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紙ヒコーキ 数学号

作者: 佐乃海テル

10月企画小説「紙」の私の作品です。他の先生の作品は「紙小説」で検索するとご覧いただけます。是非読んでみてください。

 康平は窓の外を見る。校庭の真ん中にそびえ立つ邪魔くさいイチョウの木には、夏と秋を彷徨っているようなグラデーションが出来ていた。

 もう、秋だ。この年になってようやく季節の移り変わりが美しく感じられる。だが皮肉なことに、気がついた時にはその美しさに浸る余裕は無い。

「受験まで……」

 日数を指折り、指折り数えるのが日に日に面倒臭くなくなってくる。その憂鬱を胸に、秋風に似た吐息を康平が漏らした時、教師が教室に入ってきた。教室内の喧噪が次第に失われていく。

「中間、返すぞー」

 数学の試験返しだ。この授業が1限なので、今日にも試験が返ってくることは噂されていなかった。

「秋場」

 鼻笑いを含んだ声で名前を呼ばれた康平は、少しムッとする。そして思ったとおりの数字が康平に飛び込んでくる。

「……5倍しても100点にはならねーな」

 なんだか苛立ってきた。もちろん、自分が勉強しないせいもあるかもしれない。でもこのシステムにはどうも康平は溶け込めないのだ。それもまたうまく説明できない。何だか重大なスランプを抱えていながらも、誰にも伝えられない。伝えられたとしても、成績悪い上に変人だと思われるだけだ。 答えあわせの授業が終わって教師が出て行くのを確認すると、康平はさっきしまった、数学の答案を机から出す。そして静かに紙の角をつかんで、曲げて折り目を入れる。丁寧に丁寧に折って出来たそれは、紙ヒコーキだった。



 なーにが因数分解だ。康平の暗い思いとやりきれない気持ちを燃料にして、その紙ヒコーキは軽やかに、それでいてしっかりと飛んでいった。そして『プラスチック』と書かれたゴミ箱に、そのヒコーキは吸い込まれていった。俺は大きな溜め息をついた。

「これでよし、と」

 ゴミ箱から視線を反らそうとしたその時、別の紙ヒコーキが『カン』のゴミ箱に入っていった。

 ――え?

 自分みたいに勉強をせず、受験も押し迫ったこの時期に試験を折って紙ヒコーキにし、飛ばすような人間がこのクラスにいたのか、康平は飛んできた方向を確認する。すると、いかにも紙ヒコーキを飛ばした後の構えをした生徒がいた。そしてその生徒は康平と目が合うと、にっこりと微笑む。

 その生徒は緒方だった。緒方は学級委員である。もちろん成績優秀な生徒のはずなのだが、ここのところ定期試験のランキングでも少し順位が下がってきているのが見受けられる、という話は聞いた。とはいえ康平からすると、どちらにしろ変わらない。

 そんな成績優秀者が自分みたいなクズ中学生と同じことをし、同じ気分になったようなフリをされたことに康平はますます不機嫌になった。その行動が気に食わなかった康平は緒方を無視して、前を向きなおした。ジャストタイミングで次の授業の始まりを告げるチャイムがなり、国語の教師が入ってくる。

 また、試験返しらしい。



 6つの全ての授業を終えて、康平は溜息を……つけなかった。まだ掃除が残っている。こういう機嫌の悪い時に、不愉快なことは重なるものだ。とりあえず康平はゴミ箱をダストシュートに捨てる係に回った。

 ダストシュートは教室から離れており、グラウンドのすみにある。今の康平にはこの距離でさえも、怒りの要素となりうるのであった。

 廊下を歩きながら、康平は今日の出来事について振り返ってみることにした。どうせ、くだらないことばかりだろうと思いながら。そして予想通りつまらない一日だった。だが途中で一つ引っかかったことがあったのを思い出す。

 緒方である。彼のような成績優秀者が何故ごみ箱に試験を、それも紙ヒコーキにして捨てる必要があったのか。康平をからかったのだろうか。けれども成績優秀な緒方がそのようなことをする理由や利益はどこにも無い。考えれば考えるほど不思議である。

 すると康平は我に返った。自分が両手に抱えているぶら下げているごみ箱。それはプラスチックとカンだった。変なところで運のツキが回ると考えると、康平は走ってグラウンドに向かった。



 息を切らせてグラウンドに来た康平は、ゴミ箱を地面に置いた。そして目をカンに向ける。数多くの空き缶をどけると、目的の物は見つかった。すでに翼の損傷が激しい。

「どれどれ……」

 紙ヒコーキの形を次々崩す。そして出てきた答案は、



 白紙、0点だった。

 自分の0点なら飽きるほど見慣れている康平も、驚いた。緒方に一体何があったんだろう。自分とは格段にレベルが違うと思っていた緒方は、いつの間にか自分よりも下にまで来ていた。それを知った今では、微笑みかけてくれた緒方を無視した自分に罪悪感を覚える。もしかしたら自分よりも辛いかもしれない彼は、いつも不機嫌な自分とは違いムッとすることもなく、いつも通りの明るさでいたのだ。

