第肆拾睦話 放火事件
お待たせしました。
今回は事件が起きます。
弘治三年(1557)七月一日
■山城國 京 土御門東洞院殿
この日、知仁帝(史実の後奈良天皇)は九條稙通から慶事を奏状された。
本来であれば五摂家当主などが集まり朝議にかけるところであったが、戦國時代には既に五摂家などの経済的にやっていける家は天皇のそばに仕える事が少なくなり、勘解由小路在富、山科言継達が側近として側に仕えていた。
その為、九條稙通が直接慶事を奏状する事が出来たのである。
「太閤、如何致した」
知仁帝が九條稙通に問う。
「攝津石山の地で大鷦鷯天皇(仁徳天皇)の難波高津宮の礎石が見つかりました」
稙通の話に知仁帝が驚きの顔をする。
「なんと、大鷦鷯天皇の礎石がとは。それは何処にあったのか?」
「はい、石山本願寺御堂の礎石として大事に使われておりました」
「なる程、王法為本を信条とする本願寺御堂の礎石としてとは。何かの縁やもしれん」
しみじみと語る知仁帝。
「本願寺では、礎石を御所の礎石として献上し、更に石山の地も献上するとのことでおじゃります」
稙通の話に知仁帝は益々関心した顔になる。
「真宗は何かにつけて争乱の元となった事も有ったが、親鸞は元々は日野亜相(大納言の唐名)の血を引く身、此も何かの縁か」
「縁は異なものでございますな」
公卿の一人がそう呟く。
「更に顯如は、御所造営の為に人材を是非派遣させて頂きたいと願いが出されました」
「なるほど、太閤殿が心配していた、鋳物師ですかな?」
「左様、顯如より『現在畿内の鋳物師は全て高野山と興福寺の作事をしている最中との事なれば、主上の御所造営に是非とも、婚姻の為に全国より集まりし鋳物師を使って頂きたい』と頼まれました」
「主上、それは良きことではございませんでしょうか」
事情を知らない側近の一人が話す。
「顯如と言えば、亡き三條左府殿(左大臣の唐名)の御息女との婚姻が決まっていたはずじゃな」
九條稙通の話に山科言継が絶妙な助けを入れる。実は会議の前に山科言継に堺へ入荷したばかりの新酒を三十樽送った事で協力して貰ったのである。
「なるほど、顯如は自らの婚姻準備を遅らせてまで、主上への馳走を行いたいと言う訳じゃな」
山科言継の話に九條稙通が頷く。
「左様じゃ」
それに釣られて他の側近達も顯如を褒め称える。
「主上、顯如の得心をお認め頂けますでしょうか?」
頃良しと見た九條稙通が知仁帝にお伺いを立てる。
「うむ、朕も顯如の得心ようわかった。許そう、して顯如は何が望みぞ?」
知仁帝も只で顯如がその様な事をするとは思っていない為に稙通に問いかける。
「はっ、献上した石山の地を再度主上より下賜して頂きたいとの事」
門跡位でも求めるのかと思ったが、それをしないことに知仁帝は気をよくして稙通の願いを許可する。
「顯如の得心見事と言えよう、太閤の言う下賜の件あい判った」
「はは-」
知仁帝はにこやかに九條稙通を見ながら許可した。帝にしてみれば、今まで散々諸大名の“金さえやれば官位などくれるのが当たり前”という態度に憤慨することが多々有った。
一度など土佐に下向したまま帰らない一條房冬の左近衞大将就任で一万疋(1000万円)の献金を受け取ることを皆が知らせずに居た為に、『言語道断。是非なき次第である』と激怒したほどであり、その一万疋を突っ返したのである。
それに比べて、本願寺の態度は民が喜んで帝の為に労力を献上すると言う、天下臣民の父母たるを自認している知仁帝にしてみれば非常に嬉しい事だったからである。
弘治三年七月二日
■近衞邸
近衞邸で近衞前嗣と真継久直が密かに会っていた。
「何ですと、本願寺が出てきたというのですか?」
「そうじゃ、顯如め、主上の為に自らの婚姻の準備を止めてでも鋳物師を公事させるとは、悔しいてしょうがないわ!」
「何故本願寺が出来てきたのでしょうか?」
「それよ、恐らくは北條の輩が手を回したんに違いないで、あれと顯如は昵懇やし」
「不味い事になりました」
「それよ、仕方ないさかい、兵庫よ、応天門の二番煎じやが出来るやろうか」
「はい、それならば、大工の一人を使えば直ぐにでも」
「見てるがええわ、関白虚仮にした報いを受けるがええわ」
弘治三年七月四日夜半
■山城國 京 御所造営現場
