第捌拾壱話 剣豪と言う男
お待たせしました、第81話UPです。
永禄元年(1558)六月九日
■志摩国 田城城
北條家との会談を物別れにした九鬼嘉隆は不機嫌な表情をしながら兄である九鬼浄隆の元へ報告に上がった。嘉隆が憮然とした表情をしているのを見て浄隆は取りあえず労うことにした。
「孫次郎、今回は御苦労だったな」
兄の労いを聞きながらも嘉隆は額に皺を寄せながら吐き捨てるように喋り出した。
「ああ、本当に馬鹿らしい事で疲れまくったぞ」
嘉隆の乱暴な物言いが気になった浄隆は何があったかと興味をもつ。
「よほど嫌なことがあったのか?」
「聞いてくれ兄貴、神宮の祭りは何も無く終わったし、北畠からもそこいらの雑魚共(志摩十三地頭など)も何も言わなかったんだが、その後、北條が俺達を雇いたいと言いやがってな」
要領を得ない嘉隆の話に浄隆は疑問を放つ。
「孫次郎、天下の北條が我らを雇おうというのあれば別段怒ることでも無かろうに」
「兄貴、奴ら俺達を雇う条件をどう言ったと思う?」
浄隆にしてみれば嘉隆の憤懣たる顔から足元を見たのかと考え控えめに答える。
「そうよな、船は自前、関銭も七割ほどの召し上げ、それに知行も二百貫ぐらいか?」
浄隆の答えに嘉隆は頭を振って否定する。
「いや、そうじゃない。奴らは、船の建造費用は向こう持ち、知行は二千貫、その他に警固料として年間四千貫文を渡すとぬかしてな」
その答えを聞いた浄隆は顔色を変えて立ち上がると、嘉隆に向かい怒りを露わにする。
「おい孫次郎!この上なく良い条件じゃないか!何で断るようなことをした!」
兄の怒りも何のそのの嘉隆はフンと鼻息を荒らげて吐き捨てるように言う。
「兄貴よ。確かに六千貫文は大金だがな、奴らそれだけしか出さないと言うんだぞ、奥州や畿内と船取引をしまくっている、江戸、品川、金澤なんかの湊に出入りする船から上がる関銭は莫大だ、それなのに関銭を取る事はまかり成らぬとぬかしやがったんだぞ!」
浄隆は激高する嘉隆を見ながら“やれやれ、うちの弟は守銭奴だからな”と思いながらも取りあえず宥める。
「孫次郎、関銭を一々細々と取るより、確実な六千貫文の方が安定して良いと思うがな」
嘉隆が浄隆の言葉を聞いて質問した。
「兄貴は知らんのか?」
「なにがだ?」
要領を得ない質問に浄隆は頭を振る。
「北條が、朝廷や貧乏貴族くんだりに二十万貫以上のもの金を使ったことだ」
合点がいった浄隆が頷く。
「ああ、それならば聞いているが、それがどうかしたのか?」
「あのな、あんな過去の遺物で滓みたいな物に二十万貫だぜ二十万貫、普通の頭じゃ考えられ無い事だ」
「まあ、確かに俺も二十万貫と聞いた時は耳を疑ったが」
「それよ、普通の連中なら精々千貫二千貫程度の金を出して官位とかを貰うだろうが、それなのに二十万貫だ、それも御所新築だけじゃなく、あばら屋に住んでいる貴族共の邸宅まで新築だ」
「確かに、度肝を抜かれる事だな」
「そうよ、その上で毎年毎年荘園から決まった額を帝や貴族全てに送るんだ。つまりは今回だけじゃなくて毎年莫大な金が都へ流れるわけだ」
「確かにそうなるが」
「それはつまり、北條は二十万貫なんかは端金って訳だ、恐らく坂東の上がりは五十万貫いや百万貫以上ある筈だ、下手すりゃ二百万貫有るかも知れない、そんな大金を持っているくせに、僅か六千貫ぽっちしか出さねえドケチに雇われたくねいやい!」
そう言われてみれば、浄隆も都での北條の散財は噂で聞いた事を思い出した。
「まあ、確かに貧乏貴族の女一人を買う為に黄金二千枚も使ったとか聞いたな」
