閑話 米田一族の陰謀
四月一日ネタです。本編の未来かもしれませんが、今自体では未定の話です。
三田一族の意地を見よ 別冊にも四月一日のネタを書いております。
元亀三(1572)年七月十五日
■肥前国彼杵郡大村武部郷三城城 後藤貴明
「伯耆守様、おめでとうございます」
「皆も御苦労であった」
「我ら、家臣一同、伯耆守様のお帰りを一日千秋の思いで待っておりました」
やっと、やっと、家を取り返せた。思えば、有馬出身の純忠に家督を奪われ俺は後藤へ養子にだされた。当初はそれも仕方無しと思っていたが、事も有ろうに純忠めは、伴天連の教えにのめり込み、親父殿の位牌から先祖代々の位牌、墓石、神社仏閣まで破壊し、仏僧、神主を殺害し、強制的に民を伴天連の信者にさせ、拒む者を殺し、更には煙硝を得るために、うら若き乙女の多くを伴天連どもに売り払いおった。
人を人とも思わぬ餓狼の如き心の持ち主であった。その様な輩に我が故郷を荒らさすわけには行かぬと、幾度となく戦い続けたが、毎度毎度勝負が付かず悔しき思いをしてきた。
それが今日遂に三城城を落とし、純忠めを討つことが出来たのだ。
これで、父上をはじめ、御先祖様に顔向けが出来るというもの。しかし親父の死さえ怪しいものだ。奴に家督を譲った翌年に亡くなっているのだから。
しかしこれで終わりでは無い、これからは純忠が呼び寄せた伴天連共との戦いが続くのであるから、それに伴天連の手先である有馬も倒さねば成るまい。
しかし、これをしなければ、伴天連共に売り飛ばされた民百姓を救うことができない。
「殿、謀反人純忠の頸は如何致しますか?」
「足げにすれば良いのではないか?」
「いや、亡き殿の位牌に先祖代々の墓まで破壊した男、幡物にして、烏にでも突かせれば良いのではないか?」
「なんの、鱶の餌であろう」
うむ、いかんいかん、つい考え込んでしまっていた。
しかし、頸をどうするかか、純忠にはそう簡単に原磯なる所へは行かさんよ。
「皆聞いてくれ、純忠の頸は胴体と共に、この三城城を立派な寺にして祀る事に致す」
俺がそう言うと、集まっていた者たちからざわめきが聞こえた。
「殿、謀反人に立派な寺を建てるなど何をお考えですか?」
「左様、この様な輩は、野に捨て置いて大神にでも喰わせれば良いのですぞ」
「左様左様」
そう思うは確かなことだが、純忠は死後も責められば成らぬ輩よ。
「皆が言うことは尤もだが、それは我らのような者にしてみれば御仏の元で祀られるは望外の喜びなれど、純忠は伴天連の教えを受け神仏に唾を吐いた者、なんでも伴天連は教義のために死ねばパライソなる所へ行き魂が救われると教えているそうだ。ならば、御仏の元で自らしてきた悪行を悔い改めさせ、閻魔大王様の裁きを確りと受けて貰おうと思うわけだ」
「おお、それは重畳ですな」
「なるほど、態々奴の世へ行かせることはありませんな」
「アッサリ行かせては、塗炭の苦しみを受けた民百姓に申し訳が立ちません」
「そうよ、寺で仏僧に毎日、読経させようぞ、さすれば、純忠は永遠に御仏の元で苦行をえるであろう」
皆が賛成し、これで溜飲が下がったわ。これも全てあの者たちのお蔭よ。
元亀三(1572)年七月十八日
■肥前国彼杵郡大村武部郷大村館 後藤貴明
三城の後片付け、味方してくれた松浦、西郷殿らとの宴などが終わり純忠が三城に移って以来放棄されてきた大村家累代の大村館を急遽修復した。これでやっとあの者に会うことが出来る。
館の広間には年若い女子と筋肉隆々な武人が待っている。
「面を上げ」
近習が言うと二人が顔を上げた。
うむー、相変わらずの美しさだ。
「伯耆守様にはご機嫌麗しく」
「お主も壮健であるな」
「はい、お蔭様をもちまして」
「此方も、お主らのお蔭で三城を落とし、純忠を討ち取る事も出来た。感謝致すぞ」
「とんでもございません、我らも伴天連を倒すために伯耆守様に多大なるご支援を受けているのです」
「なんの、我らは同じ目的を見る同士ではないか」
「ありがたき幸せ」
「それで、璃安よ、かねてからの話のようにだな・・・・・・」
「伯耆守様、如何致しました?」
璃安のクリクリした目を見るとついしどろもどろになってしまうな。
「あのだな、これからも儂の側にいて欲しい」
「無論でございます」
良かった、純忠を倒せば何処かへ行ってしまうかと思っていたが。
「左様か、ならば直ぐにでも館へ」
「我が米田一族、一度盟約を結んだ以上は裏切ること無く伯耆守様に協力致します」
あっ、そういう事? そういう事じゃないんだが・・・・・・
「お嬢様、伯耆守様はそういう事ではなく、お嬢様をお迎えしたいと申しておられるのでは?」
流石は米田一族の頭虎将軍だ。的確に間違いを正してくれる。
「頭虎、その様な事を言っては失礼に当たりますよ」
「いや、頭虎殿の言う通りなのだが」
「えっ、伯耆守様が私を・・・・・・ご冗談でしょう」
ここで進まねばならんのだ。
「璃安殿、我が妻として共に歩んで欲しい」
時が経つのが焦れったい。
「はい、私で良いのであれば」
「無論ですぞ」
やったー純忠撲滅より遙かに嬉しいわい。
璃安と会うことが出来たのも純忠が伴天連に靡いたお蔭、純忠よ今は感謝してやるぞ、精々立派な葬式と寺を建ててやろうぞ。
元亀三(1572)年七月十九日
■肥前国彼杵郡箕島 頭璃安
「お嬢、大出世ですね」
「まあ、そうかね」
「唐人の王直殿の高砂での盟友米田一族が王直殿の捕縛後に王直殿捕縛を企んだ明と南蛮人に対する報復を行う為に、大村家奪還を狙う後藤伯耆守殿に合力した訳ですから」
「そりゃ、頭目の璃安様に惚れるわけですよ」
「言うんじゃないよ」
「大筒に鉄炮、手投弾に大量の煙硝と来れば大村純忠を殺すにも易かったわけですから」
「確かに、しかし三田様の手と耳は何処まで把握しているんだか、後藤家と大村家の騒動なんぞそう簡単には判らないでしょうに」
「確かに、しかし以前に助けた少弐の生き残りが三田様に仕えているからそのあたりからの情報じゃないかな?」
「まあ、なにはともあれ、お嬢の嫁入りを喜ぶぞ」
「おう!」
「今宵は宴だ!」
「全く、好きにしな。あたいは報告書を書かなきゃならないんだからね」
全く好き勝手言いやがって、しかしあたいが後藤の殿様の側室とは驚きだね。
三田様によって各地に派遣された風魔衆の中でも唐人を演じているのは我々だけだし、最初は大変だったけど、倭寇仕事も順調だし、良い感じだよね。
しかし、米田一族に頭璃安に頭虎将軍って何から取ったのかね?
そういえば、浅井で活躍しているのは塩川だし、なんか命名基準があるのかね?
感想返し本当に済みません、去年無くなった叔父の奥さんである九十の叔母が緊急入院で一時危篤でごたごたしておりました。今は小康状態です。