表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

手紙

作者: 弥招 栄

この作品は、十月の企画小説、‘紙’参加作品です。

他の先生方の作品は、‘紙小説’で検索すると読むことができます。

ではどうぞ、お楽しみください。


「郵便でーす」

 明るい、若々しい声が、秋らしい、のどかな空に響いた。

 私は、庭の小さなハーブ畑に水をやっていた手を止めて、振り返える。

「ごくろうさま。いいお天気ね」

 この春から、私のところへ手紙を届けてくれている郵便屋さん。

「そうですね。ずっとこんな日が続いたらいいんですけどね。はい、お手紙です」

「ありがとう。お茶でもいかが?」

「ありがとうございます。でもまだ配達が残っていますから」

 いつものやりとり。

「そう、残念。じゃあ、また――」

「ええ、また明日。このくらいの時間にまた来ます」

 ニッコリと笑うと、自転車にまたがった郵便屋さんは、でこぼこの坂道を、ゆっくりと下っていった。

 その後ろ姿が竹やぶの陰に隠れるまで見送って、私は家に足を向けた。

 こんな田舎には珍しい瀟洒な輸入住宅は、今はいないお父様の自慢の家。白いペンキで塗られた壁が、秋の日差しに輝いている。

 そして私は、玄関をくぐり、リビングにあるマントルピースの前で、改めて手紙をかざす。そして、鼻先まで持ち上げたその匂いをそっと嗅ぐ。

 くすりと、ひとりでに笑みがこぼれた。あの人が、手紙ごとにいろんなフレグランスをつけてくれたのは、もう三年も前のことなのに。今はもう、紙とインクと封蝋の匂いしかしないと分かっているのに。

