紙から生まれる物語
こちらは企画小説に参加させていただいた作品です。
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その白い紙の束に初めて書いたのは、二週間前のことだった。
赤と黄色の混じった夕日が、油臭い一室にあたる。
美術室。そう書かれた一室には、栗色の髪を束ねた少女がえんぴつを片手に、スケッチブックとにらめっこをしていた。
スケッチブックにはまだ何も描かれてはいない。
少女は、放課後に美術室で絵を描くことが好きだった。いつもは隣に男の子が座っているが今日はいなかった。
少女はこの所、その男の子を隣にいさせないことが多かった。
静かな一室に足音が聞こえた。少女は急いでスケッチブックをカバンにしまう。カバンには不細工なウサギが二体ボールチェーンでくっつけていた。
リズムの良い音が響き戸が開く。
「翔。ここにいたのか、探したんだぞ」
「別に探さなくてもいいよ誠。子供じゃないんだから」
誠と呼ばれた男の子は少女、翔の幼なじみで、いつも隣にいる子だった。
度のきつい眼鏡をかけ、口をへの字に尖らせている。
「分かったわよ。今日も行くのよね」
「あぁ。今日は西町の丸福喫茶店のケーキがいいな」
「はいはい。じゃあ行きましょうか」
翔はカバンを肩にかけて美術室を出た。
丸福喫茶店のケーキはどれも美味しく、癖になりそうだった。
誠は、男の子だから一人で喫茶店に入ってケーキを頼むのが嫌だと言って、よく翔を誘うのだ。
翔もケーキが嫌いなわけではなかったので、誘いに応じた。福丸のケーキあまりにも美味しく、二人はがっついて食べ、家に帰ってからもその美味しさが頭から離れず翔はスケッチブックを取り出し、丸福で食べたケーキを描く。
そして、丁寧にどんな食感で味や匂いや色など細かくケーキを描いた横につけ加えていくと、それがみるみる実体化していった。
「上出来」
実体化したケーキは、形は少し歪だけれど匂いも色も味も同じだった。
翔は満面の笑みを独り部屋で浮かべ味わった。
そして、机の上に置かれたスケッチブックを見下ろす。
このスケッチブックはただの紙切れの束ではない。絵を描いて、詳細を字で書き込めば実体化する代物だった。
このスケッチブックは、二週間前に体育館の倉庫を整理していて見つけたものだった。埃をかぶった箱の中の茶封筒に入れられていた。 表紙には百枚セット、スケッチブックと英語の表記があり、何故か右上には数字がふっていて、十一枚ほど誰かに使われていた。そして中には使い方などが書かれている。
実体化してしまった絵は残らない。これを前に使っていた人物がどんな絵を描いたのかは、残っている字だけで判断しなければいけなかった。
翔はお腹をさすり、満足感いっぱいで眠りについた。
眩い光で起こされ、いつものように寝ぼけた状態で学校につく。
「おはよー翔。今日体育でマラソンあるんだってさ」
朝から聞きたくない情報を運んできたミケは、騒がしい教室の一角、翔の机に座る。
「そんな馬鹿な。あたし絶対出ないから」
「単位とれないよ」
「……雨でも降らないかしら」
「都合いいのぉ。翔はつくづく走るの嫌いやのぉ」
「嫌よ。走るより絵を描いていた方が……あ。そうだ」
翔はスケッチブックとえんぴつを手に教室を抜けた。
誰もいない美術室にいき、スケッチブックを広げる。
白い紙の上にえんぴつを走らせる。
それはどす黒い雲だった。周りに詳細に書き込む。半径二十キロ。学校を取り囲み、十二時頃まで降り続く。雨足は強め。
「これでいいかな」
翔は窓を開け、スケッチブックを空へと向けると、そこから溢れるように黒い雲は現れ。空へと上っていく。
量が半端じゃなく多かったため、翔は両腕の疲労にため息をはいた。
「おい。そこで何してる」
ーー突然の声。後ろには無精ひげを生やした男が立っていた。
「山伊先生」
翔はスケッチブックを背後に隠す。
「今のは何だ。見せろ」
「嫌です」
「見せろ」
「嫌です」
張り詰めた空気に雨の匂いがした。窓の外には雨粒が激しい音を立て降ってくる。
「ここは美術室で俺の住処なワケよ。そして俺は先生。そんな俺が見せろって言ってんだから、見せろよ」
