第百壱話 外交の裏事情
お待たせしました。
今回は次回の続きでは無く、色々あった他所様の動きです。
その他、現代の話が欲しいとのリクエストに応えて少々書いてみましたが、あまりの事に皆様に不快な思いをさせてしまいました。お詫び致します。
それともない当該個所は削除致しました。
小里の戦いは次回百二話から再開します。
永禄元(1558)年二月将軍足利義輝の嫉妬心から始まった北條家、関東公方家への陰謀劇、後に永禄の鎌倉合戦と言われる様になる一連の戦いは、康秀が構築した早期警戒網により里見方の大敗北に終わった。この戦いで、松田康郷、井伊直虎が活躍し、新関東公方足利(小弓)義淳は行方不明にまた鎗大膳の渾名を持つ正木時茂が討ち死にした。
幾度となく行われる将軍の陰謀劇は畿内の三好、関東の北條という形で続く事になる。それがどの様な結果をもたらすかは神のみぞ知るところであった。
永禄元(1558)年二月五日 早朝
■安房国鷹ノ島
鷹ノ島の海岸には鎌倉攻めから負け命からがら逃げ出してきた多数の船とその船から下船してホッとした兵たちでごった返していた。
「畜生、何が楽勝だよ!」
「善兵衛はどうした」
「痛てーよ!」
「かあちゃん!」
「静かにせんか! おいお前、雑兵どもを黙らせろ。見苦しいわ」
あまりの阿鼻叫喚振りに上級武士が苦虫を噛み潰したような顔で命令するが、誰も動こうとしない。
「ええい、この様な姿を見せるとは、お前等は根性がたらんのだ!」
その言葉に、多くの雑兵が怒りの表情を見せる。
「何だその顔は、下郎のお前等など幾らでも殺してやるんだぞ、早々に立って在所へ帰れ!」
上級武士が刀を抜きさると雑兵たちは命からがら慌てて逃げ散っていく。
「チィ、これだから下郎は始末におえんのだ。憂さ晴らしじゃ、酒と女だ!」
上級武士は雑兵たちの事は既に忘れ去り、酒を飲むために歩いていったが、その姿を多くの雑兵たちが恨みの籠もった目で睨んでいた。
この後、恩賞も出ず、略奪も出来ず、持ち出しばかりだった国衆は収奪を強め、民による自衛のための一揆が里見領国で頻繁に起こることに成り、里見家は急速に支配力を下げていった。特に北條と佐竹との同盟が発表されると、下総国衆は元より上総国衆の中からも万喜城主土岐為頼らが北條に誼を結ぶほどになっていく。
永禄元(1558)年二月五日 朝
■安房国 岡本城
里見義堯を含む宿老は、多くの敗残兵がごった返す鷹ノ島を避けて十三里(8km)ほど北にある岡本随縁斎の居城岡本城下の湊へ船を着け休息を取る事にした。
「御屋形様、むさ苦しい城でございますが、御緩りとお過ごしくださいませ」
「うむ、随縁斎ご苦労」
「はっ、直ぐに湯殿の用意を致します」
義堯、義舜以外の宿老は各々岡本城下の家臣の屋敷にて戦陣の垢を流すために逗留していたが、未だ正木大膳亮と子息平七のみが帰還せずにいた。
永禄元(1558)年二月五日 昼
■安房国 岡本城下 逢島
湊を波から護るようにある逢島の突端では未だ帰らぬ大膳亮の弟正木時忠が仁王立ちでジッと西の海を見つめていた。
「殿、もう三時(6時間)も経っております」
「それがどうした」
「流石にお体に障ります」
「それに、御屋形様が殿をお探しだとの事」
家臣の言葉に時忠は”フン“と鼻を鳴らす。
「捨てておけ」
「しかし、慰労の宴を行うという話です」
「慰労の宴だと、未だ兄者は帰ってこないと言うのにか!」
静かな怒りを燃やす時忠に家臣もたじろぐ。
「先ずは、食事でもせねば為らぬという話にございます」
「兄者は我らを逃がすために殿を務めたのだぞ、今まさにこの海を安房へ帰ろうとしているはずだ、それに万が一だが満身創痍で帰って来るやも知れぬのだ。俺が迎えずして誰が迎えるのだ! ただお前たちは食事をして休むが良いぞ」
「いえ殿を残して休むわけには行きません」
