第十八話:蒼二の憂悶
自分の無力さをここまで感じたのは、久しぶりの事。
朱音を失ってから蒼二は強くなった気で居た。もう間違いは起こさない。そんな勝手な自信もあった。
だからこそ今回の件が起きたことも冷静な部分では理解できていたし、自分の不甲斐なさを痛感したりもできる。
朱音を失ってから、命は自分の全てだったと今更ながらに思う。命がいたから自分は──そこまで考えて、蒼二は顔を上げた。
「お兄ちゃん……」
何時の間にか、雨が降っていたようで命が置いていった封筒と共に自分はずぶ濡れ状態。
そんな蒼二の姿を傘を指した遥緋は黙ってみていた。何て声をかけたら良いのかわからない。
ここまで弱った目をした蒼二の姿は始めてみる。一年前に自分と戦った後よりも打ちのめされているのがわかった。
「命ちゃんは?」
「……これ」
差し出された封筒。それを開けると一枚の紙が入っていた。
ごめんなさい。私は最悪の人間です。皆さんともう一緒には居れません。今までお世話になりました。
お手数ですが、私の荷物は処分しておいて頂けると助かります。本当に皆さんには感謝しても足りません。
本当にありがとうございました、そしてごめんなさい。と震えるような字で書いてあるその手紙。
一通り読み終わると、何故ここに九尾の鬼神が居たのか、何故命がいないのかが全て理解できる。
「お兄ちゃん……風邪引くよ。それに手当てもしないと……」
傘を差し出し、蒼二に手を差し出す遥緋。握らないと思っていたが意外にも握り返してくる。
そして力を入れて蒼二を無理矢理立たせると、体の骨が何箇所か折れている事に気づく。
すぐさま輪廻転生の力で折れた骨を再生させるが、相変わらず蒼二はよろけて歩くばかり。
すると蒼二が遥緋に肩に顔を埋め、水音のような物を立て始める。
「悪ぃ……少しの間、こうさせてくれ」
「うん……」
掠れた声で小さな声で泣く兄の姿は生まれて始めて見た。それ程にショックなのだろうと思う。
そのまま蒼二は家に着く寸前まで遥緋の肩で泣き続ける。家に帰ると、遥がずぶ濡れの蒼二を
優しく風呂場まで連れて行き、「ゆっくりしてらっしゃい」と声をかけ遥緋の下へと戻ってきた。
「どうしたの?」
そう聞く遥に事情を説明すると、遥も命が居なくなった事に悲しそうな顔をする。
だが運命の事は責められない。彼女達もまた、命の家族のようなもの。
事情を詳しく知らない遥だったが、二人で話してしばらく放置しておこうとする結論に至る。
「そういえば、お父さんは? 何かお兄ちゃんを面白半分にからかいそうなんだけど……」
「蒼威君ならもう寝たわよ。明日も仕事が速いみたい」
「そう、何か……ここまで一気に変わられると、こっちも調子が狂うよね」
「それはもう、愛する私達と新しいこの子の為だから」
自分の腹を優しく、愛でるように撫でる遥。前よりも少し大きくなったようにも見える。
こうやって自分と蒼二も遥の中に入っていたのか。と思うと、何か人間の偉大さのような物を感じた。
すると遥はお腹を優しく撫でながら「後は任せた」と言わんばかりに寝室へと入ってしまった。
遥緋も遥緋で今日は式神を結構使ったため、中々に眠い。だが、蒼二が自殺でもしないかという心配もある。
浴室からは蒼二が動く音が聞こえるので、まだ大丈夫だとは思うがもう眠い。
仕方が無いので遥緋は、リビングへ行ってTVを見始める──そしてしばらくすると、リビングへ蒼二が入ってきた。
「あ、出たんだ」
「ああ……」
「じゃ、次は私が入るね」
そう言い、出て行こうとする遥緋。
「お、おい……遥緋」
「なぁに?」
「肩、ありがとな……お陰で助かった」
「気にしないで、兄妹じゃない。それに、あんなお兄ちゃん放っておけないよ」
「ああ……ありがとう。俺、もう寝るわ……後よろしくな」
「うん」
そう言うと、今度こそ遥緋はリビングから出て行き、浴室へと向かう。
リビングに一人取り残された蒼二は、一人ソファーに座って蹲ると、さっき遥緋が言った言葉を呟く。
「兄妹か……」
何時の間にか自分なんかを超えるほどに強くなっていた妹。それは兄として嬉しい。
自分を支えてくれた事も嬉しい。だが、その兄妹の絆を強く強く感じれば感じるほど、運命と命も同じだと思ってしまう。
