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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第参章 京都編
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第肆拾玖話 内裏完成と綱重の受難

お待たせしました。今回いよいよ内裏が完成しました。更に九州にいる北條綱重に受難が訪れます。

弘治三年八月一日


■山城國 京 大内裏


北條家が帝の為に造営を行って居た、内裏で朝家の儀式を行う紫宸殿ししんでん、帝の住まいたる清涼殿せいりょうでん、後宮たる七殿五舎しちでんごしゃが完成し、更に譲位後の太上天皇だいじょうてんのう上皇じょうこう)が住む仙洞御所せんとうごしょ、また東宮の住む東宮御所とうぐうごしょも造営されていた。


実際の所、大内裏では大極殿だいごくでんの再建も検討されたのであるが、既に大極殿における儀式自体が紫宸殿に移っていた為に、今回は再建せずに置き、次期帝の際に再建を行うと朝議で決した。


大内裏内には公家や地下人の屋敷地が区割りされ、順次屋敷が建てられることに成っているが、今のところは内裏などの建設に全力を懸けている為に、摂家などの上級公家の様に大工に伝手のある者達のみが屋敷を造営している状態で有る。


僅かな時間で此だけの建物を造営したのは北條側と堺などの商人の人海戦術に依るものと、康秀の示した、木造枠組壁構法もくぞうわくぐみかべこうほう(ツーバイフォー)や規格木材による建築などで建築時間の短縮を成功されたからである。


流石に紫宸殿や清涼殿は在来工法で建築したが、その他の建物ではかなりの頻度でツーバイフォーが採用された。この際に施工した大工達に工法が知られた後でも、ベニア板の様な均一で幅広い板が手に入らなかった為に採用されることは殆ど無く、諸大名も興味を示さない為に廃れていった。


ほぼ完成した内裏をお忍びで見学するのは御年四十一才に成った皇太子方仁親王こうたいし みちひとしんのう。親王を案内するのは北條氏堯ほうじょう うじたか北條氏政ほうじょう うじまさ、そして頭領 中井正信なかいまさのぶ


「うむ、見事な出来映えよ」

親王が紫宸殿を見ながらお付きの九條稙通に話しかける。

「まっこと見事な出来でおじゃります」


九條稙通が親王の言葉に同意すると、親王も眼を細めながら頷く。その姿は次期帝に相応しい威厳の有りようである。


「大和守(中井正信)、見事な差配である」

親王が法隆寺番匠であり、今回の内裏造営の総監督である中井正信、正吉親子を賞める。正信、正吉親子は、感動の余り嗚咽を漏らす。


「左衛門佐、左京大夫とそちを含む北條の篤心、よう判った。帝に代わり有り難く思うぞ」

親王の礼に驚く氏堯達。


「殿下、左衛門佐が驚いておりますぞ」

ニヤリと笑いながら九條稙通が話す。

「ハハハ、率直な気持ちを述べただけよ。内裏など、生きている内に見られるとは思っておらなかったからの」


こうして内裏の造営現場を見学した方仁親王は、上機嫌で御所へ帰った。




土御門東洞院殿つちみかどひがしのとういんどの


御所へ帰り、方仁親王は知仁帝ともひと ていに報告を行った。


「父上、内裏の造営は滞りなく終わりました」

「そうであるか。どの様な状態で有った?」

最近頓に体の調子が宜しくなくなってきた帝は、横になりながら親王からの報告を聞く。


「はい、紫宸殿、清涼殿、七殿五舎共に古式に則った様式で見事に再建されております」

「そうであるか。これで祖父殿(後土御門天皇ごつちみかど てんのう)以来滞ってきた譲位が行えると言う物だ。」


帝は病身でありながら力強く話す。

「はい、まずは八月五日より順次御所からの物品の移動を行い、八月二十五日の大嘗祭、その後九月一日の譲位と成ります」

「あと二十日であるか、楽しみよな。伊勢(伊勢神宮)の事はお前に任せる故、くれぐれも頼むぞ」


帝の言葉に親王は手を握りながら大きく頷く。

「はっ、必ずや朝家復興の一石として見せましょう」

「良き事よ」


帝は疲れたのか、眠りに就き、親王は退室した。




弘治三年八月二十日


■大内裏


内裏が完成した八月五日以来、土御門東洞院殿から牛車が群れをなして御所の物品の移動を続けて居た。更に北條家が帰國した後の御所護衛の為、滝口武者たきぐちのむしゃ北面武士ほくめんのぶしなどの組織を再編成し検非違使けびいしが再編されることになり、文明十八年(1486年)に権中納言従三位兼左衛門督柳原量光が辞職以降途絶えていた検非違使別当に、十九才の正三位菊亭晴季(きくてい はるすえ)が任じられる事が内示された。


今回の検非違使別当任命は、八月一日に左大臣に就任した西園寺公朝さいおんじ きんともが分家で有る菊亭晴季を前面に押すことで、次官の佐の人事に他の公家(主に近衞前嗣の息の掛かった者)からの横鎗を防ぐ為であった。


何故なら検非違使別当は名誉職と言え、実際の実務は副長官たる佐が行う事が通例であるから、その佐に九條稙通、二條晴良にじょう はるよし、更に方仁親王と伏見宮邦輔親王ふしみのみや くにすけしんのうの意向が在り在りと含まれていたからである。


話は弘治三年三月七日の出来事に戻る。


事の発端は、西園寺公朝が土倉からの借金で娘の月子姫を攫われそうになった事から始まっている。その際颯爽と現れ西園寺卿と息女を救ったのが北條綱重だったことが、発端に成った。


