第四十話:世界の終わる日
午前八時:ユグドラシル頂上
ユグドラシルが大きく揺れ始めた。全長百メートルを超える巨大な建築物がついに動き出す。
その頂上でガルムのコンセプトの世界の上空を見上げていた藍は、ゆっくりと視線を地面にやる。
何人かの鬼神や悪鬼が力を使ってユグドラシルを上空に広がった【Gate】のコンセプトの中へと押しやろうとしていた。
いよいよ、最後の戦いが始まる。人間と鬼神の最後の戦いが。柄にも無く藍は武者震いした。
数奇な人生だったと思う。もしかしたら、普通にどこか誰も居ない地でひっそりと暮らしていたのかもしれない。
藍は人間の事は嫌いだったが、良い人間も居る事も同時に知っていた。そして人間を全て殺してしまったらどうなるのだろう?
ガルムの目的はそれを研究する事だが、元々"仇の一族"を討つために生きてきた藍にとっては少し怖い。
不本意ではあるが、今のこの世界の支配者は人間なのだ。人間が全面戦争をすれば数日でこの星は人の住めない土地になるだろう。
すなわち、それほどの影響力が今の人間にはある。数万年前までは猿の進化系でしかなかった生物が、何時の間にかそれ程の存在になっていた。
「進むしか、無いですよね?」
首にかかった小さな首飾りを指で弄びながら、藍は今は亡き母へと問う。当たり前だが答えはなかった。
午前八時三十七分:ユグドラシル中枢
「うーん。はいはい。計画は順調だよ」
ユグドラシル内部にある視界全てが見たことも無い機械で出来ている部屋。
そこの入り口に持たれかかりながら汚れたツナギ姿のスコルは携帯電話を片手に会話していた。
ハティの姿は無い。きっとおやつでも食べているのだろうと思い、気にせず会話を続ける。
「うん。うん。わかってる。私達のあの子の為だもんね。ガルム様達には悪いけど、私はあの子を優先する」
電話主の後ろで子供の泣き声が聞こえた。まだロクに話せないその子の事を思い出し、
スコル──十文字千春は愛しそうな笑みで笑い声を漏らす。しばらくの静寂の後、再び電話主が戻ってくる。
"あの事件"以降一番自分が辛かった筈なのに、今でも自分達を導いてくれる。それがとても嬉しくて、悲しい。
「謝らないでよ。今更その程度の変更どうって事ないじゃない。結局、あの子に選ばせる事にしたんだから」
ラグナロクに加担した理由は、スコル達も同じく人間を滅ぼす為。だが、ラグナロクと自分達では規模が違った。
ラグナロクは全ての人間を、自分達は全ての純血を。一番計算外だったのが、スルト──千島藍の力。
式神という威力を超えたあの力とユグドラシルが合わさってしまえば、確実に世界の大半は炎の海に埋め尽くされるであろう。
流石にそれは自分達も耐えられる自信が無い。というわけで、色々話し合った結果。計画は先送りとなったのだった。
「うん。私今でも許せないもん。お姉ちゃんが何をしたの? 何で愛する人を守って殺されなければならないの?
ずっとそれを考えて生きてきた。結果は同じ。弱いから恐れるの。弱いから群れを成すの。弱いから対等に見れないの」
弱さは、罪。それはずっと身近に感じていた事。自分達と違って弱いから、怖いから駆逐するという考え。
それは弱者が強者に甘えている証拠。世界の常識は弱いものが中心として考えられてしまっている。
それ故に大切なモノを奪われた。だから──弱い者が許せない。そんな考えを伝えると電話主は悲しげに笑った。
「じゃあ……これが終わったら千夏ちゃんと一緒に帰るから……え? 遠音ちゃん来てくれるの?」
今度は呆れ混じりな電話主の声。だが、怒ってはいないようだった。
昔から悪戯好きだった自分とハティを嗜める時のような声。
「大事な家族、か……そうだね。じゃあ、そろそろ切るよ。最後の仕上げをしなくちゃ」
意識を集中させて、スコルは自らの血統の力【魔具】を発動させた。
視界に視える黒い霧のようなもの──反意思を掴むとそれを加工し、或いは自分の意思を込めて変質させていく。
新たに命令を下した反意思を、ユグドラシルの核となる部品に塗布していく。ある程度その作業が終わると、
後は時が来るのを待つだけ。スコルは悲しそうに笑うと、中枢部分を後にした。
午前十時二十分:ユグドラシル内部:ロキの私室
