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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第参章 京都編
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第睦拾話 歴史の齟齬

お待たせしました。

良いタイトルが思いつかない。

永禄元年一月二十日


■京 内裏 池邸


池邸には、池家復興を祝う各家の当主達が次々に訪れていた。本来であれば、遙か昔に消え去った家のために、此ほどの公卿地下人達が来る事はないのであるが、三月にも北條一行が小田原への帰路に着くため、今後の北條との窓口と成る池家との繋がりを強化しておきたいと言う考えからであった。


何と言っても、荘園を寄贈されたとは言え、管理は完全に北條家に任せるしか無く、北條家の機嫌を損ねる事だけはしたくないからであった。


そんな中、伏見宮邦輔親王、太閤九條稙通、左大臣西園寺公朝と共に北條家の尽力で吉田家に勝利した白川伯王家当主雅業王も、養嫡子邦常王(史実の常胤法親王)と共に挨拶に来ていた。雅業王は終始機嫌良く“北條殿は天下一の朝臣なり”などと褒め称えていた。


更に、石山本願寺より鋳物師を派遣し、御所造営に多大なる貢献をした本願寺顯如は、新帝より念願叶って門跡位を授けられ、その御礼として参内した後、義兄弟である氏政、康秀に会いに屋敷へと来ていた。顯如も終始機嫌が良く、生まれたばかりの氏政の娘と、何れ生まれる自分の息子との婚約を決めるほどであった。


その他、真継久直の家督横領から家督を取り返し、鋳銭正兼和泉守山科言経の下で実務を担当する鋳銭祐ちゅうせんすけ兼和泉介に任命された新見富弘も、“家督を取り戻せたのは北條様のお陰”と感謝の意を伝えに尋ねて来ていた。


この様な事で、都の公家衆と本願寺の面々に多数の面識が出来る事と成った。


この後、北條家一行は都にいる間、種々の宴、茶会、連歌などに呼ばれ続ける事になり、後々“都にいて一番疲れた一月”と回想する事になる。






永禄元年一月二十日


■甲斐國 府中 躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)


武田晴信は、この所の北條家の動きをジッと観察してきていた。


数年前より、北條家では大久保長安の手により多くの鉱山が開鉱され、莫大な上がりを上げてきていた。その他にも、氏康が先代氏綱ばりの農政や民政などの手腕を発揮し、関東が益々豊かになっていくのを見聞きし、東海・関東と貧しい甲斐との経済的に格差が生じるのを感じ、信濃への侵攻を益々強めていた。


更に、この所、朝廷、公家との繋がりが色々な事でもめたため疎遠になりつつ有り、逆に弘治元年(1555)に信濃守護職に任じられた事で将軍家との繋がりを強化してきた。しかし、晴信の信濃守護職就任以後も、長尾景虎は後水尾天皇(史実の後奈良天皇)の綸旨を盾に信濃へ出兵して各所に手を出してくるため、先年には報復のために越後へ侵攻し、苅田、狼藉、放火などをしたが、其れを将軍が咎めて来る片手落ちの裁定にほとほと困っていた。


そんな中、北條家が摂関家二條家の姫と嫡男氏政との婚姻話が流れてきたのであるから、慌てふためく宿老達に対しては泰然自若に振る舞いながらも、内心では疑心暗鬼に囚われ、宿老の“小田原へ使いを立てるべし”の言を笑い飛ばしながらも、許可を与え仔細を聞くほどに晴信自身が焦りを感じていたのである。


北條と戦になったとしても、武田の兵達であれば鎧袖一触とは言わぬまでも、充分に戦果を上げられる事は判っているが、長尾がいる以上二正面作戦は避けたい。その為には“三國同盟こそ堅持されるべきである”と、考えて居たからこそである。


その後、小田原へ向かった小山田信茂が雪の笹子峠を越え、躑躅ケ崎館に登城し氏康よりの言を聞き、宿老達に“そなた等の取り越し苦労であったな”と笑い、信茂を労い褒美として米二十俵(この当時は籾付きなので、一俵20kgぐらいで約400kg)を与えて郡内へ帰したが、口では取り越し苦労と宿老を笑いながらも内心ではホッとしていたのである。意外に晴信は繊細で神経質な所があったのである。






永禄元年一月二十五日


■相模國 南足柄郡 小田原城


小田原では氏康と幻庵により、三男氏照が呼ばれていた。


「父上、何用でございましょうか?」

「平三、そなたの養子縁組みだが、白紙に致す事にした」


(天文十五年(1546)川越夜戦の直ぐ後で山内上杉家から寝返った大石定久の娘お豊(比佐)との婚約が氏照七歳、お豊一歳(過去帳では天文十五年生まれ)と結ばれていた)


