第参拾壹話 ロマンスの神様
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弘治三年三月七日(1557)
■山城国京
本能寺での宿泊の翌日、堺から到着した大道寺政繁率いる堺組と合流し、顔合わせと会合が始まった。
「新九郎様、左衛門佐様、お待たせ致しました」
大道寺政繁が氏政、氏堯にお辞儀をする。
「駿河守、御苦労」
「はっ、さて、此方に控えますは、津田宗達殿嫡男助五郎殿、安井市右衛門成安殿、田中與四郎殿でございます」
「津田殿、安井殿、田中殿、宜しく頼む」
氏堯の挨拶に津田宗達が代表して答える。
「北條様、この度は、我々にお任せ頂きありがとうございます」
「うむ、津田殿、田中殿は資材や人足をお願い致す」
「はい」
「安井殿には、堀川を舟運で資材を運べるように下流側からの再開削と、二条付近から内野までの通運路の開削と、賀茂別雷神社付近の賀茂川からの補水路の開削をお願いしたい」
「なるほど、私を呼んだ訳が判りました」
説明した康秀の言葉に、安井市右衛門成安が納得した感じで頷く。
その後、助五郎の点てた茶を頂きながら、細評を話し合い、氏堯、氏政、綱重、長順は各公家への挨拶回りに向かい、康秀以下は、内野の普請準備の為に内野へ移動し、建設用の飯場や宿舎建設の指示を始めたのである。
弘治三年三月七日
■山城国 京 西園寺公朝邸 北條綱重
氏堯殿との話し合いで、私は清華家を担当することになり、近衞家出身で氏綱様の後妻のご兄弟である久我家の久我晴通殿以外の六家に挨拶回りを行うために、公家の屋敷のある御所付近へとやって来た。因みに久我家は氏堯殿が行かれる事に成った。
清華家は久我、三条、西園寺、徳大寺、花山院、大炊御門、今出川の七家からなり、この内、三条、西園寺、徳大寺、花山院の四家は藤原北家閑院流の流れを汲んでおり、同族意識が非常に大きいそうだ。
ただしこの所の戦乱で久我家は近衞家から晴通が養子が入り、徳大寺家は、先代徳大寺実通が天文十四年(1545年)に越中へ下向中、越後守護代長尾為景に殺害されたため、久我通言の庶子、公維が継ぐことになった。その為この頃は血統的には非常に複雑になっていたため、挨拶回りも慎重にならざるを得ないのが大変なところだ。
近衞系は我々北條家に含むところが有るために、慎重に対処しなければ成らない。その為に氏堯殿や氏政殿が廻らなければ成らない訳だ。それに比べて、私の方は未だ未だマシと言えよう。
三条家は先代、三条公頼殿が周防山口へ下向中、天文二十年の大寧寺の変により陶晴賢の手勢により殺害されて以来、当主不在で屋敷も荒れ果てて居る状態だ。公頼殿の世継ぎが居なかったため、三条家は断絶状態だ。
公頼殿には、娘が三人いるのだが、長女は管領細川晴元室、次女は北條家の同盟者武田晴信室で氏政殿の奥方の御母上、三女が六角定頼の猶子になったあと、細川晴元の猶子となり、現在摂津石山本願寺の本願寺顕如と婚姻しているそうだが、細川晴元は畿内を制している三好家と交戦中と言う状態で、中々上手く行かないようだ。
その辺りは、氏堯殿と康秀が上手くやると言っていたので、気にはしないが、取りあえず久我、三条家は対象外となったので、西園寺家からはじめるとしよう。
出水通りと東洞院通り辻付近に西園寺邸は有った。屋敷地はある程度の広さは有るが、このご時世を反映するかのように、築地塀は崩れかけ、屋敷の檜皮葺からは草が生え、一目見ただけで、屋敷があばら屋のような状態だと判る。此が嘗ては太政大臣まで累進した家なのかと、諸行無常を感じられる。
