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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第参章 京都編
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第参拾伍話 経済戦争

お待たせしました。


康秀が色々動き回ってます。



弘治三年三月十五日


■山城国京 内野


朽木谷での将軍義輝との会談数日後、工事現場である内野に三好長逸が訪ねて来た。


「此は此は、三好殿。よくおいで下さいました」

「堺で話したこちら側の人材を連れて参りましてな」

「成るほど、筑州殿(三好長慶)に、お認め頂きましたか」


「こちらに関しては全て私に任せると」

「それはそれは」

「其処で、私の家臣で博学の士である、この者を連れて参りました」


長逸がそう言いながら、自分の後に控えていた四十代前後の人物を紹介した。

「お初にお見にかかります。白井胤治しらい たねはると申します」

その喋り方に関東の訛りを感じた氏堯が出身を聞いて見る。


「白井殿、もしかすると、関東の出身では?」

そう言われた胤治も答える。

「よくお分かりに成りましたな。拙者、下総白井しもうさ しらいの出にございます」


「成るほど、さすれば、千葉一族の出というわけですな」

「如何にも、尤も祖父は常陸大掾ひたち だいじょう一族の真壁まかべ氏から養子に入った身ですが」


「同じ関東衆であれば、上方衆に比べて言葉の違いや習慣の違いが無く、話がし易かろう思いましてな」

長逸がにこやかに話しかける。

「お心遣い、忝ない」


止めどのない挨拶の中、長逸が康秀を見ながらポツリと氏堯へ呟く。

「それにしても左衛門佐殿、公方様の我が儘には相当参ったようですな。尤も其方の婿君が優秀でようございましたな」


長逸の話に氏堯も康秀も驚きながらも、顔には出さないように聞いた。

「言質を取らず取らさずは、今の状態では理想と言えますからな」

氏堯がボソリと返す。


「重畳、重畳、此で私も御屋形様(長慶)に顔向けができます」

其処へ、康秀が多少引きつっているが、ニヤリとしながら。

「流石、三好殿の耳は兎より長く、鷹よりよく聞こえるようですね」


康秀の返しに、思わず長逸も内心で“やるの小童”と思いながら。

「手も長いかも知れませんぞ」

「味方としては頼もしい限りにございます」


「ハハハ、気に入ったわ」

「ありがたき幸せ」





長逸は会談の後、芥川山城あくたがわやまじょうの三好長慶の元へ、北條家側の考えとして聞いた本願寺に対しての婚姻についての相談をするべく向かっていた。


「胤治、北條の将、どう見た?」

質問を受け、素早く反応する胤治、既に答えを考えて居たようである。


「はっ、左衛門佐殿は知勇の将と言えましょうが、所詮は副将止まり。氏政殿は四代目としては些か問題有りかと。ただし優秀な補佐役が居り、その言の取捨選択さえ間違えなければ充分に当主としやっていけましょう」


「成るほど、その辺は私も同じ意見よ。してあの小童はどうじゃ?」

「はっ、あの若さで公方と対峙した際の胆の太さといい、論破した理論といい、末恐ろしき存在ですな。惜しむらくは、自らが重要な人物ある事を軽視している事ですな」


「確かに、公方が彼処で癇癪を起こせば、死んでいたであろうし、細川兵部の機転がなければ途中越で手傷を負っていたであろう」


「そうですな。しかしあの様な面白い人材は久方ぶりに見ましたぞ」

「私もだ。弾正忠(松永久秀)以来かもしれんな」

「そうですな。尤もかの御仁より素直でしょうが」


「違いない、弾正が二人もいて見よ。それこそ大変よ」

「ハハハ、それはそうですな」





弘治三年三月二十五日


■山城国京 正親町通り 三條西邸


正二位権大納言三條西(さんじょうにし)実澄さねすみは、天文二十二年(1552)以来、駿河守護今川義元の元へ下向し世話になっていたが、北條家一行が都で帝や公家に対して奉仕を行うとの話で、北條一行より一月ほど遅れて都へ帰洛していた。


帰洛後直ぐに帝へ拝謁し、五年も朝議に参加しなかったことを叱責されたが、主上自体公家の衰亡を判っていたために、さほどご不快には成っていなかった。更に譲位間近に態々波風を立てる必要が無いとのお考えもあったのであろう。


