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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第肆章 帰国編
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第漆拾貳話 島左近という男

大変お待たせ致しました。


夏風邪ひいて腹の調子が悪いため中々更新できませんでした。


&飼い雄猫が7月16日から帰ってこないので精神的なショックも受けておりました。

永禄元年(1558)四月二十六日


■大和國興福寺一乗院


康秀と嶋政勝との会談の翌々日、政勝は渋る子息勝猛を連れて興福寺へとやって来た。

「親父よ、何故俺がこんな所まで来なければ成らないんだ」

興福寺へ行くと聞いて以来、勝猛は渋面を見せながらブツクサと文句を言いまくっていた。


「お前に是非会いたいというお方がお待ちだからだ」

「へっ、この俺に会いたいとは物好きもいるものだな」


勝猛は鼻を穿りながら、出てきた物を丸めて指で弾いて飛ばす。

「勝猛、その様な真似は止めよ。くれぐれも対面中には馬鹿な真似はせんでくれよ」

政勝が額に手を当てながら諭すように言うが、勝猛は何処吹く風とまた鼻を穿る。


結局何度も注意したにも係わらず勝猛の行為は興福寺へ着くまでは収まらずに政勝が諦めて何も言わなくなったのを見計らうかのように鼻を穿るのを止めた。この勝猛は父親が後妻を迎えて以来、後妻とウマが合わずに斜に構えるようになっていた。


それが高じて後妻も勝猛を嫌い、実子である次男が生まれると跡継ぎを次男にするようにと何度となく政勝に訴えていたので更に険悪な状態になっていたのである。


勝猛にしても政勝の苦悩は知ってはいたが、女一人を御せぬ親父の弱さに嫌気がさして、親父の言う事に何かと反発していたので政勝が諦めた所で鼻を穿るのを止め、真面目な風体で下馬すると北條側近習の案内を受け興福寺の山門を潜って対面場所へと案内されていった。その姿を見て政勝は深く溜息をついたのである。


興福寺一乗院の一室では、北条氏堯、氏政、三田康秀の三人が待っていた。其処へ嶋親子が近習に案内されて入室する。


「この度は、我等親子をお呼び頂き恐悦至極に存じます」

政勝が代表して氏堯達に挨拶をする中、先ほどまで悪態をたれていた勝猛は三人を値踏みするような視線をしながらも確りとした挨拶を行う。

「嶋左近勝猛にございます」


噂や調べていた態度と違い礼儀正しいことに氏堯達は感心するが、風魔を使って逐次行動を観察させていた康秀にはその変わりようが虚けと呼ばれながら、岳父斎藤道三との会談時に颯爽とした姿で道三に威圧勝ちした織田信長と何処か共通する感じがして益々興味を持った。


「北條弾正少弼氏堯と申す。この度は良く来て下さった。緩りと為さってくれ」

「北條左京大夫氏政と申す」

「三田右馬権頭康秀と申す」


挨拶の後、膳が運ばれ宴が始まる。

一頻りの山海の珍味や康秀が態々関東より持ち込んだ焼酎などが振る舞われる。最初はガチガチに緊張していた政勝も酒が入る度に陽気になり、次第に打ち解ける感じになっていくが、勝猛は相変わらず三人を値踏みするが如く酒をグイッと呑んでいく。


最初の頃は大和の四季や名所の話などで和気藹々と成っていたが、次第に武勲の話などになり、氏康、氏堯兄弟が活躍した川越夜戦の話や里見との海戦など諸々の戦話や、関東の風土や名産など勝猛が関東に興味を持つような話をそれぞれが話していた。