そう言いながら、家臣の腹の虫が大きく鳴るのが聞こえた。
その音を聞いた時忠は家臣を見ながらニヤリと笑った。
「ハハハハ、腹鳴るとは生きている証拠よ」
「申し訳ございません」
慌てて土下座する家臣。
「良い良い、流石に朝から何も喰わねば腹も鳴ろう。よし、兄者たちが帰って来て直ぐに食べられるように飯と潮汁を作るとしよう。皆支度せい」
「はっ」
そう言うと時忠は再度海を見つめ始める。
家臣たちは直ぐさま、飯の支度をする為に走り去り、突端には時忠を護る数人が残るだけとなった。
「兄者、無事に帰って来いよ」
時忠の呟きが波の音に掻き消されていった。
永禄元(1558)年二月五日 昼
■安房国 岡本城
湯殿で体をスッキリさせた義堯らは大広間で食事にありついていた。
「御屋形様、ささやかなものしか出せずに申し訳ございません」
「なんの、見事なものだ、のう太郎(義舜)」
「はっ」
義舜としては未だに正木大膳亮と公方が帰還していない中での宴は不謹慎と思えたが、今後のことを話と言われた以上は参加せざるを得なかった。
「それにしては左近は一刻者よな。御屋形様の招集を断り大膳殿を待つとは」
「そう言うわれるな、大膳殿のお蔭で我らの頸が繋がっているのだからな」
「それにしても公方様は如何したのであろうか?」
この場でがなりたてる事必定の公方の姿が見えないことに宿老たちから疑問が生じていたが、それに対して義堯が話始めた。
「皆、公方様は戦と船に慣れぬようで大層焦燥しておられる為、一足早く久留里へお帰りに為られた」
「御屋形様、公方様は大丈夫なのでしょうか?」
「うむ、初めての戦があの様な仕儀だからな。ただ、公方様より皆にお言葉を賜っている」
「おう、どの様な事ですかな?」
「うむ。『皆、予のためにご苦労であった。皆の忠節は忘れぬ。今後とも宜しく頼む』との事だ」
公方からの言葉に微妙な表情の宿老たち。
「儂からも、礼を言おう、皆ご苦労であった」
義堯が頭を下げたので宿老たちは慌てて平伏した。
「御屋形様」
そんな姿を見ながら『父上も役者よな』と義舜は思っていた。
事の始まりは、船が三々五々湊へ着き調べた結果、捨て置いた公方義淳の姿が何処にも無く行方不明になった事を確認した義堯が義舜を呼び寄せた。
「太郎、公方は船には乗ったらしいが、その後の行方は知れぬらしい」
「なんと、それでは、公儀の体裁が出来ないのでは?」
「それよ、我が家は公方のお蔭で関東管領職を得たようなもの、だがな、あまり騒ぐ神輿は必要ない訳だ」
「父上」
「そこで、公方には御病気と称して伏せったことにして頂こうと思う」
「しかし、公方が帰らねば如何致すのですか?」
「それならば、幾らでも手はある。太郎は筒井順昭と言う者を知っておるか?」
「いえ、存じませんが、何処の者でしょうか?」
「うむ、これは御使者殿(柳生輝宗)に聞いたのだが、大和国興福寺の官符衆徒で、自らが病にかかり跡継ぎは二歳の為に死の前に自分の身代わりを立てるように命じたそうだ。そこで家臣たちが方々を探し歩き木阿弥という盲目の僧を身代わりとして三年間自らの死を隠し通したそうだ」
「となると、父上は身代わりを立てるわけですか?」
「うむ、何れ邪魔に為るのであれば今処断しても構うまい」
「父上・・・・・・」
「そこで、公方の血筋を残す為にもお主と細君には頑張って貰わねば為らぬ」
「なっ」
「偽の公方と女房の間に子が出来たと称して太郎の子を何れ公方にするが良いぞ」
「しかし、それでは、道義が・・・・・・」
「気にすることは無い、我が家は由緒正しき源氏の出、それに足利の家祖義康は我祖新田義重公の弟では無いか、兄に正嫡が戻るだけのこと、両家とも源義家公の孫では無いか」
こう言われては父の言う事に反論しても致し方無しと考えた義瞬はモヤモヤしながらも宴に参加していたのである。
永禄元(1558)年二月五日夜半