北條綱重が西園寺月子姫を助けた話に尾ひれがついてとんでも金額になっていたが、仕方のない事である。
「そうよ。それにあっちは金がザクザク取れるって言うじゃないか、そんな金持ちがたった六千貫文しか出さねーって言うんだから、吝いの何のって、絶対に値切られて六千貫文だって払わねーぜ」
嘉隆は鼻息荒く吐き捨てる。
「そう思うなら、条件の上積みを言わなかったのか?」
そう言われた嘉隆がバツの悪そうな顔をする。
「そういやそうだがな。けどよ兄貴、俺はそれ以外でも馬鹿にされたんだぜ」
「何があったんだ?」
「典厩とか言う奴が、俺に真珠を養殖しているからそれを教えようと言ってきやがったんだ。俺だって真珠の養殖なんか出来ない事ぐらい判ってら、奴は俺が無知だと思って嘘八百言いやがったんだ!」
嘉隆の憤慨振りに浄隆も確かに出来もしない事で嘘を言う北條に嫌悪感を感じる。
「そう言う事なら、仕方ないな」
「そう言う事だ」
嘉隆の話を聞き、暫く考えた浄隆は結論を出した。
「孫次郎の言う事は判った。今後北條からの申し出があったとしても、関銭徴集と二万貫を求める事にしよう」
「おう、兄貴、それなら納得できるな」
「ああ」
永禄元年(1558)六月十五日
■伊勢国 飯高郡大河内 大河内城
数度に及ぶ九鬼家との交渉も物別れとなった翌日、北條家一行は式年遷宮の為に大河内城まで来ていた北畠具教に挨拶する為に具教の宿泊している大河内城へ向かった。
一行が城門から案内されて屋敷の玄関へ到着すると、そこには伊勢国司に相応しい面持ちの威丈夫な姿の具教とでっぷりとして丸々太った嫡男具房が一同を出迎えてくれた。
「中納言様、態々のお出迎え誠に忝なく存じます」
氏堯が礼を述べると、具教は笑みを浮かべながら応対する。
「弾正少弼殿、態々のお越し誠に忝なく存じます」
お互い様だという感じで、気さくに話してくれる様に、氏堯をはじめとする者達は好感を持った。その後具教に案内され大広間へと到着し各々の挨拶を行った後、氏堯が具教に謝罪する。
「中納言様、九鬼家との事、骨を折って頂きながらこの体たらく誠に申し訳なく存じます」
氏堯、氏政、長順、康秀、政繁らが頭を下げた。
その姿を見て、具教はうむと頷き答える。
「弾正少弼殿、お気になさらずにして頂きたい。儂としてもお役に立てずに心苦しい次第ですからな。お互い様と言う事にしようではありませんか」
「中納言様」
「弾正少弼殿、敬語などは止めて楽にしましょうぞ」
「そうですぞ、早う食べませんと、料理が冷めてしまいますからな」
「これ、具房」
具房の場を弁えない発言に皆が苦笑する。
「確かにそうですな、冷えては不味くなりますな」
宿老の鳥屋尾満栄が笑いながら指摘する事で具房の発言を補助した。
「そうよの、ささ皆さんお召し上がりくだされ」
具教自らの勧めで酒宴が始まった。
差しつ差されつの酒宴の中で、一番目立つのは大食漢で超肥満の具房であり、北條側で康秀が用意したり昨日から製作し進物として送った鹿肉や猪肉や鮭の燻製、佃煮、蒲鉾などを“旨い旨い”と、がっついて食べて、皆の笑いを取っていたが、具教はそんな息子を見て渋い顔をしながら酒を呑んでいた。
「いやいや、典厩殿、これほど旨い物が有るとは驚きですぞ、是非今後とも手に入れたい物です」
具房が幸せそうな満面の笑みで康秀に話しかけている。
「大夫様、これらは皆、小田原名物でして、船で堺などへも売り出している物です」
「おお、それならば、大湊でも買う事が出来ますな」
具房が康秀の話を聞き嬉しそうにするが康秀は憂いを見せる顔色で語る。
