ファンファーレを鳴らす人々
私の母がファンファーレ屋さんをやっていたのは、もう随分と昔のことだ。「ファンファーレ 一回 百円」という札を置き、今でいうストリートミュージシャンみたいに駅前で即興のファンファーレを鳴らす仕事をしていたそうだ。
値段が値段だから、仕事というほど稼げたわけではないようだけれど、なかなか人気があったようで、今日はセレモニーホールいっぱいの人が母へ挨拶をしに駆けつけた。
息子が良い点をとったという親子や、もうすぐ子供が産まれるという夫婦、中には適当な理由をつけて自分自身に……なんて人もいた。いずれも随分と昔、母の鳴らすファンファーレを聞いたことがある人だった。熱心なファンもいたようだし、実際母の鳴らすファンファーレ・トランペットには不思議な魅力があったようだ。
そんな母が、惜しまれながらファンファーレ屋さんを辞めたのには、理由がある。機械化だ。ファンファーレすらも指先一つボタン一つで済むようになったのだ。
「いいことがあった日に、ポチッ! これからいいことがあるように、ポチッ!」脳みそが全部おっぱいに詰まってしまったみたいな水着姿の女の人の、不愉快なCMを覚えている。それを見た、母の悲しそうな顔も。
それ以来、母が鳴らすことのなかったファンファーレ・トランペットを、今 娘の私が吹いている。私だけではなく、セレモニーホールに集まった人々が、それぞれの楽器で母へのファンファーレを高らかに響かせている。
永久の眠りについた母の門出を祝うファンファーレを鳴らす人々に、ボタン式ファンファーレを鳴らそうとしていた火葬場の人は、なにもできずに固まっている。
おめでとう。ありがとう、お母さん。
貴方の素晴らしい人生と、その終わりに、心からのファンファーレを。