第貳拾捌話 稚児を拾いました
一応次回京都へいけます。
今回は腐な表現が。
弘治三年三月二日(1557)
■近江国滋賀郡園城寺
都へ入るにしても、朝廷からの正式な許可と三好家への確認という大事の為、嘗て北條幻庵が修行した園城寺にて待機することになった。ここで、駿河以来一緒に旅をしてきた山科言継卿は一足先に都へ戻り、朝廷に話をしてくれることになった。
氏堯が山科卿にお辞儀をしながら話している。
「山科様、大変お世話になります」
「なに、朝廷の復興に繋がることじゃ、苦ではないわ」
「宜しくお願い致します」
「なるべく早く都へ入れるように話す故」
「はっ」
こうして、山科卿は従者と一緒に逢坂の関へ向かっていった。
弘治三年三月二日
■近江国滋賀郡坂本 日○大社 三田康秀
「んで、長四郎、何故ここへ来たんだ?」
「いやね、この地の是非拾いたい人材が居るはずなんだよ」
「ほう、この衆道だらけの場所がか!」
さっきから新九郎が嫌そうにしているのは、氏康殿と綱成殿の様な関係に俺となるんじゃないかという恐怖心と、梅姫や妙ちゃんの事を考えて怒っているようでして、説明が大変です。
「だから、猪助から腕自慢を借りてきた訳で」
「絶対に守れよ。俺は衆道はどうも苦手だ」
「やっぱ、梅姫が恋しいと」
「そうそう、梅の襦袢を持って来ているし…って何言わすんだ!」
「俺も、妙の匂いの付いた絹布持ってるし」
「なるほど、お前もそう言う事か」
二人して笑い出す。
「それで、人材確保に協力をお願いしたい訳で」
「なるほど、で目的の人材は何処に居るんだ?」
「ここの稚児をしているんだ」
「そんなの、金で何とか出来ないのか?」
「所が相手は日○大社でも相当人気のある稚児らしいので、俺だけじゃ相手して貰えないんだよ」
「それで、俺を巻き込んだという訳か」
「すまんが、北條家という名前が非常に役に立った」
「まあ、親父からも期待されている訳だから、俺も期待させて貰うが、部屋入っても変な気を起こすなよ!」
「それは重々承知、俺も衆道出来ないもん」
その言葉に本当だなという顔で氏政が見てくる。
護衛の馬廻りもそしらぬ顔をしているが、腹では大笑いしていたし、其処から少し離れた場所で、猪助から護衛に配備された風魔も会話を聞いて吹き出しそうになっていた。
弘治三年三月二日
■近江国滋賀郡坂本 日○大社 河田岩鶴丸
日○大社の稚児である岩鶴丸は人生を悲観していた。天文十四年(1545年)に近江野洲郡川田、生まれの十三才だが、父伊豆守入道により日○大社に稚児として売られたのである。元々眉目秀麗なうえに女装させれば完全な少女と見間違うほどの姿だった為、毎夜のように衆道の相手として叡山の僧侶や地元の土豪、堅田の湖賊などに抱かれ続けていた。
なんで、僕がこんな目に会わなきゃ成らないんだ。父さんも母さんも僕を売って迎えにすら来てくれない。毎日毎日、男の人の竿やふぐりを舐め、後を使われる毎日、もう嫌だ!死にたいけど、死ぬのも怖い、このまま僕は一生稚児として生きていかないと駄目なのか。誰か助けて、神様、仏様、誰でも良いから助けて。
「岩鶴丸!岩鶴丸!」
嫌で嫌で堪らない中稚児様のお呼びだ。
「岩鶴丸。そんなところで油を売っているんじゃない。関東からいらっしゃった偉い御方がお前を態々ご指名だ。直ぐに支度して座敷へ行くんだ!」
関東から態々僕を抱きに来るなんて、なんて嫌な人なんだろう。僕は、僕は…。
「おい、岩鶴丸!ボッとしてるんじゃない!」
「はぃ」
誰か助けて!!!