「そうなのですが、問題は大湊へ入る前に鳥羽沖でどうなるかなのです」
「なるほど、九鬼の問題ですか」
「ええ、あの者達とは完全に決裂しておりますから、小田原からの船と聞けば襲うかも知れませんし、襲わないにしても莫大な関銭を徴集されるでしょうから、大湊へ寄る船も少なくなりましょう」
「うむー」
そう言うと考え始める具房。康秀は具房に九鬼家の問題を何とかしないと駄目ですよと誘導する。つまりは、このまま行けば歴史通りに九鬼家は北畠家志摩聯合に滅ぼされて、織田へ逃げるのであろうから、下手に戦力を信長の元へ追いやるより危険人物である嘉隆を一気に攻め滅ぼしてしまえと考えたのである。この辺は康秀のリアリスト感情が色濃く出ていた事と、何度も誠心誠意説明し話したにもかかわらず、会談の度に巫山戯た条件を出してくる九鬼家の態度に頭に来ていた事も理由の一つと成っていた。
そんな話をしているなか、康秀の意図を判っているのか、具教が“一献と言いながら”近づいて“旨い物を喰う為には九鬼が邪魔か”と呟いている具房に聞こえぬように小声で話しかけてきた。
「典厩殿、余り我が息を煽らないで頂きたいと言いたい所だが、やる気を出して貰うには良いかも知れぬな」
「はっ」
思わずドキリした顔をするが、具教は笑いながら、話題を変えてくる。
「典厩殿、九鬼の増長は甚だしくてな、彼方此方に手を出して平時に乱を起こしていてな。実際今回の北條殿からの話がなければ何れ何とかしようと思っていた所、故に気に病む事は無い」
具教は息子に発破をかけてくれてかえって良いと笑う。
「ありがたく思います」
「フッ、何と言っても、あの者達は自らの実力を過信しておるからな。そうよまるで何処ぞの不肖の弟弟子の様にな」
具教が言っている不肖の弟弟子が公方足利義輝であることを想像出来た康秀はギョッとした顔をする。
「不肖の弟弟子とは……」
「フフフ、自らの剣技に溺れて、守られている自らの立ち位置を考えず、尤も守ってくれている者に牙を向ける阿呆の事よ」
「よっ、宜しいのですか?」
康秀の動揺を面白がるように具教は話す。
「ふ、元々当家は南朝方、別に北朝方の事を悪く言うても戯れ言で済むわ」
「はぁ」
「典厩殿、それでは良い顔が台無しぞ。憂いを持っても良いが、顔に出さぬような腹芸も身につけねばならんぞ」
「肝に銘じます」
「真面目よの。師匠からの文にあった通りよの」
そう言うと具教は大笑いしながら、師匠である塚原卜伝からの文を見せる。そこには康秀が卜伝に見せた竹刀、十文字鎗、抜刀術、性格などのことが卜伝なりに書かれていた。
「卜伝殿も酷い」
「ハハハ、そう言うな、師匠がここまでしてくれるのは気に入られた証拠ぞ、誇って良いわ」
その言葉によって場が更に和むなか、具教が一勝負しようと誘ってくる。
「典厩殿、どうであろう、余興に一勝負しようぞ」
そう言われても“鹿島新当流の免許皆伝で秘伝「一の太刀」を伝授されているのに敵うわけ無いだろう”と思うが、皆から“ヤレヤレ”の声に押されて仕方が無しに勝負するはめになった。
竹刀を持ってこなかった為に木刀による立ち会いとなる為に、康秀は“万が一当てたら”と心配するが具教が“儂は寸止めが出来る、それにお主の剣も避けられよう”との言葉でそのまま戦う羽目になった。
免許皆伝の具教に敵わずとも一太刀でもと考えた康秀は古武術で鎧武者がする介者剣術と似ている、大坂夏の陣で将軍秀忠を護る柳生宗矩が地面に腰を落として蹲るように低くし、刀を体に引き付けて構え、敵を誘い込んで斬撃を加えた故事を思い出しながら、同じ様な姿で具教と対峙する。
