第三十五話:千島藍(前編)
ユグドラシルという名をつけられた木を模したこの世の物質ではないモノ。
全長は百メートルを余裕で超えるであろう、巨大な建造物。全体としては神々しい雰囲気だが、
どこか機械染みてて曖昧な印象を受ける建造物だった。そして、その中の頂上の一角にある広いホールのような
場所は物々しい雰囲気に包まれていた。そしてそこに居るのは"一部例外を除き"全て鬼神だった。
ロキ、ガルム、スルト、空我、大和、ルシファー、サタンと言った鬼神でも有名な面々、それに加えスコルとハティの双子。
「やってくれるじゃないか、ルシファー、サタン。千島は俺が殺すと言った筈だろう」
帰還したばっかりのスルト──藍から殺気が膨れ上がった。それに対し、サタンとルシファーは緊張の表情で静止し、
藍が殺そうとするのならば、いつでも逃げられる体勢へと移行した。だが、当の藍は動かない。
地面刺さったレヴァティーンに座るようにして、殺意の篭った視線を二人にぶつけている。
その沈黙を破ったのはロキだった。相変わらずの透明な笑みで、
「スルト、今回は勘弁してやってくれないか? 次やったら殺して良いからさ」
「……ロキ、テメェ、こいつらを庇うのか?」
「チャンスは誰にでも与えられるべきさ。君だってそうだろう? チャンスを掴んでここまで来たんじゃないか?」
「フン……屁理屈かよ」
「そう取って貰えると光栄だね。さて空我に大和、運命の様子はどうかな?」
「泣き疲れて寝てるよ。しばらくは放っておいてやってくれ」
「無論そのつもりさ。下手に彼女の機嫌を損ねてまた半殺しにされるのは嫌だからね」
「そーかい」
「じゃあ、解散にしようか。もうそろそろ調整は終わるみたいだし、後は個人個人で好き勝手やってくれ」
ロキのその一言によって全ての会話が打ち切られ、鬼神達はそれぞれの部屋や外へと向かった。
後に一人取り残された藍は、一息つくとゆっくりとその場に座る。心の中には、満足感と悲しみが同居している。
双子は殺した。これで、残りの千島はあと少し。それで、ラグナロクが再び発動すれば全てが終わるだろう。
それが正しい道なのかはわからない。だが、藍は千島を全て滅ぼそうと決めたし、人間もあまり好きじゃない。
そして──あの頃、自分の全てが変わってしまった日々を思い出した。
昔の千島は大きな村の外れにある山に、大きな屋敷を構えて立っていた。
近隣の村人からは、悪鬼を狩る正義の一族として崇められ、絶対的な支配権を持っていたその頃。
自分達の力を過信していた千島は、ここ何代かに渡り一族の掟を破って、秋月に反旗を翻そうとしていた。
だが、それで生まれてしまったのが呪いと称される人格。灼、煉、焔。その人格によって千島の数は半分程になっている。
そんな中一人の直系の娘が生贄として、神が宿るとする谷へと投げ入れられた。だが、その娘は死ななかった。
そしてその谷に住んでいた上級悪鬼がその娘を偶然にも犯し、自分は誕生してしまった。
「そなたは藍。直系の名につく青でも蒼でもない、"新たなる千島"ですぞ」
それが自分の名の由来。母が、いつも言っていた口癖。親の愛を一心に受けて藍は異形ながらも健やかに生きた。
そんな日々が五年程続いたある日。父親である悪鬼が人間を襲いに行ったきり帰ってこない。
三日経っても四日経っても帰ってこない。流石に食べるものに困ってきた母親は幼い藍を背中に縛り付けて、
谷を登り始めたのだった。どれほど時間がかかったのかわからない。ただ、藍は母の背中で黙っていた。
「もう少し……もう少し……」
母は懸命に谷を登り、やっとの事で辿り着いた。藍は背中から降りると見た事の無い景色に胸を躍らせた。
谷の下はいつも暗く太陽は限りなく遠く感じた。だが、今は違う。自分はこんなにも近い。
そう喜んでいたのも束の間、藍は母親に連れられて──千島の本家へと連れていかれてしまう。
母とその時の頭首にどんな取引があったのかはその時は知らなかった。だが、藍は結果的には千島の嫡子として受け入れられ、
千島の家に住み、一族の者と共に鍛錬していく事になったのであった。
(それが……絶望の始まりだった)
藍は鬼神だったため、他の千島を遥に超える実力を持っていた。まず、体術では大人でも叶わない。
