第肆拾漆話 暗闘
お待たせしました。
前回風魔が何故後手に回ったか判ります。
弘治三年七月五日夜半
■ 京
真継久直の監視を命じられた左膳、貳之助、太兵衛は夜半に屋敷を出る久直を見つけ、太兵衛を屋敷の監視に残し後を付け始めた。
久直は護衛らしい武士一人を従えて鴨川沿いを北上していく。その姿をつかず離れずに尾行しながら二人は進む。かなり進んだ河原町丸太町付近で突如二人を斬撃が襲った。
暗がりに隠れていた男が、目にも留まらぬ早さで斬撃を喰らわせてくる。その凄まじい勢いに一瞬の内に貳之助の頸と胴が離れる。その直後、頸が飛んだ胴体側の切り口から鮮血が吹き出す。貳之助とて風魔一族の猛者であるにもかかわらず、全く抵抗できずに斬撃より葬られた。
ドサッと言う音を立て、貳之助の胴体が倒れる僅かの間に、斬撃は残る左膳にも襲いかかるが、左膳は風魔でも剣戟に長けた男故、斬撃を避けつつ応戦する。
何合もの鍔迫り合いが続くが、次第に左膳は襲撃者に押され始める。
数十合目に左膳がズルッと足を滑らした瞬間、襲撃者の斬撃が左膳の右目と右腕を永遠に失わさせた。襲撃者は巧みな誘導で左膳を貳之助の胴体が噴出させた血溜まりへと誘導していたのである。
「ぐぅぅぅ……」
腕と目を失い得物まで腕と共に失った左膳に対して襲撃者は情け容赦無い斬撃を喰らわせるが、左膳は断腸の思いなれど連絡をせねばと鴨川へ飛び込んだ。その後流れ出る出血に気を失いそうに成りながら、下流の鳥羽付近まで流された後、翌々日の七日早朝に這うように風魔屋敷へ辿り着いたのである。
同じ頃、一人真継邸の監視に残っていた太兵衛も暗がりから突然飛来した矢により眉間を射貫かれ事切れていた。その直後真継邸に夜盗に扮した者達の襲撃が行われ、太兵衛の遺体諸共焼け尽くされていった。
近衛邸を監視していた者達は、出入りの商人に扮していた近衞前嗣に気が付かずにまんまと屋敷を脱出され、真継久直との話し合いに行く事を察知できずにいたのであった。これも人材不足が原因で、公家ならば格下でも大丈夫で有ろうと、比較的練度の低い者を配置していた為であった。
弘治三年七月七日午後
■京 風魔屋敷
京における風魔の活動拠点に康秀が現れたのは、真継久直の遺体が発見され、真継屋敷が燃え尽き、久直に付けた左膳が満身創痍で担ぎ込まれたと連絡が有った為だった。
康秀が屋敷に入ると二曲輪猪助が悲痛な顔をして対応する。
「貳之助と太兵衛が殺られ、左膳が右腕と右目を取られました」
猪助が康秀に状況を伝えながら、左膳を看病している部屋に案内する。
康秀が現れると、全身当て布で手当てされ布団に寝かされている左膳が、無理に体を起こそうとし始める。
「三田様」
「良い、そのまま寝ておれ」
康秀が左膳を労る。
「左膳、御苦労であった。左衛門佐様も大層心配しておられるぞ」
「ありがたき幸せ」
「左膳と貳之助を襲った者はかなりの手練れの様です」
猪助が康秀に説明する。
「左膳、その者の特徴は?」
受け答えには支障がないのか、左膳は一字一句間違えぬようにと確りと話す。
「はっ、年の頃は三十前後、身の丈は五尺半程(170cm)の浅黒きガッチリした体つきでございました」
「うむー、猪助、心当たりはないであろうか?」
「真継屋敷にその様な男は一度たりとも参っていないはずにございますぞ」
康秀が猪助に尋ねるが、猪助も首を捻るばかりである。
「左膳、他に何か特徴はなかったか?」
左膳は必死になってあの時のことを思い出す。
「あっ」
「何か思い出したか?」
「はっ、あの者の太刀筋が以前対峙した鹿島新當流の使い手の構えに非常に似通っておりました」