化粧をして女物の着物に着替えると、銅鏡には映るのは女の姿の僕。何時までもぐずぐずしていると、殴られたりするので、嫌で嫌で堪らないけど、仕方なしに座敷へ行くと、年の頃十代ぐらいの若侍が二人も待ってた。この人達が、今日のご主人様になるのか。なるべく痛くしないで欲しいな。良い子にするから縛ったりしないで欲しいし、お願いだから痛くしないでください。
「御客様、岩鶴丸でございます。何なりと御召し付け下さい」
ご主人様の横へ行ってお酌を始めた。
年かさの方が、僕の顔を繁々見ながら感嘆の声を上げる。
「驚いた、本当に男の子か?」
僕に対する問いかけなのか判らないけど、撲たれたりされたくないから、精一杯の作り笑いで頷くんだ。
「はい」
「新九郎、お前見とれてるんじゃないよ」
もう一人の方が、新九郎さんを茶化しました。
「長四郎、此で男とは驚きだぞ」
僕は、男なのに女の子みたいな顔だから、何時までもこんな生活を。いっそ山法師みたいな厳つい顔に生まれれば良かったのに…。
不思議なことに、二人とも世間話と酒を少し飲むだけで僕に舐めさせたり裸にしたりしてこない。今までだったら、酒も飲まずにいきなり僕を組み伏せて、衣をはだけさせ、胸やお尻を触りまくり、その後で僕の竿を確かめたあと、自分も衣を脱ぎ捨てて、僕に舐めさせたりするのに。変な人達という感じだけど、どうせ後になったら凄い事をされるんだから、今の内に脱いで少しでも媚びを売って優しくして貰おう。
■近江国滋賀郡坂本 日○大社
バサッと言う音と主に岩鶴丸は衣を脱ぎ捨て、氏政に撓垂れかかった。
「ご主人様、どうかお優しくして下さいませ」
いきなりの行動に驚く氏政。
「ちょちょちょ長四郎。なんとかしてくれ!!」
一瞬は笑ったように見えた康秀が直ぐさま、岩鶴丸を抱きかかえて、衣を掛けてやる。
「えっ、何かお気に召しませんでしたか…」
岩鶴丸は康秀の腕の中でもの凄く怯えている。
「そうではない」
「おねがいします。何でも致しますから、撲たないでください。おねがいです」
岩鶴丸は泣きそうな顔をしながら必死に康秀に縋り付く。
その姿を見ながら康秀は優しく岩鶴丸を座らせる。
「岩鶴丸、そちは今の境遇に満足しているのか?」
康秀の言葉を最初は判らなかった岩鶴丸だが、勇気を持って答えた。
「もう嫌です。毎日毎日抱かれて縛られるのは、嫌です」
そう言いながら岩鶴丸は泣き出してしまった。
康秀も氏政も思っていた。嘸かし鬱積していたのであろう。性の道具として幼い頃より虐待を受けていたのだからと。
「岩鶴丸よ、この方は、相模小田原城主北條左京大夫様の御嫡子新九郎様で、俺は新九郎様の義弟、長四郎だ。いま我々は都へ向かう途中だ。園城寺で占いをした結果、お前の資質を探り当てた為に迎えに来た。儂はお前を家臣として召し抱えたいと思うが、お前はどうだ?」
康秀の問いかけに最初は完全に判らない状態だった岩鶴丸だが、次第に意味が判ってくると、次第に信じられないような顔をしながら問いかけてきた。
「ご主人様は、私をここから出してくれるのですか?」
「無論だ、家臣を何時までも稚児にしていられる訳がない」
岩鶴丸は康秀の言葉を聞いて一瞬は嬉しそうにしたが、直ぐさま絶望の顔をし始める。
「けど、私は三十貫(三百万円)で売られたのです、それで外へ出る訳にはいかないのです」
その言葉を聞いた二人はニヤリとした。
「岩鶴丸、心配は無用だ、三十貫だろうが百貫だろうが気にはしないぞ」
氏政も頷いている。
「そうよ、岩鶴丸。北條左京大夫が嫡子北條新九郎氏政と三田長四郎康秀がお主を確と貰い受ける」
「無論、暫くは小姓として勉学して貰うが、いずれは一城の主や一軍の将として育て上げるつもりだ。それでも良ければ付いて参れ」
氏政と康秀の言葉に岩鶴丸は目をキラキラさせながら必死に頷く。
「はい。私は河田岩鶴丸と申します。御主君様宜しくお願い致します」
