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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第肆章 帰国編
85/140

第捌拾伍話 本日開店銀龍亭

お待たせしました。


今回はスカウトの残りと、旭の今後などが書かれています。名人久太郎はやはり名人だったと言う事ですね。




一部、ギャグぽくなっておりますが、たまには良いですよね。


感想返しは月曜日以降に行いますのでご了承ください。

永禄元(1558)年六月二十三日


伊勢国いせのくに 桑名郡長嶋くわなぐん ながしま 願証寺がんしょうじ


本願寺坊官の中でも上位に位置する下間頼廉の滞在に願証寺には尾張近辺の真宗寺院から多くの僧が集まって説法を聞いていた。その中には躄り状態で歩行困難なために来訪を断念するはずであった者も迎えの者をおくり呼び寄せていた。これは康秀から頼まれた氏堯が頼廉に頼んだものであった。


多くの僧が頼廉の説法を聞き終わると供に、真宗は肉食可能な為に精進料理と肉料理なども饗され、多くの僧が舌鼓をうっていた。


そんな躄りでありながら特別に別室に呼ばれた堀掃部大夫は共に来るようにと招待された甥達と何が起こるのかと出された料理にもあまり手を出さずにいた。

暫くすると、下間頼廉と共に北條氏堯、氏政、三田康秀が現れた。


「下間様、この度は態々迎えまでして頂き忝なく存じます」

元々武士である彼は丁重に挨拶する。

「何の、真宗の教えを実行していられる方は皆仲間でございますぞ」


そう言われても何故自分だけでなく甥達まで呼ばれたのか合点がいかない彼は質問する。

「ありがたき幸せですが、甥達まで招待して頂けるとは、何か御用がございますでしょうか?」

そう言われた頼廉は答えた。


「甥御殿達に用が有るは拙僧ではなく北條殿でございます故、詳しくは北條殿よりお聞きくだされ」

「堀殿、北條弾正少弼氏堯と申す。これにおるは甥の氏政、康秀と申す」

氏堯の紹介に氏政、康秀が名乗り挨拶をする。


「これは丁重なご挨拶忝なく存じます。拙僧は堀掃部大夫秀慶と申します。これは甥の菊千代、三右衛門と申します」

紹介され、僅か六歳の菊千代、十二歳の三右衛門が年に似合わぬ見事な挨拶を行い、この子らが非凡な存在だと感じられた。


「堀殿、早速で申し訳ないが、堀殿の甥御達を親王様の御馬廻りにと考えておるのですが、どうでしょうかな?」

「堀殿、大変素晴らしい話ですな」

氏堯の提案を後押しする様に頼廉も話しかけてくる。


いきなりの話に言葉が詰まる秀慶、何と言っても頼廉の紹介と将軍の宮からの招致である有る以上は否と言え無いのである。しかしそんな考えを吹き飛ばすような言葉が、菊千代から放たれ驚きおののいた。


「下間様、北條様、折角のお言葉のございますが、父は今は零落しておりますが元々は斎藤山城入道様より格別な御恩を受けた身であります。その御恩を返すために帰蝶様の夫君の上総介様に仕えるが我が使命と思っております。また三右衛門が父は織田弾正忠家の家臣にございます。努々上総介様を蔑ろにすることなど出来る訳がございませぬ故に、平にご容赦を頂きたく存じます」


そう言い頭を下げる、菊千代の言葉は僅か六歳の子供と思えない程で、その場にいた全員が驚き言葉が詰まる。続いて三右衛門も『平にご容赦を』と頭を下げた。


この姿を見て康秀は“流石は名人久太郎だ”と思い“無理に連れ去っても仕方が無い事だ”と考え此処は引き下がり様子を見させた方が良いと結論付けた。

「霜台様、希に見る忠誠心の厚い子ではありませんか。この様な子は貴重でございます。下間殿もそう思いますな」


康秀の話に氏堯は合点がいき頷き。話を振られた頼廉も頷くしか無い。

「まっこと、見事な御子ですな」

一人氏政だけが“無礼な餓鬼め”と思っていたが、自分以外の者が発言を肯定した以上、敢えて波風を立てるようなことはしなかった。氏政とて成長してきているのである。


「そうよな、菊千代、そなたの見事な考え、感心致した。これを授ける故、日々努力致せよ」

そう言い、氏堯が脇差しを与え、その場はお開きとなった。


堀一行が帰った後で、氏堯が康秀に真意を聞いた。

「長四郎、あの小童は相当化けるぞ、このままでよいのか?」


「確かに、あの者は一段の逸物となりましょうが、光り輝くには未だ足りません。それに見た限り生の線が細い様な気がしましたから。当家に来ればそれを太くすることも出来たでしょうが」

