第百六話 恐ろしき戦場
大変おまたせしました。
今回も戦の続きです。
前回の百五話の戦闘シーンを修正しました。
永禄元(1558)年八月十四日
■常陸国久慈郡小里城 今宮永義
「放て!」
「見ろ、人が塵のようにすっ飛ぶぞ」
「凄い威力だ」
「これなら行けるぞ!」
伊達、岩城、田村の聯合に攻められた小里で籠城を続けて数日、楠木流の戦で二万以上からの攻撃を凌いでいたが、流石に一千対二万では戦力差が有りすぎて、そろそろ覚悟を決めるかと腹を括った最中に、御屋形様から盟約成った北條家と共に援軍を送ると知らせが有った事で、兵の士気も再度上がり、死に物狂いの防戦が続いた。
そんな中、突如敵の大部分が南下しはじめ、旗を見る限り残るは田村勢だけと成っていた。不思議に思ったが御屋形様よりの知らせで、御屋形様の軍勢が二十里ほど南の深萩に陣を置いた事が敵を南下させる要因となったようだ。
更に、放っていた者から北條殿の援軍が東の山中を進み一両日中には援軍が到着する事も判った。
しかし、敵に情報漏洩する事を考え宿老だけに伝えたはずが、あのじゃじゃ馬娘が盗み聞きして勝手に伝手を取りに行ってしまうとは、ほとほと困った者だ。
勝がいないことに気づいた奥が慌てて俺に知らせ、密かに城中を探させたが何処にもおらず、その後、付けていた摩耶の置き手紙から『勝が一人で援軍に会いに行ったので、早急に後を追う』そして敵が大群で有った時には殆ど使えなかった抜け穴を使ったことも判った。
その結果、当初は援軍の位置と此方の状況を知らせるために送る予定であった者たちは、更に連絡を密にする事に使える事になったが、まさかそれが功を為すとは思わなかった。
半時もすると、摩耶の番の筑波が戻り、勝は無事北條家の援軍と会合でき現在、田村勢とその先にいる荷駄を潰す算段をしていると判った。更に『川を渡って北條側の風魔衆が援軍として入城する』と御屋形様の花押入りの書状も届けられた。
流石に御屋形様の書状でも他国の乱破を城に入れるのは宿老を含め俺も躊躇したが、このまま座していても御屋形様の為に成らぬと宿老を説得し二十人の風魔を迎え入れたが、風魔を率いていた人物に驚かされた。
『今宮殿、拙者、風魔小太郎と申す。御本城様の命により今宮殿のお手伝いに参った次第。聞き届けて頂き忝い』
あの北條、いや関東に名が轟く風魔衆の主領風魔小太郎が現れたのだから、本物かどうかは判らぬが、その体から発する何とも言えぬ威圧感はそんじょそこらの人物には出せぬ故、風魔小太郎で無くともそれなりの人物で有ると判った。
それにしても、我らに比べ風魔衆の動きの良さと隠密度合いは驚くべきものだ。我らが苦労して二千の田村勢の包囲から抜け穴で外と遣り取りしているにも係わらず、風魔衆は南側の川から素早く二十人も城へ入り込んできた。彼らは背に荷物を持って来たが、それも苦にならぬ様な素早さであった。彼らが敵で有ったらと考えると背筋が寒くなってきた。
荷は今使っている焙烙玉と先ほど連絡に使った龍勢であったが、驚くべきはその量だ。なんと一人頭十貫(37.5kg)もの荷を担いで来たのだから。それでいてあの早さとあの身軽さには驚かされた。
それにしても、龍勢というものは有れ程の轟音と供に天高く飛翔するとは凄いものだ。あれならば、遙か遠くにいる援軍にも連絡が付くであろう。
そして、焙烙玉は凄まじい破壊力を見せてくれる。最初は応仁・文明の大乱(応仁の乱)で使われた焙烙玉程度であろうと思っていたが、想像を遙かに上回る威力の爆発で敵がバタバタと倒れていく。
