カナダのとある天文台で、私は住み込みで日夜研究に明け暮れている。今日は娘が遊びに来ていて、今は1階の寝室でぐっすりと眠っている。寝相の極端の悪い娘の寝顔を思い浮かべながら、ドーム状の小さな部屋で望遠鏡を覗き込んでいた。
天の川を構成する星を一つ一つ確認しては、写真をコンピューターに保存する作業を1時間ほど続けたとき、下で誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。パタパタとスリッパに不慣れな足取り。泥棒ではなく、娘が起きてしまったようだ。しばらくしてドアがノックされる。
「お父さん、入ってもいい?」
明るく、少し幼さの残る声が暗い部屋に響いた。作業による疲れと眠気が少しだけ取れたような気がした。
「ああ、いいよ」
趣味で声楽をやっている私は、娘以上によく響く低めの声で返した。ドアが開いてパジャマ姿の少女が小さな部屋に入る。
「ごめんなさい。どうしても眠れなくって」
「誰だってそういう時はあるさ。星のきれいなときは特にね。お父さんはしょっちゅうだよ」
「星のきれいなとき?」
「そう、今日みたいな日。外を見てごらん」
モニターの明るさを弱めて、部屋の電気を消した。望遠鏡のために不透明にしていたドームを透明に設定する。
見渡す限りの空一面に銀色の光が瞬き、それぞれがダイヤモンドの粒の様に輝きと煌きを放っている。今いる場所が暗闇だと信じられない程、夜空は明るかった。
「すごーい!」
感嘆の声を上げ、一瞬にして心を奪われたようだ。爛々とした目で星空を見上げている。そして上のほうを見ようとして、
「あうっ」
どうやら首を痛めたようだ。笑いながら、かつて自分も経験したことをなぞる娘を見て、親子は似るものだな、と思った。そして、同じように天文学者になってほしいとも思った。
「ねえ、お父さんは星が大好きなんだよね。なにか、面白い話聞かせてくれる?」
どうやら目論見どうり、星に興味を持ったようだ。
「よし、そうだな……じゃあ、光の速さについて勉強してみようか」
「あ、それなら学校で習ったよ。確か、1秒で地球を7周回るって」
「そのとおり。だから地球のどこにいても、すぐ隣にいるように電話が出来る。昔は映像データと音声データが別に送られていたけど、それでも1秒もずれは無かった」
「でも火星との通信になると、結構待たなくちゃいけないんだよね」
「それを、この望遠鏡を使って確かめてみよう」
壁を再び不透明にして、望遠鏡の自動追尾を火星に設定する。ゆっくりと大きな望遠鏡は向きを変え、ドームのスリットもそれに同調する。モニターには火星の表面が映し出された。
赤い砂で覆われた地表。砂嵐が吹き荒れ、水も無い荒野。唯一氷の存在する北極方面にズームインすると、火星植民コロニーのドームが見えた。大気が薄い外では数人の宇宙服を着た作業員が、表面についた汚れの除去と状態のチェックを行っている。
「あれが人間が住んでいる火星コロニーだ。人間は元々地球にいたけれど、病気がはやって住めなくなったからみんなあそこに引っ越した。火星にそのまま生き物は生きられないから、ああやって住める環境を作っている」
「それで、地球に残ったものを何とかしようとして、私たち『リカオン』があそこで作られた。これも学校で習ったよ」
彼女の記憶力はかなりよく、学校のスペリング大会でも優勝したことがあるくらいで近所の評判になっている。
「これからあそこにいるお父さんの知り合いにメールを送って、何分後に帰ってくるかの実験をするんだ。…………よし、時間は0時34分。35分になったら送信しよう。この時期だと片道3分かかるから、41分に返ってくる筈だ」
「私がボタン押してもいい?」
コンピューターの前に座り、画面左下の時計表示をじっと見つめる。15秒前……10秒前……5秒前……
「3、2、1、送信!」
2525年、史上最悪の事件が起こった。災害か事件かは不明であるが過去に例を見ないのは確かだった。
変種の劇症人インフルエンザが地球中に撒き散らされ、80億以上いた人類は火星に残る僅か6億まで減った。脱出できた者はほとんど無く、宇宙船内で感染が広まって墜落したケースもある。思想犯のテロ行為とされているものの、犯行声明文も無く単なる推測に過ぎなかった。
地球と火星コロニーにはまだ共通のネットワークが無かったため、火星に送られていない情報が沢山あった。歴史資料や製品の設計図など、火星での発展に必要不可欠なものばかりである。
そこで、翌2526年に生物実験を行うプレアデス社が政府の要請を受けて、「地球で活動可能な知的生命」の開発を開始する。そうして創られたのが『リカオン』、俗称『狼人間』である。
リカオンとは、狼をベースに人間とほぼ同じ行動様式を可能にするため、二足歩行などの遺伝子操作を行ったトランスジェニック生物。なぜ狼をベースにしたのか、開発者のケビン・カーライルは「狼は伝承と違いとても賢く、また社会的な動物である。人間同様に集団組織が確立され、家族には惜しみない愛情で接する。そして何よりも、同族は決して襲わないからだ」と答えた。他の関係者からは「狼人間は異端者のシンボルで、いずれ追放する」という理由もあるという。
地球に派遣されたリカオンは、放棄されたデータベースの発掘・復元と火星への送信、砂漠化・温暖化などの環境悪化の改善を主な任務とし、北極圏を拠点に活動している。現在では自治政府を持ち旧カナダ・ロシア・フランスにそれぞれ大都市がある。
モニターには再び火星の映像が写っている。点検作業はまだ続いているようで、先程より多少人数が増えている。
「こうやって写している映像は、火星ではもう3分も前の出来事なんだ。信じられるかい?」
「そうすると、例えばこの瞬間火星が爆発しててもおかしくないってこと?」
「例えはあまりよくないけど、そういうことになるね」
「もっと遠かったらもっとずれてるってことなんだ……」
「そうだよ」
他の例を見せるために、二つ目のモニターをつけて「アルファ・ケンタウリ」の写真を出す。
「これが太陽系から一番近い恒星だ。4年前に撮ったものだけど、そのときの本当の様子は今年になってようやく分かる」
「…………」
しばらくの沈黙。娘は何かを考えているようで、そういったときはふさふさの尻尾を無意識に揺らしてしまう。そして考えがまとまったとき、ぴんと耳を立てるのだ。
「……人間は地球の本当の様子は分からない。リカオンも、火星の本当の様子は分からない。お互い、生まれた場所のことが分からないなんて、なんだか変な話だね」
故郷を追われた人間と、故郷を離れるために創られたリカオン。それぞれが帰る日は来るのだろうか。
0時41分、火星の映像に写る作業員の一人が地球に向かって手を振った。その際に見回りに来た現場監督に見つかってしまい、怒鳴られる場面もばっちり写ってしまった。40分に作業が終わるので、今頃抗議の一言でも打っているだろう。お詫びに地球の曲をいくつか送ってやろうか。
一方その少し前……
0時40分の火星では、先程叱られ上司の食事を奢る羽目になった一人の男がこう叫んでいた。
「給料日まで待ってくださいよおおおおおおーーーーーーー!」
この音波が地球に届くのは、約5年後のことである。 |