その頃の藍は自分が鬼神だと言う事を自覚しておらず、何故自分以外の人間がこんなに弱いのかがわからない。
また、緋眼・式神に関しても群を抜いていた。正に神童。千島の中では常に藍は妬みと羨望の象徴。
藍にはそんな毎日が退屈でならない。唯一の安らぎは母と居る時だけ。だが、その母もほとんど藍とは会おうとしない。
何故? 何故? と疑問が湧くが母親は頑として自分に会おうとしない。そしてそんなある日、藍は何人かで悪鬼の討伐を命じられた。
「燃えろ」
数百もの悪鬼をものの数分で焼き尽くしてしまう藍。もはや悪鬼など敵ではなかった。
そしてその油断が慢心を生み、後ろから近づく唯一の生き残りの悪鬼に気がつかない。
ドスッという鈍い音の後、自分の肩口に焼け付くような痛みが広がる。振り向けば悪鬼の腕が自分の肩を貫いている。
余りの痛みに激怒した藍は全力で吼えると、悪鬼の顔を鷲掴みにしそのまま握りつぶした。と、そこで違和感に気づく。
自分の腕の様子がおかしい、これではまるで────父の腕のようだ。人間とは違う、化け物の腕。
ショックだった。ずっと人間だと思っていたのに、自分は悪鬼。忌むべき自分が狩る相手。
「…………化け物、か」
「あの力はやはり化け物であったか」
自分を見つめる周囲の目が冷めていた。どの千島も悪鬼を見るような目で自分を見ている。
違う、と否定したくてもできない。そして藍は逃げるように走り、千島の屋敷へと閉じこもった。
だが、一日経っても二日経っても何も起きない。誰も何も言わない。いつもより冷たい目を向けられるだけ。
そんな日々が半年程続き、もはや自分の正体などどうでも良くなった藍は、ただひたすらに己を磨いた。
朝も昼も夜も、体力が尽きるまで鍛錬をしその力を高めて行った。そして更に一年が経った頃にはもはや最強の域。
千島に命じられるがままに、他の家に一人で乗り込んで皆殺しを繰り返すだけ。千島の名は途端に広まって行った。
一月に十回以上は敵に狙われる日々。だが、誰一人藍に傷一つつけられる事無く殺されていく。
(俺は、何をすればいいのだ……!)
そんな殺すだけの毎日が嫌になっていた頃、藍は千島の頭首に呼び出された。
「頭首として貴様に命じる。今宵、秋月を討て」
「……何故でしょう? 秋月は我らが宗家。如何に千島とて反逆は許されない事と存じあげますが」
「我らは、もはや秋月に屈する必要など無い。それ相応の代償を払い、力を手に入れた。もう、支配は終わりである!」
「しかし……」
「貴様がやらないと言うのなら、貴様の母を向かわせるが?」
「…………ッ!」
「なに、秋月を滅ぼし終えたら貴様等親子は自由の身だ。これで、終わりにしてやろう」
「……承知いたしました」
そしてその夜、藍は秋月の本家をたった一人で襲撃した。これさえ、これさえ終われば。
そんな思いだけが唯一藍を支えていた。だが、当時の秋月は数が多く、力も強大。とてもじゃないが、藍一人で倒せる筈が無い。
必死に戦い抜いたが結局数十人の緋眼使いを殺しただけで、藍の体は限界を向かえ、情けなく思いつつも敗退。
森の中で徐々に傷が塞がっていく自分の体を忌々しく思いつつも、今回ばかりは自分の生命力の強さがありがたい。
──すると、足跡。何人かが自分を取り囲むようにして息を潜めていることに気がついた。多分追っ手だろうと思い立ち上がる藍。
炎で周囲に木や葉を焼き払うと、そこに居たのは同じ千島。何故? と疑問が湧いたが、心の中で答えはもう出ていた。
「殺しにきたか」
「頭首様の命令でな。悪いが……もう決まった事なんだよ」
「千島に鬼神は要らぬそうだ。長い間飼ってやった恩を感謝しながら死ぬが良い」
「鬼神……?」
どいつもこいつも勝手な言い草だった。だが、もうはやどうでもいい。
藍は無言で緋眼を発動させると、一瞬にしてすれ違い様に二人の首を刎ねた。ゴトリと音がし生暖かい血が
噴水のように飛び出す。それを【火之迦具土神】で焼き払うと次々と斬っては殺していく。次第に力の差を感じたのか
何人かの千島は逃走して行き、藍はそれを追いかけ後ろから炎を乱発すると、一瞬の悲鳴の後に劫火が広がる。
だが藍は手を休めない。次々と殺して行き、最後に残った編み笠を被った千島に突進すると火之迦具土神で肩を貫き、燃やそうとして
「母上……?」
編み笠が頭から取れて、母の顔が見えた。その顔は怒りでもなく、憎しみでもなく、ただ穏かに笑っていた。