新月に近い月明かりの中、御所建築現場で寝たふりをしていた真継久直の命を受けた大工が密かに飯場から出て、御所の清涼殿の床下へ忍び込んだ。其処で懐から火口箱を取り出し、昼間入れておいた大鋸屑に火を移し始めた。
その瞬間、目にも留まらぬ早さで忍び寄ってきた風魔忍により頸動脈を押さえられ、大工は全く抵抗も出来ずに気絶した。
上方における風魔衆を率いる二曲輪猪助が大工の手から火口箱を取り上げ、他の風魔が延焼していないかを確認の上、下忍が大工を担いで氏堯達の元へ向かった。
氏堯達の前に引っ立てられた大工は最初は何も言わなかったが、康秀が言いだした事で青く成りだした。
「猪助、それほどまでに何も言わぬのであれば、木綿針を爪の間に刺すのが効果的だと思うぞ」
尋問に対する康秀の提案にどん引きになる猪助であったが、それだけ御所の放火を許さぬと言う康秀の気合いの表れに見えた。
「康秀様、いくら何でもそれはやり過ぎでございます」
「そうか」
猪助も康秀の目配せで、意図を知りそれに合わせる。
「そうにございます」
「しかし、御所放火の大罪、正に本朝無双の謀反人よ。その様な謀反人で有れば、手足の指を一本ずつ切り刻むとか、生皮を剥ぐとかせねば成るまい」
「それはいくら何でも」
康秀と猪助の話を額に皺を寄せたまま目をつぶって聞いている氏堯だが、腹の中では大笑いしていた。
「長四郎、その辺にしておけ。いくら何でも死んでしまう」
氏堯が真面目そうな顔で話を止めると、真っ青な顔をしていた大工が神様でも見るような目で氏堯を見る。
「いやいや、幾ら左衛門佐殿のお言葉とはいえそれは叶いません」
「しかしの」
再び絶望の顔をする大工。
康秀が暫く考える様に目を瞑る。
「康秀様、如何致すのでしょうか?」
其処へ猪助も話しかける。
「そうだな、道具に罪はないか、所詮道具に罪はないか」
目を瞑りながら大工にも聞こえるような声で康秀が呟く。
その言葉を聞いて大工が喋り出す。
「申し訳ございませんでした。諸国鋳物師御蔵職真継兵庫様に、火付けに成功すれば禁裏大工惣官職に就けるように口利きしてやると言われました」
「左様か、詳しく話して貰うぞ」
氏堯がそう言い、大工はその後の尋問で全てを吐いた。
その一報は詳しく九條稙通に伝えられ、五日では準備が間に合わない為に六日の朝議に出される事となったが、この一日の遅れに康秀達は泣かされることになる。
弘治三年七月五日 夜半
■河原町今出川
河原町今出川にある廃寺に密かに真継久直が現れた。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」
普段の不貞不貞しさが見えない程慌てて寺の本堂へと向かう。
「こっちや」
久直を呼ぶ声が聞こえる。
「阿衡様」
関白とは思えない武家のような姿で近衞前嗣が現れ手招きする。
「こっちや」
前嗣に呼ばれ本堂へと入ると久直は一気に話し始める。
「阿衡様、容易ならざる事が起こりました」
「兵庫如何したのや?」
久直は汗をダラダラ垂らしながら青い顔をして話す。
「御所放火を失敗致しました」
「なんやて」
「大工が火をかけようとした際、北條側に見つかり捕らえられた模様でございます」
久直の話を聞いた前嗣は額に手を置いて考え込む。
「そか、所で兵庫、そなた此処へ来るとき誰にも見られておらんやろうな?」
「それは、無論です」
「そか、それならえんや」
そう言うと、前嗣は額に置いた手を降ろして、腰の辺りをさすり始める。
「取りあえずは、知らぬ存ぜぬと言うしか有りませんな。知られれば我等は破滅にございますれば」
「そうじゃな、破滅よの、兵庫はな」
そう言うと近衞前嗣は腰をさすっていた手で素早く太刀を抜くといきなり久直を袈裟切りにした。ガズッという鈍い音と共に鮮血が体から吹き出し仰向けに倒れる。突然の事に久直は驚愕の表情を現しながら、前嗣に絶え絶えの息で問いかける。
「ああ阿衡さ・・・・ま・・いったい……」
前嗣が、悪人面をしながら久直に語る。
「フン、役立たずが。安心してあの世へ行くがええで。直ぐに家族も後を追うさかい」
前嗣が自分を始末しようとしている事と家族も手にかけようとしている事に気づいた久直が、怒りの形相で絶え絶えの声を上げる。
「さきつ・・・ぐ・・・・き・・・さ・・・・ま……」
前嗣は能面のような顔でそんな叫びも無視し、太刀をドスッと久直の心臓目がけて刺して止めを刺す。
