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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第肆章 帰国編
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第捌拾肆話 長嶋城大宴会

今回は早くできました。

これだけ書いても、堀、奥田の話が未だ入れられないというジレンマ、次回に入れます。子供なのと一向宗の関係なので別話にします。



永禄元(1558)年六月二十二日


伊勢国いせのくに 桑名郡長嶋くわなぐん ながしま 願証寺がんしょうじ


木曽三川が伊勢湾に流れ込むデルタ地帯である北伊勢、尾張海西郡・南美濃が一体化した河内と呼ばれる生活圏を形成していた中心である長嶋に願証寺が在った。この付近は真宗の一大勢力圏であり、願証寺を中心として付近一帯の土豪をはじめとした多くの真宗門徒による生活圏として近在の大名勢力も容易に手を出せない状態となっていた。


その長嶋に下向中の征東大将軍恭仁親王一行が逗留しているのであるが、元々親王は叡山にて修行していた身のために天台宗である。したがって真宗たる長嶋に逗留すること自体が異例と言えたが、この度の下向に鑑み天台宗は基より真言宗、浄土宗、真宗、臨済宗などの本山より高僧が親王の周りが落ち着き次第、鎌倉へ下向し東国鎮守の為に東国に本山である大寺院を建立すると言う新帝の詔が発せられたために、ここ長嶋でも宗派を越えた歓迎が為されたのである。更には本願寺でも上級坊官である下間頼廉が供に加わっていたことも強く影響していた。


そんななか、願証寺の前庭に先に来ていた工兵隊が仮設した大きな庫裏くりでは、喧噪が響いていた。(その他にも、石窯や簡易的ながらオーブンまで作っていた。)


「典厩様、この様な塩梅ですが如何でありましょうか?」

「典厩様、鬱金が擂りあがりましてございます」

「典厩様、椎茸の戻しも良い状態になっております」

「典厩様……」


何故か庫裏では康秀がシェフのような姿で指示しながら料理をしているのであるが、典厩様典厩様と五月蠅く言われていたので、真顔で庫裏にいた者達に宣言した。

「皆、聞いてくれ。確かに右馬権頭に叙任してはいるが、一々様様を付けられて畏まられては、料理の味が落ちる。したがって庫裏にいる間だけでも良いから、様付けは止めて、敬語も止めてくれ」


そう康秀が言っても、手伝いに入っている願証寺坊官を含む者達は、朝廷より正式に五位の位階と右馬権頭を与えられたうえに、本願寺宗主顯如の義兄弟にあたる康秀を様なしの通称で呼ぶなど恐れ多いと考えていたので畏まってしまう。


そんななか、関東から付き従ってきた者達や都で一緒に過ごした連中は、気さくに康秀を通称で呼ぶようにしている。特に一部の連中は普段から長さんとか、典さんとか言っているので慣れたものである。


「典厩はん、天麩羅だぎゃ、鯛、鱸、笠子、海老、空豆、人参、茄子、椎茸でええだかや?」

「典厩さん、アサリの酒蒸しやけど、こんな感じでええですかね?」

「典厩はん、揚げ物の衣用の、高野豆腐の砕きと小麦粉のふるいができただよ」

「典厩さん、砂糖ですけどこんなに使って宜しいのですか?」


「旭、タネはそれで良いが、魚肉を食べられない方もいるから、魚肉と青物の揚げる油は別々にな」

「あいよ」

「凜、酔っぱらわないようにしてな」

「はい」

「伊都さん、精進用と普通用に分けて下さい」

「判ったよ」

「田鶴さん、羊羹はこれでもかと砂糖を入れないと駄目だから、それに砂糖なら堺から買ったのが、三百斤(202.5kg)あるから大丈夫」(砂糖1斤250文X300=75000文=75貫文=750万円)




