第三話:五月一日
成田空港の国際線出発ロビー、修学旅行シーズンなせいか制服姿が目立つその場所。
その一角にあるレストランで、蒼二と命は出発前の食事を取っていた。
蒼二と命の座っているテーブルには、大量の食器。どうやら、二人でかなりの量を食べたらしい。
「時雨のせいで、思わぬ誤算だったな」
「うん! 全くあの人はどこまで人の心を読んでるんだろうね」
ここ数日で命は元の調子を取り戻していた。
空我と会ってから数日は塞ぎこんでいたものの、何とか気持ちに折り合いをつけたようであった。
蒼二はそれを、口に出す事はないが、非常に喜んでいる。
「そーいや、蒼ちゃん。いもーとが後で梨香ちんと合流するから集まれってさ、ってかもうその集合時間なのよね」
「お、じゃあそろそろ出るか」
命と蒼二は会計を済ませると、店を出てあらかじめ決めてあった集合場所へと向かい遥緋と合流する。
そこは人が少なく式神や悪鬼の話をするには、中々に好都合な場所。そこに三人は立って待つ。
そして、何故か同級生らしい二人の男女を連れて、梨香も現れた。
「こんにちは、蒼二さん、命姉ちゃん、ハル姉ちゃん」
「ハロー梨香ちん、そっちの二人はお友達?」
「ええ……同級生の牧島郁人君と牧島竜胆ちゃんです」
────牧島。その名前に三人の顔が固まった。牧島家はつい最近仕事を奪った家。
恨まれていてもしょうがないと遥緋は思い、蒼二と命は罪悪感のカケラも抱いていなかった。
すると竜胆が「にはは」と笑いながら、警戒する三人へと言う。
「いやいやぁ、そんなに警戒しないでくださいよ。アタシらは牧島から追放されてるんで、あんま関係ないんですよぉ」
「追放? いや……警戒してるわけじゃないけどさ。恨まれてるかなーとかね」
「いやいやぁ、傲慢なパパさん達の鼻っ面へし折ってくれてこっちも嬉しいですよぉ、ね、郁人?」
竜胆が郁人にも問いかけると、郁人も笑顔で一歩前に出た。
「ええ、それに仕事の取り合いは合法ですし、皆さんみたいな有名な方々と知り合えてこちらも光栄ですよ」
人も食わぬ郁人の笑顔に、遥緋と命は警戒を弱める。そしてお世辞にも照れてしまっていた。
そんな、ほんわかと和んでいる中、蒼二が一言。
「牧島はもっと鍛えたほうがいいぜ、腑抜けと腰抜けが多すぎる」
「ええ、それはこちらでもわかってますよ。流石は元死罪六神の千島蒼二さんですね」
────郁人の笑顔のその言葉に、場の空気が一気に固まった。
蒼二はそのままの表情でじっと郁人を見ているし、郁人も笑顔を崩さずそのまま蒼二を見ている。
命と梨香と遥緋は、いつ動き出すか気が気でなかったが、竜胆だけは楽しそうに笑っていた。
そして──
「フッ……」
蒼二の拳が郁人の顔に向かって放たれる。だが郁人はそのままの笑顔でそれをステップして避けると、
数発ジャブを放ち、それを避けられると僅かに体勢を低くして、更に右フックを放つ。
蒼二はそれを拳で弾くと、緋眼を発動させ拳を叩き込もうとする。
「やりますねぇ」
突然郁人が横に寝るようにして倒れこみ、左手だけで自分の全体重を支えると、そのまま蹴りを叩き込む。
しかし、緋眼を使っている蒼二にはその蹴りの軌道が見えていたため、不意打ちながらも何とか受け止める。
蒼二はそのまま郁人の足を掴むと、力任せに後ろに突き飛ばした。それでも郁人は後ろに一回転し、体勢を立て直した。
そして蒼二は、妙に楽しそうに郁人のほうを見て、
「お前やるじゃねーか、あの腰抜けぞろいの家の者とは思えねーぜ」
「いやぁ、蒼二さんも流石は名を轟かすだけありますね、あの蹴りを止められたのは初めてです」
「ああ、アレは結構危なかったぜ。アレをいれられてたら更に連撃するつもりだったろ?」
「ええ、でもあの蹴りを止められちゃ、当りませんからねぇ」
さっきまでの雰囲気はどこへ行ったのか、朗らかに話をする二人。
梨香と命はほっと溜息をつき、遥緋は半ば呆れた目で実の兄の姿を見ている。
竜胆は相変わらずへにゃへにゃと笑っている。
「さて、自己紹介も済んだし遥緋、話を進めろよ」
「お兄ちゃん達が居なきゃもう話は終わってる頃なんだけどね……」
「スイマセン、遥緋さん……僕が挑発してしまったから」
「いや、先にウチの馬鹿が馬鹿な事を馬鹿なタイミングで馬鹿馬鹿しく言ったからいけないのよ」
「テメェ……後で馬鹿って言った回数分Aカップって言ってやる…………」
