お付き合いは失恋の後で
悟くんはかっこいい。
あれは私が小学三年生の時だった。クラスで嫌われてる女の子がいて、ある席替えの時、みんなその子の隣を嫌がった。といっても本気じゃなくて、先生がビシッと言えばすぐ誰かが諦めたと思うけど、先生も「そうね~困ったわね~どうしましょう?」 と悪ノリしていたので始末に負えなかった。
女の子はやがて泣き出したけど、先生は「構ってもらえてそんな嬉しいのね?」 と笑っていた。この頃には私もさすがに嫌な空気だとは思っていたけど、だからってこんな状況で「私が隣でいいです」 なんて言い出したら、翌日から「正義ちゃん」 「良い子ぶりっ子」 「雑用係」 な扱いなのは目に見えてる。だからひたすら押し黙って、生贄が名乗り出るのを待っていた。
「先生。俺、背が高いし、一番後ろがいいです」
その時名乗り出たのが、悟くんだった。早く帰りたいがために渋々……と思っていたけど、彼は堂々と彼女の隣に座った。逆に見てる人達が、子供っぽいことで遊んでいた恥ずかしさに居た堪れなくなるくらいだった。その後、何人かは舌打ちして、私が懸念していた通りに悟くんをからかったりしてたけど、その度に悟くんは「俺はくだらないことが嫌いだ」 と一蹴した。みんな悟くんをバカにしたけど、でも悟くんが名乗り出なければ、いつ帰れていたんだろうか。苛められっ子はその後すぐ転校し、「無駄なことした」 と男子にからかわれたりしてたけど、それでも悟くんは堂々としていた。
誰かのために尽くしたその姿、みんなは偽善ダサいって言ってけど、私にはとっても眩しく、素敵なことに思えた。だから私は、悟くんが好きなのだ。
「フツー、その苛められっ子がサトルくんを好きになるパターンだよね。何で傍観してたアンタなんだろうね? 亜子」
中学からの親友、真美ちゃんは正直で思ったことをすぐ口に出す性分だ。だから耳に痛いことでも遠慮なく言うけど、夢見がちな私にはちょうどいいと思う。放課後の誰もいない教室で恋愛相談に乗ってもらう。
「素敵って思うのに立場は関係ないと思う!」
「まあそうだけど……」
「それでね、いつ告白するのがいいと思う? もう中三で、夏休みが終われば本格的な受験シーズンだろうから、やっぱり今のうちかなあ? 悟くんとは志望校が違うから、やっぱり今のうちじゃないと……五年分の想いに決着つけたい!」
「えー……。あんた、本当にする気?」
アドバイスを求めて真美ちゃんに聞いたけど、彼女は気乗りしない様子だった。結構頑張って、容姿はそこそこ、頭もそこそこなレベルだと思うんだけど。それでもまだ足りないのかなあ。
「私だったらヤダなあ。イジメに正面からぶつかる正義感の持ち主でしょう? 傍観してただけのアンタなんて、今さら何? って感じじゃない」
耳が痛い話だ。そして、それこそ私が一番危惧していたものだ。悟くんは、私に告白されたら、やっぱり不愉快? しゅんとしていると、真美ちゃんは溜息をついて促してくれた。
「……まあ、女は度胸って言うし、当って砕けろよ、亜子。骨くらいは拾ってあげるからさ」
「え、砕けるのヤダ……」
「それはアンタが決めることじゃないから。何にしろアンタに良いイメージを持ってないなら、夏休み前の今がチャンスかもよ。誰も浮かれる時期だから、致命的ダメージまでは負わないんじゃない」
振られる前提で話してるのが気になるけど、確かに、今ならもしかしたら希望が持てるかも?
◇◇◇
「あの、小学校の頃から好きでした! 付き合ってください!」
真美ちゃんのアドバイスを鵜呑みにし、私は校舎裏に悟くんを呼び出して告白した。前日に何度も練習した台詞も噛まずに言えた! 少しくらいは、何か感じてくれるかな? と思っていた。
「君、あの時同じクラスだった……ごめん、今受験で忙しいんだ。そういうの考えられない。難関のとこだから、今から予定がいっぱいだし」
ストイックで裏表ないと評判の悟くんは、告白され慣れてるのか、大して動揺もなくあっさりと……断ってる、よね? これ。
あれ、え? 乙女の決死の告白が、そんな?