それだけでは無く、形が楕円形なため、幼い頃から石合戦で礫投げをしてきた者たちには同じ要領で投げられるので、練習も殆ど不要で習って直ぐに敵に投げることが出来た。
しかし、北條家恐るべしだな。此程までふんだんに煙硝を使え、驚くべき腕の風魔衆、しかも此方以外にも御屋形様の本陣や援軍にも多数の風魔が供に有るのだから、我ら今宮衆では悔しいが鎧袖一触で敗れ去るであろう。つくづく北條家との盟約を結んだ御屋形様の慧眼が有り難く感じられる。
そろそろ、一刻か、『彼方でも片が付いた模様です』と小太郎殿が囁く。よく見ると遙か彼方と山から光がキラキラと瞬いている。
何かの合図で有ろうかと考えてると、敵陣から六町(654m)ほどの北の里川の蛇行部分の森から轟音が発せられ一瞬のうちに田村勢の中で騎乗して指揮をしていた武者の頭が兜ごと消え去り、残った体が立った状態で首の断面から鮮血が噴き出し、ゆっくりと倒れていった。
田村勢は何が起こったか判らない様で驚愕の表情であたりを見回しているが、再度轟音が放たれると、先ほどの直ぐ近くの騎馬武者の胴体に大穴が空き馬上に臓物が巻き散らかされた。その鮮血や臓物を浴びて更に騒ぎ出す敵。これはいったい何が起こっているんだ。
あまりの事に呆然とする我らだが、小太郎殿はけろりとしながら此方へ顔を向けずに話しかけてきた。
「来たようですな。それにしても流石は雑賀衆、何事にも万事派手だ」
雑賀衆、雑賀衆と言えば畿内で有名な鉄炮衆ではないか、北條は彼らまで雇ったのか・・・・・・
城に籠もる誰もが、森の彼方から次ぎ次に響く轟音に驚愕している。元々敵は我らの焙烙玉攻撃を避けるために北へ北へと動いていたが、北からの攻撃で混乱しはじめた敵を見て風魔衆はこれ幸いと焙烙玉に紐を付けて振り回しながら本陣へと投げ込んでいく。
紐一つで有れ程距離が伸びるとは、落下した焙烙玉が爆発すると本陣が乱れはじめた。敵は完全に右往左往しながらまともな指揮を執れないように見える。思うに吹き飛んだ敵武将がある程度の身分の者であったのかも知れない。
しかし儂も各地へ配下を送っている手前、鉄炮に関しても些か知り得ているが、六町も届く鉄炮があろうか? 仮に有ったとしても、あれ程までに的確に兜頸ばかりを狙うことはできないであろうに、やはりこれは雑賀衆の技量なのだろうか?
だとすれば、戦が変わりかねぬ。これは御屋形様にお伝えして我が家でも早急に鉄炮衆を作らねば成らぬ。
ん? 森の中から聞いた事無い音がしたかと思うと中から相馬の繋ぎ馬の旗印を掲げた一団が現れた。
援軍に相馬勢がいるのであろうか? 同じ疑問を持ったのか、敵のざわめきが更に大きくなって来た。
敵は援軍の姿に動揺したのか右往左往し、援軍にテンでバラバラに向かおうとするが、『プッププッププッププッププッププッププッププ』と言う音と共に急速に距離を詰めてきた援軍の先頭集団が鉄炮を構え放つと、轟音と白煙が棚引く中、鉄炮衆に向かっていた連中だけでは無く、右往左往していた連中も一緒くたに倒れていくのが見える。
すると、放った者たちはその場で片膝をついたではないか、その様な事を戦場ですれば命取りになるのにと思ったが、その後から違う鉄炮衆が現れると、片膝をついた先頭集団を追い抜くと鉄炮を構えて一斉に鉄炮を放った。
同じ様に、倒れる敵兵、あれ程の鉄炮を見たのが初めてなのか、もしかしたら鉄炮を知らないのか、我が身に何が起こったのか判らないのかもしれないが、更に動きがバラバラになり始めた。
