第貳拾伍話 猿の親 虎の親
尾張編が終わらない、その三まで行きます。
尾張弁がよく判らないので、話し言葉は適当な方言ですがご了承ください。
弘治三年二月二十一日(1557)
■尾張国愛知郡中中村
荒子城を出た一行は僅か一刻足らずで中中村へ到着した。村の郊外で丁度畑にいた若者に刀鍛冶の家を訪ねた。
「おーい、其処の者」
「お武家様わてですか?」
「そうだ、ちょいと尋ねたいのだが」
「はい、なんでしょう?」
「刀鍛冶の加藤正左衛門殿のご自宅は何処かな?」
「ああ、正左衛門小父さん家ですか。家の隣だよ」
「おお、案内してくれるかな?」
「ええよ、こっちだ」
暫く行くと農家が何軒か固まった場所に辿り着いた。
「ここだよ。正左衛門小父さん、お客さんだよ」
暫くすると中から、五十代後半の厳つい爺さんが出てきた。
「ん、なんでい、誰かと思えば小竹じゃねーか。正左衛門なら今、伊都と一緒に使いで那古野にいってるだで、昼過ぎまで帰らんぞ」
「お武家様、小父さん今居ないだと」
小竹の後にいる武士に気づいた爺さんが話しかける。
「お武家様、正左衛門に御用とは如何なる事でしょうか?」
「拙者は、関東より来ました北條左衛門佐氏堯と申します。この度、都で御所の修築を行うにあたって、釘や魔除けの短刀などを作るために、刀鍛冶を捜しておりましたところ、荒子にて聞いたところ此方にいらっしゃると言う事でしたので」
その事を聞いた爺さんは厳つい顔をゆがめながら質問する。
「御所の修築のような大事に何故わしらの様な野鍛冶を訪ねて来なさったので?」
尤もな疑問であるが、それも占い万能の時代であれば幾らでも誤魔化せる。
「占いにて、尾張の那古野より西に目指す人がいると出たもので」
「左様で、しかし正左衛門が帰えってこねーと話もわかりませんでな」
「待して貰います」
「家は、今俺一人だから、お武家様に湯もだせねーだ」
そう言っている中で小竹が話しかける。
「お武家様、汚いが家へ来て休むといいだよ」
「しかし迷惑であろう?」
「ええだよ。正左衛門小父さんは遠縁にあたるだで、おっかあも平気だ」
こうして、氏堯と康秀と数人が小竹の家にお邪魔し、山科卿と氏政が丹羽長秀一行を誘って、北條家謹製簡易テントで休んでいた。丹羽長秀も田舎の鍛冶屋や農家の小倅が重要人物とは思わなかった事と、簡易テントが天幕や傘をさして日や風を防ぐ今までの方法と違うことが凄いことだと感じ、構造を聞き出そうとしていた。
しかし今回、丹羽長秀達に見せて居るテントは見せテントであり、真似をしても日差ししか遮れない程度の物である。実際に北條家で制作しているテントは骨組みが全く異なり、さらに麻布で目の細かい帆布を作り、柿渋で防水加工した物で、防水、防風、防寒などに効果を発揮する物である。
実際麻布で作られた簡易テントの方がノミやダニが居る農家より快適であるが、この小竹が重要人物だと知っている康秀がお言葉に甘える形にしたのである。逆に丹羽長秀達は、一緒に農家へお邪魔することもなく監視もしていなかったのである。
「おっかあ、正左衛門小父さんのお客さんだが、暫く家で休んで貰うだが、ええじゃろ?」
小竹の問いかけに、古い佇まいだが、ある程度の大きさの農家から、年の頃四十後半ぐらいの女性と十代後半ぐらいの娘が現れた。
「あいや、小竹、お武家様にこんなボロ屋で休んで貰うなんぞ、失礼にあたるんじゃなかと?」
「兄さ、お武家様かい?」
小竹のおっかあと妹が、驚いた顔をして恐縮しているが、康秀がフォローする。