暫くして料理の基本が出来た所で康秀は試食をすることにした。

あまりの料理の美味しさと珍しさに皆が皆、目を見張る。


その後、康秀は一年を超える付き合いで気が置けない仲の者達と新たに作った料理や甘物デザートの試食を終え話をしていた。

「典厩はんに色々料理を教えて貰っただけど、卵さ食べるとはびっくらしただよ」

「そうですよね、それにしても、これほど大量の卵はどこから来たのですか?」


旭も凜も田鶴も伊都を含めてこの場にいた者が卵を料理に使う事も驚いたが、それ以上に大量にある卵がどこから来たか気になった。(卵に関しては、風魔が征東大将軍御用の御旗を立てて、東海道をリレー式にひた走り僅か三日で小田原より運んでおり、生食さえしなければ安全な状態であった。)


「まあ、小田原から早馬で届けて貰ったんだよ。小田原では鶏を大量に飼っているし、雌鳥だけしかいない所で生んだ卵は温めても雛にならずに腐ってしまうんだよ、その辺は生き物は皆同じだよ」

そう言われても無学の旭にはさっぱりであったが、仮にも頭領の妻である田鶴はある程度までは理解できた。


「オラにはよく判らないだども、典厩はんは凄いって事だね」

「旭さん、まあ、そんな所でしょうね。それにしても卵にこんな利用方法があるとは驚きです」

「卵を泡立てて、砂糖、水飴を混ぜた後で小麦粉を混ぜて焼き上げるなんて凄いですよね」


凜が康秀が製作した菓子の凄さを力説する。

「これほどの甘いもんはは初めてだよ」

「典厩さんは凄いですよね」


そう言われた康秀であるが、所詮は前世で聞きかじったカステラの作り方を真似ただけで、逆に漠然とした絵や話から、康秀が欲した調理器具を一から作り上げた加藤家や播磨鋳物師集団に敬意を示す。

「いやいや、作ったのは私だが、これを作れるようになったのは機具を作ってくれた加藤殿達のお陰ですよ」


そう言われて、今まで見たこともない使いやすい道具を作り上げた清兵衛、正左衛門に関心が向いた。

「うんだね、清兵衛小父さんが作った万能鍋(中華鍋)に泡立て器それに真鍮鉢ボウル、正左衛門小父さんの作った万能包丁はすごいだよ」


「播磨鋳物師さんが仕上げた深鍋ダッチオーブンも上からも炭火を使える事で、蒸し焼きとかも出来るし、卵糖カステラも焼けるし、これを最初見た時、これほど料理の幅が広がるとは思っても見ませんでしたから」

そう言いながら、調理器具を触る凜であった。


その後、その様な遣り取りを見ていた、他の者達も打ち解けて騒がしくも忙しい状態ながら、纏まりよく料理が進み、見事な宴の準備が終わった。




宴に呼ばれた者は、尾張守護職斯波義銀、元美濃守護職であり斎藤道三により追放され近江六角家に寄宿していた土岐頼芸とき よりのりらの武家、 願証寺証恵がんしょうじ しょうえ美濃崇福寺みの そうふくじ快川紹喜かいせん しょうき熱田神宮あつたじんぐう千秋季忠せんしゅう すえただなどをはじめとする尾張や美濃各地の社寺が集まっていた。


宴に呼ばれた者達は、その豪勢な料理の数々に息を呑み、征東大将軍恭仁親王とその後見の北條家の財力をまざまざと感じさせられたのである。


出された料理は、カリーをはじめとして、櫃まぶし、各種天麩羅、各種干物、各種獣肉、味噌煮込み饂飩、お好み焼き、エビフライ、酒蒸し、茶碗蒸し、焼きハマグリなどと供に、康秀渾身の作であるマヨネーズが出され、お好み焼き、エビフライ、鰯焼き、烏賊焼きなど醤油と供に新しい味を与え喝采を浴びた。


更に甘物には、カステラ、寒天に小豆と砂糖をふんだんに使った練羊羹、勝ち栗を連想させる栗饅頭、甘いお焼き(多摩西部のお焼きは野沢菜とかがタネではなくあんこがタネ)、南部煎餅、大判焼き、餡蜜、果実の砂糖漬けなどがこれでもかと出され招待客に振る舞われた。