■安房国 岡本城 逢島
「ん、船だ船が来たぞ!」
「三つ引両の印は大膳亮様が帰って来たぞ!」
「おお、兄者無事で有ったか」
海岸では篝火を大いに焚いて兵たちが喜びながら船を迎える。
「兄者!」
時忠の号泣が聞こえることに為った。
「兄者、兄者」
時忠が兄の遺体を抱き寄せて泣き続ける。
「叔父上、父上は立派に正木の男として最後を遂げましたぞ」
平七の言葉を聞いた時忠は委細を聞き始める。
「平七、それで何が起こった」
「はい、父上は、我らを逃がすために北條方の松田孫太郎殿に一騎打ちを願い出て」
「そこで討ち取られた言うのか、平七よ、儂を見くびるな、兄者の死の要因は背中への矢傷であろう!」
「何故それを」
時忠の指摘に驚く平七。
「儂として兄者と共に連戦した身、死にようなど幾らでも見てきたわ。兄者の正面の傷は何れも致命傷には成っておらん、ただ背の矢傷を除けばだ。北條は一騎打ちと言いながら兄者の背後から矢を放ったのであろう。卑怯千万許せん!」
あまりの剣幕にその場が凍り付くが、ここで言わねば父の名誉に関わると平七が意を決して話す。
「叔父上、それは違います」
「何がだ!」
「父上と松田殿は正々堂々と戦い、松田殿の穂先が父の肩を貫き鎗を落としたのです。そこで松田殿は我ら全員の命と引き替えに父上に下るように言ったのです」
「うむ、それで」
時忠は多少は冷静になったのか、平七に続ける様に言う。
「父は、我らの命と引き替えに自らの頸を差し出すと・・・・・・」
「兄者らしい」
「そこへ、北條殿の御息女妙姫様が現れまして」
「まて、何故戦場に姫が?」
「我らが通りかかった長谷寺に逗留してたそうで、松田殿は姫の護衛であったと」
「で、姫が如何したか?」
「はい、姫は『この戦を預かる』と申され、我ら全員の命を助けると」
「奇特な」
「そこで、姫が父の傷を見ようとした刹那、突如海の軍船から矢の嵐が来て父上が姫を護りました・・・・・・」
「誰が射た!」
時忠の形相に平七はビビリながらも答えた。
「公方様が命じておりました」
「公方様が・・・・・・」
「はい」
「公方様が、何故兄者を射る?」
「耳に入った言葉では、姫を討ち取れと」
「なに! 無防備の姫を射よと言ったか!」
「はい」
時忠の顔が憤怒の形相になる。
「兄者は、姫を護り死んだか」
「はい、『せめてもの恩返し』と」
「そうか、恩返しか」
時忠の脳裏には父の敵討ちが出来て喜んでいた兄と援軍を送ってくれた北條勢の勇姿が浮かんでいた。
そして、結果的に兄を殺した公方とさっさと逃げ出した里見義堯への怒りが沸いてきていた。
二人の会話を聞いていた、その場にいた者たちの多くも憤慨した表情をしていた。
この後、時忠と平七は鬱積した心を隠して、大膳亮の遺体と共に義堯の前に伺候し、平七の家督相続願いと大膳亮の喪に服すために一年間、城に伺候しないことを告げて平七は小田喜城へ時忠は水軍を率いて勝浦へ向かった。この事がどの様な影響を及ぼすかこの時点では誰も判りはしなかった。
数日後、大膳亮の遺体は正木氏の本元安房国長狭郡宮山の長安寺にて盛大な法要が営まれ埋葬された。
永禄元(1558)年三月某日
■越後国頸城郡春日山城
やっと雪解けも始まりドンヨリとした空から青空が見え始めた越後春日山城に根雪が残る三国峠を越え岩付城主太田資正の使者が辿り着いた。
城門で使者は持っていた通行証を出し身体検査された後、城主長尾景虎の元へ伺候した。
使者は武士とも言えない程の素波であるため卑屈に土下座している。
そこへ景虎が直江実綱に先導されてやって来た。
「弾正少弼様におかれましてはご機嫌麗しく」
「うむ、ご苦労、岩付殿からの口上とはどの様な事か?」
「はっ、これに」
そう言うと使者は懐から出した書状を小姓に渡し、小姓が仕掛けが無いかを確認した後、実綱経由で景虎は受け取った。