「嫌です。あたし、俺様な人嫌い」
一歩も引き下がらない翔に業を煮やした山伊は、翔の肩をつかむ。力強い手が翔の肩に食い込む。痛さで顔が歪む。
雨音で煩い一室に突如、別の声が響く。
「何してるんだよ」
タイミング良く入って来た誠に、翔は上塗りした事実を話す。
「助けて、山伊先生に襲われそうになったの」
誠はキッと山伊を睨む。
「ち、ち、違う。その隠したものは何なのかをだな」
山伊が必死になって取り繕う様を見ると、誠の眼鏡の奥はさら鋭くなる。美術室の外には人だかりが出来はじめざわついていた。山伊は舌打ちをし美術室を出て行く。
ミケが人だかりの中から翔達の所に来る。
「どうしたの」
「翔が山伊に襲われそうになったんだ」
「えぇーっ。山伊が。やりそうな顔はしてると思ったけど、本当にやるとはね。翔大丈夫だった」
無責任なミケの一言にあえて何も言わず翔は瞳に涙を溜めて軽く演技をした。
山伊のことは人づてに生徒や他先生の知るところとなり、翔は雨でマラソンが中止になったことと呼び出しをくらうことと、どちらがマシか考えていた。
「マラソンがましだったかな……」
「どうしたの」
保健室の鹿山先生に付き添ってもらいながら、話していた。
「いえ。何でもないです。先生、今日はあたし辛いから帰っていいですか」
「ええ。他の先生方には私から言っておくわ」
まだ途中だが付き合ってられなくなった翔は、席を立つと鹿山は白い手を肩に乗せる。
「外で誠くんが待ってるわよ。独りじゃ心配だから一緒に帰ってね」
「はい……」
余計なことをする鹿山を心内で叱咤する。鹿山と誠は親戚同士ということ以外知らないが、たまに厄介でもあった。
「本当は何があったんだ」
「何のこと」
雨がまだ上がらないうちから二人は帰宅への道を行く。
「山伊に襲われそうになったって本当か」
「疑ってるの」
翔は束ねていた髪を下ろす。
「だってよく考えてみたら翔ってあんなきゃーきゃー言うキャラじゃないじゃないかよ」
「嫌な言い方。別にいいけど。当たってるから」
二人は川沿いにある舗装されていない道を歩く。大小様々な石が転がり、川は増水して今にも道側に迫って来そうだった。
「仕方ないから誠にも教えてあげる」
木の葉で雨をしのげる場所に立ち、翔はカバンからスケッチブックを取り出した。傘は誠に持ってもらい、白紙のページを開き、えんぴつを片手に描き始めた。
大きな傘に多少不細工な柄のカエルを。三メートルの長さで色は黄緑色と水色。雫も描き足して昼頃には消える。
書き終えた翔はスケッチブックを前にかざしす。
すると、絵の通りのパラソルのような傘が現れた。
「……何だよコレ。どうなってんだよ」
「世にも珍しき物を手に入れてね。山伊に見つかりそうになったの。因みにこの雨もあたしの仕業」
胸を張って威張る翔に誠は大きな溜め息を吐く。
「何で言わないんだよ」
「あたしの秘密はあたしだけのものだから。んで誠の秘密は作らないでね」
「勝手」
「もとからよ」
幻滅しきった誠を置いて翔は家路に向かって歩き出す。
「コレどうすんだよ」
「そのうち消えるからほっといて」
川沿いを二人が家路へと足を進めた。取り残された傘の下にそっと入り雨宿りをしている者がいた。
それから翔は精神的不安定だと偽り、学校を三日間休み、四日目に出てきた時はクラス中に心配された。山伊は、三カ月間の謹慎処分が言い渡されていた。
「失敗した。めちゃくちゃ疲れたわ」
「今更何言ってんだよ。散々休んでたくせに」
「いやねー、実体化できる枚数が決まってるなって思ったら悩んで、悩みすぎて知恵熱が出たのよ」
「あーそうですか」
投げやりな誠の態度にも気にせず翔はスケッチブックを持って教室を出た。
今は使われていない屋上に行く。誇りが積もる古い鍵穴にヘアピンを差し、開ける。いとも簡単に開き、翔は誰もいない屋上でスケッチブックを開いく。
翔はここの所ずっと大がかりなものをこのスケッチブックに描き、実体化したいと考えていた。
日の当たる下で座り込み、描くのに夢中になった翔の上に影ができる。
「やあ。あんたにはやられたよ」