 気がついた時には、急いでゴミ箱をダストシュートに入れて、教室に向かって走りだしていた。



 掃除の班のメンバーは驚いた表情をしていた。いきなり康平が教室に駆け込んできたからである。康平は班のメンバーの一人に近づき、尋ねた。

「緒方、どこにいるか知ってるか」

「さあ……帰ったんじゃない。勉強好きそうだし、あいつ」

「そうか」

 康平は少しがっかりした。いや別に学級委員をするような立派な人間――たとえそれが0点を取る人間であったとしても、だ――と同等に語り合いたいなどと、康平は思っているわけではなかった。けれど、けれど何か話しかけてみたかった。

 ちりとりでごみを集めている別の班のメンバーが顔を上げて、康平のほうを向いた。

「図書館じゃないか?」

「図書館?」

 誰が見ても分かるくらい、康平は訝しげな顔とリアクションをした。

「あいつ、放課後少し本読んでるから。まあ、今いるかどうかも確かではないけどね。秋場、ごみ捨てて来たなら、机運んでくれない? 早く終わらせたいし」

「お、おう」

 ゴミ箱を所定の位置に戻して、康平は机が集められているところに向かった。

 その時、ふと一つの机に目が止まる。その席には花束が添えられていた。その席に座っていた人間を康平は知っている。もう一人の学級委員だった、倉井だ。彼は中間試験の前に親の用事で付き添った際に交通事故に遭ったと言う。どういう事故なのかは、さすがに康平も聞いてはいないが。あの頃から、クラスの雰囲気が少し暗くなったように康平は感じないことも無かった。