西園寺卿も月子姫もその姿に惚れ惚れし、特に月子姫が恋煩いを起こす程になり、屋敷で『綱重様と婚姻できないなら、うちは死ぬ』とか『綱重様と関東へ下向する』などと言い、娘の我儘を初めて聞いた公朝だったがほとほと困り、見目麗しい公家の若君を婿にしようと、北條家からの援助で家計が潤ったので歌会などを行い、見合いさせようとしたが、その意図を知られて、父親である公朝を殴る蹴る引っ掻く物を投げるの暴行までする始末。


とうとう、変わり者と評判だが実力者の九條稙通に相談したのであるが、相談した相手が悪かった。『姫の意志が固いのであるなら、いっその事、綱重を西園寺の養子にすればよい』と言う始末。


相談する相手を間違えたとガックリし、七月に入り近衞前嗣に相談しようとしたが、放火事件の影響で自発的な謹慎中なため相談できずにオロオロしている最中の七月十五日、九條稙通に呼び出され屋敷に行くと、二條晴良となんと方仁親王と伏見宮邦輔親王が待っていたのである。


「東宮様、宮様」

驚く公朝を見てニヤニヤする親王達。

「右府(公朝)、息女のことでほとほと困り果てて居るようじゃな」

「御兄上、お困りのようですな」


邦輔親王の妻は公朝の妹に当たる為に親しくしていた。

「ははあ、面目次第も御座いません」


公朝は両親王の言葉に恥ずかしさから顔を赤くしながら答える。

「右府は考えすぎでおじゃるよ」

稙通がニヤニヤしながら茶化す。


「太閤その位にしてやれ」

方仁親王が稙通を諭し、公朝に話しかける。

「右府、そなたの懸念もよう判るが、無理に引き裂いても不幸になるだけよ」


「しかし」

「其処でじゃ、後一月足らずで内裏も完成する。さすれば北條の者達も坂東へ帰るで有ろう」


方仁親王の言葉に、公朝は時間を稼いで有耶無耶にしろと言っているのかと思ったが、違う話を始めた。


「其処で、新たなる御所の警備が必要になる訳じゃ、其処で文明以来廃れている検非違使を復興させる事に致した」

「検非違使でございますか」


「左様じゃ、その別当に西園寺の分家に当たる、菊亭晴季を推挙しようと思っておる」

「晴季をでございますか」

公朝の頭では晴季は十九才の偉丈夫であり、婿にするには申し分ない若者と思った為、検非違使別当職に就け、娘との婚姻を勧めてくれると思ったが、親王は斜め上の答えを持って来た。


「そうじゃ、晴季を別当として、佐に北條綱重を就ける事に致す」

「東宮様、綱重を佐に就けるとは何の佐でござましょうか?」

聞き違えかと思いつい聞き返してしまう。


「右府、検非違使佐に決まっておろう」

驚いて色々聞いてしまう。

「しかし、綱重は無位無冠、更に北條は公家ではございませんぞ」

「ハハハ、その事ならば、太閤が知恵を付けてくれたわ」

「太閤殿が?」


「そうですぞ義兄上、北條は元々伊勢姓であり、平氏です。其処で平氏の公卿で絶えている家を探しましたら、平大相国へいだいしょうこく平清盛たいらのきよもりの弟、池大納言頼盛いけだいなごんよりもり)の家系が絶えており、そこで同じ平氏と言う事で継がせることと相成りました」


義弟邦輔親王の言葉に絶句する公朝。


「右府よ。今の朝家、公家衆もお世辞にも強固と言えない程の状態じゃ。今は北條左京大夫により御料所や荘園が寄進されているが、大内の例ではないが栄華応報とも言う。更に北條が代替わりして、今までのような付き合いが続くかも判らん。その為にも北條との繋がりを切ることは出来ぬのじゃ。父上であればその辺は許さぬで有ろうが、私としては北條綱重に池家を復興させ、そなたの息女と妻合わせ、北條を朝家に抱え込むが肝要なのじゃ。判ってくれ」


そう言いながら、東宮が目礼をする。

慌てる公朝。


「東宮様、恐れ多いことにございます

「判ってくれたか」

「御意にございます。朝家の復興の為ならば、娘の事をお任せ致します」


「うむ、目出度いですな」

「まことや」

「取りあえず、譲位の後、綱重には従五位上じゅごいのじょう右衛門権佐うえもんごんのすけに就かせ池家を再興させ、検非違使再興後に検非違使佐を兼任させる」

「御意」



この様な事で、九州に居ながら、北條綱重は帰洛直後に池家相続と、伏見宮邦輔親王の仲人で月子姫と婚姻するはめになるとは思っても居なかった。



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七殿=弘徽殿こきでん承香殿じょうきょうでん麗景殿れいけいでん登華殿とうかでん貞観殿じょうがんでん宣耀殿せんようでん常寧殿じょうねいでん。五舎=飛香舎ひぎょうしゃ藤壺ふじつぼ)、凝花舎ぎょうかしゃ梅壺うめつぼ)、昭陽舎しょうようしゃ梨壺なしつぼ)、淑景舎しげいしゃ桐壺きりつぼ)、襲芳舎しゅうほうしゃ雷鳴壺かんなりのつぼ

池家は、この時、既に断絶して消え去り、荘園等はその当時の当主の娘の嫁ぎ先の久我家に相続されていました。


池大納言頼盛は頼朝が処刑されそうになったとき助けた池禅尼の息子で、平清盛の母親違いの弟。平家の都落ちに参加せずに、後に頼朝により鎌倉へ招待され大歓迎され、所領も官位も全て元のように成りました。


猜疑心の塊のような頼朝でも命の恩人の息子は大事にした訳です。

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