左膳の言葉に康秀は唸りながら話す。
「うむー、新當流と言えば、塚原卜伝殿の流派、畿内の新當流と言えば、公方様(足利義輝)、北畠中納言殿(北畠具教)、三好義賢殿、十河一存殿などが主な所だが、皆国元におられるはず、しかも関白や真継に繋がりは希薄なはず」
「そうでございます。公方様は未だ朽木谷でございますし、三好殿は阿波、十河殿は讃岐におられます故」
康秀の脳裏に何か引っかかっているが、それが何か思い出せない。
「うむー、恐らく左膳達を襲った者の雇い主は真継ではなく、関白だろうな」
「恐らくは」
「さすれば、関白に繋がりのある新當流と言う事に成るやも知れんな」
「早速に調べます」
「猪助、敵は相当な手練れだ。くれぐれも無理せぬようにさせてくれ」
「しかし」
「猪助、風魔もそうだが、私も、左衛門佐様、新九郎様も、上洛した皆が無事に小田原へ帰ることを望んでいるのだ。決して無理をするな、皆で帰ろう」
「三田様……」
康秀の言葉はその場にいた者の心に染み渡った。
一拍おいて康秀が猪助に告げる。
「関白に繋がりのある者に対しては私の方も太閤様、山科卿に話を聞いてみるつもりだ。特に山科卿は形だけとはいえ近衞家の家礼だからな」
「判りました。我等も出来うる限り調べます」
頷く康秀。その時である、突然左膳が叫んだ。
「さすればご免」
伝えることを伝え終わった左膳はいきなり無事な左手で鎧通しを持つと自らの頸動脈をかっ切ろうと、左の首に刃を当てようとする。
(鎧通し=戦場で組み打ちの際、鎧を通して相手を刺すために用いた分厚くて鋭利な短剣。反りがほとんどなく長さ9寸5分程(約29センチ))
皆が唖然とする中、康秀の手が左膳の首筋を保護したために、勢いの付いた鎧通しが康秀の右手の甲を傷つけ鮮血がほとばしる。康秀は血が流れるのもお構いなしに左膳から鎧通しを奪い投げ捨てる。
左膳は元よりその場に居た皆が唖然とする中、康秀は普段のおちゃらけた表情ではなく真剣な表情で左膳の両肩を握りしめ、目を見て話し出す。
「左膳、何故死に急ぐか!」
その剣幕に左膳も思わず答える。
「拙者のせいで、御屋形様、三田様、小太郎様の作戦が失敗したのです。更に貳之助、太兵衛も死なせてしまいました。この事万死に値します」
その言葉を聞いた康秀が
「何を言うか、関白と真継の企みを知りながら、後手後手になったは、我等上の者の見通しの甘さが最大の罪じゃ」
「何を仰りますか。左衛門佐様、三田様のせいではございません。我等風魔の未熟が原因」
猪助が康秀に頭を下げながら訴える。
「いや、お主達はよくやってくれている。ここへ来ている僅か五十人足らずで畿内諸國、西國への諜報、武田の連中との暗闘、御所の護衛、我等の護衛、そしてあの事までやっている。真に頭の下がるばかりだ。今回とて、同時進行であの仕掛けをした為と、御所の護衛の為に人手を割き過ぎた俺の策が原因だ」
血を流しながら風魔衆に語りかける康秀の姿に、この場にいた全ての風魔が感じ入っていた。
「三田様……」
風魔衆が涙ながらに康秀を見ている。
左膳の肩を掴みながら康秀は再度左膳に話しかける。
「左膳、お主のせいではない、我のせいだ」
「三田様、ご自分をお責めにならないで下さい!」
「左膳よ、生きよ。貳之助、太兵衛の分まで生きて生きて生き抜くのだ!」
「三田様、最早この体ではお役に立てません」
左膳もとうとう泣き出した。
「左膳、此からは野の仕事ではなく、風魔を育てる事をするのだ。お主なら必ず出来る。良いな」
「三田様……」
左膳もとうとう泣き出した。
「猪助、此で良いな」
猪助すら、康秀の言葉に感動していた。