運命とは初対面だったが、何か姉妹特有の絆のようなモノを感じさせていた二人。
それも双子である自分達と同じほどの絆。その事実が更に蒼二の心を傷つけていくのを感じる。
「朱音ぇ……俺、またやっちまったよ」
そう呟くと、蒼二はもう一筋涙を流してそのままソファーで寝てしまった。
それから三日後の柳学院高校。蒼二は精神的な不調から三日ほど休んでいた。
遥曰く、命が戻ってくる可能性もあるから夏休み終了までは退学届けは出さないとの事。
それでも何となく学校へと行く気がしない。それもこれも、もう命が居ないから。
編入したての頃、クラスでやはり馴染めなかった蒼二を無理矢理馴染ましたのが命だった。
そのお陰で英輔とや信吾を初めとする様々な人達と仲良くなれた。そう、全ては命がいたから──
「はぁ……」
溜息をつき、教室へ入るといつも通りのクラスメイト達。そろそろ夏休みなためか、皆浮かれている。
教室の隅の方では、いつも通り神璽のナンパ講座が行われており、離れた場所では
遥緋や志穂達が仲良く談笑をしているのが見えた。それを見ると何かうっすらと笑顔が出てくる。
だが、これからどうしていいかはわからない。
(とりあえず……今は落ち着こう。冷静になるんだ)
別に今の千島がどうなのか気になったわけではない。自分の時は最低だった。ただそれだけ。
自分の顔や正体はデータには残っていないと思う。戦った者は一部を除き全て殺した。
殺しきれなかったのも居るが、もはや生物としては言えないほど傷つけたたのでこれも問題なし。
この街に居るに当って気をつけるのはリーヴスラシルに顔を見られないこと、ただそれだけ。
「フン……日本の首都も変わったものだ」
自分が日本に居たころは、ここは特に何の変哲も無い村が広がっていたと記憶にある。
それが今では、高いビルやマンションが並び立ち。空気も吐き気がするほどに嫌な匂いがした。
人間はどこまで腐っていくのだろう。そんな事を思いながら、情報を頼りに街を彷徨い千島家を探す。
「あー……」
前の方から嫌そうな声。藍が声のした方を向くと、サングラスとマスクをしている怪しげな男。
そしてどこかで見たことある革ジャンを羽織っている事から、知り合いだと断定。
すると、男がサングラスをずらし顔の一部分を見せる──そこには同じ日本の鬼神、有馬空我の顔。
「よぉ、千島藍」
「フン……まだ生きていたのか。久しぶりだな、有馬空我」
「ニャハハハ! こーしてみるとオメーも一般人に見えるな」
「お前等と違って常識ぐらいあるからな」
「相変わらずだねぇ……それで、今日はここへ何の用事だい?」
「お前には関係ない」
「うわ! 相変わらず秘密の多い男だな。流石あの千島ってか?」
「……殺すぞ」
「フフン。じゃあ、何で未だに"千島"をオメーは名乗り続けるのかねぇ?」
「……感傷。ただ、それだけだ」
「……ふぅん。ま、いいやー俺達は今日でこの街を出るからよ。好きにやればいいさ」
そう言い、再び振り向くことなく歩き出す空我。藍も同じく前を向いて歩き出す。
天美運命を守るようにして、数百年前からずっと生きている鬼神。自分とは違い明確な生き方を持っていた。
空我に出会った事により、藍の頭の中に昔の記憶がよぎる。それはもう、最悪な記憶。
鬼神として千島として生まれた藍。だからこそ、過去の千島の全ての罪を今になって知り嫌悪している。
(いつまで……呪いは続くんだ)
自分の中に居た呪い。千島が産んだ最悪の罪の人格。最後の最後まで分かり合えなかった人格。
他の二人は比較的大人しいらしく、また宿主も選ぶらしかったので今でも生きているはず。
自分の中にいたヤツは最悪の一言。全ての宿主に発現し、全ての宿主を殺そうとする罪そのもの。
(最も"三人"だけという確証は無い。更なる呪いがあるかもしれない)
だからこそ、藍は全ての千島を殺そうとした。自分に大切な者を与え、奪い、焔を発現させた千島。
それが許せなくて──とても悲しくて、全てを焼き尽くしたはずのあの日。
まさか、生き残りが居るとは本当に思っても居なかった。だが、ここ数百年全く名前が出てこなかった理由はわかる。
千島は自分を恐れて身を隠し、表舞台から姿を消したのだが時と共にそれが薄れ今に至るのであろう。
(千島蒼威、それが全ての始まりか)