現在の当主、西園寺公朝殿は右大臣兼、左近衞大将の重責に着いていてもこの様な状態なのだ。感傷に浸っているよりさっさと用事を済まさねばならんな。未だ未だ今日中に全部で五家は廻らなければならないのだから。
何故か西園寺邸の回りに人垣が出来ているな。いったい何があったのだ?近くにいる比較的身なりの良い者達に話を聞いてみると、驚きの話が聞けた。
「すまんが、この騒ぎはいったい何なのかな?」
「ああ、蔵法師(僧体の高利貸し)が西園寺はんの借金の形に娘差し出させて、お家を乗っ取ろうとしてるそうや」
「なんと、そんな無体が蔓延っているのか?」
「あんさん、その言葉使いやと、東のお人やな。こんな事、都じゃ日常茶飯事やで」
人々がその言葉を肯定するが、此ほど酷いとは思わなかった。しかしほって置くことも出来ん。
屋敷門の前で屯する破落戸に話しかけた。
「すまんが、西園寺公朝卿にお会いしたいのだが」
「あ゛、今家の親方の用事があるんだ、さっさと帰れ」
ほう、流石は破落戸だな凄んで追い返そうとするとな。
「そうはいかんのだよ。此方としても西園寺卿にはお会いする事は主君よりの命だからな」
「なんやと、帰らへんと酷い目に合わせるかもしれんへんで!」
一触即発の状態が続くが、その時屋敷から嘆く女性の声と銅鑼声の男の声、そしてか細い中年の声が聞こえてきた。そして門へと近づいてくる。
■山城国 京 西園寺公朝邸 西園寺月子
「おもうさん」
うちを、無理矢理連れて行こうとする蔵法師は、うちを借金の形で手込めにして跡継ぎの居ない西園寺のお家に婿入りするという条件をおもうさん(おとうさん)に突きつけはったんや。おもうはんはひたすら拒否なさってくださったんやけど、借金の金額が多すぎて返す当てもあらへん、けど西園寺のお家をこんな蔵法師なんぞに奪われてしもうたら、ご先祖様に顔向けできへん。
うちもおもうさんも、直ぐに借金返せと言われたらどうしようもあらへん、うちの身だけで何とか出来へんかと思うのやけど、それだけじゃ満足しそうにないんや。姉さんが伏見宮様に嫁がれた後、家を継げるのはうちだけやから、西園寺のお家も風前の灯火や。誰か助けてくれへんかな。
尤も、幾ら右大臣でも貧乏では誰も助けてくれへん。伏見宮様かて余裕なんかあらへんから、見て見ぬ振りするしかあらへんのやから。
「ほれ、月殿、儂の嫁として確り尽くして頂きましょうぞ」
脂ぎった中年の蔵法師なんぞ嫌やけど、誰も助けてくれへん。もうお仕舞いや。
「なにをしているんだ!」
門先で何かもめてるようやけどなんや?
「親方、此奴が西園寺の爺に会わせろと言いやがるもんで」
うちが見ると蔵法師の取り巻きの破落戸と対峙してはる、身なりがようて、若い精悍な武士がおったんや。
「構わんぞ、用事はすんだのだから、そんな奴はほって置け。さっさと帰って、床入れだ」
「へい、良かったな。親方が上機嫌だ。西園寺の爺に会ってくれば良いだろうよ」
蔵法師と破落戸がうちを連れ去ろうとするのですが、其処へおもうさんが、やっと駆けつけてくれました。おもうさんは蔵法師に抵抗した挙げ句に殴られ血流したままや。
「崇伝殿、どうかどうか、月を返して下され」
おもうさんが、土下座なさった。
「そうはいきまへんな。既に決まったことや。それが嫌ならば、積もりに積もうた、借金三十万疋(3億円)、耳揃えて返してもらえまへんと、あきませんな」
荘園も殆ど横領されてしもうてその日暮らしのお家に、そんなお金ある訳がないんや。
「西園寺様でいらっしゃいましょうか?」
うちらの話に武士の御方が入って来なさった。いったいなんの用なんやろうか?