その数日後に、本家に当たる正二位内大臣、正親町三條公兄おおぎまちさんじょう きんえが北條氏堯達と共に訪ねて来た。


「此は此は、内府殿(公兄)なにかあらしゃいましたか?」

「実はな、北條左京大夫が麻呂達に提案があるそうや」

玄関先で下座して待っている北條氏堯達を見ながら、公兄が説明する。


それほど綺麗でない屋敷に上がり、実澄、公兄と対峙する氏堯、氏政。

「麻呂が三條西実澄や」


「北條左京大夫が四弟、左衛門佐氏堯と申します。此は左京大夫が嫡男氏政と申します」

氏堯に紹介された氏政が深々とお辞儀をする。


「それで、左衛門佐、麻呂達に提案とはなんぞや?」

「はっ、聞くところに依りますと、三條西様は天王寺青苧座てんのうじあおそざより苧公事をお取りたてしていらっしゃったそうでございますな」


氏堯が喋っている最中に、青苧座の事を聞いた実澄が渋い顔をし始めた。

「如何にも、そうであったが、それがどないした言うのや?」

「我らが聞くところに依りますれば、青苧の産地越後守護代長尾為景が越後を牛耳って以来、その公事自体が削減、遅配との事」


実澄は本当に悔しそうに喋る。

「そうや、あの長尾のせいで、年間百五十貫(1500万円)あった物が五十貫に減らされたんや。しばしば座役銭の貢納が滞ると、お爺様(三條西実隆)がよく嘆いていたで。更に息子(長尾景虎)は越後苧座の頭人蔵田を使こうて、全部自分の物にしてしもうたんや。ほんま悔しいで」


「御心中お察し致します」

氏堯が丁重に喋りかける。


「あれがなければ、態々麻呂かて、駿河へ下向することも無く、とっくに右府(右大臣)になってたはずや!」


「まま、権はん、落ち着きなはれ」

公兄が実澄を落ち着かせている。


興奮気味の実澄に代わり公兄が質問する、

「左衛門佐、青苧座が其方の提案に何か関係有るのか?」


そう言われた氏堯が、身を只して口上し始める。

「はっ、青苧はカラムシ(イラクサ科の草で別名、苧麻ちょまその樹皮から麻に似た繊維を取る越後の特産品、現在で言う小千谷縮・越後上布)より衣類用の布を取りますが、関東では現在綿の大量栽培とそれから作る上等な木綿の製造に成功致しました」


それを聞いた公兄は流石に海千山千の公家である。直ぐさま青苧と木綿の抗争が勃発すると読んだ。

「つまりは、北條から出荷される木綿が三河の木綿より良いって事やな」

当時は三河は木綿が製造されていたが、未だ未だな質であった。


「そうなります。此が見本にございます」

そう言う氏堯が見事な木綿の束を差し出す。

受け取った公兄と落ち着いてきた実澄が、しげしげ見ながら唸る。


「見事なもんや」

「唐渡りと充分に言える程や」

「権さん、こんな物出回ったら、青苧は大打撃やな」


実澄に公兄が冗談ぽく喋りかける。

「確かに、そうや。青苧が公方はんの公式礼装布言うてもそれだけやし、うちらの贈答品と言うても、絹以外というだけや。別に他の者が真似する必要はあらへん。それにこの肌触りや。青苧と比べものにならへん」