「ふむ、そんなものか」


氏堯は“まあ長四郎が言うならば”と思い。氏政は“また訳の判らん事を囓ったか”と考えていた。






永禄元(1558)年六月二十四日


伊勢国いせのくに 桑名郡長嶋くわなぐん ながしま 


長嶋は尾張から木曽三川を挟んで指呼にあるが故に、尾張出身の北條勢の者達の近親者が訪ねてくることは可能であり、それを見越して康秀が招待状と旅費を送る様にしていた。一年近く別れていた親族との再会を楽しみにし、多くの親族や関係者が集まってきていた。


本来であれば、“長嶋へ呼ばなくても数日後には尾張へ行くのであるから、態々金をかけて呼ばなくても良いのでは”と言う近習の意見もあったが、康秀は“久しぶりの再会であるし、この珍しい料理の数々を皆に馳走したいからだ”としていた。


そう言いながら腹の中では“名人久太郎を逃した以上、何としても小竹とかを此方へ来て貰うための布石だし、尾張じゃ信長の間諜がウロウロしていてスカウトする人材に興味を持たれかねん”と言う考えであった。


そんな訳で、長嶋には故郷に錦を飾った岡部又右衛門や旭の親族や関係者などが集まり一年ぶりの再会に話が花開いていた。


「旭さよう無事で帰ってきただな」

「かあちゃん、おっとう、ねえちゃん、きよあんちゃん、たけあんちゃん、帰って来ただよ」

「旭、お帰りだ」

「綺麗になっただな」

「うんだな」


会場の一角では旭が家族との再会をはたしていた。これは康秀の深謀遠慮により、秀吉に対する保険として旭の家族を招待していたのである。それに着いてきている親族衆も巻き込む形で。


