第百十話 西国諸事情
皆さん、今年も宜しく御願い致します。
今回も閑話ですが、西国で一大事が起こる話です。
喪中につき新年の挨拶は割愛させて頂きます。
永禄元(1558)年七月
■山城国 京 池邸 池朝氏
「御所様、まもなく屋敷へ到着致します」
ふう、今日も平穏無事に済んだか、都に残り早三月、最初はまごついた検非違使の仕事も何とか様になってきたか? まあ自分自身がそう思っても他人から見たら笑われる程度のものかも知れないがな。それにしても公家との付き合いと言うのはもの凄く疲れるな。何と言っても顔では笑っているが腹では何を考えているいるか判らないのだから、流石は魑魅魍魎の済む都で千年近く過ごしてきた海千山千の方々だ。
関東で斬った張ったの生活をしていた俺にしてみれば全くもって理解できない状態だ。義父殿や月がいなければ悩みまくって長四郎の言っていた鬱になっていたかも知れないな。
それにしても、検非違使庁から十町(1090m)ほどの距離を帰るだけなのに牛車を使わないとならないとは、この距離であれば馬でもよいし、準備を考えると歩いた方が遙かに早いのだが、あまりに面倒なので、義父殿に愚痴をこぼしたら笑われた事も有ったな。
義父殿曰く『確かにここ百年以上、牛車など誰も使っておらなかったが、それは先立つ物が無く牛などとっくの昔に借金の形に取られていたからだ。その様な仕儀で口惜しさ満々な所に、今回北條殿のお蔭で安定した家禄と季節ごとの贈り物が来る様に成り、その上、各家の家業への援助、家業の無い者たちへは史料編纂という仕事を与える事で十分な生活が出来る様に成った。その為に牛車の復活も決められたわけだ。それ故、我慢するようにしなさい』そう言われたわけで、確かに『衣食足りて礼節を知る』と言うから、仕方ないと言う事だよな。まあ普段は馬に乗ったり歩いたりして巡回しているからこのぐらいは我慢するしか無いよな。
「御所様、屋敷に到着致しました」
牛車が車寄せに着くと御簾が開かれ表へ下りる。
未だマシなのは、この屋敷が書院造だと言う事だな、元々北條家の現地の作業用屋敷として建築したからこそなんだが、これが、他の屋敷のような寝殿造だったら落ち着かなかったな、何と言っても彼方では間仕切りが充分に無くて、吹き晒しとかだからだ。その点此方では、間仕切りも充分あるし引き違いの建具で部屋を小分け出来る上に畳座敷があるのだから、ごろりごろりと寝転ぶことも可能だ。
「御所様のお帰りにございます」
家礼が家の者に俺の帰宅を伝え、暫くすると”パタパタ“という音と共に、妻の月が顔を出した。
「お帰りなさいませ旦那様」
「ただ今帰ったよ月」
こんな言い様は恥ずかしいんだが、言わないと月が涙目になるし、時には拗ねて隠れるから仕方なしに仕方なしにやっているんだよ。長四郎が月にラブラブをはじめとする南蛮の男女間の愛の言葉を教えたので、月が時たま使うからそれでまた恥ずかしくなるんだよ。
「旦那様、お食事に致しますか? 湯殿に致しますか? それともわたし?」
そう言いながら『キャッ恥ずかしい』と小声で真っ赤になる姿は可愛いものだが・・・・・・
月がこんな変な事を言うのは、全て長四郎のせいだな。
全く、俺を都へ置き去りにするわ、公家にするわで、散々弄られまくりだ。まあ血湧き肉躍る関東に比べて都の戦いは正にオドロオドロしたものだが、月と夫婦になれたことは望外の喜びであったし、義父殿や九條様、二條様、山科卿の紹介で歌人として有名な三條西権大納言殿(実澄)、飛鳥井権大納言殿(雅綱)、冷泉参議殿(為純)、冷泉中納言殿(為益)ら、歌道を家業とする当代一流の方々と付き合いが出来たことも望外の喜びであった。