一時程で会話が途切れると、氏堯が徐に勝猛に仕官を勧めはじめる。

「勝猛殿、どうであろうか、坂東でその力を十二分に発揮して見ぬか?」

氏堯の言葉を聞いた勝猛は“暫しお待ちを”と言い目を閉じ考える素振りを見せたが、ほんの僅かな時間で徐に目をカッと見開くと氏堯に対して見事な態度で口上を述べた。


「折角の弾正少弼様のお言葉ではございますが、先ほど大和の素晴らしさを申しましたように拙者は大和で生まれ育った大和の民にございます。大和こそ我が古里、大和の美しさ忘れる事など出来ようはずがありません。だからこそ我が未来永劫過ごすべき地と決めておりました。したがって坂東へ下るなど思っても見ないことにございます故、平にご容赦頂きたく存じます」


そう言いながら深々と頭を下げる。


それを見ている政勝はオロオロし始めるが、氏堯、氏政、康秀は勝猛を見ながら長年人を見てきた故に氏堯は“他に理由があろう”と感じ、氏政は“惜しいの”と考え、康秀は“最後は近江へ行ったのに坂東は駄目で近江は良いのか?それとも石田三成が胆なのか?”と考えていた。


「勝猛殿、それだけではあるまい一切怒らぬ故忌憚なき様に話すがよい」

氏堯がそれだけでは納得行かぬなと深い理由を聞く。

流石に勝猛も躊躇したが意を決して佇まいを直して話しはじめる。


「さすれば、坂東は畿内に比べる術も無き程の草深い田舎にございますれば、堺などと付き合いのある当家にしてみれば損にしか成りません。仮に坂東へ行ったとして、一から商人との繋がりを作らねば成りません。その様な事をしていたら大和のように儲けられるか判らない上に仮に出来たとして何年かかるか判りません。その上、我が家は畠山家と昵懇の間柄、三好家と昵懇の北條様にお仕えするは些か不味かろうと、更に言って悪きことですが、北條のお家は他國の兇徒と呼ばれておりましょう。その様に言われるお家に仕える事は、例え壱万貫文頂いたとしても拙者の信念に得難い苦痛と成ります故、ご容赦頂きたいと思った次第です」


あまりのぶっちゃけ話に政勝は目を見開いて小刻みに震えながら青くなり、氏政は余りにお家が馬鹿にされたことに頭に来て刀の柄に手をかけ今にも斬りかかりそうな怒気を放ち、冷静な康秀でさえ“何と言う破天荒な男だ”と驚きで目を大きく開け放っていたのであるが、そんな中、目で氏政の動きを止めた氏堯が勝猛の目をジッと見つめてから話す。


「成るほどの、他國の兇徒か、確かに我が祖父早雲公、父氏綱、兄氏康は幾度となく関東の諸将にそう言われ続けて来ているが……成るほどそれが不満か」

氏堯が冷静に瞠目しながら話す事に勝猛も頷く。


「その通りにございます。大和侍は何より名誉を重んじ國を愛します。その為ならば、北條様が朝廷に認められし事とは故、拙者の信念に誓い坂東へ下向などまっぴらご免にございます。その上で嶋家の嫡男が後妻に追い出されたと有っては子々孫々末代までの恥辱になります。その様な恥辱を得るぐらいなら考えが有るだけの事にございます」


そう述べる勝猛の姿に幽鬼が見え隠れするが如きの形相で拒絶の反応をする。

此処まで拒絶されると、どう頑張っても勝猛の引き抜きは不可能だと氏堯、康秀も感じて諦めるより仕方なしとの結論をお互いに目で伝え合う。


「確かにお主の言う通りかも知れぬな」

氏堯の言葉に氏政と政勝は驚きながら目を見開く。


「叔父上、それで宜しいのですか?」

流石に疑問を持った氏政が質問する。

「我が北條も元は備中と山城で育まれた家、未だ若き者では古里を離れるは辛かろう。それに一年余り都に居たからこそ判るが、坂東と比べれば格段の差と言えよう。其処から離れる事もまた辛かろう。よう判った。政勝殿、勝猛殿、無理を言って済まなかった。この話はなかったことに致そう」