破落戸が威嚇するんやけど、それを一睨みで黙らすなんて、なんて凄いお人や。
「西園寺公朝だが、そちは?」
「申し遅れました、拙者、北條左京大夫が臣、北條新三郎綱重と申します。この度、左京大夫の名代として西園寺卿にご挨拶に参った次第」
全く場違いな、挨拶にみんな呆気にとられるわ。おもうさんも、驚いてるわ。
「そそうか、こっれは、御丁重な」
「所で、この者達は何でしょうか?」
おもうはんは、言えへんな。恥ずかしいけど、うちが言うしかあらへん。
「お武家はん、借金返せへんさかい、うちを手込めにして婿養子に入る気や」
お武家は、うちの言葉聞いて、何か考えたようやけど。
「やい、兄ちゃん邪魔やで」
「その様な無体を聞いた以上、無視することもできんな」
「なんやと、金借りて返せへんのやから、当然の権利や!」
崇伝と破落戸がくってかかろうとし始めたわ。悔しいけど崇伝の言うとる事が理に適ってるんは確かなんや。
「借財は、先ほど聞いた三十万疋で良いのか?」
いきなりの言葉に、一瞬、崇伝の動きが止まったわ。
「そそ、そうよ。溜まりに溜まった元本と利息合わせて三十万疋、一文もまける訳にいかへんな」
何やら、お武家はんが、ニヤリとした気がするんやけど、気のせいなんかな?
「なるほど、ならば持って行くが良い、平助、三十万疋だくれてやれ!」
「はっ」
お武家はんが荷車牽いてきていた人に命じて覆いを取ると、中から沢山の箱が出て来たんや。それを地面に降ろして開けると、其処から眩いばかりの黄金が出て来たんや。うちこんな量の黄金初めてみたで。
「ここに、一枚四十四匁の黄金判金がある、七百五十枚で三千貫、銭に直せば三十万疋だ、持って行け!」
黄金見た崇伝や破落戸が驚いた顔しはじめたわ。
「ななな、ほんまか?」
「調べてみるがいい」
お武家はんが、崇伝に大判金投げつけたわ、それを崇伝が噛んで本物か確かめとるわ。
「ほんまもんや、ほんまもんの金や」
「三十万疋あれば、西園寺卿の借財は完済なのであろう?それならば証文を置いていけ」
受け取った判金を一々調べ終えた崇伝にお武家はんが、言うてくれたわ。
「ああ、儂かて、土蔵(金貸し)や貸した金さえ返ってくれば、文句はあらへん」
「ほう、殊勝だな」
うちも驚きや、あの狒々爺がアッサリ引いたんやから。なんや企んでるんやないか?
「この世界信用第一や、ここで誤魔化しでもしたら、明日から商売あがったりや」
「それより、西園寺卿の御息女を早くお離しせんか」
そやったわ、未だうち腕を捕まれたままやった。
「すんまへんな、お嬢はん」
「痛っ」
しもうた、足を捻挫したみたいや。
「失礼」
うわわ、お武家はんに抱きかかえられてしもうた。恥ずかしいけど嬉しいわ。この方がうちの恩人や。
「西園寺様、此で宜しいのですか?」
お武家はんが、崇伝から受け取った証文をおもうさんに渡して調べてもろうてるわ。
「え、ええ北條殿、此で間違い有りません。何とお礼を申して良いやら」
「なんの、西園寺様にご挨拶に参ったところですので」
うちに来た御客はんやったんか、北條っていうと、噂になってる、東の方やな、東夷は恐ろしい言うけど、聞くと見るとでは全然ちゃうな。すごく素敵なお人やな。
「崇伝とやら、此で西園寺卿に関しては何も無いのだな?」
「そや。そなら、帰らせてもらいますで。おおきに」
崇伝達がホクホク顔で黄金もって帰って行くわ。回りの野次馬が北條様に喝采を送ってるわ。うちも嬉しゅうて、思わず抱きついてしもうたわ。北條様が照れてはるわ。そやけど、恩人はんには積極的にや。うちかて海千山千の公家の娘やからな。
史実でも北條綱重夫人は西園寺公朝の娘でした。
名前は捏造です。
月子姫は恋○無双のへぅ君主、董卓がイメージです。
名前に子を追加しました。