「いやいや、御内儀、立派な物ですよ」
「あいや、御内儀だなんて、そんな立派なもんじゃないだね」
おっかあは、にこやかに手を左右に振り照れる。
「拙者は北條氏堯と申します」
「拙者は三田康秀と申します」
「こりゃあ丁寧に、おらは仲っていうだよ。此は娘の旭だ」
「申し訳ござらんが、正左衛門殿がお帰りになるまで、ご厄介になります」
「いやいや、こんなボロ屋で良ければ、どうぞどうぞ」
「忝ない」
仲の案内で、小竹が汲んできた水で足を洗って、板の間の座敷へ上がる。二月後半であり囲炉裏には火がくべられている。
「茶でも出せればええだが、生憎こんなボロ屋では無いだで、すまんですな。せめて湯でも如何かの?」
仲が心底すまなそうに言うが、其処で康秀が持って居た背負い袋を開け中身から木筒を出す。
「仲殿、お湯と椀を御家族の分だしてください」
小竹と仲と旭が人数分の椀を出すと、康秀は受け取った椀を湯で温めてから、木筒から茶葉を出して、持参した竹で作った急須に茶葉を入れて湯を注ぎ蒸らし始めた。暫くすると良い香りが部屋に漂う。充分蒸れた所で、椀に茶を注いでいく。
「さあ、出来ましたよ。仲殿、小竹殿、旭殿、お飲み下さいな」
全員分の御茶を入れ終わった康秀が、皆に勧めるが、仲も小竹も旭も恐縮している。
「こげん高い物、頂く訳にはいかないだよ」
「お武家様、とても高くておら達じゃ返せないだ」
「兄ちゃん、けど良いにおいやな」
仲と小竹はこんな高い物を頂いたら大変だという感覚で、遠慮している。
「大丈夫ですよ、此は笹茶と言って笹の葉を洗ってから鍋で煎った物ですから」
その言葉に驚く三人と普通に飲んでいる氏堯達、それを聞いて仲達は笹茶を飲み始める。
「甘いだね」
「旨いです」
「美味しい」
三人ともにこやかになった。
「関東では、皆が皆こういう御茶を飲んでいたりするんですよ」
「凄いだね、笹が茶になるとはしらんかったよ」
「詳しい作り方を教えよう」
康秀の言葉に、三人が驚く。普通こういう事は秘密にして金を儲けるのが、武士や商人の常套手段だと思っていたからである。仲にしてみれば、亡き夫弥右衛門が戦傷で亡くなった後の親族の仕打ちが忘れられなかったので、この氏堯と康秀の気さくさは驚きであった。
その後、茶葉の作り方を教えて貰いながら、身の上話をし始める。
「おらは、尾張の御器所村の生まれで、中中村の村長だった木下弥右衛門さに嫁いだんじゃが、弥右衛門さは織田様の足軽組頭だったんじゃけど、傷を負って戦えなくなっただよ。暫くして弥右衛門さが三十一で死んじまったら、今まで下に付いてきた連中が皆出て行ってしまっただよ。それで、今では只の百姓してるだ」
康秀は仲の話で、以前読んだ秀吉の出自話が本当らしいと感じて居た。
「大変だったんですね」
「まあ、子供四人も抱えてじゃからね。弥右衛門さの爺さんが近江の浅井家から婿に来ただが、そん時の田畑があったから何とか生きていけただよ」
「近江の浅井と言うと、小谷城主の浅井殿ですか?」
「んだよ、弥右衛門のおっとうに聞いただよ。何でも爺さんは浅井重政っていうらしいけど、もう全然関係無い状態やからね」
「お子が四人と仰いましたが」
「んだよ、日吉、小竹、とも、旭だ。日吉は出て行ってしまって今は何処に居るのやら。ともは去年嫁さいっただよ」
日吉は今織田信長に仕えてるって言いたいが、康秀は我慢していた。
「女で四人も育てて大変だったでしょう?」
「いやー、一応再婚はしただが、働かない人じゃったんでな」
「その方は?」