その後も、更に一隊が現れ同じ様に前へ前へと進んで行く。
三衆目が放ち終わると、最初に放った一衆が立ち上がり再度放つ、これの繰り返しだ。
それにしても鉄炮は放つまでに時間がかかるものだが、この放ちかたなら矢継ぎ早に放てるでは無いか。
時たま鉄炮衆に向かって突っ込む者もいるが殆どは倒れる。しかし勇気を振り絞ったのか、単なる偶然か判らぬが、鉄炮衆目前まで辿り着く者もある程度出るが、それは後方から弓衆が撃ち倒しているようだ。それ以外にも手鎗を煌めかせた衆が残りを倒し続けている。
恐ろしい、凄まじい、理不尽な、どうやってこれほどのものを・・・・・・などなど頭の中がグルグルと考えが回る中で、思わず呻いてしまった儂の言葉を聞いたのか、小太郎殿がニヤリとしているのが見えるが、最早我らには驚愕するしか出来なかった。
永禄元(1558)年八月十四日
■常陸国久慈郡小里城北側 田村勢陣地 田村月斎 (田村顕頼)
いったい何が起きたのか、最初は伊達と岩城からの圧力により仕方なしに、その後は佐竹が北條と組み常陸南部の国衆を制圧し、陸奥へと触手を伸ばすと聞き及び盟約を結んでいた佐竹家を攻撃する約定を伊達、岩城と結ぶ事になった。小里城へ攻めかかった際、城主今宮殿とは顔見知りであるため無駄な抵抗を諦めさせ降伏開城させようとしたが『否』の一言で追い出され城攻めとなった。
しかし、主力たる伊達、岩城は佐竹殿の主力が現れたと聞き、軍監を残して我らに『佐竹勢を撃滅するまで攻囲しておくように』と南下していった。我らとしても手伝い戦でもあるし、ついこの前まで盟約を結んでいたために、些かやりにくく適当に包囲しながらいた。今宮殿もその事は判っていたのか、今朝までは戦をしているようには見えない異様な静けさが漂っていた。
しかし先ほど城から放たれた物が陣内で爆発すると同時に、我らに対する攻撃がいきなり始まり、殿も驚き慌てて陣を城から離れた場所に移動し反撃を開始したが、城から放たれる物が爆発する度に多数の破片が飛び散りバタバタと兵が倒れていく。
あの様な得物は聞いたことが無い、同様のものであれば焙烙玉やてつはうがあるが、これほどの被害を出す事は出来ないはずだ。佐竹の新兵器であろうか? それとも北條の新兵器か?
思うに、あの頑固者の佐竹常陸介(義昭)が北條と盟約を結ぶことが可笑しいと思ったが、この様な物を供給されれば陸奥制覇の野望も燃え上がるに違いない。
見る限り、あの物は一定以上離れれば届かぬようだ。此処は更に陣を下げて遠巻きに監視するより無かろう。我ら二千では城を落とすことは出来ぬ。それに野戦であればあの様な物が投げられる前に弓矢、騎馬で蹂躙すれば良いのだから・・・・・・
”ドカン!”
ん? いきなり直ぐ先に騎乗していた橋本刑部の頭が消え去り鮮血が噴き出した。
なっ、何が起こったのだ?
そう思うまもなく、また”ドカン!”と言う音が鳴ると今度は騎乗していた田母神玄蕃頭の胴に大穴が空き贓物と血が辺り一面に降り注ぐ・・・・・・
また”ドカン!”と言う音がすると騎乗した大越紀伊守の胴に大穴が空く。なんだなんなんだ!
思考が停止する中、騎乗し指揮している宿老、支城主たちが次々と倒されていく、拙い直ぐに殿と若を馬から降ろさねば・・・・・・
「殿、若、馬から下りて伏せよ!」
ありったけの大声で叫んだ。最早敬語がなんなど言っている暇など無い、此処で殿と若が討たれでもしたら。
儂の言葉を聞いて殿と若、それに多くの者が馬を捨てて伏せようとした・・・・・・
”ドカン!”
あああああああああああ!!!!!!