「・・・・・・ん・・・・・・何・・・・・・馬鹿な何を考えおる!」
書状を読む景虎の顔が険しくなり書状を握る手の力が強くなり今にも書状を破りそうになった。
「殿如何為さいました?」
「どうもこうもない、岩付殿からの話であるが、来たる二月四日、総州の里見が嘗て小弓公方を自称した足利義明の遺児を新関東公方として自らを関東管領と称して鎌倉へ攻めたと」
「なんと、関東公方家は左兵衛督様(晴氏)の御血が正嫡、しかも管領様は御舘におられますのに・・・・・・」
「そなた、岩付殿は何か申しておらなかったか?」
怒りが見える景虎に詰問された使者は震えながら答えた。
「はっ、主が申しますには、都の公方様より御弓様が新公方様を里見様が関東管領職に任じられたと、里見様からの書状には記されていたと」
「何じゃと! 事も有ろうに公方様の名を騙り関東公方様と関東管領を語るとは不敬甚だしい!」
言われ無き怒りに晒された使者は自分が怒鳴られたわけでも無いが『ヒッ』と小声で悲鳴を上げながら真っ青な顔をしている。
「殿、その様な事をしては使者殿が怯えてしまいましたぞ」
「ん、これが怒れずにいられようか、公方様を出汁にしおってからに、里見も伊勢の輩と変わらぬ不忠者よ!」
「殿、お怒りはごもっともなれど、太田殿はそれに与しておらずに管領様(上杉憲政)に忠心を見せてくれておるのです」
実綱にそう言われて多少は冷静になれた景虎が使者に話す。
「使者殿、ご苦労であった。帰り次第、岩付殿に更に詳しい話と、里見の動きを知らせる様に伝えて貰いたい」
「はっ」
使者にしてみれば、理不尽な怒りで肝を冷やしたので即答すると、その日のうちに逃げるように岩付へ戻っていった。
使者が退室すると、不機嫌な表情をした景虎が、実綱に命じる。
「神五郎(実綱)、公方様のお耳に入れるには甚だ御不興を得るであろうが、事の次第を隼人佑(神余親綱)から、近衛様にお教えするように致せ」
「判りました。直ぐに支度させましょう」
「うむ」
翌二日、里見の僭称などに関する仔細を書状にしたためた実綱は都へ使者を向かわせた。
永禄元(1558)年三月某日
■越後国頸城郡春日山城
「なんだと! あやつは使いも出来ぬか!」
二日前に都へ送ったはずの使者が帰ってきたと聞いた景虎の怒声に春日山城が震えた。
「殿」
酔って赤ら顔の長尾景虎が酒杯を放り投げ凄むが、直江実綱は真面目に事の次第を伝え始める。
「我らが送った使者が船にて放生津湊へ到着した際、都より公方様の御使者大舘様とお目にかかり案内してきたのです」
「ん、公方様よりの御使者だと、新五郎何故それを先に言わぬ」
『殿が聞く前に叫んだのですがね』と実綱は思いながらも冷静に景虎に対応する。
「殿、その様な仕儀では御使者殿が怯えてしまいますぞ」
「神五郎、そうは言うが、里見の仕儀を放置していた事は、関東管領を護っている儂の矜持が許されんのだ。何と言っても何れは儂が為るべきものであろうが!」
景虎は納得いかぬと怒りをヒートアップさせる。
「殿、恐らくは、東海道の方が冬でも連絡が可能ですから、既に公方様も事の次第を知って御使者を使わしたのでしょう」
「だがな、公方様を御護りするための儂が事の次第を知らなかったのだ、情けなくて口惜しいわ」
「公方様もお怒りでは無いでしょう。何と言っても御使者は今までの様な使僧では無く、大舘兵庫頭殿(晴光)でございますから、詳しきことが判るで有りましょう」
「確かに、坊主では秘密も守れぬが、兵庫頭殿では込み入った話も出来るか」
「はい、そう言う事ですので、直ぐに御召し替えを」
「仕方無しか」
「では、御使者殿はそろそろ御到着とのことです」
「うむ」
「大舘兵庫頭様、起こしになられました」
春日山城の大広間の下座に景虎と実綱が座り、本庄実乃に案内された大舘晴光が入室してきた。
「兵庫頭様には、この様な鄙に態々お越し頂き忝うございます」