余りの事に声を出せない。何で、母がここに居るのかもわからない。すると、母はそんな息子の頭をゆっくり撫でると
「藍、これでいいのです」
「母上! 何が良いのですか!? 私には、もう何が何やら……」
「貴方が千島に受け入れられるための条件として、頭首が受け継いだ"焔"を私が受け継ぐ事。貴方の身柄の確保。
結果的に私は焔を受け入れ、貴方を千島の道具としてしまいました。申し訳ないです。母、失格です」
「それは母上の……私の事を考えてくださっての行動でしょう」
「だけど、結果的には貴方に辛い思いをさせてしまいました。私は罪悪感からか、貴方の顔を見るのが恐ろしくなり、
今まで会ってあげられませんでした……こんな事になるなら、貴方をもっと愛しておけば良かった……」
「これから……これから、二人で遠くに逃げましょう! 千島が追ってこれない、ずっと遠くへ!」
「駄目です。私は貴方の弱点。貴方は優しい子、今まで私の為に人殺しをしてくれたのでしょう? だからもう良いのです。
それに、私の体に傷がついた事によって焔が暴れだそうとしてます。藍……私を焼き尽くしなさい。貴方にはその資格がある。
焔は血を媒体にして移ります。このまま血ごと私を貴方の炎で焼き払って……」
涙を流しながら懇願する母の姿に、藍も涙を流した。だが、愛する母親を殺す事など出来ない。
そんな事をするぐらいだったら、世界を敵に回したほうが断然良かった。すると、母の目が緋色に染まり、一瞬ガクリと
体を揺らすと、再び顔を上げた。その顔に、今までの優しい母の面影は無い。獰猛な顔をした他の誰か。
「お前が……焔」
「殺ス。殺ス。主、乗っ取って我のモノ!」
焔は自分の体から火之迦具土神を引き抜くと、胸元から短刀を引き抜き母の体を傷つけて血を出した。
夥しい血液が体の至る所から流れ、焔はそれを腕に塗りたくると藍に向かって突進。
だが藍の方が緋眼使いとしての腕が高い。簡単に突進を避けると、焔は勢いを殺せないまま茂みに突っ込む。
それでも姿は母のまま。そして藍は決意を固めると、火之迦具土神を持っていた腕を下ろし無防備な体勢に移行。
「シャアアアアアアアア!」
焔の突進を一身に受け、焔がまだ閉じていない傷口に自らの血を塗りこんだ。
その瞬間、母の体が再び弛緩し、逆に藍の頭の中には何か違和感のようなモノが出現した。
これが、呪い。自分にはずっと縁が無いと思っていたがまさかこんな日が来るとは。と、自嘲気味に笑った。
だがそれで良い。助からないであろう母には最後には人間らしく逝ってほしかった。そして、藍は母の体を抱きしめて一言。
「母上、今までお世話になりました」
「藍……申し訳ありません。本当に、本当に……貴方には辛い事ばかり……」
「それでも、母上だけは唯一私を愛してくれました。それがあったから私はこうして生きていられるのです」
「藍……感謝します。最後にこれを……」
母は首にかけていた飾りを外すと藍に手渡す。それは千島では見慣れた物。
直系の血筋だけがつける事を許される小さな首飾り。だが、藍は貰えなかった。自分は化け物なため貰えなかった。
大した感慨は無かったが母がくれた最初で最後の贈り物。藍はそれを握り締めると別れの言葉を紡ぐ。
「母上、どうか……安らかに。私は貴方の子で良かったです」
その言葉に母は大粒の涙を流す。絶対に心の底では恨まれていると思っていた。
鬼神に産んでしまい嫌な思いばかりをさせてきた息子の心からの笑顔。それだけで、この生涯に悔いはない。
最後の最後まで辛かったが、最後にこんなにも幸せになれた。そして母も──
「貴方は、私の誇りです」
そう言うと、母は目を閉じその生涯を終えた。決して幸福とは言えない人生だったのかもしれない。
幼い頃には生贄に差し出され、大人になってからは悪鬼に犯され、更には呪いまで押し付けられて。
その全ての原因は──千島家にあった。だから、許せない。何が何でも千島は殺しつくさねばならない。
母や自分がこんなに苦しんだのに、のうのうと千島が生きていることが許せなかった。
そして藍はこれを最後の涙と決意し、心の底から叫んだ。
「祓え、火之迦具土神!」
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