「あ、あの……だったら、いつなら良くなる? 受験終わったら、付き合ってくれる? 私ずっと待つから」
そういう理由なら、受験さえ終わればお付き合い可能なんじゃないかと思った。だって五年間好きだったんだもん。あと数ヵ月くらい何でもない。けれど、悟くんはあからさまに苛立った態度でこう言った。
「君……空気読めないとかしつこいとかよく言われない? 俺断ってるんだけど」
頑張って平均な私の頭だけど、さすがに言外で何を言っているか分かった。『お前うざい』 ショックで口をもごもごさせてるうちに、彼は去って行った。
亜子、一度目の失恋。真美ちゃんがよしよししながら慰めてくれた。三分くらい。
やっぱり、あの時傍観してただけのクラスメートなんて、そんなものなんだ。
でも……それだけ彼が高潔な人に感じる。それだけ過去を乗り越えたいと思う。人は自分にないものを持つ人間に惹かれるという。私はやっぱり、自分に出来ないことをした彼が好き。
という訳で、悟くんが高校に入学して一月たった五月に、再度告白した。私と同じ高校に入学した真美ちゃんは呆れていたけれど、「もういい、ふんぎりつくまでやれ」 と激励してくれた。
「受験も終わったし、新生活の忙しさにも慣れた頃でしょ? 好きです! 付き合って!」
彼の名門高校の帰り道、ひと気の絶えた瞬間を見計らって言った。突然現われた私にそう言われた悟くんは、若干引きつった顔をしながら、「高校別だし、お互いの生活もあるし……」 と答えてくれた。今度はしつこくはしない。「分かった!」 と言ってダッシュで去る。家に帰って泣いた。
けれど、やっぱり諦めようとは思えない。目を閉じれば思い出す。彼が『一番後ろがいいです』 って言った瞬間。「あの苛められっ子が好きなんじゃないのか」 「早く帰りたいんだろう」 と冷やかされても、堂々としていた彼に、私の胸は今でも張り裂けそうになるの。
亜子、二度目の失恋。真美ちゃんに電話で愚痴をした。真美ちゃんは「お疲れ」 と言って切った。
そしてその年の夏休み、彼の家に押しかけて再度告白した。
「期間限定でもいいんです! 好き! 付き合って!」
Tシャツにハーパンという実にラフな格好で玄関に現われた彼。正直これでもかっこいいと思う。新聞の集金だと思ったのだろうか。不意打ちをつかれたようなものなのに、もはや無表情だった。
「……あのさ……こう、何ていうか、俺にとってそんな風に見れない人なんだよ、亜子さんは」
上品な人は言葉をよく濁す。そんなとこも好きだ。私は了承して家に帰った。亜子、三度目の失恋。真美ちゃんは一日着拒していた。翌日、泣き疲れて愚痴を言う気力もない私に、真美ちゃんは言った。「三回も振られてそれでも諦められないの? ストーカーっぽいよ」 そうかもしれない。でも、それならもっと手酷く拒否されてもいいと思う。
私は、明確な拒絶――嫌い――と言われるまでは、彼が好きすぎて諦めきれない。そう伝えたら、真美ちゃんは「そこまで!? うわっきもっ」 と言った。……そうだよね。何で、こんなに好きなんだろう? 考えても思い浮かぶのは、彼の理不尽に立ち向かう姿。他の人が見れば笑うようなことが、私にとって、乾いた土に水が染み込むように、深く刻まれることだった。それだけ。
そして時は流れクリスマスシーズン。恋人がいないらしいと聞いていたので、勿論モーションをかける。
「まだ、駄目ですか? 私はいつでも空けてます。付き合ってください」
コートを着込んだ悟くんは、無表情で私の横を通り過ぎた。その際、ぽつりと声をかけられる。
「俺にだって好みがある。いつかは君以外の人と付き合うよ。そうなったら、もうこういう事は止めてほしい」
「それでもいいです。私、二番目でも可です!」