三條西権大納言殿とは長四郎の曾祖父と権大納言殿の祖父逍遙院殿の繋がりから親しくして頂いているから、それだけは感謝しているがな。まあ、御本城様が認めたことだから、俺も確りと都での仕事をするがな。それに長四郎も俺が都に残ったことなどは、北條家の為と考えてやったのだろうが、月に色々な本を渡したのは完全に遊んでやがるな、全く、妙殿の事や井伊の男女のことでからかったので仕返ししやがったな。
「旦那様、どうなさいましたか?」
いかんいかん、考えすぎて、月の事をすっかり忘れてしまった。月が心配そうに見ている。
「いや、都に残って早三月だなと思っていたんだよ」
「お国が恋しゅうございすか? それともお国に懸想なさっている方がいらっしゃるのでしょうか?」
月がウルウルした目で聞いてくるが、確かに国が懐かしくはなるが、国に女はいないからな。俺の場合、面白くないと女子にはもてなかったからな。
「月、別にそう言う事ではなくて、坂東で武人として戦をする事を生業にしていた自分が都でこうして公家として検非違使として都と帝を護る仕事をしてることと、この三月があっと言う間に過ぎてまるで夢のように感じてな」
「旦那様・・・・・・」
「月・・・・・・」
「おやおや、お邪魔やったかな?」
「御所様、西園寺左府(公朝)様がおいでになられました」
月と良い感じになっていた所で、突然声が聞こえて、二人で直ぐに表を向くと、そこには義父殿の西園寺公朝殿がにやつきながら此方を見ていた。慌てて、二人で身を正したんだが、完全に狙っていたとしか見えない笑みだ。全く、この義父殿は時々こうしてやって来て新婚家庭を見に来るのだが、娘を嫁に出した親というのはこういう行動をするらしいから仕方が無いか。
「おもうさん、いけずやな」
「ハハハハ、月、婿殿、すまんの」
相変わらず、飄々としてつかみ所の無い御仁だ。まあ親父殿(北條幻庵)に比べれば未だマシなのだけれども、どうして公家というか、年寄りというのは若い者をからかうのが好きなのだろうか、そういえば九條様や山科卿もよく長四郎をからかっていたな。まああれ程からかわれる長四郎に比べれば遙かにましか、長四郎が俺をからかうのも仕方無しだな、被害が違いすぎるからな。
「いえ、義父上には何から何までお世話になっておりますので」
「左様か」
「旦那様、その様な事を言いますとおもうさんが本気にしてこれ以上しょっちゅう来ることになりますよ。ここはピシッと言わねばなりません」
月は、結構我が強いし、一刻な所があるから、そこがまた可愛いのだが。
「婿殿、迷惑かの?」
「いえその様な事は・・・・・・」
嫌と言えるわけが無かろうが。
「全く、旦那様もおもうさんも、それだから苦労するんですよ」
「ハハハハ、左様じゃな、土倉の時にもそれが原因であったの、尤もそのお蔭でお前は婿殿と出会えたのだから不幸中の幸いということじゃな」
「全く、おもうさまは、屁理屈ばかり」
そう言いながらはにかむ月も乙なものだな・・・・・・いかんいかん、惚気になってしまう。
「御所様、奥方様、左府様をお座敷にお迎えしませんと」
家礼が心配そうに言ってきたが、確かに夏とは言えここで立ち話は老体にはつらいであろうな。
「そうじゃな、まず茶でも頂くとするかの」
「もう、おもうさん、それは旦那様か私が言う言葉ですよ」
「ハハハハ、しょっちゅう来ておるから、勝手知ったる娘の家じゃよ」
まあ、普段からこうだから、既に慣れたな。
義父殿を座敷に案内すると俺は素早く着替え、義父殿の元へ戻った。
結局、御茶だけじゃ無く、食事を一緒にすることになったが、何時ものことと料理人も慣れたもので直ぐに義父殿の食事を追加してくれた。
世間話をしながらの食事は公家の世界の話などなどで、ある意味新鮮で非常に役に立った。
そんな中、徐に義父殿が相変わらず飄々とした感じで話しはじめた。
「そやそや、婿殿に用事があって来たんやったわ」
「えっ、おもうさん、どうせ何時ものように只単に顔を出しただけやないん?」
さて、義父殿が俺に用事とは、何があったかな?