 そのときの習慣は、今では人にあまり見せられない癖となって、私の身体に残っている。

 あら。封筒を変えたのね。和紙に特有の繊維が、あちこちに透けて見える。でも、宛名の几帳面な楷書は、あの人と手紙のやりとりを始めてから少しも変わらない。

 封筒を裏返して見る。やっぱりずっと変わらない、あの人の住所と名前。

 ふと、それらが愛しくなって、そっと撫でてみる。あの人につながり、そしてあの人そのものでもある文字たち。

 そうだわ。ポプリがそろそろいい頃だもの。今度はあれを入れてあげましょう。ラベンダーとレモングラスが香る、私の自慢だから。

 その思い付きに気分がよくなって、私はハサミを手に取り、その刃を封筒に当てる。

 端っこではなく、真ん中に。

 中の便箋ごと、二つに――

 さらに重ねて四つ切り。そして八つ切り。

 お父様が愛用していたオイルライターで、その紙束に火を移し、暖炉の中に投げ入れる。

 春からずっとまきをくべていない暖炉の中は、そんな手紙の燃えかすが、うずたかく積もっていた。




 がさりという音に、私は目をあげた。

 少し肌寒いと思ったら、暖炉にくべたまきが崩れて、火が弱くなってしまっている。

 頑張りすぎたかしら。

 そうひとりごちて、もう一度手元に視線を落とす。年が明けてからとりくみ始めたキルトが思ったより楽しくて、針を動かしていると思わず夢中になってしまう。

 でも、もう年かしらね。

 首筋を自分でもみほぐしながら、少し寂しくもなる。若い頃は、一日中刺繍を刺していても平気だったのに。

 まきを二本ほど放り込んでから時計を見る。

 もうこんな時間。

 そう思った途端に、ノッカーの音が響いた。

「はぁい。……もうきたの?大変」

 玄関の、オークの扉を開くと、紺のジャンパーに白い雪をちりばめた郵便屋さんが、真っ赤な顔をして立っていた。

「ごめんなさい。まだ書いていないのよ。どうしましょう」

「いいですよ。待ってますから」

 日に焼けて、すっかり男っぽくなった郵便屋さんが、白い息を吐きながら笑う。

「でも、こんなに寒いのに……。そうだ。いま、林檎を焼いているの。よかったら召し上がっていきません?その間に急いで書きますから」

「そうですか?じゃあ、お言葉に甘えて」

 さらに相好を崩した郵便屋さんを、リビングに案内する。

「お子さんは?お元気?」

「ええ。おばあちゃんにランドセルを買ってもらって、一日中背負ってはしゃいでいます」

 暖炉のオーブンから焼林檎を取り出すと、ナイフをいれてバターを乗せる。仕上げに香りのよいブランデーをひと振り。

「もう小学校なの?早いわねぇ。わたしも年をとるはずだわね。さあ、どうぞ。紅茶でいいかしら」

「あ、お構いなく」

 ガラスのポットにお湯を注いで、紅茶の葉が踊るのをしばらく眺め、二つのカップに注ぐ。

 一つはソファーの郵便屋さんに。

 一つはライティングデスクの上に。

 そして私は、引き出しから便箋を取り出して、あの人への返事をしたため始めた。

 昔は、便箋や封筒にいろいろ趣向を凝らしたものだし、文面も、様々な思いを綴ったものだけど。今は――

 便箋も封筒も、既製品のありきたりなものだし。

 愛用の万年筆が書き記すのも、たった一行。

 その一行に、ありったけの想いを込める。

 そして、封筒の表書き。

 あの人の住所に、無事届くように願いを。あの人の名前に、すべての愛を。

 裏書き。私はここにいる。この文字たちが、そう伝えてくれる。

 まだ乾いていないインクをなめし革に吸わせてから、便箋を丁寧に折り畳み、封筒に入れて蝋を垂らす。

 さあできた。

「お待たせ」

「ああ、できましたか」

 郵便屋さんは最後の、大きめの一切れを頬張ると、慌てて立ち上がった。

「あら、ごめんなさい。ゆっくり召し上がっていただいたら良かったのに」

「――いえ、まだ配達が残っていますから」

「相変わらず仕事熱心ね」

 十年以上前から、何度も聞いたその言葉。

「じゃあ、お願いね」

 書き上げたばかりの手紙を、切手代のコインを添えて、郵便屋さんに手渡す。

「はい、確かに。ご馳走様でした」

 郵便屋さんは、大事そうに手紙を革の鞄に納めると、ジャンパーの袖に手を通し、あったかいリビングを出ていった。

 どんよりとした雲の下、雪がちらちらと舞い降りていた。

 リビングに戻った時、私の紅茶は、もう湯気を立てていなかった。




 春が来て、夏が来て、また秋が来て。

 幾多の季節が、私と私の家のまわりを巡り続ける。

 鏡に映る、白髪交じりの頭をみて、染めようかしらと思ったこともあった。

 でも、あの人と会うわけでもない。写真を同封するわけでもない。

 私は私のまま、手紙を書き続ける。

 年が明け、また、年が暮れて。

 静かだったこの辺りも開発が進み、道路は整備され、きれいな住宅が建ち並ぶようになった。

 お父様の自慢だったこの家は、壁のペンキが剥がれ落ち、バルコニーの柱は朽ちて、傾いてしまった。

 だけど私の自慢のこの庭は、花の絶えることはなく、道行く人の足を、しばしの間止める。

「郵便でーす」

 いつもと同じ、違う声。

「あら、いつもの方は?」

「四郷さんですか?あの人もうすぐ定年なんで、内勤になったんですよ」

「……そう」

 四郷さんというのね。

 私は、あの郵便屋さんの名前すら知らなかった。

 週に一度か二度、私にあの人の手紙を届け、その返信を、必ず次の日に取りに来てくれた。

 お孫さんが生まれたと、嬉しそうに話してくれたのは、いつだったかしら。

「じゃあ、これ、お手紙です」

「ありがとう。ねえ、よかったら――」

「ああ、分かってます。四郷さんから聞いてます。明日また取りに来ますから」

 そういうと、まだ若くて名前も知らない郵便屋さんは、バイクに乗って去っていった。

 慌ただしいこと。ゆっくりお茶にも誘えないじゃない。

 すっかり手放せなくなった老眼鏡越しに封筒を見る。これだけは、ずっと変わらないあの人の文字。

 新しい郵便屋さんは待ってくれそうにないから、今日中に返事を書いておいた方がいいかしらね。

 そしてまた、時は流れ始める。

 もう使わなくなった暖炉に、うずたかく灰を積み上げながら。




「おばあちゃん。郵便でーす」

 久しぶりに、いつもの郵便屋さんの声がした。

 一年で、いちばん花が咲き乱れる季節。

 庭の真ん中においたエクステリアチェアに腰掛けて、ぽかぽかとした陽気を楽しんでいた私のところまで、郵便屋さんが手紙を持って来てくれた。

 まだ名前は知らないけれど、笑って世間話をしてくれるようになった、もうあんまり若くない郵便屋さんの表情は、なぜか硬い。

「どうしたのかしら?」

「手紙が来てるよ」

 それはそうでしょう。それが郵便屋さんのお仕事なんだから。

 だけど、差し出された封書を受け取って、私は戸惑った。

 いつもと違う、つるりとした手触りの封筒。

 眼鏡の位置を直して、掲げるように目を凝らす。

 黒く縁取りされた封筒の真ん中に、薄墨で書かれた、あの人の字ではない、私の名前。

 そう、なのね……

「おばあちゃん……」

 心配そうな、郵便屋さんの声。

「ありがとうね。また明日、いつものように、ね」

 よっこらしょと、掛け声をかけて椅子から降りると、いうことを聞かなくなった脚を励まして、玄関に向かう。

「大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫よ」

 よいしょ、よいしょと、一歩、一歩。

 むせ返るような花の香りにつつまれて、ゆっくりと、ゆっくりと。

 ずっと、私とともに生きてくれた庭から、ずっと、私を守ってくれた家へ。

 そして、いつものように切り刻んだ封筒を、暖炉で燃やす。

 リビングのひんやりとした空気に抱かれて、便箋を拡げ、万年筆を手に取る。

 これまで何度も、本当に数えきれないほど、何度も書いてきた文句。

 そしてたぶん、いいえ、きっと最後になる文句。

 それをいまいちど、書きましょう。




 さっきの手紙のご用事なぁに



             まど みちお・詞

            『やぎさんゆうびん』より






(fin)

この有名な童謡について検索してみると、様々な疑問を、皆さんお持ちになっていることが分かります。

最初の手紙には何が書いてあったのか。やぎさんはどうして自分の手紙は食べてしまわないのか。

この作品には、そのうちの一つ、どうしてやぎさんは読んでから食べないのか、という疑問に対して、私なりの答えを書いたつもりです。

それが、読んでくださった方に伝わったのか、それとも単に、つもりのままで終わってしまったのか、一言でも書き残していただけると嬉しいです。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしかったです。心に残りました。
[一言] 最初から結末が結末が分かっているのにどうしても読んでしまう、そんなお話が大好きでです。 なぜか私のPCからは評価が入らず、評価しない で送ります。ご免なさい。 春エロスにあるコメントから興味…
[一言] なるほど…なオチでした。 不思議な日々と行動の繰り返しに 想像をかき立てられました。 また 楽しみにしています。ありがとうございました。
2007/07/04 22:43 宮薗 きりと
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