彼がこけた。珍しい。というかそんなにおかしい? この人以外好きになれないと思ったら、もうそこらへんを割り切るしかなくなると思うんだけど。
「お前、一体何を……いやおかしいのは元からだったが。それ実行したら俺がただの最低野朗だろ!」
「最低じゃないです、私自ら望んでいるんですから。あとは本命さんが了承してくれたら無問題です」
「……帰る。もう当分来ないでくれ。頭痛い……」
亜子、四度目の失恋。でもいつもよりきつい事は言われなかったので、今回は泣かなかった。私強くなったかも。
そして月日は流れ、高校二年の修学旅行。神様の粋な計らいで、同じ京都が旅行先だった。修学旅行では毎年カップルが誕生するという。この雰囲気を利用しない手はない! 私は真美ちゃんとグループを組み、自由行動で悟くんを追う。「私を巻き込まないなら、好きにしていいよ。あんたがテレビに出たら、『やりかねないと思ってました』 って言っとくから」 と真美ちゃん。何だかんだ言っても、協力してくれるツンデレだと思う。
彼が本屋で買っていた雑誌。その中でもある神社のあるページをじっと見つめていた。そこに彼はいる! まずは偶然を装って……同じ趣味だと親近感もたせて……良い雰囲気に持っていって……。
結論から言うと、そんな策略は無駄に終わった。何故なら、悟くんは彼女と来ていたからだ。
「悟くん、これ見て。恋人同士でつけるお守りだって。買おうよ」
「いいよ。いくら? 奢る」
「ダメ、男の人に頼り切る恋愛はしたくないの」
「しっかりしてるな、恵梨花は」
恵梨花。それは、あの時、クラス中から苛められていた女の子の名前だった。転校して……でも戻って来てたんだ。悟くんと同じ学校に行けるくらい、頭もいいんだ……。呆然とする私に気づく気配すらなく、彼らはお守りを仲良く買っていった。
「ここの、よく当たるって評判なの。私は中吉だって! 恋愛は……『己の精神力次第』 って何これ?」
「俺のは……『悪縁有り。ただし事に依り転ずることも』 って。……まあ、解釈次第でどうにでも出来るよ、こんなの」
「そうよね」
おみくじを木に結びつけ、そのまま彼らは去っていった。私に気づくことなく。神社の隅で泣いていたら、見かねた老婦人からハンカチを差し出された。
亜子、五度目の失恋。その夜、同室の真美ちゃんは耳栓つけて寝ていた。
しかし五回も経験すれば、何事も前向きに考えられる。経験は人を強くしてくれる。とりあえず、悟くんの好みが分かったのって、収穫だよね? 私は小学校のつてを頼って、恵梨花ちゃんと会うことに成功した。お互いの高校の中間地点にある喫茶店で待ち合わせして、小学校以来の会話をした。
「恵梨花ちゃん、私、言わなきゃいけないことがあるの」
「え? ……突然、何?」
「私、ずっと謝りたかったの。小学校の頃、何もしないでごめんなさい」
それを聞いて、恵梨花ちゃんは苦笑した。
「いいよ。だって、私も原因あったから。あの頃、親がさ、私をどっちが引き取るかで揉めて揉めて……私は戦争も経験した祖父母の家に預けられたけど、そういう世代の人だから、お風呂も着替えも数日に一回なのを全然不思議に思わない。……実際、臭かったよね」
いかに自分が恵まれた環境なのか思うと、何も言えなかった。察して、恵梨花ちゃんは笑って言う。
「でも済んだことだし! 今は叔母の家で快適だし! 素敵な彼氏も出来たし! ねえ覚えてる? あの時私の隣でいいって言ってくれた人……悟くん。高校で会うなんて思わなかった。ふふ、運命ってあるのかな?」
恵梨花ちゃんは、当時はいつも同じ格好だったけど、今は制服を可愛く着こなして、明るい美少女だ。しかも昔のことを根に持たない、出来た性格だ。
私もこうなれば、悟くんの好意をマイナスからゼロくらいには出来るかもしれない。