主な所では、仲の妹夫妻達(福島左兵衛、松)(小出甚左衛門 栄)や竹阿弥縁者(青木勘兵衛夫妻)などが集まり、和気藹々と親族同士で出された料理に舌鼓を打っていた。


「皆楽しんでいるかな?」

「三田様」

そこへ現れる康秀に旭以外の者たちが驚き、慌てて平伏しようとするが、康秀が止める。


「今日は無礼講ですから、そのままそのまま」

「しかし」

一応地侍にあたる小出甚左衛門が畏まるが、そんな事気にせず、康秀は皆に話す。


「仲さん、これはみんな旭が覚えた料理なんですよ」

「あいや、おったまげただよ。旭がこんな凄い物を作れるとは」

「おっかあ、三田様に失礼だよ」


仲がたまげて声を上げるのを小竹が正すが、康秀は笑顔で答える。

「小竹、気にするな。旭は私の愛弟子だからね」

「そんな、恐れ多いこと」

「小竹、三田様がええと言ってるだから、ええんだよ」


「おっかあ、三田様のお陰で色々知ることが出きただよ」

「ほんに無事だからよかっただよ」

「三田様、旭のことありがとうございます」


小竹が礼を述べるが、康秀はにこやかに笑う。

「いやいや、所で小竹、以前話した私に仕えて欲しいと言う話だがどうかな?」

小竹は少し深呼吸をして答える。


「三田様、折角のお誘いですが、やっぱりおらには侍は向かないと思うんです」

「そうか、残念だが、意志が固そうだから諦めよう」

「それで、これをお返しします」


そう言って以前与えた短刀を差し出す。

「いやいや、私が小竹を気に入ったからこその印だから、貰っておいてくれ」

「三田様」

小竹は感動したのか短刀を握っている。


「所で旭」

「あい」

「やはり尾張へ残るか?」


「三田様には凄くおせわになっただが、流石にかあちゃん達と別れてまで東さ行くのは出来ないだ。おらにはやっぱり尾張が一番だ」

心底ご免なさいという顔の旭、それを見て仲が話す。

「旭、なに言ってるだ!三田様のお世話になっていただに、今更行けないだなど駄目だぞ、おら達の事は心配ないだよ」


「おっかあ、けどけど……」

「旭……」

仲も本心では旭に行って欲しく無かったからこそ、言葉が詰まる。


「おっかあ、旭……」

小竹も名前を呼ぶ事しか出来なかった。


そんな所で、康秀が妥協案をだした。

「旭、お前の腕前はこの私から見ても十分な腕だ、そこで相談なんだが、叔父上から武衛殿に御願いして熱田に店を出そうと思うのだが、その店の店長をしてくれないだろうか?」


いきなりの話に皆、目が点になる。

「旭、どうであろうか?」

再度康秀が聞くと、やっと事態を理解した旭が答える。


「みみみ店で店長……おらには……」

「旭の実力は皆が判っておろう、仲さん」

「旭さが、店を、だども家にはそんな金さ無いだよ」


仲の話しに皆が頷く。

「それは心配無用で、私が資金を出して食材も大湊経由で熱田へ送るので、上がりの何分かを納めてくれれば良いんだ」


そう言われた小竹が聡い頭で疑問を感じ質問する。

「三田様、それだと一方的に三田様が損をするんじゃないですか?」

「ああ、その事か、私は変な趣味があってな、小田原でも同じ様に店を任せて上納して貰っているんだ、何故かと言うと、旨い物を皆に食べて貰いたいからだ、旨い物は皆を幸せにするからな」


「凄いだ。流石は三田様だ。旭、ええ話じゃけん受けるだよ」

心意気に関心した仲が積極的に賛成に回った結果、旭もうんと言う。

「三田様、ありがとうございますだ。一生懸命頑張りますだ」


康秀は満面の笑みで皆を見る。

「旭頼んだぞ、それと皆も旭の手伝いをしてやってください。御願いします」

康秀に頭を下げられた皆は慌てて了承した。





永禄元(1558)年六月二十四日


伊勢国いせのくに 桑名郡長嶋くわなぐん ながしま


恭仁親王との宴の翌日には氏堯、氏政らと斯波義銀、土岐頼芸は武家としての会談を行いその中で出てきた料理に舌鼓をうっていた。

「北條殿、これ程の素晴らしい料理の数々は初めてですぞ、特にこの櫃まぶしやカステラは素晴らしいですな」


若い義銀は普段のお飾りとしての鬱積を晴らすように出された料理や酒を旨そうに食しながら饒舌になった口を開いている。

「真ですな。国を追われて以来、これほどの料理を食せるとは思いませんでした」

うらぶれた五十男の頼芸も珍しい料理に目を輝かせる。


「いやこの料理を食べられるのも今日が最後かと思うと寂しいことですな」

「確かに、武衛殿(斯波義銀)は尾州守護ですからな、我のように美濃を追われ上総の弟の元へ行く身なれば、時には小田原へ出向き食すことも出来ますが、尾張守護職に在られる武衛殿には無理ですからな」


この珍しい料理の数々を食べられなくなると義銀が残念がるのを、頼芸は都落ちも悪くないぞと皮肉る。五十男が大人げない行動であったが、なにぶん美濃と尾張は隣国であり元々土岐家が尾張守護であったのを足利義満の陰謀で明徳2(1391年)の明徳の乱の際の内野の合戦において卑怯な行動をとったと言いがかりをつけられて守護職を取り上げられ斯波家が後釜に座って以来の確執が有るが故の行動であった。