二人が喧々諤々した後、氏堯が再度、身を正して口上し始める。

「其処で、我が北條家と致しましては、三條御一門に是非とも相模木綿の後ろ盾と成って頂きたくお願いに上がりました」


その言葉に、実澄も公兄も一瞬ぽかーんとしたが、二人して見つめた後、満面の笑みで聞き始める。

「それは、正親町三條、三條西で木綿の公事を受け取れるって言う事でええんやな?」

「はっ。更に、断絶状態の転法輪三条家てんぽうりんさんじょうけをお継ぎになる左中将様(公兄の子、実教さねのり)もでございます」


息子の名前が出てきて、思わず更にニンマリする公兄。既に自分の手元を離れた青苧がどうなろうか知ったことではない心境である実澄。


「此方は目録にございます」

そう言いながら氏堯が目録を実澄、公兄に差し出す。

直ぐさま二人は受け取り、内容を見て更にニンマリする。


それには、三家の三條家それぞれに、“相模木綿公事年間四百貫(4000万円)を贈呈する”旨が記されていたからである。


「これはほんまかな。空手形ちゃうやろうな?」

あまりの金額に些か慌てる実澄。

「北條左京大夫は嘘偽りは申しません」


「権さん、朝廷や麻呂達への篤心で左京大夫の赤心はほんまもんやとおもうで」

「そやな、そやそや」


「それにしても、麻呂達に木綿だけで話振ったわけやないやろう?」

公兄が目聡く、後の氏政を見てカマをかける。

「流石、内府様、実は今ひとつお願いが」


「ええで、これだけしてもろうて、何もせんのは、気が晴れへん、麻呂達に出来ることならば聞いて遣わすぞ」


そう言われた氏政が、進み出て話し始める。

「北條氏政にございます。私の妻は武田大膳大夫(武田晴信)の娘なのですが、その母が、転法輪三条家出身でございまして」


「そやな、 確か公頼きんよりはんの二女やったか」

「はっ」

「それで、どないしたんや?」


「義母の妹君が今現在、管領様(細川晴元)の養女となっており、本願寺顕如上人と婚約されてはおりますが、管領様は丹波へ逃亡中、公方様は近江へ逃亡中にございますれば、中々進まぬ様にございます」


「そやな、公頼はん失のうて、姫さんも御一人で気の毒なことに」

「権さん、管領言うたら、本願寺利用した挙げ句、裏切って討伐までしたお人や。又ぞろ本願寺の利用でも考えているんやないか?」


「そうなると、あれやね。管領はんの養女じゃ、姫さんも本願寺側から冷たく見られるかもしれへんな」

「三條様、真にそれを心配しております。義理とは言え叔母が不幸になるのを近くにいる以上見捨てられません」


「氏政はん、つまりは姫さんを本願寺へ嫁がせないと言うのか、それとも管領はんの養女を止めさせるのかい?」

「折角の婚約潰すには忍びなく、出来れば、我が父左京大夫の養女として嫁がせたいかと」


「なるほど、麻呂達の養女では如何にも三條本家乗っ取るためみたいで世間体が悪い事まで考えてくれとるんか」

「それもございますが、当北條家は先代氏綱の代に敵の三浦道寸みうらどうすんとの戦いの際に本願寺衆が三浦に味方した結果、領國の本願寺末寺を追放致しました」


「なるほど、それの和解もしたいというわけじゃな」

「行き違いとは言え、敵対した身でございませれば、早い内の和解も必要かと」

「なるほど、そう言う事ならば、麻呂達も手を貸しましょう」

「そうよ」


こうして、三條一門を完全に親北條家へと引きずり込んだ末、本願寺との繋がりまで得ることになるのであった。


その後、三條家から、各公家や門跡、大寺院などへ贈答に送られた相模木綿は、次第に上方で有名になり、数年後には取扱量が増えていき、庶民の衣類としても多数が販売されるようになり、北條領国の領民の生活も豊かになっていき、領民は北條家の治世を喜ぶのであった。


逆に、関税が高く質も相模木綿に敵わない越後の青苧を求める日本海側の商人は少なくなっていき、青苧税に頼っていた長尾家は財源の悪化により、上方からの兵器の輸入や職人の招聘、そして軍事費にも大きな影響を与える事に成る。


その他、康秀が指摘した、入浜式製塩、流下式製塩によって作成され、更に漏斗ざるにより自然と苦汁分が抜け味がまろやかになった塩は、「甘塩」として上方でも高価で取引されるようにも成っており、益々北條家の財源にゆとりを持たせる結果となっていった。


それ等を計画した康秀はその頃、山科卿と天王寺屋の伝手で堺の薬種問屋丹波屋の小西弥左衛門を紹介され、漢方の原料を多数手に入れて、色々ブレンドし、大鍋で炒めたり香りを嗅ぎながら“蕎麦つゆに長葱と鰹節もいるな”と言いながらニンマリしていたそうである。


相変わらず、調子が悪いですが、かけました。

今回、気管支炎でダウンしてました。今仕事休んでます。


軍神には経済戦争で兵力の持続力を減らすしかない&本願寺が友達よ作戦だ!

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