「恵梨花ちゃん、時々こうして会ってもいい?」
「遠慮しなくていいよー。亜子ちゃんがいいなら携帯に連絡して」
「ありがとう! ところで、その髪飾り素敵だね」
「あ、これ? これはね、郊外のショッピングモールにある……」
恵梨花には最近、他校の友人が出来た。当時のことを謝ってきた唯一の人間だ。恋人が出来て精神的にハイなのもあって、気楽に友人付き合いを了承した。しかし、最近その友人の様子がおかしい。
「恵梨花ちゃん、いつもいく美容院は?」
「買ってる化粧品は?」
「服は?」
会うたびにそんな質問をして、会うたびにどんどん自分のクローンみたいに似通ってくる。正直恐怖している。その意図を考えると、今さらながら恋人の悟に気があるのでは? と思い至る。ある日、思いきって聞いてみた。
「亜子ちゃん、あなたもしかして、悟くんのこと好きなの?」
「うん、好き」
目の前が真っ赤になった。この女、昔のことを詫びるとか言っておいて、実際は私をダシに悟に近づこうとしていたという訳か! 昔のいじめはこの際どうでもいい。だが悟は絶対に渡さない。よりにもよってあの時傍観してた相手になんて! と思うあたり、やっぱり昔を引きずっているのかもしれないと心の奥で思う。
「……渡さないから」
「はい?」
「あんたに悟は渡さないわよ! 私に成り代わろうとしてるんでしょ! どんなに真似したってあなたはあなたよ、私じゃない。悟の恋人は私よ! あんたじゃない!」
言ってから、ひと気のない帰り道で言うのはまずかったかと思う。でもこれで向こうが激高して暴力でも振るえば、優しい悟も完全にこいつに愛想が尽きるだろう。
と計算したが、亜子はきょとんとした顔で、恵梨花の想像の上を言った。
「うんそうだよ。悟くんが好きなのは恵梨花ちゃんだよ? どうしたの? そんでもって、悟くんの好きな人なら、もちろん私の好きな人なんだよ。当然だよね。あ、心配しないで、私が勝手に思ってるだけだから。真似したのは……ごめんなさい。そのほうが好みのタイプが増えて悟くんも喜んで、恵梨花ちゃんも同じ感性の友人なら嬉しいかなって……」
狂ってると思った。そして悟の恋人でいる限り、この宇宙人のような思考の女に付きまとわれるのかと思うと生理的に無理だった。恵梨花は翌日には悟に別れを告げた。
その数時間後、怒り狂う悟が亜子に怒鳴った。
「お前はいつもいつも迷惑を……! もう俺に構うな近づくなストーカー! 破局はお前が原因じゃねーか! 俺に何の恨みがあるんだよ、お前なんか嫌いだ!!」
亜子、六度目の失恋。しかも今回という今回は止めをさされる。
真美は複数いる友人達から大方の話を聞いていたが、決定打を言われたにしては、亜子がいつも通りで不気味だった。さすがに慣れたかと思うが、よく見るとなんでもない場所で転んだり、ぶつかったりしている。知人以上友人未満としてどうしたものだろうかと思っていると、そんな亜子に近づく男がいた。
「大丈夫?」
転んで笑っている亜子に手を差し伸べたのは……一個上のイケメン先輩、成司だった。ただこの男、恐ろしく評判が悪い。注視していると、やはりというか、失恋で半分正気じゃない亜子を口説き始めたではないか。
「知ってるよ、君が失恋したこと。失恋の傷を癒すには、新しい恋だと思う。僕とどう?」
亜子のストーキングっぷりは割と評判だった。まあ、制服姿で他の高校まで言って話題にならないはずがないのだが。亜子はそれなりのイケメンに口説かれても、困ったように笑うだけで、気乗りしない様子だった。
「悟くん、だっけ? 彼のためを思うなら、君も恋人を作るべきだよ。そうすれば彼だって安心するんじゃない? 彼をこれ以上困らせるの?」