ユグドラシルから見える景色は何時の間にか、ガルムのコンセプトの世界ではなく、自分が最も憎い景色。
周囲は開発された道路やトンネル。後ろには人工的な堤防等が設けられて更には汚れた海。ロキにはそれが嫌でしょうがない。
一体どれだけ地球を蹂躙すれば気が済むのだろうか。一体どれだけ自分達の保身を図れば気が済むのだろうか。
永久に尽きぬ欲望。それが人間の一番の長所であり短所。欲望によってここまで進化してきたし、ここまで地球を穢した。
「本来在るべき姿を変えてしまう。それが、一番腹立たしいね。何様のつもりかな?」
この世界は人間だけのモノじゃない。自分達やありとあらゆる生物のモノ。それなのに────
ロキ白い手が握り締められ、その隙間から血が一滴零れた。すると、ユグドラシルの周囲一体に結界が張られる気配。
それにしても早すぎる。後二時間は発見されない予定だった。それが何故──
下を見ると、広範囲にわたって張られているようで、かなり離れた場所に人間達が集まっているのが見えた。
どうせ、ユグドラシルを使うまでには大量の反意思を吸い込ませなければならない。しばらくは遊んでやろう。そう思い、
「いいさ。今日は世界の終わる日。存分に騒ごう」
ロキは、心からの笑みで人間達を歓迎しようと懐から携帯無線を取り出した。
午前十時五十分:八神家
八神家では何台もの車やトラックが止まっており、戦闘準備は万端なようでいつでも動ける体勢になっていた。
誰もが八神の仕事着に着替え、ある者は庭で昼寝をしていたり、ある者は武器の手入れをしていたりする。
すると、先程電話がかかってきた時雨が自分の執務室から出てきた。それだけで、張り詰める空気。
周りを見渡しながら時雨は、冷静だが大きな声で、
「謎の建造物が福井の方に出たらしい。七海が十文字からの情報によってもう出張っている。僕達も行こう」
全員がその声に返事を返し、準備をはじめる。その光景時雨は薄く笑った。だが、心中は穏かでない。
敵の戦力は強大。七海からの報告によれば大量の中級、上級悪鬼。それに加え指揮官として幾人かの鬼神も居るとの事。
神代の時よりも間違いなく激戦になる。流石にそれは、心に重く圧し掛かってしまう。だが──
「ちょっとお父さん。また昼間からお酒なんか飲んで!」
「おい、クソ親父。テメー俺らの足引っ張りやがったら問答無用でぶった斬るからな」
蒼二と遥緋が戦いの前だというのに酒瓶を開けた事を心から呆れたような表情で注意していた。
全くこの人は──と時雨も思うが、蒼威の事は心から信頼しているのも事実。
昔から戦いの前に酒を飲もうが、二日酔いだろうが、蒼威は結果を残してきた。今度もきっと何とかしてくれる……と思う。
そんな微笑ましくも思える風景を見ていると、後ろから正宗が声をかけてきた。
「この戦いで全部終わりにしたいね。僕だってもう年だ。そろそろ息子に全部丸投げして、ゆっくりしたいモンさ」
「僕なんかが頭首でいいんですか?」
「優秀な奥さんも来ることだしね。母さんもきっと喜んでいると思うよ」
「いや……だからアレは陸人さんと律の策略で」
昨日わかった事なのだが、あの話は全て律によって仕組まれたものだった。
何時の間にか陸人を買収し、結婚を自分の近しい者達に印象漬ける。流石十名家の長女は過激だと、半ば尊敬した。
そんな自分の態度に気づいたのか、正宗は嫌味な笑いを漏らし、
「僕だって最初は深雪を愛してなかった。でも、数年経ったら心から愛していたよ。お前もそうなるんじゃないかな?」
「そんなもんですかね……」
「僕はもう、人生に満足した。だが時雨、お前はまだ世界を知らな過ぎる──だから、絶対に生き残るように。これは頭首命令だ」
「父さん……」
「八神はお前にやる。お前はこれから全ての屍を乗り越えて、八神を継がなきゃならない。だから、躊躇うな、踏み越えて生き抜け」
「…………はい、わかりました!」
午前十一時:四条家
「ええぃ! 貴様等さっさと準備をせんか!」
莉王の怒号を浴びるも、一族の大半が酷い怪我を負っているために使える人間はほとんど動けない。
自分達も骨折程度の怪我を負ったが、大半が式神の力で無理矢理くっつけたモノである。
だが自分達以外の家の者の怪我はその程度じゃ完治できない程。それに気づいた莉王は舌打ちをすると矛を納めた。