「今日は、寺へ連歌とかへ行ってるだよ」
昼が近づき、仲が雑煮でも喰っていけと言うのでご馳走になった。流石に雑穀と大根とかだらけだが、お袋の味で懐かしく感じた。氏堯などは常在戦場の気持ちであるから、嫌な顔一つしないで食していた。
食事の後、笹茶を再度煎れて一服していたところへ、隣へ雑煮を届けてきた小竹が帰ってきた。
「氏堯さん康秀さん、正左衛門小父さんが帰って来ただよ」
「そうか、じゃあお邪魔するか。仲さんご馳走様でした。又後で御挨拶に来ます」
「そげなこと、ええだに」
木下家を出た氏堯と康秀は、鍛冶屋清兵衛家へお邪魔する。
「申し訳ない。正左衛門殿がお帰りになったと聞いて来ました」
その言葉に、家の戸が開いて年の頃三十代の男が出てきた。
「北條殿ですか、大変お待たせ致しました。拙者加藤正左衛門清忠と申します。義父より簡単には聞きましたが、詳しい事は中へどうぞ」
「此はご丁寧に、拙者北條左衛門佐氏堯と申します」
「拙者は、三田長四郎康秀と申します」
入ると座敷に案内されて、先ほど小竹に届けさせた笹茶を妻の伊都が持ってくる。
「頂いた物で、申し訳ありません」
「なんの、お構い無く」
氏堯、康秀と清忠が向き合い話が始まる。
「突然押しかけて申し訳ござらん」
「なんの、帝の御用とあれば仕方ないこと」
「そう言って頂けると幸いです」
「それで、何故私をお誘いになるのですか?」
清忠にしてみれば、美濃今尾城代として斎藤道三に仕えながら、落城し尾張の田舎へ逃げ込んで武士を捨てざるをえなかった存在で有る。それが何故今北條家から誘いが来るのかが判らなかった。
「実は、今回都の御所の修築に刀鍛冶や鍛冶が多数必要で、それを束ねる長を探して居たのですが、占いにより、尾張にその者が居ると出たのです。そして昨日荒子で貴方の話を聞きまして、貴方こそ探していた者だと考えた次第」
氏堯の話をジッと聴いていた清忠だが、疑問を述べる。
「都には、腕の良い鍛冶も多数居ましょう。何故尾張からと?」
「都の鍛冶は伝統に胡座をかいてしまっています。新しい方法を試すこともしない。更に、今回の御所修築は武家の考えを入れるつもりです。その為に、貴方のような元城主が必要なのです」
清忠にしてみれば、自分の出自も判っているとは、最初は胡散臭い占いと思ったが、信じてみたくも成りつつあった。が、しかし、義父が果たして一緒に来てくれるか。義父が来なければ、妻は義父を置いていくことが出来ないだろうと考えていた。
「私の出自まで判りましたか?」
「詳しくは出ておりませんでしたが、城主かそれに匹敵するとは出ておりました」
「そうですか、私は、元々美濃斉藤家に仕えており、父加藤因幡守清信は、尾張犬山城代となり、天文十六年、織田家との合戦で討死しまして、その後家を継ぎ美濃今須城代になったのですが、敗戦により所領を失い、さらに負傷により武士をやめ、此方で鍛冶になろうと婿入りしたのです」
「なるほど、斉藤山城守殿の御家中でしたか」
「いかにも」
「どうでしょう、我が北條家に仕えて頂けませんか?」
「しかし、私はお役に立てる様な体ではありません」
「いや、鍛冶としても腕を振るって欲しいのです」
「しかし」
清忠の心が揺れるが、家族の事が心配で決断できない。それを感じたのか、妻の伊都が入ってきた。
「申し訳ありません。宜しいでしょうか」
清忠は帰そうと思ったが、氏堯が許可をする。
「御内儀、お入りなさい」
「はい」
伊都は氏堯、康秀に挨拶し、清忠に向き合って話しかける。
