第睦拾捌話 強請るは長尾
お待たせしました。
そろそろ帰國ですが、未だ最後の謀が残っておりました。
永禄元年三月二十五日
■山城國 京 九條邸
帰國間際で慌ただしい中、氏堯、氏政、康秀は九條稙通に呼ばれ九條邸へ向かった。
九條邸には、征東大将軍恭仁親王、伏見宮邦輔親王、二條晴良が集まっていた。
氏堯、康秀が座ると、早速酒杯が廻され宴が始まる。
暫し酒や肴を嗜むと、徐に晴良が話し出す。
「霜台(氏堯)、そなた等のお陰で、朝家も嘗ての賑わいを多少なりとも取り戻すことが出来た」
晴良が感謝の気持ちを込めているのが口調で判る。
「勿体のうございます。朝家復興は本朝の安泰に繋がりますれば、臣として当然の事をしたまでにございます」
氏堯が、北條家を代表して礼を述べる。
「この度、主上より今回の事で、麻呂も褒美を賜ったのじゃ」
「それはそれはおめでとうございます。してどの様なご褒美でございましょうか?」
晴良が、上機嫌で聞いて欲しいと言うように褒美を賜ったと言うので、よほどの事と思い氏堯は礼儀として聞いて見た。
待ってましたとばかりに、晴良はにこやかに話しはじめる。
「今、麻呂の奥が身重であるのじゃが、その子が男児で有れば、断絶している鷹司の家を継がすようにとの有り難きお言葉を賜ったのじゃ」
「それは、真におめでとうございまする」
本当に嬉しそうに晴良は笑顔を見せた。
「晴良、自分のことだけでなく、やることがあろうに」
邦輔親王が呆れたぞと言う顔で、義弟に当たる晴良を窘める。
「此は失礼致いたしのじゃ、済まぬ、つい嬉しうなってしもうたわ」
「晴良、良いから、早く伝えてやらぬか」
「そうじゃそうじゃ、実は典厩(康秀)の献上せし薬酒、止瀉薬、酒精、化膿止を主上(正親町天皇)も院(後水尾上皇)もその効能を大いに驚かれ、品々に直々に銘と標を下賜致すとの事なのじゃ」
「それは恐れ多いことにございます」
康秀もまさか主上から表示と薬の名前を貰えるとは思っていなかったので、此処は本当に驚いていた。
「まず標じゃが、五三桐を下賜致す故、これ以来、標として使うようにとの事じゃ、そして薬酒じゃが、滋養強壮に効くとあり、実際に上皇様の御体調も良くなられておられる故、上皇様より、仙丹の如き酒とし、仙如湯を賜うとの事、次いで、止瀉薬じゃが、腹痛をいなし、水中り食中りを治し、歯痛までもいなす事によって、主上より伏中丸を賜うとの事、そして酒精と化膿止のお陰で、多くの者が命を落とさずに済んだと主上も上皇様も大変感心なされており、御二方で酒精は昇爽剤と化膿止は紫沁剤として、賜うとの事じゃ」
「ハハー、ありがたき幸せにございます」
康秀は転生したとは言え、現代人であったが故に、天皇に自分の献上した品物が好まれ、名前まで貰えるとはと、必要以上に感動し感謝していた。
邦輔親王、稙通、恭仁親王が口々に康秀のした事の意味を教える。
「典厩、良かったの、主上はいたく御喜びじゃ」
「真に、上皇様の御体調も宜しくなっておる故よの」
「そうよ、最近まで父上の顔色はどす黒く、辛そうなお顔であったが、最近は血色も良く晴れやかなお顔を為されることが多くてな」
「恐れ多いことにございます」
康秀は益々恐縮していた。
「ハハハハ、典厩らしくないぞよ。お主はもっと不貞不貞しいかと思っておったがの」
「そうじゃな、公方をやり込めた様に、なんぞするかと思ったがな」
恭仁親王と稙通の言葉に皆が笑い始める。
「私とて、年がら年中、謀をしている訳ではございませんし、何処ぞの剣豪公方と違い、主上には何の確執もございません故」
「ハハハハ、此は取られたの、確かに北條殿には主上への献身が感じられるの。それに引き替え鄙公方は挨拶一つ寄越しもせんからの」
恭仁親王が軽く公方の悪口を言う。
