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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第参章 京都編
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第肆拾壱話 スカッと爽やか

今回は早めに更新できました。





弘治三年五月三日


■摂津國 堺 丹波屋


堺にて砂糖や各種漢方材料を手に入れた康秀達は、更に継続的な供給を頼む為に、薬種問屋丹波屋の小西弥左衛門(小西行長祖父)を尋ねていた。


その会談の最中にポツリと康秀が言った言葉が又事件を引き起こす。


「多田院の近くに霊泉があるそうですね」

康秀の言葉に同席していた津田宗達が答える。

「霊泉ですか、噂には聞きますが、それが何か?」


「なんでも、源満仲が住吉大社の神託に従い三つ矢羽根の矢を放ち、矢の落ちた所に城を築き、その後、鷹狩りに出かけた際、偶然居城近くの塩川の谷間で、一羽の鷹が湧き出ている水で足の傷を治して飛び立つのを目撃しそれから霊泉として崇められていると聞き及びましたので」


「ほほー、その様な事が」

感心したという感じの宗達と弥左衛門。

「体に良き霊泉なら帝の御病気にも効くかと思いまして」


康秀が如何にも帝のことを心配しているように見せる。

「なるほど、多田の領主塩川伯耆守様(塩川國満、織田信忠側室の祖父)に伝手がありますが、お訪ねになりますか?」


宗達の言葉に康秀は一二もなく頷く。

「是非に」



弘治三年五月八日


■摂津國 川辺郡かわべぐん 大神郷おおむちごう 多田院ただいん


多田院に康秀を含む北條一行が津田宗達、小西弥左衛門、子息小西弥十郎(小西隆佐こにし りゅうさ小西行長父)と共に多田院へ参拝した。三好長逸には話を通したため無用な軋轢も無く、多田院ただいん御家人衆筆頭ごけにんひっとう塩川國満しおかわ くにみつと会うことが出来た。


「北條様、拙者は多田院御家人衆筆頭塩川伯耆守と申します。三好様よりお話はお伺いしております。本日は多田院参拝と平野霊泉の見学との事。この伯耆にお任せ下され」


一応塩川氏は三好家の勢力下にある為、三好家の頼みを断るわけにも行かずに笑顔で対応する。


源満仲みなもとのみつなか殿か、源氏を勃興させた大人物よな」

氏堯がしみじみと呟く。


「しかし、北條様は平氏、源氏とは相打つ家系ではございませんか?」

津田宗達が不思議そうに尋ねる。


「源平の合戦と言うても、実際は伊勢平氏と坂東平氏との戦いのようなもので有ったからな。のう長四郎」

氏堯が長四郎に話を振る。


「そうですね。源頼朝公の部下達は北條時政ほうじょう ときまさ三浦義明みうら よしあき和田義盛わだ よしまさ千葉常胤ちば つねたね梶原景時かじわら かげときなどの有力御家人は坂東八平氏出身でした。逆に源氏である新田義重にった よししげは日和見、佐竹秀義さたけ ひでよし志田義広しだ よしひろは敵対しています」