睨みあう蒼二と遥緋。郁人は素直に羨ましいと思った。
式神の才能、そして緋眼という力と信頼できる家族。千島蒼二はそれら全てを持っている。
それらは全て郁人には無かったモノ、一生手に入らない運命のモノ。
「確か梨香ちゃんの中学校とは、三日と四日と五日が同じホテルになってるね……うわ、回る場所も近い」
「どう考えても某陸人さん達の陰謀の匂いがするな……」
「そ、蒼二さん……いくらウチのお父さんでもそこまではしないと思いますけど……」
不安げな表情で言う梨香。だが、心の中ではそうかもしれないと不安が大きくなった。
すると、竜胆が思い出したように更に追い討ちをかける。
「浅葱っちは知らないかもだけど、直前になって結構日程変わってるんだよねぇ〜」
「ええ!? それマジ?」
「うんうん、委員長とマッツンが言ってたよ、何か旅行会社の都合がどうのこうのと」
「そういや、数ヶ月前、時雨と陸人のおっさんが何か二人して企んでやがったな」
「ああ、時雨さんと二人で珍しく笑いながら、何かの紙を見てたって罪ちゃんも言ってたよ」
「いやぁぁぁぁぁ……帰ったら問いたださなきゃ」
「もう、遅いと思うけど……悪巧みはあの人達の専売特許だし」
絶望する梨香を何とか宥め終わったのは、そろそろ集合時刻間際の頃であった。
遥緋と梨香のケータイは海外でも通話ができるため、後日また相談する事にし、一旦解散。
そして何故か話の成り行きで、郁人と竜胆も梨香の修行についてくる事となっていたが、それはそれで楽しそうである。
飛行機の一番端の通路側の席で、そんな事を考えていた遥緋は、機内アナウンスによって思考をやめる。
すると、命が、
「い、い、い、い、い、いいもーと…………これ、本当に跳ぶの?」
「ハァ? 飛行機だよ? 当たり前じゃん。ねえ聖子」
遥緋いつものんびり、気ままで居る聖子の方を向く。
すると聖子は早くもヘッドフォンをして眠りについており、遥緋は半ば呆れた。
その間も命の震えは納まることなく、仕方が無いので遥緋は蒼二を呼んで落ち着かせようと後ろを向いた。
「英輔君、お兄ちゃんは?」
後ろの席で同じ班の無口な同級生、伊達英輔に遥緋は問う。
ジっと本を読んでいた英輔は、遥緋の視線を受け止めると横を指差す。そこには──
「お兄ちゃん……何やってるの?」
まだ発進しても居ないのにベルトをきっちりと巻きつけ、額に脂汗を浮かべている蒼二が居た。
呼吸は荒く、眼はさっきから色々な方へと向いている。そして落ち着き無く体をもぞもぞとさせている。
ぶっちゃけ、キモい、遥緋が兄をそんな目で見ると、蒼二は顔を上げた。
「うるせぇ、Aカップ…………俺に話しかけんな」
「ははぁん……お兄ちゃん飛行機が怖いんだね?」
「……こんな鉄の塊が飛ぶ訳ねぇだろ……きっと富士山からロープウェイみたいになっててエベレストと……」
「馬鹿ね……お兄ちゃん、ほらほら〜」
蒼二の座っている椅子をぐらぐらと揺らす遥緋。すると蒼二は過剰に反応し、「止めろ止めろ」と懇願する。
かつてない兄の姿にこれは今までの恨みを晴らせる、遥緋は更に揺さぶりをかけた。
すると、隣でジっと本を読んでいた英輔が再び遥緋に言う。
「そろそろ勘弁してあげなよ、気持ちはわからないくもないけどね」
「うーん、後が怖いからそうしようかな」
「あ、後良かったら僕と席を代わって欲しい。蒼二がこの調子だから妹の君が隣に居たほうが落ち着くと思うんだ」
「そんな殊勝な兄だったら、私はこんなに苛めてないんだけどね」
「OK。本音を言おう、蒼二がウザいから変わってください遥緋さん。ジュース一本でヨロ」
「わかった!」
遥緋は荷物を持って、通路側に出ると英輔と交代した。
そして蒼二の隣へと座り、席を揺すりながらさらにこんなことまで言い出した。
「最近はエンジントラブルとか多いからねぇ……落ちちゃうかもね」
「…………っ!」
「私は墜落しても一秒でも生きてられたら再生できるけど……お兄ちゃんはねぇ」
「や、止めろ……」
「きっと痛いんだろうなぁ」
「や、止めてくれ」
「さっきAカップとか言われて傷ついたわぁ……」
「わ、悪い……限りなくAに近いBだったな」
「よろしい」
今まで十六年間生きてきて、初めて兄を苛められてるので、遥緋は有頂天になっていた。
小さい頃から、蒼二の影で生きてきた遥緋にとっては大躍進であろう。まさに下克上。
すると、機内のアナウンスが再び鳴り、担任も「そろそろ出るぞ、騒ぐなよ」と冗談交じりに言い出した。