「正左衛門様、加藤家復興の好機なのです。お悩みにならずに、お受けなさい」
「しかし、義父殿が」
「元々、我が家は野鍛冶、正左衛門様は御城主様、私如きが妻になれる事は無かったのです。離縁してお受け下さい」
「その様な事出来る訳がないだろう!」
伊都は気丈に正左衛門を諭す。
「加藤家復興になれば、正左衛門様にも良きお方様がお出来になるでしょう。その際、たかが野鍛冶の娘が一緒に居ては迷惑になるだけです」
「伊都、お前を捨てていける訳があるか!」
二人のラブラブ感に些か胸焼け気味に成った康秀が話しかける。
「失礼ですが、それほど悩むことでも無いかと」
その言葉に二人が驚いた顔をする。
「何故ですか?」
「何故と申しますと、私は北條氏康様の婿ですが、私の母は踊り念仏の娘でしたから」
それを聞いた二人が更に驚く。
「北條氏康様と言えば、相模の虎と言われるほどの名君。その方の婿殿が」
「そうじゃ、北條は出自など気にせんぞ」
氏堯が少々大げさに宣伝する。
「是非、正左衛門殿は伊都殿と一緒に来て頂きたい」
「しかし、父を一人にしていく訳にはいきませんし」
「それならば、父上も一緒にいらっしゃったら宜しいかと」
「しかし」
心配する清忠と伊都。
「それならば、お父上にお話ししてみましょう」
康秀の言葉で、伊都の父清兵衛を呼び話をした。
「なるほど、正左衞門に加藤家復興を、そして伊都を一緒に連れて行くと」
「はい、その際、清兵衛殿を置いていけないと」
それを聞いた、清兵衛は苦笑いする。
「伊都、俺は赤ん坊じゃ無いんだ。一人でも生きていけら」
「けど、父さん、心配なんだよ」
中々話が進まないので、康秀が再度提案する。
「清兵衛殿は鍛冶ですよね」
「そうですが」
「その腕を都と小田原で振るって貰えませんか?」
「俺がですかい?」
「はい」
「冗談はよしてくれ、俺は只の野鍛冶だ。御所の修理や殿様のお役にたてるような腕はないですぜ」
「私に協力してくれている者達も、元々野にいた者達ばかりです。是非お願いします」
康秀が頭を下げ始めたため、清忠も伊都も清兵衛も驚いてしまう。
「まっまっまってくれ、頭を上げてくれよ。判った其処まで頼られて断っちゃ男が廃るってもんだ。清忠、伊都、一緒に行くか」
「義父さん」
「父さん」
三人の心が纏まったところで、氏堯が話しかける。
「清忠殿、清兵衛殿、伊都殿、それでは一緒に行って貰えるかな」
「はい。加藤清忠、北條様にお仕え致します」
ここに尾張中中村の鍛冶屋清兵衛と刀鍛冶加藤清忠、伊都夫婦が北條家一行に入ることになった。
三人とは津島で合流することになり、中中村を出立する前に、木下家へ向った。
「仲殿、小竹殿、旭殿、お世話になりました」
「いやー大したことはしてないだよ」
「案内しただけです」
「清兵衛殿達は都へ向かうことになりました」
「そうきゃ、寂しくなるね」
「けど、正左衞門小父さん達が立派になるんだから良いことだよ」
「兄さ、そうだね」
「所で、木下殿は浅井家の出身、どうでありましょうか、当家に仕える気はございませんか?」
行きなりのスカウトに驚く三人。
「なっ何故ですか?」
「私が、みんなを気に入ったからと言う理由では駄目ですか?」
「恐れ多いことですだ」
「家はもう百姓だで、北條様や三田様のお役にたてないだよ」
三人が驚きまくるが、康秀はスカウトを諦めない。
チートだが、以外に簡単に作れる軍用テント。
秀吉の出自については、早瀬 晴夫 (著) 豊臣氏存続―豊臣家定とその一族を参照にしています。