「フン、使えへん道具は始末するに限るじゃろ」
太刀を引き抜きながら前嗣は呟く。
「後は任せたで」
前嗣は仏像にそう言うと、何も無かったかのように寺を出ていった。
前嗣が寺から出ると、仏像の裏から人影が現れ久直の死骸を調べ、主人との繋がりのある物を持っていないか調べた後、鴨川に放り込んだ。同時刻、真継久直邸では夜盗により家人が皆殺しになり更に放火されて、近衞前嗣と関係のある品々と共に付近の町屋一町程(100m四方)を巻き込んで全焼した。
七日、鴨川の九條河原に袈裟切りにされた真継久直の遺骸が流れ着いた。此により諸国鋳物師御蔵職真継家は一家が全滅し断絶、更に放火に関しては穢れになる為に隠されたが、偽文書、新見忠弘殺害などの罪状により久直の遺骸は六條河原で斬刑に処された。
弘治三年七月六日 午前
■山城國 京 土御門東洞院殿
この日、朝議で知仁帝(後奈良天皇)は九條稙通から奏状された真継久直の罪状をみて激怒した。それには真継が諸国鋳物師御蔵職の役職を悪用し数々の偽勅を使い私腹を肥やしていたことが記されていた。
更に、御所造営に必要な鋳物師派遣を邪魔した事に続き、更に帝を激怒させたのは、禁裏大工惣官職就任に破れた大工を使い、密かに造営中の御所に火をかけようとしていたことまで、捕まった大工の尋問で判明したからであった。
「朕は、國家と民の安泰を願い、あの者に幾度となく綸旨を与えたが、それを改竄し偽文を持って、己の私利私欲が為に使うとは何たる事ぞ」
主上のこの上ない怒りに、朝議に参加していた者達から口々に真継への攻撃が始まる。
「主上の御心を知らぬ有象無象にございますれば」
「話によりますれば、真継は新見家を乗っ取り、本来の跡継ぎ忠弘はんを無残にも餓死させたとの事でおじゃる」
「更に北條左京大夫に鋳物師を派遣させたければ、左京大夫の所領での鋳物師を諸国鋳物師御蔵職の統制下にする事を約束せよと申した次第」
「麻呂達朝臣は主上の宸襟を安んじ奉らん事こそが性であるのに、私利私欲に走り、恐れ多くも御所の放火を企み主上の大嘗祭と譲位を邪魔するとは、本朝有数の謀反人や」
「朕は、國家臣民の為にと思い、あの者へ綸旨を下したが、とんだ見込み違いであった」
知仁帝の嘆きを見て右大臣西園寺公朝が話す。
「主上の國家万民の事を思い天下静謐を願いし事は、我等朝臣皆判っておりますが、あの様な地下以下の者にはそれが判らぬ様にございます」
「そうでおじゃる、主上の御心を踏みにじる粗野野望の者におじゃります」
「そう言えば、兵庫は阿衡殿の屋敷に度々、出入りしていようでおじゃります」
「主上、阿衡殿を参内させ子細を確かめたいのでございますが」
右大臣西園寺公朝がそう奏状する。
「近衞阿衡は如何なる考えを持っておるのであろうか、右府そなたが詰問致せ」
「御意にございます」
弘治三年七月七日 午前
■山城國 京 土御門東洞院殿
この日、御所放火未遂事件への関与を疑われた近衞前嗣は朝議にて詰問を受けた。
「確かに真継なる御蔵職と付き合いはありもうしたが、それは本来の主人たる当家の家礼柳原大納言が因幡へ逐電しているが為に麻呂が対応していただけじゃ。しかしあの者が伴大納言(応天門の変の主犯と言われている伴善男)の如き謀反人とは露知らず、主上に多大なる御心労をお掛けしたことを鑑み、麻呂は左大臣を退くことに致す故、主上にお伝え頂きたい」
この事により、決定的な証拠がない近衞前嗣は処罰を逃れ、左大臣辞任だけで関白に留まることとなる。此は近衞前嗣の妹が将軍足利義輝の妻であること、前嗣の父親で前の関白太政大臣近衛稙家の事も鑑み、幕府との繋がりの喪失や対立を避ける為に、政治的な解決策と成った訳である。
結果、康秀が内裏放火未遂事件を利用して近衞前嗣の影響力を排除し追い落としを行い、後々の長尾景虎への近衞前嗣の支援を排除する企みは、近衞前嗣と言う時代の荒波を潜り抜けてきた逸材の動きにより失敗に終わった。
史実でも近衞前嗣は1557年9月に左大臣を辞任しています。
流石にしぶとい近衞前嗣でした。
意外や意外この時近衛前嗣、数えで二十二才。
近衞前嗣の処罰が軽いのの補足を入れました。将軍の義理の兄だから幕府との繋がりなどを鑑んだ。
修正
御上>主上
山科言継 やましな ときつぐ でした。