第捌拾話 海賊は脳筋
大変お待たせ致しました。
2ヶ月振りの更新です。
やっと1巻の作業がほぼ終わったので、投稿します。
実際にはウエーブオマケと挨拶が残っているんですけどね。
永禄元(1558)年六月八日
■伊勢国 伊勢神宮 宿坊
伊勢神宮において厳かに式年遷宮が行われた翌日、北條家の面々が宿泊する神宮宿坊では、九鬼家の代表者として式典に参列した九鬼嘉隆を迎えるための準備が行われていた。
そんななか、ある一室で氏政と康秀が会話をしていた。尤も氏政が康秀にひたすら質問している状態で有ったが。
「長四郎、不思議に思うんだが、数いる海賊から態々北畠家の勢力圏の九鬼家を選んだのはどう言う考えなんだ?」
疑問だという顔で氏政が話してくる。
「九鬼家を選んだ理由なんだが、彼らが他の海賊衆ととても険悪な関係だからかな」
大真面目な表情をしながら長四郎が答えたが、それを聞いた氏政は首を傾げた。
「はぁ?」
「だから、九鬼一族は、伊勢志摩の海賊衆は元より国司北畠家からも目の上のたんこぶとも言える状態な訳だ」
長四郎の言う事がイマイチ理解できない氏政は更に聞き直す。
「長四郎、いやな、それだと良く判らないと言うか、良い点がないというか、上手い言葉が出ないというかだな……」
「んー、最初から言うと九鬼家は元々はこの辺の出身じゃなくて百里(60km)以上西の英虞郡九鬼浦が発祥らしくて、二百年ほど前に波切の領主の養子になって移住してきたらしい。それから波切を中心に海賊行為を行いつつ現在の田城に移動したわけだ」
「長四郎、答えに成っていないぞ」
長四郎の話が当を得ていないと氏政が指摘する。
「まあ、続きを聞けば判るさ」
「判った、じゃあ続きを」
「ああ、波切は伊勢から熊野へ抜ける難所の一つである大王崎直下の浦だから、九鬼家へ入る警固料や海関の関銭は相当な額になっているわけだ、その資金を元にして勢力を拡大して来たわけだが、余所者が良い地を持ち儲けることが他の海賊衆には面白くないわけだ。そこで、聯合して九鬼家に対する圧力をかけたのだけれども、九鬼側の方が一枚上手で口ではなく戦で他の連中を潰す手にでたわけだ。それは見事に成功して現在の勢力を得た訳だよ」
「んー。しかしそんな連中を小田原へ呼び込む事になったら、それはそれで伊勢とかとの関係が色々不味い事になるんじゃないか?それにここまで勢力を拡大している九鬼家がすんなりと小田原へ来るか?」
長四郎の話をやっと理解できた氏政が疑問を言った。
「まあ、その辺だが、結果から言えば、伊勢との関係が悪化する事は無いし、九鬼家も断る事はしないと思う」
要領を得ない長四郎の話に氏政は再度質問する。
「あのな、いきなり結果だけ言われてもなんだか判らんぞ」
そう言われてみればそうかと、康秀は懇切丁寧に説明する。
「つまりは、今現在の九鬼家の膨張に関してだが、どうやら九鬼家は北畠家は直接出てこないと高を括っているようだ。これに関して言えば状況判断が楽観的すぎていているな。此方が調べた限りでも、九鬼に叩かれている志摩七党とか十三党とか言う連中は、今まで以上に北畠家への従属度を強めている状態になりつつある訳だ。それだけでは無く、伊勢国司として実質的に志摩も配下に置いている北畠家としても自分の命令に従わない事の多い九鬼を邪魔に思っているのさ、このままで行けば、伊勢と志摩で大規模な争乱が起こりかねないと言う状態な訳だ。折角百数十年振りに式年遷宮の行わればかりの伊勢神宮が焼かれでもしたら、それこそ北畠家は内外に大恥を見せる事になる。北畠とすれば、それは甚だ不味い事だ。そこで北條家が対里見対策で水軍強化を行う為に九鬼家の次男坊で波切城主の九鬼孫次郎を引き抜く事で、九鬼家の勢力を分裂させる事を考えたわけだ。これを行えば、北条家は水軍強化が出来て万々歳、北畠家は九鬼家の分裂で今までのような無茶が出来なく成り伊勢志摩が安定するので万々歳、九鬼家にしても万が一の場合の避難場所と勢力拡大が出来るので万々歳、と言う訳でその辺を含めて北畠具教殿と密約したわけだ」
長々とした長四郎の説明を聞いたが氏政は疑問を拭えない。
「しかし、次男坊を引き抜いた程度で変わるかね?」
「そこなんだけれども、九鬼家の中で尤も動きがよいのが孫次郎なんだよ。つまりは九鬼は次男坊で成り立っている訳」