「まあまあ宮、何と言っても鄙にいるので洛中へ来るのが大変なのでしょう」
稙通が苦笑いしながら話しかける。
「そうよの、霜台、鄙公方は越後の守護代(長尾景虎)に何やら繋ぎを取っているそうじゃな?」
親王の質問に氏堯が答える。
「はっ、國元より文によりますれば、洛中駐在の越後守護上杉家京都雑掌の神余隼人佑を通して色々と画策しておるようにございます」
「成るほどの、守護代の元には、関東管領(上杉憲政)が逃げ込んでおる故、大方先年、院(後水尾上皇)より賜った勅命を元に関東へちょっかいを出す気であろう」
流石に、叡山で海千山千を相手にしてきた恭仁親王であるが故に、長尾景虎の思惑を予想して見せた。此には史実を知る康秀も内心では驚愕した。
「何とも、宮様は大変ですの。下手すれば鎌倉へ越後の蛮兵が攻め寄せて来るやも知れまへんな」
稙通が戯けた風に話すと、実子の危機を放っておけるかと邦輔親王が苦虫を噛みつぶした様な顔で話す。
「太閤、冗談やない、鎌倉には六が行くのじゃぞ、その様な事が有ってはたまった物ではないわ。そうじゃ聞く所によると守護代は義に厚いと称しておるようじゃが、本当はどうなのじゃ?」
邦輔親王の質問に氏堯が答える。
「はっ、確かに、武田晴信に追われた信濃の村上(村上義清)を始めとして多くの信濃衆を保護し、彼等の所領を取り返すために、何度となく武田と戦っております」
その話に、邦輔親王は安堵の顔を見せる。
「ならば安心よの、まさかその様な男が、主上の任じた将軍を蔑ろにはせぬな」
「判りませぬ、所詮は人間のすることにございます」
「では、どうしろと言うのじゃ?」
「其処で、更に念には念を入れた方が宜しかろうと思うのでございますが」
「典厩、それは如何なる事じゃ?」
「はっ、長尾は先々代為景以来、三條西家の青苧の苧課役を殆ど払っておりません。更に当主景虎に至っては、越後-畿内間の青苧流通の支配権を獲得しております。更に越後には多くの荘園が有り、その中には禁裏御領も有りますが、それらを土豪達に横領されたままに放置しております。無論、それ以前であれば長尾の力が越後全土へ浸透していなかった故の事で有ると言えましょうが、先年景虎が家出騒ぎを起こし、家臣、國衆一同が景虎に忠誠を尽くすとの約束をさせておりますが、義と申しながら、禁裏に荘園年貢の上納もせず仕舞いでございます。彼の者ならば、悠々と年貢を上納できますにも係わらず」
「成るほど、越後を仕切った以上、そして義に厚いのであれば、真っ先に主上へ年貢を北條の様に上納する訳じゃな」
康秀の話が判った稙通が頷く。
「其処で、皆々様にご協力を頂き、越後や越中の長尾の勢力圏に有る各家、寺社、門跡の持つ荘園や各種利権を、恐れ多いことにございますが、朝家、院、宮家などに献上し所定の年貢を納めるように圧力をかけます」
康秀の大胆な提案に皆が皆、息を呑む。
「長四郎、それは禁じ手ぞ」
氏堯は、朝廷を出汁にする事を平然と言う康秀を叱責する。
「禁じ手なのは、判っております。しかし、当家と違い長尾は義と義と言いながらも、勅を得る時に主上への献金を行い、先々代は、貰ったこともない錦の御旗を無くしたと称して賜ると言う詐称をする家で有り、主人を二度も殺害した謀反人でございます。しかも心は主上ではなく公方へ向いておるのは確実にございます。その様な輩に、義と称して関東の民の生活を滅茶苦茶にして欲しく無いのでございます」
康秀の真剣な表情に皆が驚く。
「典厩、そなたの民を思う心は、やはり相馬小次郎の血かも知れぬな」
恭仁親王が康秀の話を聞いて感想を述べる。
「確かに、そうやも知れぬの、後鳥羽院が相馬小次郎にお主を紹介された事もその心意気の所以かもしれないの」