飲み物も従来からの抹茶から煎茶をはじめ清酒、焼酎、梅酒、花梨酒、杏酒などの多彩な果実酒、松葉サイダーや、生姜炭酸ジンジャーエールなどなどで、初めての飲み物に目を見張った。


出された料理を前に、招待客達は種々の反応を見せた。

斯波義銀や土岐頼芸らの武家と肉食も可能な本願寺系の僧侶達は、その見事な料理と味に舌鼓を打っていた。


織田系の千秋末忠や丹羽長秀などは、ふんだんに使われる砂糖などの食材から北條の財力を知り“北條侮りがたし”と感じながらも、普段食べ慣れない美食を驚きながら食べた。


そんななか、快川紹喜は違った感想を述べた。

「霜台様、ご気分を削ぐ形となるかも知れませぬが、少々お伝えしたき事がございます」


皆が大いに盛り上がっているなかで、水を差すような言動であるが、真剣な表情で言われた氏堯は康秀が“臨済宗でも屈指の人物で有るから出来たら鎌倉で寺を任せたい”と言う程の高僧であると言う事で説法を聞くことにした。


「快川殿、如何様な事でございますか?」

氏堯の返しに快川は更に真剣な表情で話しはじめ、それを多くの招待客が耳を澄まして聞く。


「霜台様、この様な豪勢な食事ははじめてみましたが、為政者がこの様な贅沢を行い民を苦しめるは、為政者たる資格がございませんぞ。民は国の宝と申しまして、虐げるは恥ずべき行為と言えましょう、この様な事に銭を使うより、民の為に使うが本来のことにございます」


あまりの言いように、多くの招待客が驚き、快川が不敬で斬られると考えたが、氏堯は怒る素振りも見せずに、快川に返答する。


「快川殿、我が北條では、民の生活を第一に考えておりますぞ、昨今では木綿をはじめとする、特産物によって民の生活も楽になり、ここ数年は餓死者が一人としておりません。また早雲公以来当家では一揆の類は起こった事がございません。確かにこの宴は民が納めてくれた糧を使っておりますが、民は納得しております」


そう言われても調べようのない快川は、どういって良いか考えるが考えが纏まらない。そのうえ生来の頑固さが何とも判断を着けることが出来ない。

そこへ話を聞いていた恭仁親王が快川に声をかける。


「快川、我とて叡山で修行した身、坂東へ下向する際には坂東のことを調べさせたが、霜台の言う通りであった。我とて最初は耳を疑ったが、北條の領域では一切の餓死者も出ず、民は穏やかに過ごしているそうだ、確かに北條領以外では餓死者や、お主の言ったような蛮行が多々有るが、いかさま北條領では起こらぬ事よ。でなければ有れ程に諸国の民の事を憂いておられる、先帝様(後水尾上皇)が征東大将軍として我が下向する事を許すわけがあるまい」


そう言われても征東大将軍としての意見であれば、所詮は武家の利己的意見であると快川も反論したかも知れないが、法親王としての意見であると言われれば納得するより他になかった。

「殿下、霜台様、拙僧の不見識、真に申し訳なく感じます」


謝る快川に親王も、氏堯も気にすることなく許す。

「快川、気にすることは無い、誰でも思い込みと間違いはあるもの、確かにお主の周りはそうかも知れぬが、今ひとつ広く物事を見るが良いぞ」

「はっ」


「快川殿、見識を広めるなら、我らの言う事が真実と判る為に、いっそ関東へ赴くことも考えたらどうだろうか、鎌倉には臨済の寺社が多くある故、見識を広めるには良い所ぞ」


「殿下と霜台様のご寛容真に有り難く、拙僧の未熟さを知りましたが、今は周りの者達を救うが拙僧の責務と感じております故、その任が終われば坂東へ修行に出かけたいと思います」

