったとの伝承がある劔であるためか、季忠が副宮司尾張季元に櫃を開けるように命じると彼は恐る恐ると言った表情で櫃を開け放つ。この姿を見ながら康秀は”失われたアークのワンシーンのようだな”と考えていた。


開け放たれた櫃を見ると、中には赤土が入っており、その真ん中に布に包まれた劔らしき物があった。恭仁親王が恭しく布をほどいて見ると、劔が現れた。一見すると長さは二尺八寸(およそ85センチ)ほどで、刃先は菖蒲の葉に似ており、全体的に白っぽく錆はなかった。


この姿に一同は感動を覚えるが、康秀は冷静に観察し”錆びは無いうえに白ぽい訳だし、菖蒲型って言うことは、白銅製の可能性も有るが……待てよ白銅だとニッケルが必要だがニッケルって1700年代に単体分離出来た訳だから違う?んーオパーツかも知れ無い”と考えていた。


そんな康秀の疑念も周りには判らずに、拝謁は無事終わり古くなったために新しく都で作られた櫃に劔は古式通りに納められ、方仁帝の勅封により再度封印された。


この後、熱田神宮でも宴が開かれたが旭や加藤家一行は一旦中々村へ挨拶と引越に向かい、その間に斯波義銀の心よりの許可と千秋季忠の嫌々ながら征東大将軍恭仁親王の許可があるために仕方なしに行った許可により北條家の工兵隊と岡部又右衛門により銀龍亭の建築が開始された。何と言っても専業で作事を行っている三千人越えの工兵達で有る、僅か三日後に銀龍亭は完成し、村から引っ越してきた旭達がビックリしていた。


完成した銀龍亭で旭が腕によりをかけた料理を作り、恭仁親王をはじめとして案内したまま熱田で待機していた斯波義銀も大いに喜び、親王、義銀共々に書を示した。


そんな中で、康秀は猪助に何やら命じ数名の下忍が笠覆寺りゅうふくじへ忍び込んだ。



同じ頃、態々荒子から前田慶次郎が氏堯に会うために訪ねてきていた。しかし都へ向かう行きならばいざ知らず、今回の帰りは征東大将軍恭仁親王を守護する護衛として勤めている氏堯であるから、本来であれば、無位無冠の一土豪の嫡男は目通りすることすら許されない所であるが、先年の事も有り態々会いに来てくれた慶次郎を帰すこともなく、時間も見つけたのである。


氏堯が一年振りに慶次郎と会った所、以前のような無鉄砲さは残しているが粗野無学のような様相は若干なれど影を潜め、精悍さが益し最初は供の者と畏まっていたが、直ぐに慶次郎はこうで無ければという雰囲気で話し出した。