「実はな、婿殿が付き合っている三條亜相(三條西実澄)は既に四十八なんやが、長男の公世はんは十五年前に無くなって次男の公光(公国)はんは未だ三つや、本人にしてみれば何時死んでも判らん年になったと言うてな」
そういえば、実澄殿は頻りに自分の体に関して気にしていたが、それが原因か。
「なるほど、それがわたくしに何か関係があるのでしょうか? わたくしは亜相様とは歌道仲間である程度の関係ですが」
「そこなんやが、婿殿は古今伝授をしっておるか?」
「古今伝授ですか、多少なりとは知っております。尤も古今和歌集の秘伝を相伝する位しか知りませんが」
「それなんやが、亜相は古今伝授を相伝しているんやが、三つの幼子に伝授する訳にもいかんとズッと悩んでおったんやが、婿殿の歌道の腕を見てこれはと思ったんや、それに北條家と三條西家は亜相の祖父逍遙院(三條西実隆)、典厩の曾祖父弾正忠(三田政定)を介しての知己、それだけでなくそなたの腕が亜相の目に留まったわけじゃ」
「それは、何と言って良いか言葉に詰まるのですが」
「考えてみい、古今伝授はそれ相応の者にしか伝授させないものや、それを伝授しようと言う事は歌人として名誉なことや」
そうは言われても俺などがその様な重責を護る事が出来るのだろうか。
「旦那様、名誉なことにございますよ。古今伝授と言えば一子相伝とも言われるもの、それを亜相様御自ら伝授しようと言うのですから、これを断る事は返ってこの世で過ごすことが難しくなります」
「左様じゃ、婿殿には受けるしか無いわけじゃ」
完全に堀を埋められた状態か、確かに歌人として古今伝授を受ける事は名誉でしかないが、公家でもない俺が受けてよいのだろうか、却って公家衆から嫉妬を受けるのではないだろうか、それを確認しなければ受ける事は出来ない。
「義父殿、その旨ですが、わたくしの様な武士崩れが古今伝授など受けては他の公家衆から批判がこないのでしょうか?」
「なんじゃ、その事なら大丈夫じゃ、元々古今伝授は歌道の大家二条家の秘事として代々相承されていたが、二条左中将(為衡)が二百年ほど前に亡くなって二条家が断絶して以来、二条家の弟子二階堂頓阿が継いで、その後、子経賢、孫尭尋、曾孫尭孝と続いて、その後、東常縁が受け、そこで常徳院殿(足利義尚)、後法興院殿(近衛政家)、竜翔院(三条公敦)、連歌師の宗祇に伝授したのや。なっ、既に二階堂に伝授した時点で武家が受けておるし三條西家が伝授しはじめたのは宗祇が逍遙院に伝授して以来やから、亜相で未だ三代目や、そやから別に三條西家が累代伝授してきた訳やないから心配無用や」
なるほど、それなら、多少なりとも安心できる。仕方が無いが受けるしか無いか。
「判りました」
「それはよかったわ。これで亜相も安心するであろう。亜相には明日会いにいく約束をしてあるから、支度をするようにな」
「はっ」
やれやれ、この重責どう受け止めるかだな。
永禄元(1558)年七月
■山城国 京 池邸 池朝氏
公朝殿との話し合いは義父殿だけでなく、伏見宮様、九条様、二条様まで集まってあっという間に俺が公朝殿の弟子となる事が決まり、少しずつだが伝授に向けての教わる日々が続いている。公朝殿は最初に、『たとえ池家の嫡男の一人といえども、絶対に他人には伝授しないこと、三条西家に、もし相伝が断絶するようなことがあれば、責任をもって伝え返すこと』と言われたからな。
義父殿から聞いた古今伝授の話を聞いていたので、思わず噴き出しそうになったが、有り難がって伝授を受け相伝して上げるのが、公家社会で生きていくのに良きことと考え、唯々諾々と誓った。まあそれで延々と護られてきたものが護れるなら一刻でも俺が護ろうと思った次第。
ん?
蝋燭の明かりが届かぬ暗闇に一人の影が現れた。うむ、西国へ放った者たちの組頭か。
「如何した?」
「はっ、平戸と丹生島(臼杵)に王直配下の毛烈が現れ、官憲に捕らわれた王直奪還への手助けを最初松浦隆信にその後大友義鎮に訴えたそうですが、両名ともけんもほろろに追い返したとのこと」
「何故か、松浦は散々王直の仲介で貿易の益を得ていたはず、それに大友は先頃勘合貿易の再開を期して王直を使わしたはずだが?」
「はっ、どうやら、松浦は王直が捕らえられた際に亡き者と考え残していた資産を接収したらしく、また大友は南蛮人との貿易に益を見出したようです」
なるほど、松浦、大友にしてみれば、王直は既に用済みと言う事か、散々利用して捨て去るとは嘆かわしいことだが、これも全てあの時真面目に我らの言葉を聞いてくれなかった王直と毛烈の自業自得といえような。
「判った、で毛烈はその後どうしたのか?」
「はい、噂に依りますと『自分達をかってくれる者がいるので東へ向かう』と言っていたとか」
それは我らの事では無いのか?
「判った。毛烈のその後について引き続き調べよ」
「はっ」
忙しくなってきたな。ここは御本城様に一報を入れねばならんな。
今夜は眠れぬかも知れん。何と言っても暗号文は面倒臭いからな。
アルファベットとか乱数表とかを、出させなければならん。
ここの所巷で有名な古今伝授が細川藤孝ではなく、池朝氏(北條綱重)に伝授されることに。
完全に歴史が変わりました。そして王直の運命は?
新年早々本日も明日も仕事です。
その為、感想返し遅れて済みません。年を越してしまいました。順次返信を行いますので何とぞご容赦をお願い致します。