「良き事よ、快川、我も待っておるぞ」

「はっ」


快川の無礼に関しての行動で恭仁親王の寛容さと北條家の経済力の凄さと民への姿勢が前面に出た形で、宴は大成功の内に無事終わることになった。


更には料理を差配した康秀は、恭仁親王からだけでなく、相伴に預かった斯波義銀、土岐頼芸からも絶賛され、更に都での馬揃え時に康秀の新料理に興味を持ち三好家から出向の形で来ていた、三好家中でも包丁名人と言われた坪内慶春が『弟子にしてください』と無理矢理付いてくる事と、その不思議な料理の腕を買われて、帝より大膳亮の官位を授けられる要因になったが、当の康秀としては前世である程度料理が出来て、料理本やネットで知っていたために自分の手柄じゃないしと謙遜していたが、その殊勝な態度が益々賞賛されるのであった。


そんな賞賛を尻目に康秀は材料が足らずにプリンが作れないのを悔しがっていたが、翌日も宴があるので仕込みにかかるのであった。


因みに、千代女や舜、そして美鈴などはチャッカリ料理を貰って悠々自適に食していたそうである。

そして、益々康秀に付いていくことを決めたそうである。甘味に敵う女性は少ないのである。







永禄元(1558)年六月二十三日


伊勢国いせのくに 桑名郡長嶋くわなぐん ながしま 願証寺がんしょうじ  堀尾泰晴ほりお やすはる


どうもこの様な場所は落ち着かんな、岩倉が落ちて以来尾張の彼方此方で寄宿しながら何とかしようとしてきたが、まさか征東大将軍様の宴に呼ばれるとは思わなかった。


此処には、岩倉織田家に仕えていた者達を含め、近隣の主家を持たない者達が集められているが、しかし儂のような老齢な者が本当に仕官が出来るのであろうか、不安しか得られない。


仕官先は征東大将軍様の執権を為さる北條様だそうだが、坂東へ下向するとは言え北條様と言えば都で御所を造営したほどの御家、流石に将軍様にはお目通りする訳には行かなかったが、北條氏堯様、氏政様などからは声をかけて頂いただけでも驚きだが、本当に大丈夫で有ろうか、益々不安が沸々と上がってくる。


「堀尾様、堀尾様」

ん?誰かな、若い声だが聞いた気がするが、そう思い顔を向けるとそこには岩倉落城以来消息不明になっていた、山内伊右衛門が喜色を見せながら立っていた。


「おう、伊右衛門無事で有ったか」

「はい、堀尾様も御無事で何よりです」

「うむ、父上のことは何と言って良いか」


「いえ、父も見事な最後でしたから」

「そうか」

「それより、この料理は初めて見る物ばかりですね、母上も吉助(山内康豊)にも久しぶりに良いものを食べされることが出来て安堵しております」


「そうか、そうで有ろうな、多少なりとも蓄えのあった我らでさえひもじい思いも多々有ったのであるから、但馬殿(山内盛豊)を失ったそなたらでは……」

「堀尾様、そう言うお顔は為さいますな、今は目一杯喰らって少しでも力を付けるが肝要ですぞ、何があっても体が駄目ではどうにも成りませんから」

「うむ、確かにな」


「では、暫し食べて参ります」

「うむ、腹をこわさぬようにな」

「はは、私の腹はこの所の生活で充分丈夫になりましたから」


伊右衛門も言う様になったわい、確かに喰うも仕事の内よな、儂も食べるとするか。


いやはや、これほどの美味はもう二度と喰えぬであろうと思うとついつい食べ過ぎてしまったな。息子たちも腹を抱えておるし。これも好きな物を好きなだけ皿から取るという方式であるからこそだな、普通の宴であれば、好きなものであろうと嫌いなもので有ろうと出された物は須く食さねばならぬからな。


「皆様、ご歓談の中、失礼致します。北條家において今回の代表を務められている三田右馬権頭の挨拶でございます」

ほう、三田殿と言えば、息子と同じ年ぐらいで公方様とやり合ったとか言う御仁、どの様な人物で有ろうか?