亜子はその言葉で頷いた。判断基準が悟な人間はさすがだ。しかし……いやでも一度痛い目見たほうがいいんじゃないかとも考えてしまう。真美は次に悟の様子を探った。
悟は顔も悪くなく、情も基本厚い人間だからか、恵梨花に振られた直後に、クラスメートに告白されて付き合っていた。やけになってるなあと真美は思った。
そしてその女との現状をさぐるため、二人が下校中に二又の道で別れた直後、悟にぶつかって思いきり鞄の中身をぶちまけた。悟は責任を感じて中身を拾うのを手伝ってくれた。それを離れたところで見ていた彼女のほうは、目を吊り上げてこっちを睨んでいた。ばれたかな? と真美は考えたが、どうもそういう事ではなかったらしい。
隠れて様子を窺うと、悟と彼女の二人は言い合いをしていた。さっき真美の荷物を拾ったことで彼女には不満があるようだった。
「今何したのよ?」
「何って、ぶつかって荷物が散らばってしまったから……」
「私がいながら他の女の子に優しくするなんて! 私まだ近くにいたのに!」
「え? 放っておけばよかったのか?」
「そうは言ってないでしょ、私を一番に考えてって言ってるの。私が一番なら他の女の子になんて考えられないでしょ?」
「一番って、じゃあお前を呼んでお前に手伝わせれば良かったのか?」
「何でそうなるのよ! 悟くんってほんと頭だけね!」
「じゃあどうすればよかったんだよ、何が正解だったんだ?」
「何よ、その言い草、私を悪者にしたいの!?」
知人の亜子とは百八十度違う、嫉妬深い性格のようだ。本能のように滲み出る嫉妬を抑えきれず、言葉が理不尽になっているのを何とか正当化しようとして「仕事と私、どっちが大事なのよ!」 という女みたいになってる。
「だってお前の言い分じゃ、困ってる女の子を手伝うなって言うんだろう? そんな薄情者がお前の理想なんだろう?」
「何よねちっこいんだから。そうじゃないでしょ。私は誠意を見せろって言ってるの!」
「具体的にどういう誠意か説明してくれないか? 俺には女心が分からない」
「もういい! さっきから尋問されてるみたいで不愉快よ! ふん、アンタみたいな男、こっちから願い下げだわ!」
さっき買ったのか知らないが、どこかショップの袋を彼氏に向かって叩きつけるように投げて、彼女さんは去っていった。悟はと言うと、しばらくぼんやり立ち尽くし、落ちてる袋を拾って、またボーッとその場に立っていた。見かねて声をかける。
「こんちは」
「え? あれ、さっきの……」
「亜子の友人? ですって言ったら分かるかな」
その言葉に一瞬むっとした表情を見せるも、悟はすぐに諦めたような顔になった。どう見ても逃げられない疫病神に会った対応だと思う。
「あー、誤解しないで。私は吉報を届けに来たの。ついでにちょっと様子見もしたけど、まさかあそこまで行くとは思わなくて」
「……吉報って?」
「亜子、先輩と付き合ったよ。ただその先輩、良くない噂も多いけどねー。良かったじゃん。近いうち天罰見るよ、あの子」
悟が目を見開いたのが意外だと真美は思った。心の底から嫌っているという訳でもないのだろうか? 不可解な反応を疑問に思っていると、悟はもごもご言いながら言い訳を始めた。
「別に。助ける、義理なんてない。散々迷惑かけられまくったんだ……。助ける理由なんて、ない」
「そうなんだ。付きまとわれてるうちに、情でも移ったのかと思った。何だかんだで長い付き合いだし、何かあったら寝覚めが悪いかもしれないしねー」
真美が軽口で言ったその台詞に、悟ははっとした顔で反応した。
「そういう考えもあるか……」
「あん?」
「亜子は? 今どこにいる?」
「えーっと……」
居場所を聞くなり、悟は駆け出した。真美はある有名な台詞を思い出していた。真面目な人間は極端から極端に走る。携帯電話を片手にその言葉に深く共感していた。