氏堯の〆に政勝はオロオロとしながら平伏し、勝猛は平然と平伏する姿が相対的であった。


そのまま嶋親子は興福寺を辞し嶋郷へと帰って行った。


氏堯、氏政、康秀はその姿を見送りながら一言二言話していたが氏政の怒りは相当な物で有った。

「叔父上、あの様な地侍如きに馬鹿にされては北條の名折れでございますぞ、直ぐにでもあの小僧の素っ首を叩き落としてくれましょう!」


そんな氏政を氏堯は諭す。

「新九郎、あの程度の事で怒っては偉大なる祖父や父上や兄上の後を継ぐ事など到底叶わぬぞ。世の中にはあの様に歯に衣着せぬ事を言う者も居ることが判っただけでも良いとせよ。あの様な実直に話す男こそ貴重な存在よ、良くいる耳当たりのいいことばかりいうような輩はいざという時に役に立たぬものよ。普段から苦言を述べる家臣こそ寶と思え、さすれば道を誤ることは少なくなる」


氏堯の坦々たる話に氏政は次第に落ち着き頷く。

「叔父上、私の思い違いにございました。確かに苦言は耳障りなれど、それを聞き分けることこそ主君の道なのですな」

「左様だ、努々油断無き様に今日の事を思い出すが良いぞ」

「はっ」


氏政は終生この時のことを心に留め置き、何かある度にこの偉大な叔父の言葉を思い出したのである。またこの事を見聞きしていた康秀は流石は氏綱公の御子であり薫陶をよく受けられていると氏堯を益々尊敬することと成った。



翌二十七日、再度嶋政勝が訪れてきたのであるが、その姿は禿頭になり袈裟まで着て出家状態と成っていた。此には流石に氏堯達も驚き理由を尋ねた。


「北條様への数々のご無礼を働きながら、おめおめと帰ることとなり真に情けなく感じました。また子息のあれほどの憤りを聞いた以上は勝猛に家督を譲り渡し拙者は出家致す事にしたため、妻も実家へ帰し申した」


政勝の余りの覚悟に三人が驚く。

「嶋殿、気にする必要は無いと申したではないか」

「いえ、霜台様のお心遣いはありがとうございますが、大和武士の誠意と思って頂きたく」


「ならば、当家に仕えるが良かろう、それで良いのでは無いか?」

「いえ、先ほど言った様に、大和武士の心意気と思って頂きたく」

政勝の意志は固く固辞する。


「しかし、子はどうなさるつもりなのですか?」

政勝には二男坊が居ると言っていたのでその子の事をどうするか聞いた。

「次郎太は齢五歳にございますが、勝猛に預ける訳にも行かず、況してや妻の実家へ預ける訳にも行きませぬ故、暫し共に諸国行脚致した上で何処の乞食こつじき(托鉢僧)にでも致す所存でございます」


氏堯も康秀も流石にその子が気の毒に思い、氏政を含めて話しはじめる。

「叔父上、幾ら何でも子に罪はございませんぞ」

「叔父上、我々のせいでこうなりましたから」

「うむ、お主等もそう思うか」


「はい」

「子の一人ぐらいなら我等が」

「確かに五歳ならば小姓にしても良い年齢よ」


話が纏まると、政勝に氏堯が提案する。

「嶋殿、五歳で仏門とは余りに哀れじゃし諸国行脚など体が持つまい。どうであろう儂がその子を預かろうと思うのだが」


破格の提案に驚く政勝。

「その様な、勿体ないこと……」

「良いとせよ、儂が立派な武士に育てて見せようぞ。何れ会いに来るがよい」


政勝は唯一心残りだった次郎太が幸せになれるならと、その申し出を受ける事とした。

「はは、何から何まで有り難く幸せでございます。次郎太の事よろしくお願いします」

最後は涙目で政勝は土下座していた。


史実であれば、永禄十年に十五歳で兄である左近では無いかと言われている賊に母親諸共殺害された次男であるが、この世界では北條家に引き取られて生を伸ばすことと成った。


結局の所、島左近ゲッと成らず、代わりに五歳児が来ました。Orz状態。


失敗もまた楽しいのさと、康秀はやさぐれ状態、次は何処だろう。

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