岩鶴丸は天にも登る気持ちで二人を眺めていた。この方々が僕を救ってくれた。この方々の為に一生かけて恩返しをしようと。
その後、ごねる日○大社の者達に白銀百枚(一千万円)を叩き付けて、岩鶴丸の強奪に成功した。流石に白銀百枚と眉目秀麗とは言え稚児を比べたら、白銀に軍配が上がったのである。
自分を白銀百枚で身請けしたと知った岩鶴丸は益々氏政と康秀を敬愛し、一生の忠誠を尽くすことになる。
小姓になった後でも眉目秀麗なために、氏政と康秀が衆道の為の稚児を買ってきたと兵の間で噂になり、噂をかき消すのに苦労したのは後の話であるが。事の顛末は猪助から小田原に伝えられて氏康と幻庵達が大笑いした上で、妻達にも知られて、幻庵の悪戯で、妻から貴方方は衆道になったのですかと書かれた手紙が来たため、慌てて否定する手紙を書き続けたのであった。
岩鶴丸曰く、御主君様一生御側に居ます、だそうだ。
弘治三年三月四日
■山城国上京 二条晴良邸
御所ではこの所、摂関家の二条晴良、九条稙通が色々と動いていたが、今日になり晴れやかな顔で御所からの帰りに二条晴良に誘われ、九条稙通が二条邸へ二人して帰宅してきた。早速二人で話し始めるが、その顔は笑顔であった。
「九条はん、主上もたいそう御喜びや」
「ほんまやな。大嘗祭なんぞ、後花園院が行のうた、永享二年(1430)以来百二十七年ぶりでできるんやから、御喜びも大きいやろうな。天文十四年にはお伊勢さんに宸筆宣命だしはるぐらいやからな」
「ほんまやで。大嘗祭が終われば、これまた後花園院が行のうた、寛正五年(1464)以来九十三年ぶりの譲位をなさるつもりやさかい、そりゃ嬉しゅうなるわな」
「ほんまや。御所も修理やなく、新造やし。何でも大極殿の再建もするそうやで」
「それは豪儀やな、うちらの邸宅も新しゅうなるんやろうな」
「近衛はんは知らへんが、うちらの邸宅は新造されるはずや」
「摂関家いうたかて、内情は火の車や。今回の事でいい目がでるやろな」
「そやな、伊勢から北條への改姓やらも請け負うたけど、主上もそれぐらいポーンと詔出しても罰はあたらへんな」
「そやな。まあ官位じゃないさかい、主上も平気やろうし、官位については次の主上に言上すればええだけや」
「そやそや、大嘗祭、譲位、践祚、即位、御所新造やで朝廷復興の第一歩になるんや」
「北條はんは主上の即位の時も献金してくれたさかい、ええお得意さんや」
「ほんま、北條様様やな」
「園城寺で待うてる一行には明日にでも主上から女房奉書が届くさかい、六日には都へ入るはずや」
「しかし、関東の北條はんと言うだけで、承久の時のこと思いして騒ぐ連中がやかましいわ」
「ほんまや、あん時は後鳥羽院の勇み足やで」
「シーッ、二条はん何処で聞かれているわからへんで」
「そやな九条はんの言う通りや」
「特に関白(近衛前嗣)はんは、北條はんに思うところがあるさかい、事に付けて反対しおったの」
「そやな、その為に今更北條はんに、ええ顔する訳にもいかへんな」
「そやけど、このままやと関白で居られるのも何時までかわからへんな」
「そやな、主上の譲位に反対したようなもんや」
「譲位があれば、人事も一新されるさかい、関白はんも散位やな」
「そやな、次は九条はんかうちかやな」
「そやな、どっちがなっても恨みっこ無しや」
「しかしほんまに承久の時や朝日将軍(木曽義仲)のようにならへんのやな?」
「一緒に旅してきた山科はんの話聞く限りじゃ、乱暴狼藉しない兵やそうやから大丈夫や」
「それなら安心や」
「まあ、二日後がたのしみや」
「そやね」
この物語は実際の団体地名等は関係有りません。
ていうか、稚児ってこういう物だったらしいので、演出上仕方が無いということで。
上杉謙信だって彼を眉目秀麗で頭が良いから連れ去った訳だから。
やっと、北條家&康秀の朝廷対策が判明、此なら帝も大喜びです。