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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第参章 京都編
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第伍拾参話 嫌がらせ

お待たせしました。今回は早く仕上がりました。



弘治三年九月二十七日


■山城國 京 大内裏だいだいり  二条晴良にじょう はるよし


この日、新帝の即位灌頂そくいかんじょうの儀式を行い、更に大内裏造営に九條稙通くじょう たねみちと共に新帝の覚えも良い二條晴良の元には多くの公家衆や地下人達が集まり、新築成った二條邸での宴を楽しんでいた。


公家はそれぞれ五摂家に家礼けれい(摂家に家来のように仕える摂家以外の公家)として面倒を見て貰う仕来りがあり、近衞家が尤も多い二十三家、次いで一條家の二十家、九條家の十一家と続き、二條家は僅か二家、そして現在断絶中の鷹司家に至っては一家しかなかった。


尤も家礼でも、近衞家家礼山科家の様に義絶している家も有る関係で、勢力図としては些か当てにはならない状態で有るが。


二條邸に集まった公家衆は二條家から九條家へ養子に行った九条兼孝くじょう かねたかを伴った九條稙通、一條家を継いだばかりで元服を来年に控えた一條内基いちじょう うちもと等も集まり賑わっていた。


此は、近衞家に対抗する為に九條稙通、二條晴良が仕組んだ事であり、先代兼冬(かねふゆ)、先々代房通(ふさみち)を相次いで亡くした一條家を支援してきた事で、僅か十歳の内基を丸め込んだのである。


今日集まった公家衆や地下人達は、一條、九條、二條家の家礼と、三家に関係のある家々である。彼等は今回の宴に招待され、喜び勇んで参加してきていた。


何と言っても、公家達は戦國の世になって以来、自分達の荘園は次々に地元の國人や大名達に横領され、食うや食わずの生活を続け、ある者は地方へ下向し、ある者は家財を売り払い、そしてある者は娘を有力武将に差し出して糊口を凌いできたのである。


朝廷に既に力はなく、幕府すら朽木谷へ逃げ出す始末で、横領を訴えても梨の礫か、思いっきりピンハネされた状態の年貢しか手に入らなかった。それが、関東で覇を唱える北條家と九條稙通、二條晴良の協力により、先祖伝来の荘園には足りない状態の家もあるが、それぞれの家が充分に生活可能な荘園を寄進されたのであるから、喜びは計り知れない状態で有った。


それでも仕事のない下位の公家や地下人の中には、何時までも北條からの援助が続くか若干不安そうにして居る者も居て、二條晴良、九條稙通にもそのような話が耳に入っていて、彼等をどの様に扱うかを普段から考えていたが、良い案が浮かばずに宴の最中でもその事を考えていた。


楽しい宴が終わり多くの公家衆が三々五々帰宅する中、二條家家礼の白川伯王家しらかわはくおうけ当主 雅業王まさなりおうが、真剣な表情で二條晴良に相談を行っていた。


白川伯王家は花山天皇の末裔であり唯一の花山源氏として存在し、白川家が皇室や摂関家に祭祀の作法を伝授してきた家で有り、神祇官じんぎかんの長官である神祇伯じんぎはくを世襲してきたのである。


しかし文明年間頃(1469年~1486)、次官の神祇大副じんぎたいふである吉田兼倶よしだ かねともが、先祖代々続いた古典研究の蓄積を元に「吉田神道」と呼ばれる神道説を大成し、吉田家の先祖は日本書紀で主に神事を司った天児屋命あめのこやねのみことであり、その血を唯一受け継ぐ吉田家こそが神道の宗家であると主張し、朝廷、幕府に取り入り自ら神祇管領長上じんぎかんれいちょうじょうと名乗り、白川伯王家の地位を奪い取っていたのである。実際の所、吉田家が天児屋命の系譜につながるというのは兼俱による系図改竄であった。


百年近い間虚仮にされ続けた白川伯王家としてみれば、近衞家家礼の吉田家が近衞前嗣の権勢低下により後ろ盾が弱くなり、更に新帝即位により二條家の権勢が上がりつつ有った為、此処で吉田家に奪われた全國の神社の支配権を奪還しようとしていたのである。


その為にも、二條家、九條家、一條家の後ろ盾と、齢六十九歳にしても男児の跡継ぎの居ない自分に、吉田家に対抗可能な娘婿をお願いしようとしていたのである。


座敷で二條晴良、九條稙通に頭を下げ懇願する雅業王。

「太閤様、当家は未だ跡継ぎがおりません。このままでは、吉田に更に差を付けられてしもうて家運が更に墜ちてしまいます。なにとぞ、娘に良き婿が来て、吉田から権勢を奪還できるよう御助力をお願い致します」