「そうそう小耳に挟んだのですが、噂では斎藤治部はおもとの子息とか、此処は坂東へ下向などせず御子息に泣きついて濃州へ還御なされば良かろうに」

嫌みを言われた義銀も嫌みで言い返す。


「斎藤治部が我が子とはこれはまた異な事をいう輩もいるものですな」

心底迷惑だとばかりに頼芸が顔を顰める。

「まあまあ、料理が冷めますぞ」


次々に出される料理や酒の旨さに、ほろ酔い気分になり義銀も頼芸も機嫌を直す。


そこを狙って氏堯が話す。

「所で、この所の野分のせいで海が荒れますな」

「たしかに、この季節、尾張は丁度野分の通り道になっていますから」

「左様、美濃も同じですな」


氏堯は野分のせいで海が荒れていると振ってから、義銀に頼みを告げる。

「そこで、武衛殿に御願いがあるのですが」

「霜台殿、何でしょうかな?」


「宮様が三河へ向かう際に、本来であれば此処より三河大浜まで船で行く所なれど、生憎の空模様故に東海道を進みたいのですが、尾張三河境は戦場ですので、まかり間違って戦を仕掛けてくる思慮無しがいるやも知れません、そこで武衛殿の尾張守護職としての権限で通行を許可して頂きたいのです」


義銀は何の躊躇もなく答えた。

「判り申した。宮様が無事国境を超えられるように命を出しましょうぞ」

「忝ない」


実権もない義銀がアッサリと許可を出したのは、自分を傀儡として何かにつけて行動を監視する織田信長に対する意趣返しの意味と、“俺が尾張守護職だ”という自負からであった。

通行に関する話は監視役としてきた丹羽長秀にも全く相談無しに決められたために、信長が知った時には尾張中に書状が届けられていた事で、尾張が未だ完全に統制下に入っていない信長が拒絶することが出来ずに、尾参国境線の地形などを知られてしまう結果になった。


一通り食事が終わり食後の御茶が点てられて菓子に練羊羹が出される。

そんな中で、氏堯がポツリと義銀に話した。


「武衛殿、実は典厩の弟子で尾張出身の者が、熱田にて店を出したいとの事なのですが、尾張守護職から許可を貰えるかと尋ねてきている所でして」


あの料理の数々が食べられると聞いた義銀は一も二もなく許可を出した。

「あの料理が尾張名物に成ると思うと許可を出す事は吝かではありませんぞ」

「武衛殿忝ない」

「何の何の」


義銀は終始ご機嫌であった。その後、旭を直々に謁見し言葉をかけた。


「旭とやら、天晴れな腕前であったぞ、そなたが店を出すのを楽しみにしておる。そこで褒美として我の名から銀を幼名から龍を授ける故、店の名を銀龍亭と名乗るが良いぞ」

「ははー、ありがたき幸せですだ」


この許可が始まりとなり、熱田神宮の門前に連日連夜客足が途絶えない名物料理店銀龍亭が出来たのはこれから僅か半月後の事で有った。




永禄元(1558)年六月二十五日


尾張国おわりのくに 春日井郡かすがいぐん 清洲城きよすじょう


斯波義銀の供をして帰還した丹羽五郎左は信長に報告を行っていた。

「ちい、岩龍の阿呆が、尾張境の姿を今川の与党に知られるではないか!」

「私が知った時には既に……」

「五郎左、過ぎたる事だが、岩龍め些か増長しおるわ」


静かな怒りの信長を落ち着かせるために五郎左は土産として持たされたカステラなどを勧める。

「御屋形様、これは大変美味な菓子です」

五郎左の渡したカステラをジロジロ見ながらポイッと口に入れる。暫く咀嚼するうちに顔が驚きに染まる。


「五郎左!これは何じゃ!」

「カステラと申します」

「カステラとな、何とも言えぬ食感と美味さじゃ」

そう言うと土産に貰った二箱をペロリと食べた。

五郎左にしてみれば家族への土産にと一本は確保したかったがそうは行かなかったのである。


その後、カステラなどの甘味の味を覚えた信長は、義銀から聞いた銀龍亭に甘味を求めて向かうことをし始めた。その結果、藤吉郎の家族と知らずに常連となるのである。


義銀も信長も当初は旭を御膳係に招致しようかと考えたが、朝廷のお墨付きを恭仁親王が頼んだため、信長と言えども手を出せずに、精々自分が行くか小者を買い出しに行かせるしか無かったのである。