腹の中では先祖平将門公謀反と嘘の第一報を入れて将門公の立場を悪くした源経基みなもとのつねもとの息子だから、むかつくけどと思っていたが。


「そう言う事よ。多田大権現殿は、執権北條家にとっては主君の祖先神と言う訳でしてな。それに箱根には源満仲殿の宝篋印塔ほうきょういんとうもあるぐらいですからな」


康秀と氏堯の話に其処にいた皆が納得した。


その後、多田院の参拝と貫首との面会も終え、地元の者に案内させ霊泉へ向かった。


多田院から三里程(2km)北東にある霊泉へ着くと、康秀は早速碗に霊泉を汲み、泡立つのを確認してから、一口二口と飲んでいく。


「三田殿、どうでしょうか?」

塩川國満が心配そうに尋ねる。

「美味にして、喉越し爽やかですね。此ならば帝も御喜びになるはずです」


それを聞いて、塩川國満と多田院貫首がホッとした顔をする。

「それはようございました」


「この霊泉ですが、加工すればさらに良い物が出来ます」

康秀の食知識を信頼している氏堯はやってみよと思う。

「長四郎、面白いやってみよ」


康秀は最初からやるつもりで、堺で手に入れたガラス瓶などを駆使して霊泉に砂糖を混ぜた物や、それに柚の絞り汁などを混ぜた物、抹茶を混ぜた物を作り振る舞う。


皆はおっかなびっくり飲むが、泡のはじける喉越しに驚きながらも口々に悪くないと言う。

「此は驚きだ。口当たりが何とも言えぬ」

「爽やかな感じがしますな」


康秀が更に新作を作る。

「次は生姜の絞り汁と砂糖を混ぜ、蜂蜜と柚子の絞り汁と、丁寧に粉末化させたカラメルを溶かし入れると、喉越しの良い飲料になる訳です」


再度飲んで見るが良い味と感じた。

「なるほど、面白い事だ」

「霊泉がこうも良き物とは」


「此を帝に献上し、更に多田院で配布すれば、霊験あらたかと多くの者が求めるでしょう」

康秀の提案に津田宗達、小西弥左衛門が直ぐに頷く。

「此は素晴らしい事です」

「塩川様、貫首様、どうか我等にそのお役目を」


目聡く商人二人は自分を売り込む。

「うむ、しかし、此は三田殿の提案。勝手に我等が決める事も出来まい」

「左様」

塩川國満と多田院貫首はそう言って、康秀と氏堯を見る。


「多田院は源氏霊廟にございます。平家の我が家がその霊廟で金を稼ぐわけには行きますまい」

氏堯がそう言い康秀が肯定する。

「左様でございます」


「おお、北條殿、三田殿。感謝致します」

「拙僧も感謝致します」

「我等も感謝致します」


五人全員が感謝の言葉を告げる。


其処へ康秀が更に話を投げかける。

「此を南蛮人に売りつければ、相当な利益を何れは見込めるはずです」

皆はいきなり南蛮人と言う事に不思議がる。


「南蛮人にございますか?」

弥左衛門が不思議そうに聞く。

「左様、聞くところでは南蛮人の國は我が國のように生水を飲むことが危険なそうで、その為に子供の頃から酒を飲ましているらしいのです。ご存じのように酒は百薬の長と言いますが、乳児の頃から飲ませて良い訳がありません。其処でこの霊泉を瓶に詰め売りつけるのです」


康秀が色々と料理を作り外れがないことから、宗達と弥左衛門は納得して頷く。國満と貫首は話しについて行けなくて唖然としている。


「名前は何としますか?」

宗達が早速売り込むための名前を尋ねる。


「我が国向けと、南蛮人向けでは名前を変えた方が良いでしょう」

「どの様な?」


「我が国向けは、多田院の霊験あらたかな神水として、多田権現水とするのが良いのではと思うのですが、貫首殿は如何でありましょうか?」

「此ならば、我等は異存ございません」

やっと頭が動いた貫首が頸を縦に振る。


「ならば、決まりですな」

「歩合については、多田院、塩川殿、小西殿、津田殿、それぞれに二割ずつ。三好殿に運上として二割で如何でしょうか?」

康秀の話に、北條側の割合が入っていない事を小西弥左衛門が訝しむ。


「北條様の取り分は無いのでしょうか?」

氏堯が左右に手を振りながら疑問に答える。

「先ほど言った様に、多田院は源氏霊廟にございます。白旗大明神(源頼朝)様家臣であり平氏の我が家が、その霊廟で金を稼ぐわけには行きますまい」


その気っ風の良さが後々まで語りぐさになり、『流石北條よ』と畿内は元より堺商人と多田院氏子達により全国に知れ渡ることになる。


「所で南蛮人に対する名前は如何しますか?」

「それも考えておりまして、ジン○ャーエールと言うのは如何でしょうか?」

「神社エール???」


「それは如何なる意味ですかな?」

「南蛮では生姜の事をジンジャーとか言うらしく、更に食事時などに飲む飲料をエールとか言うそうです」

「なるほど、三田殿は博識ですな」


実際、英語読みなので、ポルトガル人やスペイン人には意味が不明になるかも知れないが、康秀がポルトガル語やスペイン語を知っているわけが無いので仕方が無い事である。


「いやいや、書物や又聞きですよ」

「それでも直ぐに出てくることは素晴らしいです」

「はは、食い物の知識だけですがね」


康秀の自虐ネタに白ける場。

「まあ、それはそれとして、多田院参拝者へは気が抜ける前に出せますが、南蛮人が持ち帰るには時間がかかり過ぎるかと思うのですが」


「流石は小西殿、目の付け所が違いますね。其処で私は南蛮人のギヤマンの瓶を用意させ、それに詰めて、コルクなる物で蓋をすれば良いと思いまして」


そう言いながら、堺で手に入れたガラス瓶(この当時は未だワインボトルは製造されていない)と木の蓋を持ち手際よくジン○ャーエールを詰め、蓋をして確り蜜蝋で密封し、鹿皮で蓋を押さえて縛り付ける。暫くしてから再度蓋を開けたが、確りと泡が立つ。


「おお、此ならば、堺までなら余裕ですな」

「確かに、これを売れば、面白いですな」


その後、多田権現水は帝に献上され好評を得る。その為、多田権現水は名物となり、塩川氏と小西家、津田家の財源になる。更に堺で飲んだポルトガル人ルイス・フロイスはその著書日本史(Historia de Iapam)で『喉越し爽やかであり、酒のようであるが全く酔わず、子供にも安心して飲ませられる』と絶賛している。多田権現水が欧州に紹介された結果、欧州やアメリカで似たような飲料が製造される発端となった。