 校庭の風景が自分と同じ速度で走っている。康平はそんな感覚がした。

「今日は走ってばっかだな……」

 帰宅部で運動嫌いな自分にしては、珍しい。

 図書館に駆け込むと、他の生徒から変な目で見られた。康平は息切れをなるべく静かにして、辺りを見回す。そして探し人は、そこにいた。

「緒方」

「何だい?」

 緒方は微笑んで接してくれた。だが康平はこんな顔を見に来たわけではないし、とはいえこれと言った用事も無かった。頭が真っ白になって、康平は言葉が詰まる。

「えっと……」

「紙ヒコーキさ、どうやったらあんなに綺麗に飛ぶの? なかなかうまく飛ばないんだよねぇ」

 そうだ、紙ヒコーキの話を……と康平は思い出したがそれも束の間、その話題を出した緒方に対して康平は不安を抱いた。

「何かさ、緒方変だよ」

 康平は思った。自分の方が変かもしれないし、何が変なのか、説明も出来ない。けれどどことなく緒方のそぶりに不安を感じた。

「変、か……」

 緒方はちっとも傷ついていないようだった。

「今日数学の試験返されたじゃん」

 緒方の体がビクッと動く。

「そ、そうだね」

「俺、今日掃除当番でさ、見ちゃったんだよねテスト。正確には紙ヒコーキだけど。気分害したならすまん」

 康平は少し頭を下げた。

「いや別にいいよ、そんな」

「でさ、点……」

「帰らない? いい場所があるんだ」

 緒方はカバンを持って、図書館を出て行った。慌てながら康平もそれに続く。



 そこは、康平も来たことがあった。今では数少ない河川敷。康平は悪いテストをここで紙ヒコーキにして飛ばしたこともある。

「こ、ここで紙ヒコーキ飛ばすと気持ちいいんだぜ」

 康平は不気味な沈黙を破ることに専念した。

「飛ばすときに、あんまり力むと良くないんだ。だから、うん、リラックスして」

 だがその苦労も空しく、緒方は

「……」

 無言のままだ。二人の間の空気はまた重くなった。

 その時、二人のはるか上をヒコーキが飛んでいった。紙ヒコーキではない。在日米軍の戦闘機だった。空を割るような音を出しながら、横断していく。

 それを見送った緒方はようやく口を開いた。

「倉井を、覚えているか」

 正直なところ、康平はそこまで印象に残っていたわけではなかった。だが彼の寂しい口調の前でそのようなことを言うに言えない。

「まあ学級委員だからな。交通事故、だったんだっけ」

「うん。飛行機だ」

「え?」

「何しろ、お父さんの会社の専用機だったそうだ」

 倉井の家が金持ちだというのは康平も聞いていた。だが会社専用機を持つほどの人間とまでは聞いていなかった。

「すごいな、会社専用機か」

「まあでも倉井は、自分の家の境遇に不満が無かったわけでは無いらしい。親が『危険だからやめろ』ということにもいとわず、パイロットになりたいと言っていたよ」

 緒方の顔はいきいきしていた。だが次に口を開けると、表情がまた暗転する。

「それなのに……」

「で、何だ。やる気が無くなったってか」

 康平はなるべくトゲが無いように聞く。

「そこまでは行かないが、何かをする気が起きない。そんな時に君が紙ヒコーキを飛ばすのを見てね。君には悪いが、結構成績大変だと聞いたことがある」

 康平は否定しなかった。堂々と否定できるような成績でないのは確かだし、何より彼の話を止めたくなかったからだ。康平の望み通り、緒方は話を続ける。

「いいよね、紙ヒコーキ。スーッと飛んでってさ。まあまだ僕の場合そこまで行かないけど……もやもやが消えていくような、」

 気がつくと緒方の視点は回転して、頭と体に激しい衝撃が走った。止まった視点の先は空、そして康平。

「何言ってんだ!」

 康平は叫んでいる。緒方は訳が分からなくなる。そして康平自身も何を言っているのか分からなかった。けれど、緒方の態度のどこかが許せなかった。

「え? え?」

「倉井のことばっか考えて、大事な時期に何してんだ! そんなことしてて、悲しまれている倉井が本当に喜ぶと思うのか! 答えてみろ!」

「そ、そんなこと言ったら」

 緒方は反論する。

「君だってそうじゃないか!」

「ああ! そうともさ! 俺だって、そうだ! 俺もそんな態度してる。自分が許せない。だから今俺はお前だけに怒っているわけじゃない。何も悩みも無いのに、何もする気が無いと言ってダラダラしている自分にも怒ってる!」

 康平は一通り吐き終えると、我に返る。自分らしくない発言を恥じる。

「ごめん……何か偉そうなこと言って。正しいか間違っているか以前に、何開き直ってるんだろ」

 思い出せば出すほど、ほんの今さっきのことが恥ずかしい。康平は立ち上がり、カバンを持って帰ろうとした。

「いいよ、いやむしろありがとう。道が開けた気がする。それに君も頑張ろうっていう決意があるなら……僕も頑張れる」

 康平は振り返った。そして、

「お、俺で倉井の代わりになるなら、何でも話してくれ。成績悪いし、性格悪いかもしれないけど、お前に頼られるような人間に、なれないだろうけど頑張ってみるから」

 さっさと、それでいて暖かく言うと康平は緒方をじっと見つめる。

「うん。ところで秋場、お前カウンセラーになれるんじゃないか?」

 康平は顔が赤くなる。

「あ、あんまり言うなって! 今の、自分自身でも十分恥ずかしいから」

「本当にそう思うんだけどな。じゃ、また明日。今日言われたことを整理して、明日からは何とか頑張るよ。中間サボったから、結構辛いだろうけど」

「大丈夫だろ、緒方なら。俺こそ頑張らなきゃ。じゃな」

 秋の夕日が当たる河川敷、二人は分かれて逆方向に進む。けれど彼らの足取りはいずれも軽い。



 その次の日からは紙ヒコーキが飛ぶことは無かった。それどころか、次の期末も。

 そしてその日から彼らは今までと、うって変わったような生き方をした。



「先生、この手紙が」

「どれどれ」

 康平は紙を受け取る。そして目を伏せる。その手紙の差出人は緒方亜紀と書かれていた。そしてそこに書かれていたのは、夫の緒方の死。またパイロットが一人空に散った。

 しかし彼は緒方の死をそれほど悲しまなかった。全く悲しまなかったわけでは無いが、なるべく悲しまないようにした。

「大空を十分飛んだじゃないか」

 すると、客が来たと言う。カウンセラー・秋場康平は応接室へ向かった。

ご読了ありがとうございます。佐乃海テルとしての初作品です。そしてBブロック初の作品でもあります。締め切りに追われているうちに何を書きたかったのか分からなくなって来ましたが、佐乃海はまだ未熟です。ご意見ご感想お願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] ふと、劣等生である自分と同じ行動を取る優等生が気になった、というのは僕にも経験があって共感できました。最後にそれぞれパイロットとカウンセラーになっていたのには驚きました。 少し気になったのが…
[一言] 読ませていただきました。 少年二人のやるせない心情が、みずみずしく描かれていました。小説を書く上で、気持ちばかりが先行して自分が思った以上に、読者に感情を伝えることができない、というものがあ…
[一言] 視点がかわるのは読みにくかったです。個人的ちにすべて康平目線だった方が彼自身の気持ちがストレートに表せたのではないか、と思います。 あと、喧嘩シーンが唐突すぎたように思えます。
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