「三田右馬権頭康秀と申す。皆々この度は集まって貰い忝ない」

ふむ、見た限りでは、背が高いことを除けばごく普通に見えるが、我らを見ても見下すような目ではないのが判る。これは悪い事にはならぬかも知れぬな。儂は良いとして息子達が仕官できれば御の字なのだが。


「皆に今日集まって貰ったのは他でも無い、この度、征東大将軍恭仁親王殿下が帝よりの勅により鎌倉へ下向なさるにあたり、当北條家が執権職に就くことが決まり、その為に鎌倉へ詰める者達を道々で呼ぶことに致した次第、我らと供に関東静謐に力を貸して貰いたい」


うむ、好感が持てるが、はたして何処まで本心なのか、今までの経験も有るが故に、甘い言葉をかけその後豹変する者も見てきた故、ある程度の者達は既に鎌倉への下向を前向きに考えている様だが、ここは一つ儂が質問してみるとしようか。


「三田様、宜しいでしょうか?」

儂がそう言うと、三田様は顔を向け、にこやかに返答してくれる。

「そちらのお方はどなたでありましょうか?」


そう言えば、名乗りを上げておらなんだ、儂としたことが失念してしまったわ。

「申し訳ござらん。拙者堀尾信濃守泰晴と申します」

「堀尾殿と言われると岩倉の御宿老ですね」


「はい」

「それで、堀尾殿は何かご質問がお有りのようですが?」

岩倉のことも判るとは、侮れないお方だ。


「はい、不躾ながら、我らは殆どが浪々の身、恐れ多くも執権様にお仕えするほどの家柄もございません、坂東には我らより遙かに家柄のよいお方が多くいらっしゃる筈、何故に我らを招致なさいますのか?」


失礼かも知れぬが、儂自身だけでなく家族や仲間の明日がかかっている以上は妥協は出来ぬからな。

「堀尾殿の御懸念も尤もだが、貴方方の多くも元を正せば坂東武者でありましょう、お恥ずかしながら坂東武者にも私利私欲のために鎌倉を焼き討ちする様な野盗の如き行いをする輩もおりまして、その様な輩が関東公方の支流を旗印にしている始末。その様な輩に例え西国に移り住んでも鎌倉武士の信念を忘れていない皆々に来て頂き、目にモノ見せてやりたいと考えた次第」


うむー、その様な輩がおるとは、些か理由には弱いが、真剣な事は判る。


「申し訳ござらん、拙者平塚平十郎と申すが、この様な豪勢な餌を出されたぐらいで靡くほど、鎌倉武士は尻軽ではござらんぞ」

なんとも、元服したばかりにしか見えない若侍が一丁前の馬鹿なことを言うでないわ。


「平塚平十郎とやら、面白いことを言う、では鎌倉武士であれば、鉢の木の話を知っておろう」

「無論でござる」

「ならば、今回の宴は、我が佐野源左衛門さの げんざえもん、お主が最明寺入道殿よ」


皆が皆、鉢の木は知っているが、これがどう繋がるのかが判らんが。

「まどろっこしい話では判りもうさん」

気が短いのか、戦場では命取りになるぞ。


「判らぬか、源左衛門は入道殿に自ら粟粥を作り持てなした。そう言う事ぞ」

「左様でござるぞ、典厩様は昨日から皆様の為の料理をお作りになったのですぞ」

一緒に付いてきていたうらぶれた中年男(水口盛里)が宣言すると、皆が皆料理を見ながら唸りだした。


なんと、これらの料理の数々は三田様がお作りになったのか。“客人を持てなすは”は良く言われるが実際にするお方は少ないのが実情だ、それを此程まで物をお作りになるとは、驚きと供に感動が走る。あの若造も驚いた顔をしている。