その姿を見た具教は真剣な表情となり一気に決めにかかるが、康秀も介者剣術と抜刀術で対抗する。
亀の様に守り打つ康秀に具教も初見であるが故に攻め倦んだが、流石は免許皆伝、次第に康秀の癖を読み取り、一瞬の隙を突いて首筋へ寸止め状態で一撃を加えた。
実戦で有れば完全に即死状態で有る為、康秀が降参する。
「まいりました」
それを聞いた具教が康秀に語りかける。
「典厩殿は戦にでたことは無いの、それに人を斬ったことも殆ど無いように感じるが」
「はい、元服以来未だ戦にでたことはございませんし、人を斬ったのも山賊を斬っただけにございます」
具教が真剣な表情で康秀の目を見ながら語り聞かせてくる。
「やはりな、剣先の迷いがあった故、それが判ったが、それも良し。今はこうであっても、この世に武士と生まれたからには何れは戦に出る事もあろうし、人を斬ることも多々有ろう、しかし、それに慣れてはいかぬぞ。誰ぞの様に人斬りを楽しむようになるからの。あの様な修羅となれば、魂が腐り落ちるからの、この事、努々忘れぬ事だ」
「御教授肝に銘じます」
具教の言葉の重みを感じて康秀は真摯に頭を垂れた。
この日の余興という名で指導を受けた康秀にしてみれば具教も師匠と言える存在となり、具教も康秀を弟子であると笑いながら言う存在となった。
永禄元年(1558)六月二十一日
■伊勢国 桑名郡長嶋
大河内城訪問の二日後にいよいよ伊勢神宮を出立した征東大将軍一行は、北畠勢に見送られ一路北上を始めた。本来であれば伊勢大湊から船で一気に三河大浜まで移動する筈であったが、丁度野分(台風)が近づいていた時期に当たり海が大時化であった為、それを断念し、陸路を伊勢、尾張、三河と言う経路で小田原へ向かうこととなった。伊勢から長嶋までは百三十五里(86Km)程であり、二日ほどの行程で移動する予定であったが、いく先々で北勢四十八家と言われる国衆などの歓待を受けた為に五日も掛かってやっと桑名に到着した。
桑名に着いた一行は今回の野分が大雨を降らさない、所謂風台風という物であった為に台風一過の青空のなか、桑名城主伊藤武右衛門の用意した船で、さほど荒れていない木曽三川を船に乗り長嶋へ到着した。既に桑名でも大歓迎の状態であったのに長嶋は更に歓迎の度合いが凄まじかった。沿道には征東大将軍恭仁親王を一目見ようと老若男女が繰り出し、大賑わいであった。
親王一行と氏堯、氏政らは、一旦、伊藤武右衛門の一族が城主である長嶋城へと案内されたが、康秀、長順、本願寺坊官下間頼廉はこの地の真宗本山願証寺に挨拶の為に向かった。
康秀達が山門に到着すると、目の前に十二~三歳ぐらいの身なりの良い少女が現れた。
誰かと思いながら、見つめると、少女は胸を張ってドヤ顔で康秀に宣言した。
「典厩殿じゃな、我にカリーを馳走するのじゃ」
「誰??」
そうとしか言えない康秀であった。
いよいよあと一週間で書籍販売です。これも一重に皆様方の応援のお陰です。これから最寄り一層頑張りますのでよろしくお願いいたします。
あやふやですが一応、特典として私が書き下ろした物は、「妙ちゃんのハラハラクッキング」「綾姫」「風魔小太郎」の三本です。その他に、書籍購入後に書籍の巻末にあるアンケートをうURLから回答するとからMFブックスのサイトで読めるオマケ「越後にて」があります。
題名は変わっている可能性があります。
アニメイト ショートストーリーシート
メロンブックス様 ショートストーリー入りリーフレット(予定)
とらのあな様 ショートストーリー入り小冊子
との事ですが、どれが何処のかが自分もよく判らないのです。