「父上のお言葉であれば、嫌とは言いませんが、理由をお聞かせ下さい」

「うむ、本来であれば、大石の婿として由井領(八王子市など)と武蔵守護代としての権威を譲り受けるつもりであったが、十郎(氏堯)のお陰で、そなたが武蔵守に任じられた事で守護代では役不足になってな」


氏康の説明に聡明な氏照は合点がいき頷く。

「成るほど。守護代は公方の権威であれば、朝廷の國主としての権威の方が今は上というわけですね。しかし養子ではなく嫁取りであれば、武蔵守護代大石家の娘を迎える事は武蔵安定には重要な事では有りませんか?」


息子の成長を喜びながら氏康は、氏照が見逃して居る事を付け加える。

「確かにその通りだが、そなたは見過ごしている事が有る」


氏照は氏康の話しにハタと言う顔で考えるが、今ひとつ良い考えが浮かばないようである。

「カッカッカ、平三には未だ未だ難しいのでしょうな。ほれ、瀧山の向かいには勝沼があるであろう」

幻庵が笑いながら、助け船を出す。


「勝沼……勝沼……あっ長四郎の叙任ですか」

やっと気が付いた氏照に、氏康が話し始める。

「そうじゃ。長四郎が大石源左衛門尉おおいし げんざえもんじょう定久さだひさ)より遙かに高位になった事で、三田の家格が大石より上がった訳だ。既に長四郎により三田と縁がある以上、格下の相手を敢えて選ぶ必要は無い」


そう聞いて、何となく判ってきた氏照は自分なりに考えた答えを言ってみる。

「つまり、家格の下になった大石の娘より、三田の婿になれと言うわけですか」


氏照の答えに氏康と幻庵は頸を振り否定する。

「平三、残念じゃが、そうではない」

「うむ、此は未だ内々の話なのだが、征東大将軍府執事としてそなたに別家を立てさせる話が上がっておって、それに伴い、九條殿、二條殿からも二條殿の末姫をそなたの正妻にする話が来ておる」


いきなりの話に氏照は驚く。

「父上、二條様の姫と言えば、兄上へ嫁ぐと言う話が来て居ましたが、拙者にもですか?」

「いや、武田との関係も有り、新九郎(氏政)へ嫁ぐ事は早くから終いになっていて、そなたとの縁組みに変更していたのだが、事は征東大将軍府に係わる事なればと、そのまま新九郎の話として流していた訳だ」


「それにまんまと、武田は乗ってくれた訳じゃ。小山田も雪の中、御苦労な事よ。尤も駄賃代わりに米二百俵を与えてやったら、喜んで帰っていったがな」

「なんと、其れでは噂を流したのは我等の方でしたか」

「そうだ、十郎と共に如何にも其れらしく流したわけだ」


氏照の問いに、氏康と幻庵が肯定する。

「つまり、征東大将軍府に仕える以上は、公方の権威である守護代の家との繋がりは却って厄介であると」

「そう言う事だ。それに大石の娘を側室として迎えたとしても、危険であると判ったのでな」


「どの様な危険が?」

「うむ、小太郎に調べさせたのだが、あのお豊という娘は未だ十三なれど、嫉妬深く直情径行な性格だと判ってな」


氏康の話に氏照が嫌そうな顔をする。

「下手をすれば、二條殿の姫と諍いを起こしかねん。ましてや万が一の事でも有れば、朝廷との繋がりが途絶えかねんのだ」

「なるほど。しかし大石は如何致すのですか?十三年もの間虚仮にされたと思われれば、不味いと思いますが」


「うむ、その点だが、三郎(北條幻庵長男三郎時長)を、そなたの代わりの婿養子として送る事にしたのだが、大石としてみれば格下に見られたと憤るであろう。その為に儂の養子として送る事にした」


「平三殿の嫁を取る事に成るが、此もお家のためと考えて頂きたい」

氏康の話の後、幻庵が佇まいを正して氏照に頭を下げる。


「大叔父上、頭をお上げ下さい。我が身は北條の為なら捨てる気がございますれば」

「済まぬな。お前達を彼方此方へと犬っころの様に養子に出して」

「父上も、お気になさらないでくだされ」


場が落ち着いた所で、氏康が話を続ける。

「三郎を送ったとて、三田との確執が無くなるわけではない。特にあの家は古弾正(綱秀)弾正(綱重)は些か一徹者だが思慮深く、北條に尽くしてくれて居るが、次男三男が些か問題のある者で、長四郎の出世を妬んでいるようでな」