「伯王はん、神祇管領長上と言えば、綸旨りんじが出てたはずやけど?」

事情通の稙通がそう尋ねる。

「太閤様、それなのですが、嘉禄三年(1228)の綸旨は偽物なのです。それに吉田家が天児屋命の系譜につながるというのは系図改竄なのです」


「偽物と言うても、証拠があらへんとほんま物になってしまうからの」

「偽物だという証拠はあるのかいな?」

証拠と言われて言葉に詰まる雅業王、それでも頭を下げて懇願する。


雅業王の懇願に考え始める二條晴良、九條稙通は暫し二人で話したが、結論を出した。

「伯王はん、それなんやけど、相談するに相応しいもんを知ってるさかい、十日ほど待ってくれるかの?」


雅業王は二條晴良の答えに一も二もなく礼を述べる。

「太閤様、有り難き事でございます。よしなによしなに」


二條晴良との話しに安堵した雅業王は、上機嫌で帰って行った。


その後、二條晴良の話を聞きながら、九條稙通は困った顔の甥の姿をニヤニヤしながら見ていた。


「叔父上、京子の事ですが、主上も宮も要らぬと言われては立つ瀬が有りません」

「うむ、又あの者に苦労させるかの」

「北條ですな」


「そうじゃ、北條であれば何とか出来よう。嫡男の嫁にねじ込んで見せようぞ」

「叔父上、お願い致します」


そう言いながら、縁続きの三條西家や西園寺家との繋がりも考える稙通は、腹の中でニヤニヤと笑っていた。




弘治三年十月二日(1557年11月2日)


■山城國 京 大内裏 いけ右衛門権佐うえもんごんすけ朝氏ともうじ


内裏建設完了後、十月後半に行う馬揃えの準備をしていた池邸に二條晴良と九條稙通がいきなり訪問してきた為、慌てる面々。早速氏堯が対応する。


「すっかり寒うなったの」

「此は此は、九條様、二條様。本日は如何致しましたか?」

「ちいと、相談があってな」


「相談でございますか?」

「そや、ちいと、長四郎を貸して欲しいんや」

「長四郎をでございますか?」


「そや、それと新九郎にも用があってな」

「お二人のお話と有れば直ぐに呼びます」

「頼むわ」


氏堯が近習に氏政と康秀を呼びに行かせる間に、康秀が取り寄せた宇治茶の茶葉を利用して康秀が自分で七時間も揉んで作った手揉み茶を急須に入れて出す。


「長四郎が作りし手もみ茶でございます」

「ほう、ええ色やし香りもええな」

「ほんまや、それに透き通る色といい流石や」


「味もええな」

そんな感じで茶を飲んでいると、氏政と康秀が息を切らしながら座敷前までやって来た。


「新九郎でございます」

「長四郎でございます」

「二人とも入って来てくれ」


「「はっ」」

氏政と康秀が障子を開け中を見ると、ニヤリと笑いながら手を上げる二條晴良と九條稙通と、真面目な顔で此方を見ている氏堯の姿が有った。


「此は、九條様、二條様、御用とは如何なる事でしょうか?」

氏政が真面目な表情で質問する中、康秀は内心で“この爺が来たんじゃ碌な事じゃ無い”と考えていた。


氏政の真面目な態度にニヤリとしながら稙通が話を切り出す。

「実はの、新九郎に嫁を世話しようという話でな」

「左様よ」


稙通の言葉に晴良が頷く。

しかし、氏政にしてみればいきなり嫁と言われてもと、既に自分には梅という正妻がいる事を知っているのにと困惑していた。


「太閤様、嫁と仰いましても、某には既に妻がおります」

「それは判っておるが、些か厄介な事が起こっての」

「それは?」


氏堯、氏政、康秀が注目する中、稙通の話が続く。

「知って通り、晴良は我が甥でな。男児のない儂が、晴良の長男の兼孝を養子に迎え入れたのだが、晴良には妹もおってな。その妹が本来であれば、儂の弟で花山院家かざんいんけに養子に入った家輔いえすけの猶子として、新帝の尚侍ないしのかみとして仕えるはずやったんやけど、それが無くなってしもうてな」


深刻そうに語る稙通の話を真剣に聴く三人。

続いて晴良が話し始める。

「そうなんや。主上も京子が嫌とか言う訳や無くて、“二條家の姫ならば予の弟、柳葉宮に嫁がせるが良いであろう”と仰ってな」


「所が、宮が“一度仏門に入った身成れば女人を近づける事は出来ぬ”と申して」

「其処で、再度主上の元へ尚侍として仕えさせようかと話し合ったんやけど、主上に“それには及ばず”と言われてな。其処で白羽の矢が立ったのが、新九郎、お主と言うわけや」