「十郎様、お久しゅうございます」


「若殿、弾正少弼様ですぞ」

供の者が慌てて慶次郎に注意するが、氏堯はニヤリと笑いながら答える。

「慶次郎、相変わらずよ。その方も気にすることは無い、此処は無礼講よ」


「はぁ、しかし……」

「流石は十郎様話が判る。助右衛門も堅苦しいことは抜きにせよ」

慶次郎がそう言うが助右衛門にしてみれば雲の上の存在のお方に粗相があっては成らないと顔が引きつっていた。


「助右衛門とやら、慶次郎に仕えるは気苦労が絶えぬであろう」

「はっ、全くその通りにございます」

氏堯が相変わらずニヤリとしながら質問すると助右衛門は生真面目に答える。


「おい助右衛門」

「ハハハハ、慶次郎よ、少しは労ってやらぬと、助右衛門に白髪が生えるぞ」

「十郎殿、私はそれほど迷惑はかけておりませんぞ。のう助右衛門」


氏堯の指摘に慶次郎は口を尖らせて答えた。

「弾正少弼様、実は慶次郎様には何時も迷惑をかけられております」

「助右衛門」


「ハハハ、慶次郎よ。嘘はいかぬぞ嘘は」

「十郎殿に言われたように、最近は武経七書ぶけいしちしょなどを読んでおりますし、漢詩なども覚えておりますぞ」


「ほう、助右衛門、真か?」

「驚くべき事でございますが、若は、弾正少弼様に諭されて以来、真面目に勉学をするようになりまして、皆が天変地異の前触れだと恐れおののいております」

助右衛門も慶次郎のことについては冗談が言えるようでニヤニヤしながら答えた。


「酷いでは無いか助右衛門」

「フフフ、慶次郎、助右衛門の様に歯に衣着せない男は貴重よ、大事にすることだ」

「判っております」


何だかんだで仲の良い君臣であった。

この後、酒宴を開いて慶次郎と助右衛門を労い土産を渡して帰した。

別れ際、慶次郎は名残惜しそうにしていた。





永禄元(1558)年六月二十九日


尾張国おわりのくに愛知郡あいちぐん熱田神宮


熱田神宮での諸事が終わった一行は旭達の見送りを受け一路東海道を東下し始めた。僅か十里(6km)程で笠覆寺りゅうふくじに到着した。この寺は笠寺観音かさでらかんのんとも言われ尾張三名鐘に数えられる梵鐘が存在していた。


この寺付近は織田家対今川家の争いの最前戦とも言える天白川流域で紛争地帯とも言え両家の勢力圏が網の目のように入り交じり常日頃から小競り合いが続いていた。先年には織田から今川へ寝返った戸部城主とべじょうしゅ戸部新左衛門とべ しんざえもん政直まさなおが信長が右筆に政直の筆跡を真似た偽の手紙による謀略で義元を疑心暗鬼にした挙げ句、三河吉田で成敗させると言う事も起こっていた。


何故ここまで今川家が尾張に対してこだわりを持つかと言えば、元々尾張国那古野荘付近は今川家の分家で有り室町幕府奉公衆一番衆の尾張今川家が幕府より管理を任された荘園で有った物を織田信長の父信秀がだまし取った物であり、尾張今川家当主氏豊は義元の弟であった。その為に今川義元としてみれば失地奪還の戦いと言え、更に今川家として見れば伊勢湾海上交通の掌握を目指していたため侵攻の威力を強めていたのである。


そんな中にどちらかと言えば今川方とも言える北條家が押し戴く征東大将軍恭仁親王一行とそれに付き従う職人や民百姓などを含めはするが一万を超える者達が通過するのであるから、織田家側の面々は一行が突然各所に攻め寄せるかもしれないと疑心暗鬼になり一行の行動を逐次監視していた。


笠寺には今川家重臣で三河方面の統括者である岡部元信おかべ もとのぶと鳴海城主山口教継(やまぐち のりつぐ)教吉のりよし親子が兵を率いて出迎えに来ていた。


織田勢と今川勢は一触即発の雰囲気で有ったが、征東大将軍恭仁親王一行の前で小競り合いを行う訳にも行かずに、織田方から丹羽長秀が今川方からは岡部元信が出て挨拶を行う。


「お初にお目にかかります。拙者は斯波尾張守が臣丹羽五郎左衛門尉長秀と申します」

「ご丁寧に、拙者は今川治部大輔が臣岡部丹波守元信と申します」


流石に両者とも内心は不快感を隠しているが、顔からは不満げな表情がうかがわれる。それを鑑み恭仁親王自らが声をかけた。


「左衛門尉、永の供、御苦労で有った。良き案内であったぞ」

こう言われたら返答するしか無い長秀も頭を下げ感謝の意を告げる。

「はっ、ありがたき幸せ」


「丹波守、ご苦労で有るが、これより宜しく頼むぞ」

逆に元信の方は喜色を見せ謝意を告げる。

「はっ、ありがたき幸せ。主治部大輔からもよしなにと言われております」

「左様か」

「はっ」


これによって、織田方と今川方はそれぞれ東と西に別れ出立した。それでも織田方は西進し山崎川で待機し、征東大将軍恭仁親王一行が天白川を渡るまで警戒をし続け、その後帰投していったが、生駒家所属の武装商人が間諜として一行が今川領内に消え去るまで監視を続けていたが、その様な事はとっくに風魔衆により感知されていたが、報告を受けた氏堯は康秀からの話でわざと泳がせていた。