振り向くと山伊が翔を睨みつけるように立っていた。
「何かようかしら」
「あぁ。大ありだよ。そいつを返せ、そのスケッチブックは俺のものだ」
「はぁ。頭おかしくなったんですか」
山伊から間合いを取る。
「そいつは俺が高三の時に見つけたものだなくしたんだ。返してもらう」
「あなたが高三の時ね。あってるわ。でもこれはあなたのじゃない。このスケッチブックには名前が書いてあるわ。女の子の名前がね。だからあなたのじゃない」
山伊は無精ひげを手で触る。苛立ちが体の中を駆け巡り、冷静さの欠片もなっていた。
「どうでもいいから返せ。お前のものでもないだろう」
「これは見つけたあたしのもの。誰にも渡さないわ」
「じゃあ力づくで奪うよ」
山伊がスケッチブックに手を伸ばす。咄嗟にかわし、描きかけのページにえんぴつを走らす。
「なあ、そいつをくれよ。お前にも嫌な思いはさせないから」
「あなたはこれを何に使う気なんですか」
「金儲けに決まってるだろう。そんな凄いもの金の為に使わなくてどうするんだよ」
「くだらない」
翔はえんぴつを走らせ続け、真っ白な紙に描かれる絵。残された空間に詳細を書き込む。翔が子供のころから今までずっと欲しかったもの。
互いに睨み合い、間合いを詰められ、かわしそこねた翔の腕を掴み山伊は犯罪を犯しそうな極悪な笑みを浮かべる。体制を崩した翔は地面に倒れ、コンクリートに激しく体が叩き付けられて顔を歪める。
「俺の勝ちかな」
「……どうだか」
翔はスケッチブックを山伊向けると、マシュマロの物体が軽く奇妙な音を立てて現れ始める。それは山伊の顔面を強打し、大きな顔と大きな体がコンクリートの地面に降り立つ。
「う、ウサギ……なんて不細工な」
山伊のその言葉を聞いた不細工なウサギは眉間にしわを二本縦に入れ、真ん丸い手をまたも山伊の顔面に入れた。勢いよく転がり、屋上から落ちないように張られた網に命を救われる。
「この子、不細工って言われたら怒るから気をつけて下さいネ」
翔は両手を腰に置き、自信満々に言った。
「あたし基本的に来るものは全力で叩き潰しますから。あなたがまた来ること分かってて仕組んだの。出なければ川沿いでわざわざ描いて見せないわ。誠にも知られたくなかったんだから」
「てめぇ」
翔は山伊の血だらけの顔を歪める様に気を取られていると、持っていたスケッチブックを取られる。振り向くとそこには誠が菩薩様のような穏やかな顔をして立っていた。
「ちょっと貸せよ」
そう言って取り上げ、ページをめくったそこにスラスラと描き込み、実体化させた。
手で握ったものより少し小さめのライターだった。誠は火をつけ、スケッチブックを燃やす。翔と山伊は唖然とし、時が止る。
「何すんのよ」
「こんな有害なものなんて無くなればいい。翔、もしこのウサギが完成してなかったら優越感になんて浸ってられなかったよ。欲なんて出しすぎると人間損をする」
「いやでもさ、それがあれば損しないよ」
誠の怒りを含んだ言い方に、怖気づく心を叱咤して問いかけてみたが逆効果だった。燃え切ったスケッチブックは灰となり、風に乗って消えていった。それと共にウサギやライターまで消えた。
翔は誠に手を掴まれ、引き寄せられる。誠の鼻が翔の鼻に付く近さまでくると、低くどすの聞いた声で誠は翔に呟いた。
「翔、俺にこれ以上隠し事をするな。俺にとって有害なものは全て消す。もし翔に万が一があれば、俺はあいつを消してたかもしれないんだぞ」
誠の圧力に翔は誤らざるを得なかった。いつも翔の我儘を聞いたり、甘いものを幸せそうに食べている誠ではなかった。
「お、お詫びにケーキ食べに行きませんか」
翔は胸に深々と、誠にだけは逆らうまいと刻みつける。
「おごりでね」
「はぁーい。あ、あいつどうしよう」
「大丈夫、山伊の身辺調べて校長の宛に届けておいたからクビだろうね。借金もつれに挙句の果てに生徒襲ったなんて」
山伊は腹ばいになり何か聞き取れない言葉をぶつぶつと呟いていた。その近くに紙切れが落ちてきた。そこには鹿山かずさと言う名前と山伊に渡すなと書かれていた。
テーマにそえたものになっているかは分かりませんが、楽しんでいただけたら幸いです☆