景虎が仰々しく晴光に挨拶すると、晴光は少々眉毛が動きながら挨拶を返した。
「弾正少弼殿、初めてお会い致す。大舘兵庫頭晴光と申す」
「長尾弾正少弼景虎にございます。大舘様にはご機嫌麗しく」
挨拶が終わると、晴光が事の次第を記した義輝からの御内書を渡しそれを読んだ景虎が激高しそうになるのを辛うじて押さえ込みながら、半時ほどの話が終わった。
その後、晴光は盛大な宴で歓待され、上機嫌で過ごしたが、景虎は憤懣を胸に溜めながら、実城の座敷で実綱や実乃に当たり散らしていた。
「忌々しや、幾ら公方様とは言え、儂の頭ごしに関東公方と関東管領を決めるとは、馬鹿にされた気がするわい」
「殿、それでも、公方様としては、征東大将軍なる北條の傀儡を作らせないために致し方なかったかと」
「そうよな、忌々しいが、儂の力不足なのは判る。だからこそなのだ! 神五郎、直ぐに坂東へ攻めかかる。直ぐ様、陣触れを致せ!」
「殿、それは無理ですぞ」
「何故だ!」
「未だ代掻きも始まっておりません。ここで兵を出せば秋口の収穫に障ります」
「義を見てせざるは勇無きなりと言うではないか、その程度ならば残った者たちが共同し代掻きをさせれば良かろう」
景虎の言葉に実綱が首を振って否定する。
「殿、越後は先年も旱魃、大風で飢饉になったのですぞ」
「ならば、買えば良い、青苧のあがりも直江津の運上もあるのだから」
「とんでもない、ここ数年は各地で不作続き、越後全てに廻すだけの五穀を手に入れるには莫大な蓄えが必要です」
「それに、今年の農をおそろかにすれば、更に飢饉が悪化しますぞ」
実綱と実乃の両名から諫められた景虎はふて腐れるが、ふと思いついて話す。
「それならばこそ、坂東へ攻めかかればよいのだ。何と言っても、あの伊勢が占拠している土地は何故か不作ではないそうだからな。伊勢の輩に尻尾を振る下郎どもから越後の民に為に糧を接収するも関東管領を推し抱く当家の責務よ」
景虎はサラッと坂東で略奪すれば一石二鳥だと話す。
「いけませんぞ、先ず兵を集めるための兵糧の差配が出来るか否か、そのうえ、隼人佑殿からの書状で知ったのですが、今坂東では各地で帝、宮家、公家衆の荘園として所領を寄付しているそうで、越後から進む道全てが帝の荘園となっております」
「左様、その地を土足で通ればどの様な誹りを受けるか判りませんぞ」
二人から意外な事を聞いた景虎は顔を真っ赤にして怒り始める。
「何だと、帝を盾にするとは伊勢の輩め、武士の風上にも置けぬ卑怯者だ! 直ぐにそのそっ頸跳ねてくれようぞ!」
実綱と実乃は太刀を手に外へ飛び出そうとする景虎を二人がかりで押さえ込み宥める。
「殿、無理にございます。何とぞ何とぞ」
「えい、離せ離さんか!」
「なりません、ここで動けば負けにございますし、公方様も意気消沈するでしょう」
「何故じゃ!」
「帝の御料地を汚せば朝敵になるやも知れません」
「ぐぅ・・・・・・」
「その様な仕儀になれば、上洛など夢のまた夢ですぞ」
「それに、御使者殿は、公方様も関東管領以上の職責を考えていると言う事ですので、必ず上洛し公方様にお目通りする事を致しませんと」
ここまで言われると、景虎も悔しそうにしながらも説得を受け入れ始めた。
「そうだな、先年(1553)は公方様にお目通りすることが叶わなかったのだからな。今度こそお目にかからなければならぬな」
「左様にございます。その為にも今は我慢なさいませ」
「公方様の為、万民のためには臥薪嘗胆も仕方なきか」
「そうでございますぞ」
実綱と実乃はホッとした表情で納得した景虎を見ていた。
飢饉、御料所の件などが重なり越後勢は弘治晩年と永禄初年に坂東へ攻めかかることが無かった。
康秀の考案した権威による縦深陣が権威に弱い長尾景虎の脅威から坂東の民を救ったのである。
大変御迷惑をお掛けしました。お詫び申し上げます。