「御意に」
「それと、貳之助、太兵衛もせめて遺骨だけでも國へ帰してやってくれ」
その言葉に再度風魔衆は感涙に噎ぶ。
後に左膳は隻腕隻眼の欠点を乗り越え、風魔の次世代教育に力を発揮することになる。
弘治三年七月十日
■大和國添上郡
大和國の山間、木津川の支流沿いの村に年の頃三十代の男が数人の門下と思える荷物を背負う若者達を連れて帰ってきた。その男は、村の中心にある小規模な山城を目指していた。
男は城の麓にある屋敷の前まで辿り着くと門前まで迎えに出てきていた六十才程の老人に挨拶をする。
「父上、戻りました」
「新左衛門、よう戻った」
「はい」
二人は挨拶もそこそこに屋敷の隅に設けられた道場へと向かう。
道場へ着くと、人払いをした後に話を始める。
「新左衛門、この度は如何致した」
老人の問いに新左衛門が答える。
「はい、風魔を仕留め損ねまして、顔を知られてしまいました」
その答えに、老人は顔を顰める。
「それは不味いの」
「はい、その為、暫しほとぼりを冷ます必要が出来まして」
「ふむ、そう言う事か」
「父上、面目次第もございません」
「未だ未だ修行が足らんと見えるな」
老人の言葉に新左衛門がばつが悪そうな顔を見せる。
「はい」
「過ぎたことは仕方が無い、関白様の仕事は如何致す?」
老人の言葉に今度は自信を持った表情で新左衛門が答える。
「はい、既に真継自身は関白様が始末致しましたし、真継家自体も門弟により処分済みにございます」
「成る程、やはり真継は切られたか」
老人の眉間の皺が深くなる。
「はい、些か真継はやり過ぎました」
「そうよな、新左衛門、我等とて気を付けねば成らぬぞ。何時真継の様に切り捨てられるやも知れん」
そう言う老人に、新左衛門が含み笑いをしながら話しかける。
「父上、それだからこそ、松永霜台(弾正忠の唐名)(松永久秀)に誼を得ているのでは有りませんか」
「そうよな、筒井の輩に恨みを返さねば成らんからな」
「そうですな」
「そうなると、関白様の護衛は如何致した?」
「関白様は、暫し帝のお怒りを避ける為に大人しく為さるとのこと。それならば多くは要らぬとの事にございましたので、太郎兵衛(鏑木太郎兵衛)と阿里助(有澤阿里助)を残してきました」
新左衛門の話に納得の表情の老人。
「うむ、あの二人であれば心配要らぬであろう。新左衛門、今日は休め。明日より扱いてくれよう」
「はい、父上、二度と風魔に後れを取る訳には行きません故、よしなに」
老人の言葉に新左衛門が頷いた。
弘治三年七月十二日
■大和國興福寺一乗院門跡
「ぐわー……」
「お労しや」
「ああああ……」
興福寺一乗院門跡覚慶は一旦下がった猛熱が再度発生し、今度は猛熱が下がらずにのたうち回っていた。今回は比較的安全で毎日清掃も実施されている寺内にも係わらず、何故か興福寺と言う一点だけに疱瘡が発生し、それにより覚慶は生死の境を彷徨っていた。
弘治三年は史実では京で麻疹(はしか)、疱瘡(天然痘)が大流行したので有るが、北條家が京へ来た結果、自衛隊による衛生管理や、清掃作業により京の町が清潔になり、大規模な貧民保護政策(東國へ移民させる)、更に九条稙通、山科言継達と協力し種痘を密かに行った事により疱瘡大流行は起こらず、麻疹も手当が行われ栄養が行き届いた結果、死者数が激減していた。
史実だと新左衛門は後に浪人時に近衞前久の厄介になっていますから、この頃から繋がりが有ったとしても可笑しくないんですよね。
新左衛門の家来の名前は、某TVドラマから取りました。
左膳も某映画やドラマから。
覚慶は言わずと知れたあの方です。