「確かに、そうじゃな」
そう言いながら恭仁親王が邦輔親王と暫し相談をし始める。
「宮、如何であろうか?」
「ふむ、確かに面白いかも知れぬ」
暫くして話が纏まり、恭仁親王が皆に話しはじめる。
「典厩の提案、面白いが、流石に主上や院に御迷惑をかけることは出来ぬ。其処で伏見宮家は今回、五が白川伯王家、六が柳葉宮に養子に入るのであれば、それの祝いに荘園と権利を祝儀として贈る事にすれば良い」
「麻呂としても、子は可愛いのでな、少しでも安全を得られるのであれば吝かではない」
「典厩、そう言う事よ、そなたの心意気を汲んで伏見宮家が全て仕切ってくれるそうじゃ」
二人の宮様の提案に皆が驚く中、稙通が最初に笑い出した。
「ハハハハ、流石は宮、海千山千ですな」
「何の、太閤ほどではないわ」
「霜台、典厩、麻呂達に任せておけ」
此会談から、三月後の永禄元年七月、北條家が関東へ帰って以来、洛外では京奪還を目指す将軍義輝と六角義賢の軍勢と三好勢との戦いが続いていた。そんな中、長尾家の京都雑掌の神余親綱は二條晴良の元へ呼び出された。
「太閤様、如何様でございましょうか?」
「うむ、今日呼んだのは他でもない、お主に会いたいという者達が揃っておるのじゃ」
晴良がそう言いながら、新築時に作った大広間へ親綱を自ら案内すると、其処には公家や僧などが幾人も待っていた。
「太閤様、このかた方は?」
「うむ、この者達は、皆そなたの主に用がある者ばかりよ」
「主にございますか?」
「そうよ、越後小泉庄、瀬波郡新庄、牛屋保、荒河保、小泉本庄、小泉庄、石井庄、佐橋庄、比角庄、宮河庄、鵜河庄、小国保、赤田保、埴生保、長橋庄、宇河庄、大積保、大島庄、白鳥庄、吉河庄、越中大荊庄、丈部庄、佐味庄などの領家の者達と青苧などの所役の持ち主じゃ」
紹介された、一條家、九條家、三條西家、北野社、万寿寺、穀倉院、丹波安国寺、覚園寺、伝法院、東大寺、西大寺、万寿寺、祇園社等々の代表者が一堂に会し、皆が皆、親綱を冷めた目で見る。
「領家と所役の方々は主に何用でございましょうか?」
祖父昌綱以来都で活動してきた、神余家としては彼等が、荘園や所役の年貢を渡せと言うであろうと想像が付くが、今までで有れば、貧乏のどん底で出会ったが故に多少の金品で諦めさせられていたのが、北條家からの献金と荘園の寄贈により各公家、寺社もにわかに経済状態が良くなったために、旧荘園主が年貢に関して強く言う様になっていた。その為に、親綱は何度となく嫌みを言われていたが、何とかノラリクラリしていたが、流石に関係無い太閤二條晴良の召還を断るわけにはいかずに来たのであるが、来たがばかりに酷い目に遭ったのである。
「この度、伏見宮様の貞康様が親王宣下され、五宮様が白川伯王家をお継ぎになり、六宮様が柳葉宮の婿君に成られる事で、宮に荘園と所役を祝いとして贈る事に成った」
如何にも、判っておるな、宮家の荘園と所役をネコババする気ではないであろうなと圧力をかける。
「それは、おめでとうございます」
親綱にはそう言うしかなかった。
この日以来、長尾家には有形無形の形で年貢の督促が行われる事に成った。
今まで単独なら突っぱねられましたが今度から長尾家には伏見宮家から請求書の山が送られて来ます。つまり年がら年中マチ金から督促が来ている状態に。
無視すれば、都での長尾家の評判はがた落ちで、公方と近衛家とその仲間以外は相手にしてくれなくなる。全額入金したら、軍資金不足で二進も三進も行かなくなる、究極の選択ですな。
桐のマークの薬品群が堺商人や博多商人の手で全國へ販売される事に成るわけです。そしてその上がりの一部は各公家衆へも還元される訳です。
仙如湯=養○酒
伏中丸=正○丸
昇爽剤=エチルアルコール
紫沁剤=ヨー○チンキ