「あ、もしもし、警察ですか?」
◇◇
連れ込まれた廃屋は、変な臭いが漂っていた。亜子はさらに回りに散らばる注射器などの器具に怯えを加速させていた。
「あの、成司先輩、ここは?」
「パーティー会場。いいだろ? 二番目でもいいとか、他校の男を追いかけ回す欲求不満クソビッチにはぴったりじゃん」
「成司、誰その子? やばくね?」
「だから、さっとと準備しろよ、こいつ浮いてる人間だから構わねーって」
咄嗟に逃げようとするが、容赦なく腹を殴られる。うずくまっていると、成司が注射器を持って前に立っていた。視界の隅に白い粉のようなものが見えた。
「本当にやるのかよ、マジでやばくね?」
「うっせーな。大丈夫だよ。なあ亜子、悟くんに迷惑かけたくないよな? これ打てば嫌なこと全部忘れられるんだぜ? 悟くんも忘れるって。そうすれば悟くんもお前に追いかけられなくて済むから皆幸せって話だ」
……犯罪ものの薬なんだろうなあ。でも、いっそ落ちるとこまで落ちたら、本当に忘れられるかもしれない。そんな姿を見たら、悟くんも許してくれるかもしれない。苛めを傍観して、親友を呆れさせて、好きな人を困らせて……これは報いなのかもしれない。報いは、いつだってすぐには来ないし、意外なところから来るものだ。
腕を引っ張る先輩を前に、悪い意味で覚悟を決めた亜子。注射器が触れるその直前、廃墟のドアが蹴破られる音がした。
「誰だ!?」
逆光で眩む目でその姿を確認すると、亜子には信じられない人物だった。
「悟くん?」
成司は自分が利用していた人間の姿を初めて見て多少驚いたが、すぐに余裕を取り戻した。
「仲間は……いないみたいだな。一人か? 偶然じゃねーよな? ここはそうそう人目につかない。亜子のためなのか? お前亜子に気があったっけ?」
成司が話しかけて動きを封じながら、周りの人間が暗闇に紛れて悟を取り囲む。悟は、自分が何故ここに来たのか、まったく理解できないでいた。ただ、感情のままにつぶやく。
「亜子……? 嫌いだ。迷惑ばかりで」
亜子はそれを聞いて俯いた。そう言われても仕方ない身だと思っていた。
「ストーカー染みてるし、考えは宗教だし、彼女には振られるし……」
悪口ばかりなので、成司のほうが呆れていた。じゃあ何でお前ここに来た?
「けど、けど……バカすぎて放っておけないんだよ! お前みたいな奴でも死なれたら気分が悪い!」
恵梨花を助けたように、自分を助けようとしているのか――そう解釈した亜子の目に、悟が後ろから攻撃されようとしているのが見えた。咄嗟に走って、悟を庇って殴られる。
「亜子……!? 何で……」
庇って頭から血を流す亜子に、悟が抱きかかえて詰問する。亜子は、長年の無念を晴らせたことで、晴れやかな顔で答えた。
「私ね、誰かを大事にする悟くんが好き。好きな人の考えは、大事にしたい。あの時は何にも出来なかったけど、私、今度は出来たよ……」
そう言って意識を失う亜子に、悟が何度も呼びかける。成司は二人を始末しても、死体の処理をどうするかで悩んでいた。そこへサイレンの音が響き渡る。
パトカーが廃墟前に並ぶのを横目に、真美は風に呟く。
「私に害がないなら放っておいたんだけどね。あーあ、私もこんなキャラじゃなかったのに」
◇◇
数日後、やっぱり真美は余計なことするべきじゃなかったかなと思いなおしていた。退院してからというもの、亜子は惚気ばかり言ってくる。
「真美ちゃんみたいにあけすけなんだよ! それって素の自分を見せられるってことだよね! 私嬉しい!」
舐められてるんじゃないのか? 良いことなんだろうか? どっちにしろ、幸せ(そう)な人間って地味にうざいなあ。悟のやつもあれだけ拒否ってたくせに満更でもなさそうで。けっ。