よほどこたえたのか、暫く目をギョロギョロと動かしておるわ。

「三田様、生意気なことを申して申し訳ございません。此程までに素晴らしき物をお作り成られるとはこの場で腹かっさばいてお詫び致します」

阿呆が、このような宴で腹など切るな。


「平塚平十郎、馬鹿な真似はよせ」

「しかし」

真っ直ぐな者よな。


「若さ故の過ちと言うものは良くある事ぞ、それを糧にして突き進むも若さよ、これから気を付ければ良いだけよ。その一本気は気に入ったぞ、死ぬなら死ぬ気で働け」

「ははっ」


良い事よな、あの若者も無駄死にせずにすんだわ。



こうなれば、場を直すために儂が言うしか有るまい。


「三田様、我らのような者にこの様な持てなし誠に忝なく存じます」

「何の、客人を持てなすのに自ら支度し料理をするは当然のこと」

これはお仕えするも吝かではないな。そう思う者が多くいるようだな。多くの者が平伏している。


「皆、どうであろうか、鎌倉へ行って貰えるであろうか?」

「はっ」

「応」

皆がそれぞれに返答をするが、一人の言葉に場が凍り付きおった。


「申し訳ござらんが、拙者は三田様にお仕えする事は出来ません」

馬鹿なことを言うわ、誰がと見れば、先ほどから何やら考え込んでいた伊右衛門ではないか、何と無礼なことをと思ったが、三田様は怒る様子もなく、伊右衛門に話しかけた。


「そなたは?」

「はっ、拙者は、元織田伊勢守が臣、山内伊右衛門にございます」

「して、山内殿、当家に仕える事が出来ないと言うが、何か理由があるのか?」


「はっ、自らの信念でございますが、我が父盛豊、兄十郎は討ち果たされてございます。父は戦場で討たれました故、武家の習いと言えますが、兄は何者かが雇った盗賊に闇討ちされました、これほどの屈辱はございません。その為に、何者かの御首を墓前に手向けるためにも尾張より退散するわけには参らないのでございます」

伊右衛門、そこまで考えておったか、しかし僅か数人の郎党しかおらぬ浪々の身に尾張の覇者を倒せる訳が無かろう、このままでは野に屍を晒す事になる。此処は何としても説得せねば、泉下の盛豊殿に顔向けできぬ。

そう思ったが、口を出す前に三田様の話が始まってしまった。伊右衛門よお主は猪武者か。

「なるほど、山内伊右衛門、そなたは敵をさがして討ち果たすつもりか、しかし母や幼い弟を連れてどうやって過ごすのか?」


そうで有ろうに、伊右衛門よ我を張らずに今は家のことを考えるが良いぞ。

「不躾ながら、是非御願いがございます。敵を見事に討ち果たしましたら必ず、三田様の元へ参ります故、弟を仕官させ、母共々御願いできませんでしょうか?」


伊右衛門の話に、周りが静まりかえったぞ、流石にそれは自分勝手ぞ、斬られても文句が言えぬぞ。

思わず、間に入ろうと思ったが、それより先に三田様が笑い出した。

「ハハハハ、山内伊右衛門、随分と都合の良い言い様だが、その意気は判る。ふっ、一人ぐらいその様な跳ねっ返りが居た方が面白かろう。ならば本懐遂げた後は、鎌倉に来るが良い」


なんと、許されるか、何とも心の広いお方よ。言った伊右衛門すら目をパチクリさせて驚いておる。

「ああありがたき幸せ、必ずや織田三郎の御首上げて見せましょう」

「まあ、大声で言わぬ事よ、此処には敵の家臣もいるかも知れぬのだからな」


なんと、三田様も織田三郎が敵と判っておいでか、凄まじい程の情勢判断よ、やはり忍びがいるからか。

「判り申しました」

「所で伊右衛門」

「はっ」


「弟が先に仕えるのであるから、お主は弟の下に付くことになるが、承知せよ」

ニヤリと三田様が笑いながらそう言うと伊右衛門も呆気に取られおったわ、意趣返しとは面白いお方よ。

これはこれからが期待が持てるというものだ、岩倉が落ちて四月だが運が向いてきたと言えるのだろうな。



卵ネタがとひつまぶしネタが、他の方と被ってしまったが、既に書いている最中だったし仕方ないですよね。それに舞台が愛知県だし……

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