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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第参章 京都編
32/140

第参拾貳話 近衞前嗣の陰謀

お待たせしました。


外記は家僕です。名前は考えてませんので、チョイキャラです。


一上様は左大臣の通称です。

弘治三年三月七日


■山城国京 近衞邸


北條氏堯は北條氏政を連れ、烏丸今出川にある時の関白左大臣かんぱく さだいんじん藤氏長者とうしのちょうじゃ近衞前嗣このえさきつぐ邸に挨拶に伺ったが、近衞前嗣は持病のため会えないと伝えてきた。


「誠に申し訳ありませんが、主は持病のしゃく(胃痙攣)の為に休んでおります」

氏堯達に対応した近衞家の家僕かぼくが少々小馬鹿にしたように告げてくる。

「お会いできぬとは残念でございます」


氏堯は神妙そうな物言いではあるが、内心では仮病だと確信していた。

「主も、残念だとのことでございます。引き出物の数々忝ないと仰っております」

「そう言って頂ければ、幸いにございます」


結局、氏堯、氏政は近衞前嗣へ会うことが出来ずに帰る事と成った。


「どや、外記げき、帰ったかいな?」

一上いちのかみ様、お帰りになりました」

「会いとうもない相手が来るさかい、仮病も大変や」


氏堯達が帰った後、近衞前嗣と家僕の外記と呼ばれる男が話していた。

「そやそや、奴等幾ら持ってきたんや?」

「此方にございます」


前久が、氏堯達の持って来た葛籠を開けてみると、中からは大判金や白銀が多数出てきた。

「こりゃ、凄いの。貰える物は貰わにゃ損や。ありがたく貰っておきまひょう」


「此は此は、関白様。大層なお宝でございますな」

屋敷の奥から、脂ぎった中年の小太りの男が現れ、その黄金を見ながら、前嗣に親しく話しかけた。

「弥五郎、どないもんや」


「たいしたお宝ですな」

「そやろう、たいしたもんや。折角持って来たんやから、貰ろうても罰はあたらんわ」

「しかし、各所に廻ってご機嫌伺いとは」


「そやろ。必死こいて、わてらや当今はんのご機嫌伺いやで、笑うてしまうわ」

「全くでございますな」

「所で、お前はん、態々世間話に来た訳やないやろう」


「はっ、関白様には、是非とも当家へのご支援をお願い致したく」

「支援て言うても、なんやあったかいな?」

「ご冗談を」


「判こうてるがな、お前はんが、諸国鋳物師御蔵職(いもじみくらしき)(全国の鋳物師を統括する朝廷の役職)の権勢振って、大内や今川から鋳物師の許可証だので大分巻き上げとるそうやけど、それのことやろう」


「関白様、此は此は手厳しい。実は以前北條にも鋳物師許可証について、当家の監督下にあると督促しましたが、無視されました。その為に今回の御所造営では、うちの配下の鋳物師を動かせないようにしたいのです」

「なるほど、麻呂にその後ろ盾になれと言う訳やな」


「はっ、是非とも関白様にお力添えをお願い致します」

「なんとまあ、当今はんを騙くらかして、綸旨出させただけでは足りへんか」

「関白様、人聞きが悪うございます」


「何言うとるんや、元々地下人で柳原家やなぎはらけに仕えとった、お前はんの親父が、借金の形に諸国鋳物師御蔵職やった新見有弘にいみ ありひろはんを脅して、家を乗っ取ったんやないか。しかも既に家を継いではった跡継ぎの弥三郎忠弘やさぶろう ただひろはんを強制的に引退させた挙げ句に、お前はんが手下に命じて足の骨折って、歩けぬようにしてから、下京の無縁所にうち捨てて、餓死させたんやないか。おお怖っ」


近衞前嗣はおちゃらけた風に真継弥五郎久直まつぎやごろうひさなおをからかう。

「世の中、金が大事でございますれば。関白様とて、同じでございましょう」

「ふん、言うてくれるわ。まあええわ、北條には含むところが有るさかい、お前の企てに乗ってやるわ」


「ありがたき幸せ。此で、北條は都に居る限り鋳物師を雇うことは出来ません」

「そうなれば、御所造営も失敗やな」

「まあ、其処を関白様に仲裁に入って頂き、その見返りとして、北條領内の鋳物師の統制を我が家が請け負うという形で話を付けて頂ければと」


「判ったわ、ならばそん時は、それなりの返りはあるんやろうな」

「無論でございます。北條には虚仮にされた恨みがありますから、精々吹っかけてやります」

「ホホホホ、それは愉快じゃな」


「大人しく金を出していた方が良かったと、悔やむ姿が目に浮かびます」

「オーホッホッ、益々、愉快じゃな」


近衞前嗣と真継久直の笑い声が、近衞邸に響いていた。



弘治三年三月七日


■山城国京 内野


平安京の大内裏跡地に槌音が響いている。この地は延暦十三年(794)桓武天皇により長岡京より遷都されてから、八百年近くにわたり日本の中心として栄えてきたが、平安末期からの武士の台頭により次第に寂れ始め、更に政変や失火の為に度々焼失し、平安末期頃から再建されておらず、安貞元年(1227)にはついに大内裏のほとんどを焼失する火災が発生し、これ以後再建されることはなく、跡地は内野と呼ばれる荒れ地になってしまった。京は、足利尊氏が京に幕府を開くことで再度栄え始めた物の、応仁の乱で再度荒廃していた。