「ふむ、それで九鬼嘉隆が来ると聞いて喜んだ訳か」
「そうそう」
「しかしだ、上がりが非常に良い波切を手に入れているにもかかわらず、そいつ、態々小田原へ来るのか?」
氏政の疑念も尤もだと考えた長四郎は再度説明した。
「それだけど、調べた限りでは、現在の九鬼家の上がりの八割近くは波切衆が稼ぎ出しているんだが、本家が田城であるから、上納等で少なくない金額を取られているので、実際に働いている波切衆は不満に思っているようで、その辺りを突いて、北條家が九鬼嘉隆を三浦郡の三崎或いは浦賀を根拠地としてそこを中心に所領を与える事で招致する」
「長四郎、一寸待て、海賊招致が里見対策だと言う事は判るが、浦賀や三崎に海賊衆を置いて関銭何ぞ取らせるわけには行かないぞ」
氏政にしてみれば、北條家は経済と流通と民の事を考え軍事・警備上に必要な関所を除き荘園領主、寺社、領主などが関銭目当てで設置していた陸上の関所を廃止し、海に於いても湊使用料たる津料は取ってはいたが、関銭の類は徴集していなかった。その為に、警固料を取る事を当たり前と思っている海賊の招致に不安を感じているのであった。
「それに関しては、契約を結ばせないようにする予定だよ」
康秀の言葉にも氏政は不安げである。
「んー、しかし海賊が契約を守るかね?」
「守らなければ、それ相応の報いを与えるとすれば良いのではと思うが」
「いや、それは駄目だろう、下手すれば里見方に寝返りかねんぞ」
氏政の言葉に反応したのか、康秀がニヤリと舌を出しながら答える。
「正解だな、そうなるよな」
「あー、長四郎、俺を試したな!」
氏政も康秀にからかわれた事が判り、憤慨した振りをする。ここ一年半の付き合いですっかり打ち解けた二人であるから康秀が氏政の緊張を解したことが判った。
「肩の力が抜けただろう」
「まあな、で、実際にはどうするんだ?」
「ああ、その点だが、所領の他に警固料としての金銭、更に関銭代わりにも金銭を支給する形で契約する。幾ら何でも日によって違い、態々相手の船まで取りに行かねば成らない不定期な資金源より、警固するだけで決まった金額が入る方がマシだろう」
康秀の話に氏政もやっと合点がいったと頷いた。
「確かに、そうだな。武士としてならば、所領が必要だが足軽であれば金銭で充分という事と同じか」
「そう言う事、彼らの場合は即在の富に魅力を感じているのであるなら、金銀財宝の方が良かろうて」
「言い得て妙だな」
和気藹々と話している二人であったが、九鬼嘉隆と言うか、海賊の心根を読み違えている事に後々臍を噛むことになったが、この時点では“これで成功間違い無し”と考えていた。
■伊勢国 伊勢神宮 宿坊
氏政、康秀が会話をした数刻後、所謂夕餉の時間に氏堯を筆頭に氏政、康秀が待つ座敷に九鬼嘉隆が禰宜の案内で入って来た。その姿は海の男らしく黒く日焼けし筋肉隆々としており、ぱっと見た感じではとても十七歳とは思えない雰囲気であった。
嘉隆を迎え入れた氏堯がまず労いの言葉をかける。
「九鬼殿、本日はお越し頂いて真に忝なく存じますぞ。拙者は北條弾正少弼氏堯と申します。これに控えるは、甥の北條左京大夫氏政、三田右馬権頭康秀と申します」
氏堯に紹介された氏政と康秀が順次挨拶を返す。
「この度は、態々のお越し忝なく存じます」
「この出会いが良き日と成る事を願っておりました」
挨拶を受けた嘉隆は粗野粗暴な雰囲気を見せずに挨拶を返した。
「丁重なご挨拶、忝なく存じます。九鬼孫次郎嘉隆と申します。この度はお呼び頂きありがとう存じます」
先ずは、両者共に悪感情を抱かずに済んだようである。
挨拶が終わると、夕餉の用意が為され“それ一献、やれ一献”と差しつ差されつ雑談が行われた。
「なるほど、大王崎はそれほどの難所でございますか」
「左様、我らが案内しないと立ち所に座礁しますな」
「それはそれは」
などなどで場が和み軽い酔いが来た辺りで、話が始まった。
「しかし、今や本朝でも知らぬ物は居ぬほどの北條様が高々志摩の一地頭に何の御用でしょうか?」
酔っているように見えて実際には酔っていない嘉隆が踵を整え質問する。
それに対応して氏堯が答えた。