遥緋は落ち着いてシートベルトを締めると、離陸に備える。
(全く皆怖がりだなぁ……今の科学は進歩してるんだからね)
そう思い、余裕の笑みで居ると飛行機がスピードを上げた。
体に少しの圧力がかかり、やがて飛行機はどんどんとスピードを上げていく。
(ま、まぁ……空を飛ぶんだからこれぐらいのリスクはね)
周囲を見渡すと、離陸をドキドキしている者、脅えて固まってる者、笑ってる者。
様々な人間模様が織り成されていた、蒼二は相変わらず縮こまっているが。
そして更にもう一段階スピードが上がり、段々と遥緋も不安になってきた。
「あ、アハハハハハ……」
蒼二の背中をバシバシと叩いて緊張を紛らす遥緋。体が何故か熱い、そして冷や汗がどんどん垂れてくる。
そして一旦落ち着こうと水を一瞬口に含み、飲み込んだその瞬間──飛行機は離陸した。
突然の、ふわっと突然空中に投げ出されたような感覚、そして上へ上へと登っていく飛行機の向きによって体にも圧力。
落ち着いた瞬間のあまりの驚きに遥緋は、
「ひょ、ひょええええええええええ〜〜〜〜〜」
世にも情けない悲鳴が機内に響き割った。
「コラ、千島ぁ、他のお客さんの迷惑になるだろうが!」
飛行機内に響き渡る笑い声、クラスメイトだけではなく、他の乗客も遥緋の方を見て笑っていた。
そして、遥緋の表情が絶望に染まり、その後熟れたトマトのように真っ赤に染まる。
余談ではあるが、この日生徒の初日の日記の半数以上の内容は、遥緋の悲鳴が最高だったと記されていた。
千島家のリビングで、遥は一人の夕食を取っていた。
蒼二と遥緋と命と蒼威の居ない家は大変静かなもので、いつもの喧騒が嘘のようである。
そして、大して面白くも無いバラエティーを遥が見ていると、玄関の戸が開き、
「ただいま」
そう言ってリビングに蒼威が入ってきた。いつものラフな格好とは違い、珍しくスーツを着ている。
そして上着を脱いで、椅子に座ると脱力していつもの蒼威へと戻った。
遥はそんな夫の姿を優しく見つめると、
「ご飯とお風呂どっちにする?」
「ん、じゃあ飯食いたいな」
「わかった、今から温めるから待っててね」
そう言うと、遥は立ち上がってキッチンへと入り、作った料理を温めなおす。
次第にいい匂いが部屋に浸透し、さっきまでとは違い暖かくて穏やかな空気が部屋に流れた。
そして遥は料理を並べながら蒼威に話しかける。
「今回の仕事は長かったね」
「ああ……【コア】と【藍】関連の仕事だったから、結構色々な所に行ったんだよ」
「コアって……結晶の更に強い奴だっけ?」
「そんな感じかな。んで神代と戦った家の頭首達が集まって、といっても陸人、俺、森羅、正宗だけどね」
「いつものメンバーだねぇ」
「うん、本当に怖いぐらいの偶然さぁ……それと、俺の実家に行ってきた」
「…………お父様とお母様に会ったんだ」
「ああ……親父はもうボケて俺の事なんか覚えて無くてさ、母さんも俺とビクビクしながら話してた。
多分、俺が裏の世界じゃ有名になったって事も知ってるんだろうな……そして、俺に復讐されないかと脅えてるわけだ」
「蒼威君……」
「俺は、あの親のした事を許すつもりは無い。だけどそのお陰で、俺はこうやって全てを乗り越えて生きているのも事実」
小さな声で俯いて話す蒼威。それは最強の式神使いとしての千島蒼威ではなく、
普通の何処にでもいるただの大人としての千島蒼威。そして遥はそんな夫を優しく抱きしめて、
「蒼威君はもう一人じゃないよ……私も居るし、蒼二と遥緋と命ちゃんもいつも一緒に居る。
陸人君たちや誠兄ちゃん達だって居るじゃない…………それとね、今日病院に行ってきたの」
「……やっぱり、遥ちゃんの言ったとおりだった?」
「うん、そうだった……だから蒼威君は今度こそ一緒に居てね」
「ああ! でもまだ時間はある。今のうちにたっぷり働いて、後の為に貯えとこう」
「うん! だから明日からお仕事また頑張ってね」
遥が笑いかけると、蒼威も笑った。そして二人はそのまま談笑しながら夕食を共にする。
穏やかで優しい時間が流れて、二人は幸せそうに笑う。些細な話や、つまらない冗談でも二人は楽しそうに笑う。
それが蒼威の同胞や仲間の死を乗り越えて得た、現在という大切な時間。
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