一行は、一旦鳴海城へ入城し城主である山口教継の歓待を受けた。此処から三河岡崎まで四十里(24km)を一気に走破するため大休止を行ったのである。何故なら鳴海城は天文二十二年(1555)四月に城主山口教継が織田方から寝返って以来、織田家との紛争地帯と成っていた。


更に近隣の大高城は織田方の水野一族の水野大膳亮忠守が守り幾度もの今川勢の攻略を跳ね返していた。四月下旬にも義元の命令により松平勢が攻撃を仕掛けたが撃退されていた。そんな地帯で有るが故に、何処にも留まらずに一気に駆け抜けることにしたのである。


館で歓待が行われる中、康秀は密かに山口教継の嫡男教吉と会談を行っていた。

「三田殿、火急の用とは如何なる仕儀でございましょうか?」

教吉の言葉には困惑が感じられた。確かにいきなり一面識も無い人物からの話したいと言うのであるから怪しむのも普通のことであったが、北條一族であればと父教継とも話し合い会談に応じることにしたのである。


「山口殿、今回は忝い」

「いえいえ」

「山口殿、つかぬ事をうかがいますが、お父上は花押を変えておりませんか?」


いきなりの話に怪訝な表情をする教吉であったが、取りあえずは答えることにした。

「花押でございますか?父は以前より花押は全く変えておりませんが」

その答えを聞いた康秀は徐に懐から書状を出して教吉に渡す。


渡された教吉が書状を読み始めるが次第に汗をかき手が震えはじめる。

「こ、ここれは……」

「左様、お父上左馬助殿が織田三郎に宛てた、音信と寝返りをするとの書状ですぞ」


康秀から内容を言われ、教吉だけで無く、近くにいた近習も驚きの顔し、北條側の者達は厳い顔で山口側を見る。

「三田様、我々は決して寝返りなど……」

教吉は真っ青な顔でしどろもどろになる。


「ハハハハアーハハハ」

いきなり笑い出す康秀にその場にいた者達は驚く。

「典厩殿、如何為さいましたか?」


一緒にいた大道寺政繁が目を丸くして話しかけてくる。

「なに、あまりに九郎次郎殿が青い顔をするので笑ってしまったまで」

「典厩殿、事は大事なのですぞ、帰り忠を企むような者の城にいるなど、いつ頸をかかれるか判りませんぞ」


政繁は心配そうな顔で康秀を見てから睨むような目で教吉を見る。

「なに、心配無用でござるよ。この書状は左馬助殿の筆跡と花押を真似て織田三郎が右筆に書かせたものですからな」

「なっ?」

「はっ?」


政繁、教吉が同時に声を上げた。

その姿を見ながら康秀は涼しい顔で話す。

「最近、織田三郎がなにやらしていると三郎に叛意を持つ者から注進がありましてな。その中に一年かけて左馬助殿の筆跡と花押を右筆に真似させていると言うものがありまして、警戒させていた所、行商人に化けた乱破を捕らえたのですが、その者がこれを所持していましてな、何故か乱破は三河方面へ向かっていたのですよ」


「成るほど、確かに三河へ向かうのは可笑しいことですな」

「三田様、我らは決して帰り忠を行う事などは致しません。信じて頂きたい」

康秀と政繁の話に、教吉が頭を床に擦りつけるように土下座する。


「判っております。山口殿の忠信は真でございましょう。思えば戸部殿も同じ様に誅殺されておりますから、戸部殿も嵌められたのでしょうな、山口殿も危うい所でしたな。心配無用ですぞ、岡部殿にはその旨をお伝えし注意なさるように致しましょう」