「知っての通り、坂東には内海が商いの道となっており、三浦郡はその要であるが、近年に至って対岸の安房の里見が夜陰に乗じて津々浦々を襲い奪い犯し殺しておる。それらに対して当家も何とかしようとしているが、水戦が得意でない為に一向に勝てずに被害は増すばかり、このままでは民百姓が塗炭の苦しみを味わうことになる為に、里見を懲らしめるが為、水戦が得意な九鬼殿を招致したいとしてお呼びした次第でござる」
「ほう、北條様は、我らを雇いたいと言う訳ですか」
氏堯の言葉に対して嘉隆の顔が“俺達はそんじょそこいらの海賊とは違い高いぜ”と言うような感じでニヤリとしたのを康秀は見逃さなかった。
「左様、当家としては近隣との兼ね合いもあり是非志摩衆を招致したいと家中の総意でして、そこで、種々調べた結果、九鬼殿が尤も相応しいとの結論が出た次第」
嘉隆としても九鬼家が一番であると言われれば悪い気はしないものの、どの様な形で北條に雇われるのかを考えずに取りあえずは金が儲けられると言う嬉しさから、顔に喜色が現れた。
「それほどかって頂けるとは、海の男としても冥利に尽きます」
嘉隆の喜色に氏堯らは“これならば招致は滞りなく進む”と考え、にこやかな表情になる。
嘉隆の気持ちが変わらぬ内にと氏堯が用意していた書面を嘉隆に見せながら読み上げる。
「九鬼殿には内海(東京湾)を臨む三浦郡内の浦賀城か三崎城を預ける事とし、所領は主として三浦郡内に二千貫(八千石)を与え、戦船建造費は全て当家が持ち、それ以外に警固料として年間四千貫文(四億円)を支給する事を約束致す」
氏堯の言葉に、嘉隆は満面の笑みを見せると、平伏しながら答える。
「北條様の御配慮、この九鬼孫次郎嘉隆、生涯忘れる事はございません」
嘉隆にしてみれば、坂東への移住となるであろうが、自分を含めて一族の誰が行くにしても年間六千貫(六億円)もの金が儲かり更に商船から多数の警固料、関銭が入るのであるから“これは是が非でも俺が行かねば”と考えていた。
「有り難い」
氏堯、氏政も顔を喜色にしていたが、その後の嘉隆の言葉によりその場の空気が悪くなる。
「いや、六千貫戴くばかりか、頂ける内海は相当な船が出入りするのでしょうから関銭なんぞも嘸や莫大な領になりましょうな、これでは、儂が兄に嫉妬されますな」
この言葉に氏政が質問をした。
「九鬼殿、つかぬ事をお聞きするが、関銭とは如何なる事ですか?」
その様な事も知らないのかと嘉隆は考えたが、気分がよいので教えることにした。
「関銭とは海関で徴集する金穀の事ですな。我らは通る船全てから徴集致す所存ですからな、大金が取れましょう」
「九鬼殿、北條では海関の設置を認めておりませんぞ、海で必要な物は津料と水先案内料ぐらいな物で、海関を設けることは認めておりません」
ほろ酔い気分で機嫌が良かった嘉隆が氏政の言葉に目をギョロリとしながら突っかかる。
「なんと、関銭を認めぬと言うのか?」
「無論ですぞ、当家では陸の関も廃止しているのですから、海だけは例外は認められません」
「何を考えておるのやら、関銭は海を案内する我らの正当な権利ぞ」
「それが故に、警固料に四千貫文を支給するのだから」
「はぁ、馬鹿にするのも程々にして頂きたい、幾ら北條殿でも、我ら海に住まう者達に命令を出すことはお門違いぞ。海には海の定めがあり申す」
段々興奮してくる氏政と嘉隆に対して、氏堯が康秀に何とかせよと目配せする。
「九鬼殿、新九郎殿も落ち着かれよ。九鬼殿、関銭は当家の家訓で廃止させておる、だからこそ代わりに金穀で代用致す所存、それに我が家に来て頂ければ、当家が秘匿している真珠の養殖術をお教え致す所存。真珠を唐、天竺に売り払えば関銭なんぞ馬鹿らしくなるほどの莫大な銭が手に入りますぞ」
康秀が言うが、嘉隆は益々機嫌を悪くする。
「真珠が養殖なんぞ出来るはずが無かろうが、世迷い言は止めて頂きたい!関銭を頂けないのであれば、我らの矜持が保てん、しからば帰らせて頂きますぞ」
そう言うと嘉隆は大股で座敷を出て行ってしまった。
短気すぎるのも欠点と言えるもので、普通であれば手打ちにされても仕方が無いほどの非常に無礼な態度で有ったが、北條側は未だ未だ説得の機会があると考えて、敢えて見逃したが、数度に及ぶ話し合いも結局は実らず、北條家と九鬼家との縁は結ばれる事が無かった。結果的に史実通りに膨張政策を続けた九鬼家は北畠家に支援された伊勢志摩の海賊衆に集中攻撃され、城と所領を失い尾張の織田信長の元へ逃げ込むこととなった。