はじまりは皇帝像
「ううむ、やはり見惚れてしまうのう」
ローマの美術館で、アウグストゥス像を見上げる老人に出会った。
「初代皇帝、アウグストゥスですね・・・・・・」
私がつぶやくと、老人は、ぎらりと不気味な眼光をこちらに向ける。
「お前さんも興味あるかね」
「え、ええ、まあ。いちおう、歴史作家ですから・・・・・・」
「ほう」
何よ、この爺さん。
なんだか気味が悪くなったので、その場を去ろうとしたとき、声をかけられ立ち止まった。
「わしは、美術評論家のジュリオ・アルレッキーノというものですじゃ」
意外とマトモに笑顔で接してきた。
そこで一緒に食事を取るため、近くの喫茶店に入り、お互いの素性を明かす会話をする。
「お前さん、歴史作家と言ったが、何を書いている」
「お前さんではなく、笑子です」
「すまん、すまん、エミコ。怒ると早く老けるぞ」
イタリア人て、みんなこんなかい・・・・・・。
「それにしても日本語うまいですね。ジュリオさん」
「日本で仕事していたからね。貿易関係の・・・・・・」
老人は上機嫌でワインを飲んでいる。まったく暢気と言うか。イタリア人は陽気だからね・・・・・・。
「ははは。日本人が細かいだけなんだよ。ワーカー・ホリックなんていわれとるんだろ」
それで過労死するんですよね・・・・・・。
ま、まあたしかに働きすぎではあるかも。
「最近の日本の動きはワカランが、わしが向こうにいたころは、もう少し温かみがあったかのう。二年前にチョとだけ観光したが、トキオはあかんわい」
「いつ日本で仕事をされました」
「五十年ほど前。そりゃそうと、エミコ」
ジュリオじいさんは、私に耳を寄せてきた。
よほど聞かれたくない話だろうか。か細い声で語りかけてくる。
「皇帝アウグストゥスの隠した遺産が、どこかにあるという話しだ」
「えっ」
思わずワインのグラスを落としそうになる。
ジュリオさんは地図を書いてくれて、印をつけた場所にそれが眠っていると教えてくれたわ。
「小説の題材にしてもヨシ。だがまあ、見つければ億万長者間違いなしだ」
「でも、そんな大事なこと、いいんですか」
ジュリオ老人は、ワインをおかわりしつつ、興奮して、
「いいに決まっている。わしはエミコが気に入ったのだから」
そんな理由だけで・・・・・・?
ああ、なんか、怪しい。
だけど皇帝の遺産には興味がわく。早速地図を頼りに赴く。
遺産探しの始まり!
アウグストゥス、即位する前の名は、オクタヴィアヌスだった。
オクタヴィアヌスは、カエサルの甥で、元老院をうまく丸め込んでから皇帝の地位に就いたという。
改名した後、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス、といったのだそうだ。
ユリウスの正統なる跡継ぎとして、遺産相続を認められた直後である。
ユリウス・カエサルは元老院の利用法を間違っていたのかもしれない。
そう考えると、オクタヴィアヌスは冷静かつ、冷酷な男だったのだろう。
妻のリヴィア・アウグスタ(ドルシア)は、ティベリウス(のち二代皇帝)をつれ、泣く泣く結婚させられたのよね。
ティベリウスはそのことを、恨みに想ったのかもしれないわ。
だから、アウグストゥスを恐れ、元老院をおそれ、根暗で陰鬱な生活をし、寂しく隠居しながら他界したのよ。
共和制といっても、所詮は人の溜まり場。
整った環であろうが、いつか乱れてしまう。
それに――リヴィアを愛することがなかった皇帝。
寂しかったろうなあ。アウグストゥスはホモだったらしいから、常に美少年とかをはべらせていたのかしらね。
やれやれだわ。
そんな男の遺産なんて・・・・・・無理してまで欲しくないかも。
なんだか、萎えてしまった。
今日はもう帰ろう。アウグストゥス像に向かって、舌を出す。
作者から。
アウグストゥスは彫刻で見ても美形なので、たしかに美術品としては価値があるが、性格がねえ・・・・・・。