第伍拾話 覚慶
大変お待たせしました。
詰まって中々書けませんでした。
寝ぼけて書いていたので少々可笑しかった疱瘡の辺りを修正しました。
弘治三年七月
■大和國 奈良 興福寺 一乗院門跡
興福寺一乗院門跡覚慶は数週間前から疱瘡と思われる病により生死の境を彷徨っていたが、疱瘡が移ることを恐れた者達により、食事などを除くと殆ど放置され、次第に衰弱していた。
覚慶は薄れ行く意識の中で、今までの人生が走馬燈の様に思い出されていった。
「ああ、父上、母上。千歳丸は、千歳丸は、今一度お会いしとうございました……」
覚慶は高熱に魘されながら、六才の頃に別れた亡き父、足利義晴や京にいる母、慶寿院の顔が浮かんでいる。
天に手を伸ばしながら、幼い頃の食うや食わずの生活を懐かしみながら、「母上」と叫びながら覚慶の意識は暗黒の底へ墜ちていった。
どの位意識を無くしていたのか不意に暖かさを感じ気が付くと、一人の女人が覚慶を抱きしめていた。いつの間にか新しい襦袢一枚になっており覚慶は驚くが、その女人は優しい声で語る。
「覚慶様、何もお考えにならずにお眠り下さい。此は御仏の見せて頂いている夢にございます」
疑問に思う覚慶であったが、甘い香りに次第に意識が消え安らかな眠りについていった。
翌日、気が付くと女人の姿も無くなっていたが、今まで放置されていた自分の垢だらけの体が綺麗になり、高熱は未だあるが気持ち的には非常に楽になっていた。
「夢であったか……」
熱で思考能力の低下した覚慶はそう呟いた。
暫くすると、都から九條稙通が差配したと言う医師が訪ねて来た。
「覚慶様、都より太閤様(九條稙通)のご配慮で医師が参りました」
病気がうつると怖いのか恐る恐るという感じで、僧の一人が外から伝えてくる。
「判り申した」
辛いながらも返答をおこなう。
すると部屋の戸が開き、年の頃四十代前後の医師が入ってきて挨拶を行った。
「覚慶様、失礼致します。私は都留芽庵と申しまして、同郷谷村出身の永田徳本先生の従兄弟の甥の同門の師匠についておりまして、太閤様には色々お世話になっております」
芽庵の訳の判らぬ挨拶にも頭がボーッとしている覚慶は聞き流すだけであった。
「態々の往診かたじけのうございます」
動かない体にヤキモキしながらも、芽庵に挨拶をする。
「何の、太閤様。二條様が覚慶様の事を大変心配為さっておりました故、一肌脱いただけにございますよ」
芽庵は、にこやかな笑顔で覚慶に語りかける。
「さて、覚慶様、お体を診察致します」
「いや、しかし、拙僧の病は……」
覚慶が疱瘡であるからうつる可能性を言おうとするが、芽庵が手で制して言う。
「医師という者は、其処に病む者がおる限り、貴賤、病の重軽の差あれど、皆平等に快癒に尽力する物にございます」
覚慶はその言葉が胸に響いた。
そして芽庵は覚慶を診察し始めた。
芽庵は診察を進めると、覚慶に病について語り始める。
「覚慶様の御病気は疱瘡に間違いございません」
「やはり」
覚悟していた通りの診断結果に腹を決める。
「さすれば、拙僧の余命は如何ほどとなりましょうか?」
弱々しいながらも意志の籠もった声で質問を行う。
覚慶の問いに芽庵は真剣な表情をしながら答える。
「覚慶様の疱瘡にございますが、治癒しつつあります」
思いも掛けない答えに覚慶は驚くが、気休めは止めて貰おうと再度質問する。
「芽庵殿、気休めはお止めくだされ。拙僧も仏の道に生きてきた者。西方浄土へ行くならば何の恐れがありましょうか」
悟りを開いたかのような覚慶の言葉を聞いて、芽庵はいきなり笑い始めた。
「ハハハハ」
いきなり笑われた覚慶は芽庵に抗議する。
「芽庵殿、笑うとは失礼ではありませぬか?」
「済まぬ済まぬ。覚慶殿が余りに諦めているようでござったから」
「拙僧とて……」
覚慶も言葉が続かない。
「覚慶殿の御病気は嘘偽りなく、快癒に向かっておりますぞ。恐らくは覚慶殿の体力と気力、そして疱瘡の病魔が弱かったのでしょうな」
「真にございますか?」
いきなり死の恐怖から解放された覚慶は、芽庵に何度となく聞く。
「真も真、私は患者に嘘を申した事はございませんぞ。尤も患者以外には嘘をつき申すが」
覚慶は芽庵の言葉に唖然と成るが、暫くすると沸々と笑いが零れていた。
「アハハハ、芽庵殿は面白うございますな」
「ほれ、元気になったであろう」
芽庵がニヤリと笑いながら覚慶に笑いかける。
覚慶としても、熱はあるが、今までの鬱積していた気持ちが晴れやかになって来た事を感じていた。
そんな中、鈴のような軽やかな声が、部屋の外から聞こえた。
「父上、御薬湯をお持ち致しました」
「詩鶴か、御苦労」
芽庵が戸を開けると、其処には十代半ばを過ぎたと思える女性が、薬湯が入っているのであろう湯気のでた椀が乗った盆を持って立っていた。熱が高い中でも覚慶の脳裏には昨晩震える体を温め続けてくれた女性の顔と、よく似ている気がして仕方が無い。
「覚慶様、女人を寺に入れた事申し訳ございません。これは娘の詩鶴と申しまして、私の弟子をしております。この度は覚慶様の一大事と言う事で、太閤様より格別の思し召しにより興福寺にお願いし、娘を助手として入れる事をお許し頂いた次第、平にご容赦を」