「長四郎も女児とは言え子が生まれたばかりですのに、難儀な事ですな」

「真に、困った者じゃ」

「その上、残念ながら弾正には子は女児が一人しかおらぬ」


「もしや、その娘の婿にだれぞを送るというのでしょうか?」

氏照が氏康の話から推論を述べる。

「いや、古弾正と弾正が、年頭の挨拶時に、三田家中では長四郎が戻ってきて後を継ぐのではと、次男三男が疑心暗鬼になりつつ有って、ギクシャクし始めているとの事だ。家臣の中には其れを利用しておのれの権勢を手に入れようとする輩もいる。その災いを無くすために、次男喜蔵を弾正の養子とし後を継がす事で、古弾正も弾正も長四郎には三田本家を継がせぬと言う意志を見せ、騒動を無くそうと考え、その旨を承諾して欲しいと言ってきてな」


「しかし、その様な事、よく調べられましたな」

「なに、所詮は伝統だけに胡座をかいてきた家、家臣共も動きが稚拙すぎる。あの程度の欺瞞など小太郎にかかれば紙切れ一枚の薄さでしかない」


「しかし、其れでは次男三男を廃嫡した方が遙かに良いのでは無いですか?」

「そこはそれ、古弾正も人の親と言う事だ。それに此処で廃嫡した場合、家が割れる可能性が大きいそうだからな」

「その為に、長四郎も苦労しますな」


「仕方が有るまい、今や長四郎の知謀は当家にとってかけがえのない物、其れをあたら危険な実家へ送り無理に家督でも継がせて、寝首でもかかれれば取り返しが付かん」

「その通りじゃ、長四郎は今後とも北條から手放す事は無いの」


「その為ならば、三田の家督を次男が継ぐ事は容認の範囲よ」

「なるほど」

氏康の話に氏照も納得する。


「其処で、次男に三田を継がせる事で、古弾正と弾正の考えでは、婿を取って家を継がせるつもりであった弾正の息女笛姫の居場所が無くなるのでな、新十郎(氏堯嫡男氏忠1547~)に嫁がせる事に致した。此は古弾正、弾正ともに承知した事だ」


「それに、長四郎の娘が無事育てば、新七郎に嫁がせるつもりじゃ」

「其処まで決まっていますか」

「そうだ、此で長四郎と北條は二重三重の縁で結ばれる事に為る」


「長四郎も此処まで頼りにされるとは気の毒と言えますな」

「仕方無い事じゃ、あの資質は埋もれさすには惜しすぎる。九條殿からは“自分に娘がいたならば、婿にして九條の家を継がせたい”などと文が来た程よ」


氏照も康秀の出来の良さには目を見張っていたために、嫉妬心など起こらずに、義兄として護ってやろうと決心したのである。



永禄元年二月一日


■駿河國 駿府館


今川家では、北條家の内裏造営が好意的に受け止められていた。それは、既に今川義元が先年から将軍義輝を見限り、新たな人物を征夷大将軍に就け、自らは管領として天下に覇を得ようと野望を抱いていたからである。


その為に、数年前より将軍御料所の守護不介入を無視しており、近年では先祖伝来続けていた音信も全くしなくなっていたのである。来年早々に上洛の軍を起こす為に、既に義元は準備を始めていたのである。


康秀と直虎さんの最初の子供は女の子でした。

資料照査により、笛姫が綱秀の孫と判明したので修正しました。

小山田信有はこの当時結核で臥せっていたので、当事者を信茂に変更しました。


氏照夫人比佐は、夫との性生活が無くなったため、愛人の存在を疑って。笛仲間でしかない三田弾正の孫娘笛姫を夫の妾と思い、城からの帰り道で待ち伏せして心臓一突きして殺害しています。


本来の歴史から大分齟齬が起きて居ます。


本願寺顯如の息子教如(1558)生まれの嫁は史実だと朝倉義景の娘→北條氏政の長女(1557)生まれに変更。

それに伴い、千葉邦胤へ嫁ぐ予定者が変更。


津田七兵衛信澄の妻が明智光秀の娘から、康秀と井伊祐の娘に変更。


康秀と妙が婚姻した関係で、千葉親胤の夫人が松田家の娘に変更、それに伴い、氏康の側室にならないので、武田勝頼夫人がこの時点では生まれる可能性が低くなる。


大石家を氏照が継がないので、由井源三氏照の名乗りが無い。


その他変更点多数。

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