(平野水は明治になり三ツ○サイダーの原水になりました。つまり天然炭酸水だったわけです)






弘治三年六月四日


■相模國 足柄下郡 小田原城


氏政室梅姫が懐妊して五ヶ月たった最初の戌の日の今日、帯祝いで岩田帯を巻く儀式が行われ、目立ってきたお腹を保護すると共に、「岩のように丈夫な赤ちゃんを」という願いも込めた宴が開催されていた。


「祐殿、見事な飲みっぷりよの」


氏康が康秀の側室井伊祐を労っている。何故なら祐が井伊家嫡男として育てられてきた経験を元に、北條家の子女に領地経営や武術などを教えていたからである。


「はあ、お恥ずかしながら、嫡男として育てられて来たため、こうした宴で率先して家臣一同と飲み明かしておりました故、このような事に」

氏康の言葉に祐は照れる。


「まあ、良いではないか。今日はめでたき日よ、祐殿もじゃんじゃん飲んでくだされ、ささ」

「はっ、喜んで」

「ブファー!」


「良い飲みっぷりだな、ささもう一杯」

「はっ」




数時間後


「ウゲー、気持ち悪い」

「祐姉さん、いくら何でも飲みすぎですよ」

「妙殿、苦労かけてすまぬ」


酔っぱらった祐を妙姫が介抱している。

「それにしても、すごい量ですね」

「いやー、この焼酎に果汁を混ぜたのはのどごしが良くてついつい……オエー!!」


「それにしても、この状態は」

呆れる妙姫が見回せば周りは死屍累々状態で、氏照や氏邦も青い顔で斃れている。


「しかし、変だな。このぐらいなら平気の平左だったんだけどな。年か……いやまだまだ俺は若いんだ……ウエップ!!」


祐は盥にゲロゲロと吐きまくる。


「ほら、お水ですよ」

「すまないな。あー旨い。よっしゃまた飲むぞ!」

「祐姉さん、少しは食べないと駄目ですよ」


そう言いながら祐の好物であるハマグリの佃煮を勧める。

しかし臭いを嗅いだ祐は吐きそうになる。


「ウゲッ、悪いけど最近その臭いが駄目でさ」

「体調がお悪いんでしょうか、飲み過ぎは本当に毒ですよ」


「んーここ最近、佃煮とか刺身とか、匂いのきついのとか、生臭いので気分が悪くなるんだよな。病気かな?」

「まあ、それは大変です。すぐにでも医師に診てもらった方が良いですよ」

「いやいや、それ以外は鎗振り回す程に体調はすこぶる良いし、飯とか酢の物とかはバリバリ食えるんだよな」


「不思議ですね」

「まあ、今日は飲み過ぎたんだよ」

「そうですね」


「しっかし、小鰭こはだの酢〆旨いなー、酒が進むこと進むこと」

「もう、祐姉さん」

「悪い悪い、ついついね……ウゲーッ!!」


又盥に吐きまくる祐であった。


翌日、妙姫は実家にいる女衆の中で母である瑞子姫に次ぐ最高位であるので、宴の終わったまま倒れている青い顔で死にそうな感じの氏照や氏邦に朝餉を出しながら、祐にも朝餉を出す。


「ほら、兄上、朝餉ですよ」

「ウゲゲゲ、頭痛てー!」

「うんー飲み過ぎた!」


妙姫は呆れたように二人を見ながら侍女に命じてテキパキと朝餉を渡させていく。

「祐姉さん、朝餉ですよ」

祐には自らが優しく朝餉を渡す。


「妙殿すまないー」

祐は湯気の出るホカホカの飯椀を受け取り箸で飯をすくい口元へ持って行くが、又吐き気が発生する。

「二日酔いで吐き気が……オエップ」


「あらら、御茶でも飲みますか?」

祐は青い顔で頷く。

「頼みます」


「やはり一度医師に診て頂いた方が宜しいかと」

心配する妙に頷く祐。

「判ったよ、暇な時に見て貰うわ」

「それが宜しいかと」

タイトルと品物の内容が違いますが、炭酸で似てますから。


三ツ矢はソウルドリンクです。


書いて行くうちに何となく、井伊祐(次郎法師、井伊直虎)が天土也無用の魎呼に思えてきたんですよ、妙姫は今回はササミちゃんて感じに。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 炭酸水の下りで「行くますまい」と二か所に書かれていますが、これって「行きますまい」のミスではなく、お気に入りの言葉使いなのでしょうか。一か所だけなら誤字だと思ったのですが、複数となると…
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