刹那から貰った資料によると千島蒼威の父親は呪いはおろか、緋眼さえも使えない。
時を経て段々と血が薄くなっていたのであろう。だが、千島蒼威が生まれてから全てが変わった。
蒼威単体だけでも有名なのに、最近ではその息子と娘の名前までもが藍の耳に届く始末。
それは、確実に異端児が生まれた証拠。潜在的な才能は自分と同じくらいであろうと予測。
だからこそ──ここで、今度こそ全てを断っておくべきなのかもしれない。数百年の呪いを終わらせるために。
「ふぅ……」
怒りで頭が熱くなりすぎたようだ。そう自分で感じ、藍は一息つくと周囲を見渡す。
何時の間にか住宅街のほうに来てしまったようであり、幸か不幸かといった所。
ポケットから紙を取り出して、そこに書かれた住所と電柱を交互に見るとどうやら近くまで来たようである。
若干緊張した面持ちで進む藍。そして──ついに千島と書かれた表札を見つけてしまう。
(ここが……千島)
何の変哲も無い一軒屋。やはり、昔みたいに大人数ではないようである。
自分の頃はこの五倍はある巨大な屋敷だった。人数もわからないぐらい多く、大まかな顔しか覚えてない。
もう少し近寄ってみようと思うが、近寄れない。何故か体と心がそれを拒否する。
しばらく呆然と見つめていると戸が開き、一人の女性が出てきた。どうやら母親らしい、そう予測。
(確かアレは千島遥……旧姓海野遥か。どうやら、混血ではないようだな)
そこまで考え──遥の腹部が不自然に大きく膨らんでいる事に気づいた。
嫌な汗が背中を伝う。そう──あの中には千島の血を宿した子供が居る。それが、とても悲しい。
生まれてくる子は確実に緋眼を使えるであろう。あの呪われた力を。悲しい力を。
ここで殺すべきか、否か。藍は迷う。どうしていいのか──本当にわからない。
今殺さなくてもラグナロクが起きれば確実に死ぬ。死ぬなら同じ。そうなのならいっその事──
「あら? どうかされたんですか?」
マズイ──そう思った時には、もう遥の視線は藍を捉えていた。
まったく予想していなかった事態に、藍は困惑し冷や汗が背中を伝う。
だが何とか心を冷静に保ち、作り笑顔で言葉を返す。
「少し、暑さで……」
「あらあら。大丈夫ですか?」
「ええ」
「今年は猛暑ですからねぇ。気をつけなきゃ駄目ですよ」
「気をつけます」
「……貴方、見かけない子ね。ウチの子のお友達かしら?」
「いえ、只の旅人ですよ。当ても無く世界を彷徨ってます」
「へぇ、若いって良いわねぇ」
実際は藍の方が数百歳は年上なのだが、鬼神は若さを自由に調節できる。
自分の肉体のピークを良く知り、尚且つ最良の時に止めておけるのも強さのうちの一つ。
自分が鬼神だと自覚するのが遅ければ遅いほど不利。いかに鬼神といえど若返る事は不可能らしい。
「……そちらは、お子様が生まれるんですか?」
「ええ。今から楽しみなんですよ」
「不躾な質問を、一つよろしいですか?」
「どうぞ?」
「生まれてくる子が異端の力を持っていたら、貴女はそれでも愛せますか?
自分なんかを一瞬で殺せるような子供。それでも貴女は愛を持ってその子を育て上げる事ができますか?」
「できますよ。──それに、そんな子にしないようにたっぷりと愛情を注いで育ててあげようと思います」
「そうですか……ありがとうございます。では……俺はもう行きますんで」
「お気をつけて〜」
そのまま背を向けて歩き出す藍。向かうべき方向は違うがそれでも一目散に歩く。
遥にこの顔だけは見られたくない。そう──藍は数百年ぶりに泣きそうになっていた。
気を緩めれば大声を上げ泣き出すであろう。何故──何故俺には──そんな言葉が頭に浮かぶ。
それは自分を根底から覆すような出会い。自分も幸せになれたのかもしれないという最悪の出会い。
だからこそ──今日の事は全て忘れようと心に誓った。
いつか来る日の時に自分の決意が薄れないよう。自分の覚悟が途切れないよう、願を込めて。
そしてその事に集中しすぎていた藍はついに気がつかなかった。いや、気づけなかった。
上空では【傲慢】の名を冠する鬼神が自分の情けない姿をニヤニヤ笑いながら見ていた事に──
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