「詩鶴と申します。女人禁制は承知の事なれど、医者として助けられる命を見過ごす事が出来ませぬ。どうぞご容赦お願い致します」
そう言って、薬湯を芽庵に渡すと覚慶に頭を下げる。
覚慶にしてみれば、自分を救おうとしてくれる者達であるから、目くじらなど立てる気も起こらないし、熱があるので其処まで気にしていられなかった。
「詩鶴殿、お気になさらずにいて欲しい」
そう言って、詩鶴の持って来た薬湯を芽庵から受け取り飲み干す。苦いがまろやかな風味と何処からか醸し出される甘さに、覚慶は精神的にも楽になっていき、そのままゆっくりと眠りについていった。
覚慶が眠りにつくと、芽庵と詩鶴は退出し、興福寺の宿坊の一つへ泊まり、覚慶が完治するまで治療を行った。
そして詩鶴は夜な夜な覚慶の元へ行き、特殊な香を焚きながら覚慶に暗示を掛け、その瑞々しく張りのある美しく出る所は出て締まる所は締まる体を使い、覚慶の心と体に忘れる事の出来ない記憶を植え付けていった。
覚慶が完治したのはそれから一ヶ月後であった。無論覚慶には毎日のように添い寝をしたうえ、最後の二週間は詩鶴と覚慶は男女の間柄になっていたが、覚慶はその様な詩鶴の姿は病に魘された煩悩の所為だと信じ込んでいた。
その後、芽庵、詩鶴の親子が興福寺を去るときには姿が見えなくなるまで、覚慶は手を振って別れを惜しんでいた。
弘治三年八月十日
■山城國 京 九條稙通邸
興福寺で覚慶の治療に当たった都留芽庵、詩鶴親子が京へ戻り九條邸へ顔を出したのは翌十日の事であった。二人ともごく普通の時間を掛けて京へ戻ってきたのは、興福寺を出て以来何者かに尾行されている節があったからである。
その為に、下京の有る屋敷へは向かわず、雇い主と成っている先の関白九條稙通の元へと避難したのである。
九條邸へ入ると共に尾行は居なくなり、その尾行をおった風魔の手練れが、信貴山城へ入る姿を確認している。つまりは覚慶は松永弾正久秀の監視下に置かれてると言う事が判ったのである。
此は北條家にとっても、康秀にとっても、今後の行動を考える上で貴重な報告と成った。
こうしてみると、都留芽庵と詩鶴の正体が判るであろう。彼等は風魔忍であり、覚慶の疱瘡自体が風魔が仕込んだ事であり、当初は覚慶を織田信長の上洛への御神輿として利用させない為に、数ヶ月前から小坊主として潜入していた別の風魔忍が、疱瘡の瘡蓋を覚慶に密かに植え付けていたのである。
しかし、ことのほか覚慶が丈夫であり、死に至らないようであるとわかった結果、当初の暗殺から変更し、看病させる事でこちら側に取り込むという事にしたのである。この事件自体が風魔によるマッチポンプだったのである。
更に、芽庵が出した薬湯と詩鶴が焚いた香には大麻が含まれており、このまま行けば将軍と成るかも知れない覚慶を籠絡する狙いがあった。更に詩鶴は覚慶の子を身ごもっている事も判明したのである。
北條家側は、義輝が危険であるなら弟の覚慶を操る気満々だったのだ。
弘治三年八月二十五日
■山城國 京 大内裏 内裏 紫宸殿
この日、青く晴れ渡る京は数世代ぶりに行われる大嘗祭に沸き返っていた。
内裏には、衣冠束帯の公家達が平安の頃の揃い煌びやかな王朝絵巻の再現かとばかりの様相である。
その殆どの衣装は北條家からの献金により、京、堺、伏見などの商人衆が大忙しでそれらを揃えたのである。その為一時的にせよ畿内の景気が上向き、人々の懐にも幾ばくかの恩恵があった。その為に畿内での北條人気は更に上がる事になり、それに協力した三好家、本願寺などの人気も上がる事と成ったが、手を出す事が出来なかった将軍家の権威は更に低下し、足利義輝の北條嫌いが益々酷くなる遠因ともなった。
大内裏の警護は北條家と三好家から出され、都の彼方此方では、朝廷から下賜された(資金は北條家持ち)酒樽や料理を飲み食べる町衆の歓声が聞こえ、都はお祭り騒ぎである。
紫宸殿では、知仁天皇が儀式を行っている。本来であれば数日にわたり行うのであるが、この所の天皇の体調悪化を考慮し多少なりとも簡略化して、天皇の体調をこれ以上悪化させないようにしていた。
列席する公家衆に混じって、畿内を牛耳る三好家から三好長慶、三好義賢、十河一存等が参加し、北條側からも氏堯、氏政が参加していた。
そして、天皇の第三皇子で曼殊院門跡覚恕法親王や第五皇女普光女王、第七皇女聖秀女王達も列席していた。
そんな中で異彩を放ったのは、将軍足利義輝の次弟であり当年二十一歳の興福寺一乗院門跡覚慶が参加していた事であった。彼は、七月に疱瘡により死の淵を彷徨いながらも奇跡の生還を遂げたが、その医師を差配してくれた九條稙通の勧めで京へ上ってきていた。
厳かに行われる大嘗祭を見ながら覚慶はあの頃の事を思い出し、九條邸で詩鶴に会う事を楽しみにしていた。
やばい薬で洗脳って、悪の秘密結社ののりだ!
都留芽庵→反対から読むと庵芽留都→命名は康秀のダジャレです。
疱瘡の瘡は数年経っても吸うだけで疱瘡にかかるほどの危険な物なので、病気にするのは簡単なんです。