稙通、晴良の話に、顔を顰める氏政。

「どや。京子は兄の儂が言うのもなんやけど、十八で少々いき遅れかもしれへんが美人や」

苦悶の表情の氏政、内心では断りたいのであるが、此処で断り二條家、九條家との繋がりを切るわけにはと考えていたが、どうしても悲しむ梅の顔が浮かんで、諾と言えない。


それを見かねた氏堯が稙通、晴良に話しかける。

「太閤様、新九郎には、暫くのご猶予を頂けませんでしょうか、小田原にも話をしなければ成りませんので」


そう言われては仕方が無いと言う表情で稙通、晴良は返答する。

「あい判った。此は強制ではないのでな、新九郎の思うままにして構わん」

「そやそや、好いてもいない者同士では、かえって不幸になるからの。京子が悲しむ姿を見たくはないし

の」


「それに、左衛門佐の懸念しているのであろう、麻呂達との関係が壊れる事などないぞよ」

「そやそや、朝廷として、北條との繋がりを切るわけにはいかへんからな」


その言葉を聞いて氏堯、氏政は安堵の表情を見せる。

「忝なく存じます」

この姿を見て、この話はお釈迦やなと稙通は考え、京子については次点の策を行う事にした。


それでこの話を終わり、康秀に向き直った稙通が話し始める。

「長四郎に話というのは、実はな、長四郎は白川伯王家をしっておるか?」

一応知識として知っている康秀は頷く。


「名前だけなら存じておりますが、白川伯王家が如何したのでしょうか?」

「うむ、白川伯王家当主は雅業王というんやけど、跡継ぎがおらんで、娘しかいないんや」


また娘の話で、場がシーンとなる。

たった今氏政の結婚騒動が起こったばかりで有るから、今度は白川伯王家の姫と康秀の婚姻かと、北條側が考えたからである。


「太閤様、まさか私に婿になれと言うのでは無いでしょうね?私には國に妙という妻がいるのですから」

慌てた康秀が稙通に早口で訴える。


それを聞いた稙通は、してやったりとニヤリと笑い始めた。

「ホホホホ、長四郎はおもろい発想をするの。安心せいな、婿は既に決まったわ」

「そやで、白川伯王家は花山院の末裔やから、矢鱈な家から婿養子は取れへんのや」


「それで、伏見宮邦輔親王ふしみのみや くにすけしんのうの第五王子であらしゃれる妙法院の常胤王子じょういん おうじ様に還俗して頂き、婿入りする事が決まったわ」


その言葉にホッとした表情を見せる康秀。

「婿入りの件はええんやけど、白川伯王家はここ七十年ほど吉田家に頭押さえられて悲惨な状態でな」

「雅業王はんも懇願してきたんやけど、息子を婿に出す宮はんからも、白川伯王家の復興に力入れてくれと言われてな」


自分に何をさせたいのか判らない康秀は質問する。

「太閤様、失礼ですが、私は何をすれば宜しいのでしょうか?」


「実はな……」

稙通、晴良は白川伯王家から聞き取った吉田家の動きや、偽綸旨や系図改竄の話をした。


それを聞いて考え始める康秀は暫く考えて、考えを纏めて話し始める。


「二條様は、能書家でございますよね?」

「うむ、そうじゃが、それが如何したかの?」


「はい、偽綸旨や系図改竄ならば、調べてしまえば良いかと思いまして」

「それは?」


「はい、公家衆には多くの文書が遺されておりましょう。それらを集めて系統毎に分類し、綸旨を出したと言われる帝の筆跡と比べて見ればよいのです。代筆としてもその時代の帝の綸旨を代筆するような人物の物なら如何様にも残っているでしょうから、それで正誤が判るはずです。更に、系図改竄に関しては、同じ様に各家の文書を集めて集大成すれば良いかと存じます」


康秀の話を聞くうちに稙通、晴良は目から鱗が取れた様に驚く。

「なんと、それならばかなりの確率で判るであろうな」

「しかし、各家がそう簡単に文書類を出しますでしょうか?」


心配する晴良。

「それでございますが、些か不敬ではございますが、主上にお願いして、勅撰和歌集の様に系譜を作る事と、この戦乱の世で、文書類や貴重な書物が散逸焼亡しないように記録を残すとすれば、嫌とは言えますまい」


「うむー、主上を出汁に使うのは些か心苦しいが、確かに良い案じゃな」

「しかし、余りにも不敬でごじゃります」


考え始める稙通、晴良。

「よし、伏見宮と柳葉宮に相談してみようぞ」

「そうですな」


「長四郎、何れ今回の事でうち等と一緒に宮と話し合いに参加や」

稙通の否応無しな言葉に、康秀は頷くしか無かった。


この時康秀は、厄介だがやるしかないかと思い。

氏堯と氏政は、何とも言えない状態。


晴良は、どの様に収めるかを考え。

稙通は、康秀を益々頼もしく思っていた。



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尚侍 女官として天皇の側近くに仕えて、臣下が天皇に対して提出する文書を取り次いだり、天皇の命令を臣下に伝える仕事をする。

しかし、段々天皇の妾の一人となっていった。

今回のタイトルは、康秀の提案がある人物にとんでも無い嫌がらせになるというフラグ。


吉田兼見の権力失墜+公家各家の資料の整理整頓+正確な系譜の作成=ある人物の改姓が不可能になる。


何故伏見宮家が、五男より六男を先に柳葉宮の養子にしたかというと、生存していた男子の中で五男が伏見宮家次期当主の次に年上だからで、スペアーで残していたわけです。


スペアーなのに何故、白川伯王家に婿養子に出すのかと言うと、京都にいるからと言うのが最大の要因。

柳葉宮は鎌倉へ下向するわけですから、実家に非常事態が有った場合に戻って来られずに間に合わない訳です。

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