馬から下りようとした殿の頭が頭が、儂の目の前に・・・・・・
永禄元(1558)年八月十四日
■常陸国久慈郡小里城北の森 三田康秀
んー、攻撃は成功しているか、先ずは大鉄炮で狙撃して、敵の頭を潰す事にした訳だ。
まあ、孫六(雑賀孫一)源左衛門(佐竹義昌)太郎次郎(岡吉正)なんかが狙撃しているが、流石だ。六町程の距離からなのに、見事にクリーンヒットだからな。
尤も、三人の言い争いが凄いけど。
「一番玉だぜ、どんなもんだい!」
「孫六のへたっくそ、頭が吹っ飛んだんじゃ誰だか判らないだろうが」
「あんだと、それならどうしろって言うんだよ」
「へっへへ、こうするのさ」
孫六が敵将の頭を吹っ飛ばして文字通りバラバラにしているんだよな。
で、源左衛門が胴体に命中させて臓物をそこいら中にばらまいて、敵がパニックに。
「チッ、的が大きけりゃ誰だって出来るぜ」
「はいはい、負け惜しみは大物を取ってからだぜ」
そう言われた孫六が今度は胴体へクリーンヒット。
「どうだ!」
そんな中、静かに狙撃していた太郎次郎の弾がえらく華美な兜を被った年嵩の武将の首に命中するのが見え、首から頭が千切れクルクルと飛んでいった。
凄いわ、ゴ○ゴ13真っ青の狙撃能力だわ。
いやはや、絶対敵にしちゃ行けない人物だわ。
思うに杉谷善住坊だっけの代わりに太郎次郎が狙撃していたら信長死んでいたんじゃねー?
まあ、歴史のifだが・・・・・・って俺の存在自体がifなんだよな。
しかし、佐竹家と盟約した際に信長が斎藤道三と正徳寺で会談した時みたいに完全装備で見せつけようとしたことがこうも役に立つとは、特に見栄えが良いから持って来た大鉄炮に狭間鉄炮は役に立つわ、重いから運用は大変だけど。
何たって大鉄炮は口径凡そ一寸(30.3ミリ)で丸い弾だと50匁(187.5g)を打ち出し、長さは全体が六尺(180cm)で銃身長は五尺(150cm)あるし重量も重くて(30kg)を越えるから、一人じゃ持つことは困難だ、そこで小田原で製作した三脚か、補助員が肩に担いで安定させながら撃つ訳だ。
普通なら600m越なら丸い弾なら空気抵抗で狙撃なんか出来ない。普通ならライフリングを入れるとかするんだが、如何せんライフリングの製作には熟練と工作機具が必要なので今現在は青銅鋳造によるライフリング銃身の試作試験しか出来ていない。
そこで今回は、三十ミリというエリコンの高射機関砲やミラージュやクフィールのDEFA30ミリ機関砲とか、イギリスのアデンとか、ロシアの機体かA10サンダーボルトⅡあたりの戦闘機や攻撃機しか積んでいない、三十ミリの銃弾を二十一世紀ではスタンダードなシイの実型弾頭にし、弾頭後方底部に刀鍛冶に鍛えて貰った安定翼を装着した、有翼銃弾を完成させていたわけだ。
まあ、試作品だし、一々刀鍛冶が鍛えた玉鋼製の翼が必要だから数は少ないが、一撃必殺の弾丸になった。名付けて、”試製一式徹甲弾“だ!
これは試作したのが永禄元年だから、一年な訳だし、帝国海軍の一式徹甲弾にかけた命名だよ。
今後出来たら、焼夷榴散弾には三式弾とつけるかも?
さて、さて、そろそろ敵の指揮系統も滅茶苦茶だから、攻撃開始かな?
大藤殿がこっち向いて手招きしているからな。
感想返しは暫しお待ち下さい。
四巻の作業はあと少しです。
現在、本のURLからログインして見られるオマケの構想を練っていおります。
イタリアも、現在半分ほど書いてありますので近いうちにUP出来たら良いなと思っております。
皆様、何時もありがとうございます。