かといってこのままジッとここで燻っているのも嫌だった。すると、奥の部屋から律が現れ溜息をつくと、
「九我山も駄目だ。上位の鬼憑使いの大半は出動不可。父様も他の家に任せておきたい姿勢だな」
「令はどうした? アイツは怪我も何もしてないだろう」
「超生理、だそうだ」
「…………俺様の記憶が正しければ、確かあいつは男だった気がするのだが?」
「我が弟ながら情けない。だけど、あの子は気が乗らないと力が出ないからな。仕方ない」
「ふぅ……今度会った時は俺様直々の特訓を受けさせてやるとしよう」
「勝手にやっててくれ。僕は時雨に会いにいく! 父君にもちゃんと挨拶したいしな」
「貴様こそ勝手にやってろ」
呆れながら莉王がそう言うと、急に律の表情が変わった。ニヤリと笑い、嫌な感じの光が目に灯る。
付き合いが長い莉王でもこのような表情をする律を見るのは久しぶりの事だった。
時雨との戦いが終わった後の律は今までとは少し感じがちがくなっている。そう、子供の頃に戻ったような感じ。
「お前、僕にそんな事言うけど。随分と千島の妹の方にご執心な様子だったじゃないか?」
「俺様をぶっ飛ばした唯一の女だからな! 出来ればお近づきになりたいのだが……どうすればいい?」
「そ、それは……そうだ。彼女は時雨の妹分らしいからな。僕と時雨が結婚すれば、彼女は妹だ。そしたら僕が何とかしてやろう!」
「おお! 律、貴様と友人で良かったぞ」
「僕もそうさ。君と颯太が居なかったら今頃……っと、そういえば颯太達は何処に行った?」
「雨龍は万里に連れられてさっき帰った。あの分じゃ戦闘は無理だし、秋月罪歌に襲い掛かりかねん。
颯太は確か……竜胆と郁人と一緒に居ると思うぞ? 離れの方だ。行って見よう」
そう言うと莉王は律を引き連れてズンズンと四条の家の者を押しのけるようにして歩き出した。
廊下を抜け、戸を開くと大きな庭が広がる。その中心にある四条家二つ目の池にかかった橋の
上に三人は居た。竜胆は身を乗り出してはしゃぎ郁人がそれを嗜め、颯太が見守っているという光景。
すると、三人は律と莉王の気配に気づいたのか。視線を向けてきた。
「颯太。お前は俺様達と来るよな?」
無言で頷く颯太。ゆっくりと立ち上がると離れの中へと消えていく。きっと支度でもしているのだろう。
そう思い、莉王は今度は俯いてしまった郁人へと視線を向けた。すると、ビクッと郁人の体が震える。
そんな郁人の頭に優しく手を乗せるとゆっくりと竜胆は撫でだす。
「郁人。そこが貴様のゴールか? 友も、家も全てを失って手に入れた平穏か?」
「…………」
「俺様は貴様らの事を高く評価している。コアを奪って逃げようとしたのだって、立派な作戦だ。
何より貴様は"純血"。だが、知略によってお前は俺達と同じ視線に立っていると俺様は思っている」
「……わかってます」
「ならいい。俺様は貴様らを仲間と認めている────待っているぞ」
そう言うと莉王と律は背を向けて去っていってしまった。後に残された郁人と竜胆はしばらく俯いたまま。
すると準備を終えた颯太が、離れから出てきて二人に近づき、手を頭に乗せると、
「待っているの、俺達だけじゃない」
そう言い律と莉王を追いかけて駆けて行ってしまった。竜胆は心配そうに「郁人」と声を漏らす。
郁人は胸にかかった剣の形をしたペンダント、"フラガラッハ"を握り締め自分に語りかける。
戦いに行くのが怖い。また閉じ込められるのが怖い。鬼神と戦うのが怖い。何より、梨香に会うのが怖い。
「郁人、アタシ……行こうと思う」
「竜胆……」
「やっぱりさ、ハッピーエンドで終わりたいじゃない! アタシ、もう一回勇気出してみるよ」
「……あぁ、竜胆。お前の言うとおりだ」
再び郁人の中で決意の炎が燃え上がった。牧島を敵に回すと誓った時よりも、強く。強く。
どこからそんな思いが湧き出てきたかはわからない。だけど、ハッピーエンドで終わりたい。
願わくば、もう一度梨香と話したかった。自分と竜胆に出来た初めての友達。傷つけてしまった友達。
自分勝手な願いだが、もう一度だけ──と願い、郁人は立ち上がった。
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