永禄元(1558)年十月十七日


今川領からの長き細作活動から帰国した日吉が久しぶりに実家のある中々村へ戻ってきたが、折り合いの悪い義父竹阿弥がいるので家には行かずに、姉ともの家を訪ねた。

「ねえちゃん、日吉だ」


その言葉に顔を出すとも。

「あれ、日吉か、今まで何処さほっつき歩いていたんだ」

「ねえちゃん、今俺は織田様にお仕えしているだよ」

「あんれ、一若と違ってお前に武家奉公なんかできるんか?」


「なにいうだ、俺は織田様から大事な御用をしているだよ」

「ふーん、まあええわ」

ともは、日吉の話を聞き流す。

「そう言えば、かあちゃん達は元気かい?」


それに対してともが答えた。

「かあちゃん達は去年、都で料理の修業さしてきた旭が守護様に認められて熱田で店を出したので、みんなで熱田へ移っただ」

「はっ??」


「おらたちが、村に残って畠さやって採れた物を甚左衛門叔父さんが運んで、勘兵衛叔父さんが魚さ仕入れて、左兵衛叔父さんやかあちゃんの実家の御器所村でお土産用の器作って、かあちゃん達が旭と一緒に料理さして、小竹が勘定してるだよ」

「はあああああ?」


姉の言葉に驚いた日吉が熱田の店に行くと、店は大入り満員で中に入ろうとした所、割り込みだと思われて放り出される始末で有った。


その後、夜まで待って店で話し、信長が常連だと聞き更に驚くのである。

この後、熱田の銀龍亭が猿の実家だと知った信長から、練り羊羹や餡蜜、そして時たま製造されるカステラを買ってくるようにと使い走りさせられる日吉改め藤吉郎の姿が見られたそうである。


「猿!今日はカステラの日じゃ必ずカステラを買って来るのじゃ、それと羊羹と餡蜜も忘れずにじゃ!」

「へい」




=====================================


ここから下は冗談なオマケです。本編には何ら関係はありません。



第壱千話 信長死す


天正十年(1582)六月四日


■相模国西郡 小田原城


小田原城では定例の評定が開かれていたが、そこに都からの急報が入った。

「都で何があったか?」

当主氏政が急報を伝えてきた五代目風魔小太郎を前に質問する。

「はっ、さる六月二日、京本能寺にて織田先の右府(信長)身罷りましてございます」

その報告にざわめく宿老達。そんななか、本能寺の変が起こったかと、歴史を知っている三田康秀は落ち着いた表情であった.


「して、何が起こったのだ?謀反か?」

信長の過酷さ冷酷さを康秀から聞いている氏政は小太郎に質問するが、答えを聞いた氏政以下全員が息を呑んだ。

「はっ、信頼すべき筋からの報告に因りますと右府はこの所、喉渇と頻尿のうえ、四肢の痺れや痛みなどに苦しめられていたそうですが、ここ数ヶ月で四肢が異様に膨らみ四肢が壊死した模様でございます」


その言葉に康秀は“糖尿病じゃん、そう言えば信長は強度の甘党だったな”と思ったが、これじゃ悲運の名将じゃなくて病魔に斃れたとも言えない、不健康の代名詞になっちゃうじゃないかと思った。


これにより、織田政権は嫡男信忠が継承したが、信長時代のような強引な戦略をする事が出来ずにいく。



その数年後に西国管領羽柴秀吉が閨の最中に腹上死したという報告が入った。

その後、薬種問屋として怪しげな薬を売りさばいていた小西弥九郎が大坂から逃げ帰ってきて言った言葉がこれである。

「やっぱり適当に強い漢方を混ぜた強精剤バイアグラは危険だな」


この言葉を聞いた康秀は、頭を抱えながら「三大英雄のうち二人までが恥ずかしい死因かよ」とぼやいていた。


最後のオマケは、信長が糖尿病だったらしいという話から書きましたが、甘い物食べ過ぎが更に今回の事で食べ過ぎるので実話になったりして。


ジョーダン熱田ガイド 

 

銀龍亭 

住所 愛知県熱田市神戸町2-○○-1

交通アクセス 東海道本線熱田神宮駅徒歩3分 

永禄元年(1558)創業の愛知県下でも一二を争う老舗、初代は織田信長の家臣羽柴秀吉の妹旭。櫃まぶし、味噌煮込み饂飩、エビフライなどの熱田飯と共にカステラ、練り羊羹なども有名である。

定休日毎週火曜日、営業時間10:00~14:00  17:00~21:00




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