「安井殿が堀川を開削改良している間に、我々は旧大内裏の東側の整地を行う事とする」

現場監督の様に整地地図を持った康秀が、北條家工兵隊に銅板製の拡声器を使って説明している。

「各中隊ごとに整列終了しました」


副監督役の田中融成が報告を行う。

「御苦労、諸君。我々が開削する濠は御所の境界を決める物だ。東面は大宮通り、北面は一条大路、南面は二条大路までは旧大内裏の範疇だが、西面のみ縮小する事に成っている。そこで旧皇嘉門大路現在の七本松通を西面にし、南北十四町、東西八町の規模とする。濠の大きさは箱堀とし、幅二丈(6m)深さ一丈(3m)とする」


工兵隊から規模の大きさに歓声が上がる。

「更に、濠開削の土砂で御所側に土塁を作ることも同時に行う事とする。作業手順だが、各中隊三百名ずつが十班に分かれ、分業で開削を行う。各班の担当範囲は四町十三丈(440m)程だ。頑張って貰いたい」


康秀の説明に頷く工兵隊員達。

「氏堯様より、早く正確に作成した者達には順番に褒美が出される事に成っているぞ」

この言葉に更に工兵達が歓声を上げる。


この分業制と褒美をぶら下げる方法は、後に木下秀吉が清洲城塀修築の時に行ったことを先取りしただけに過ぎなかったが、兵達には格別の事に映ったのである。


早速各組の中隊長が、田中融成から作事地図を受け取り、直ぐさま自分の隊に戻り各小隊長、分隊長と共にどの様に作事するかを相談をし始める姿が、彼方此方で見受けられた。


既に工兵達の手により、野戦築城の技術を使った宿舎と飯場が作られ、其処では津田宗久や田中与四郎が差配した、身元を調べ病気等を持って居ない女中達三百名程がいそいそと食事の支度などを行っている。彼女たちは、食事の支度や洗濯などの身の回りの世話を行い、夜間には遊女として働く者達で、兵達の士気の維持に役に立つように集められたのである。


何故なら、この当時の都は疫病が毎年のように起こる傷都であり、兵達が都で女買いをした場合、病気の蔓延が懸念されたため、予め娼館を作り、管理した方が良いと言う事で、設置する事にしたのである。その発表を聞いた兵士達は好感を持って支持し、少し待てば安全な娼館が出来るのに、態々盗賊などの危険が多い怪しい都へ向かう者達は居ない状態になっている。


尤も、怪しげな女達がこの地へ彷徨き始めるのも時間の問題で有るからこそ、それらから隔離するために濠を大至急掘らせているのである。つまり濠は、御所の防御というよりは、胡乱な人物の侵入と、夜な夜な脱走して遊びに行く輩を止める為の物であった。


各中隊が会議を終えた頃には、昼食の支度が終わり、各隊はそれぞれの飯場で食事を始めた。本来であれば、この時代は一日二食が普通であるが、戦時と同じ感覚で四食としているのは、日の出と共に働き日の入りと共に仕事が終わる方式で行くためである。


その姿を見ながら、康秀と田中融成が話をしている。

「長四郎様、しかし、御所の防御のためと言う口実で濠を作るとは、私には思いつかないことです」

「まあ、一番の懸念は疫病の蔓延だからな。疱瘡自体は牛痘の接種で防げるとしても、麻疹や梅毒は防ぎようが無いからな」


「しかし、あの疱瘡が、牛の疱瘡で予防できるとは思ってもいませんでした」

「まあ、あれも、牛の世話をしている者達に疱瘡にかかる者が殆ど居ない事から調べたんだけどな」

「それで、牛の疱瘡を探し出したのですから、長四郎様はよほど神仏の加護がお強い御方です」


「何の何の、下手に厳格な仏僧にでも知られたら、騒ぎになるだろうしな」

「確かに、自分も、効果を知るまでは、四つ足の病気を人間に植え付けるなど、信じられませんでしたから」

「そう言う事だ。特に南蛮人の僧侶は、凄まじいらしいぞ」


南蛮人の話に興味を持った田中融成が、聞いてくる。

「どの様な事なのですか?」

「又聞きだが、彼等の神はデウスとか言う一人だけだそうで、人は神が作ったとか言うらしい」


「なんと、我が国には八百万の神が居るのにたった一人ですか。しかも人間を神が作ったとは」

「何でも、土着の神は皆、悪魔だそうで、それを信じる連中は悪魔の信者として迫害するらしいからな。しかも、デウスの教えにそぐわない考えをしたりすると、魔女だと告発されたり、裁きを受けたりして、有罪だと火炙りにされたりするそうだ」


「なんと、野蛮な考えですな」

「それだからこそ、牛痘なんぞ、知られたら危険な訳だ」

「なるほど、気を付けねばなりませんな、しかしそれでも長四郎殿は凄いですよ」


田中融成は非常に興奮気味に康秀を褒め称える。しかし康秀にしてみれば、種痘はエドワード・ジェンナーのパクリだから、賞められた物では無いと言う感覚で有ったので、あまり嬉しくはなかったが、後にこの種痘が山科卿から帝に奏上される事になるのである。


「それに、あの単純基準プレハブ工法も驚きですな。予め同一規格の材料を加工しておき、番号を振り、現場で番号通りに組み立てれば、短時間で建物が建つのですから」

「まあ、堺での時間を考えれば、その程度の加工をしておけると考えただけだがな。それに実際の工作は天王寺屋が差配した番匠達だし」


「いえいえ、それを考えるだけでも、凄い事です。私にはとても思いつかない事ばかりです」

こうしている中で、平和なように作事は続いていたのであるが、数日後の濠完成後に鋳物師が集まらない状態だと、津田宗久に伝えられ、康秀は対処を考えることになる。


今回の、真継久直の話は、殆ど史実です。家乗っ取り、跡継ぎを捨てて餓死させた。文章の改竄により、鋳物師の支配を企んだ。など殆ど史実です。

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