「ははっ、三田様宜しく御願い致します」


教吉は米つき飛蝗のように最大規模の土下座をする。

その後、出立前に親王一行が風呂に入る時間を使い、氏堯、氏政、岡部元信、山口教継を呼び、先ほどの事を伝えた。


伝えられた瞬間、岡部元信は難しい顔をし始め。山口教継は驚いた顔をした。

「左馬助、よもや帰り忠を考えてないであろうな」

「無論ですぞ、一度織田を捨てた身ならば今更どの顔見せて頭を下げる事が出来ましょうか」


「丹波殿、謀多き方が勝つと言いますからな治部大輔殿が反客為主はんかくいしゅを考えるは当たり前なれど、其処を突いて織田は反間計はんかんけいを使ってきたわけですな」

氏堯がそう指摘すると、元信、教継もハッとして顔を見合わす。


「確かに、このまま行けば霜台殿の言われる様に成る所でした」

「真に」

「丹波殿、拙者も治部大輔殿にお伝え致しましょう、宜しいかな?」


氏堯の話に元信は少し考えた後で承諾した。

「霜台殿、宜しく御願いいたします」

「霜台様、我ら親子を救って頂き誠に忝なく存じます」


教継、教吉親子が再度土下座をしながら礼を述べた。

「なんの、丹波殿の様なお方をみすみす敵の謀で失う訳には行きませんからな」

この様な話により、鳴海城主山口教継、教吉親子の謀反の噂は消え去った。


この後、山口親子の見送りを受け、一行は岡崎へと向かった。



そんな道中で、康秀は多くの風魔衆を放って鳴海城、沓懸城、大高城を囲む形である桶狭間や田楽狭間周辺の地形を調べさせていた。そんな姿を密かに監視していた生駒家の武装商人は風魔衆により始末され既に息をしていなかった。


その様な中、氏堯と康秀が話していた。

「長四郎、あの書はお主が作らせたもので有ろう?」

「やはり判りますか」


長四郎は悪戯がバレた悪童の様にニヤリと笑う。

「わからんでか、数日前から笠寺に風魔でも偽文書の使い手を送っておるのだからな」

「確かに、しかし実際に戸部新左衛門も嵌められているのですから、二匹目のドジョウを狙うは必定ですから、それに治部大輔殿は猜疑心がお強いですから、後先考えずに最前戦で寝返った国衆を殺しまくれば次は自分かと考えて今後はどんな甘言を言おうと誰も寝返りませんから」


康秀の話に氏堯は怒ること無くニヤリと笑う。

「フッ、違いないな、治部殿は直情径行であられるからな。家督相続後も当家との盟約を破って武田と組んだぐらいだからな。全く後先を考えぬお方よ。特に雪斎殿が亡くなられて以来、特に酷くなって来ておるようだからな」


「このまま行けば治部殿は高転びしかねませんから、少しは手を入れませんと」

「そうよ、下手にされては堪らぬからな」

「しかし、山口殿はどうなるか判りませんね」


「そうだな、一応は丹波殿と共に話して見るが、治部殿がどう取るかだな」

「ええ」



この様な話をしながら岡崎へと到着したのである。


義元は二度に渡って寝返り組を成敗していますし、井伊家なども粛正されてますから、猜疑心が強すぎて人格的に問題があると思うんですよね。


今後山口親子がどうなるかは、神のみぞ知る状態です。

猜疑心が強いですからね。些細なことでやるかも。

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[気になる点] >「確かに、しかし実際に戸部新左衛門も嵌められているのですから、二匹目のドジョウを狙うは必定ですから、それに治部大輔殿は猜疑心がお強いですから、後先考えずに最前戦で寝返った国衆を殺しま…
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