月明かりが照らす大庭園、夜風に揺れる芝生が一本、宙に舞う。
姫はそれを目で追いかける。
半月が空に浮かんでいた。
その半月が見下ろす先には、息苦しい城の大庭園でのパーティとは比べものにならないほどの、賑やかなパーティが行われているのだろう。
姫は溜め息をつく。
姫は生まれつき、城下町の風景を見たことがなかった。
家柄が家柄ということもあり、外出は極力控えるよう強く言われている。
そう、だから今日も、
クリスマスという今日この日も、見慣れた光景と人達と、クリスマスパーティをしているのだ。
紳士な服装や純白のドレスなど、姫にとっては見慣れたもの。
そういう豪華な服装に身を飾る人達が緑の芝生の上でパーティをする光景も、姫にとっては見慣れたものだ。
こんな純白のドレスに身を飾ったところで、姫にとっては何の喜びも得ることができない。
ボロ雑巾を継ぎ接ぎして作った服のほうが、姫にとってはドレスとは比較できないほどの、喜びが得られるのだ。
姫はまた、溜め息をついた。
その場を移動しようと思い、立ち上がろうとしたその時だ。
一匹の陽気な黒猫が、鼻歌交りで“二足歩行“をしていた。
革製の長靴を履いていて、赤色のマントに身を飾り、フェンシングの剣の片手に持ち、更には天辺に白い羽がついた赤い三角帽子を被っているという、まさに西洋の騎士のような格好をしている。
姫は後ろを振り返った。
後ろでは、パーティに花を咲かしている。
気づかれていない。
姫は、奇妙な黒猫さんの後をついていくことに決めた。
いつもならこんな夜遅くまで起きていることなんてないのだが、今夜は年に一度のクリスマスパーティ、この日ばかりは特別に深夜0時まで起きていいのだ。
ただし、深夜0時を過ぎてしまったら、城を閉められてしまう。
こっそり外出するために作った出入口も先日、見回りをする兵士に見つかってしまい、使用不可能な状態だ。
もう一つ、カーテンを繋いでロープ代わりして降りるという手があるのだが、それも姫があまりにもその手を使うので、部屋のカーテンが没収されてしまった。
そもそも、部屋に入れたら苦労しないのだ。
深夜0時――この時間までには絶対に帰らなければならない。
姫は黒猫さんの後を追う。
夜道は非常に危険だと、常々言い聞かされている。
赤い薔薇の通路は刺があるからだ。
その通路は、巨大な迷路みたいになっているため、姫のような外に詳しくない者が一度入ってしまったら、なかなか脱け出せない。
けれど、その薔薇の通路を脱け出すことができれば、その先には城下町へと続く階段がある。
そう、姫が夢見る、あの城下町へとだ。
姫の心は踊っていた。
黒猫さんは体が小さくてすんなりの通路を進めるのだが、姫は子供とはいえそこそこ体が大きい。
そのため、薔薇の刺がドレスを食べてしまっている。
まるで虫に食われたように穴が空いているドレスからは、姫の下着が見えてしまっている。こんな端たない(はしなたい)姿を父母が見たらどんなことになるか、本当に想像もしたくない限りだ。
ご自慢の縦に巻かれた蒼白色の髪も地面に引きずられ、砂まみれになっている。
それぐらい、姫は長靴を履いた黒猫さんの虜になっているのだ。
もうすぐ、この長い薔薇の通路が終わる。
そうすれば、この長靴を履いた黒猫さんと一緒に城下町へ遊びに行こう、そう思い通路を脱けた、
――その時だ。
深夜0時を知らせる鐘が、町中に響き渡った。
無情にもそれは、クリスマスパーティ終了を知らせる鐘だ。
姫は迷った。
城に帰るべきか、このまま城下町に遊びにいってしまうか、を。
もし城に帰るとしても、もう一度、この薔薇の通路を迷わずに進むことができるかはわからない。
たぶん、無理だ。
姫は黒猫さんに導かれるように進んでいたため、来た道など覚えていない。
無情にも鐘は鳴り続ける。
どうしよう、どうしようと、姫の心は焦りに焦っていた。
黒猫さんも黒猫さんで、姫の気持ちを察することなく、城下町へと続く階段を一歩一歩丁寧に降りてしまっている。
その光景が、姫を更に焦らす形となっていた。
今頃、お母さん達は私を心配しながら探し回っているのかな、と徐々に悲しい気持ちが、6才の女の子の素の気持ちが湧いてきた、けど、泣かない。
こんな賑やかな日に泣いたら、マリア様に怒られてしまう。
姫は黒猫さんに声を掛けた。
「待って! 黒猫さん!」
黒猫さんは背筋をビクッと震わせ、急いで階段を降りていってしまった。まさに猫のようにだ。
その時、長靴が一足、落ちていった。
姫は、後を追おうと長靴を拾い、黒猫さんに渡そうと……、いない。
ついさっきまでいたはずの黒猫さんが、もういない。
夢? けれど、姫の手には小さな長靴が一足だけある。
そう、黒猫さんが履いていた長靴だ。
姫は眼下を遠く眺めてみた。
町中を彩るイルミネーション、そこに黒猫さんの姿は見えない。
やっぱり、夢か……。
姫は我に帰り、薔薇の通路を頭の記憶を頼りに進むことに、
が、その時、薔薇の通路の出入口から、甲冑を身に飾った兵士が大慌てで近寄ってきた。
甲冑の冷たさが心と体に凍みる。
「こんなところにまで遊びにきて……、姫っ!」
けれど、甲冑で頭を撫でられた時、その冷たさは感じなかった。
姫の顔がグシャと崩れ、ボロボロと涙が溢れる。
兵士はやれやれと言った表情を浮かべ、
「母上様は泥酔してらっしゃいます。今なら帰っても見つかりませんよ」
姫と月明かりを背負い、薔薇の通路を戻っていった。
甲冑に涙が溢れ、その涙は朝、氷の結晶となる。
もう一つ、結晶になったものがある、それは――、
姫はいつも通り、窓から差し込む太陽の光と小鳥のさえずりによって目覚める。
窓を開けようと半身だけ起こし、眠気眼を擦りながら近寄ろうとすると、腕に何かがあたった。
姫はそれを手に取り、手首を回しながら外装を確認する。
そこには、一枚のカードが貼られていた。
Merry X'mas――
そう刻まれた、一枚のクリスマスカード。
姫は母からのプレゼントかなと思いながら、中を開けてみた。
すると、そこには、
もう一つ、結晶になったものがある、それは――、
“もう片方の長靴“だった。
昨晩の出来事が姫の頭の中で走馬灯の如くよみがえる。
黒猫さんが長靴を片っぽだけ落とし、そして、それを姫が拾う。
だから、枕元に、それがあるのだ。
姫は、静かに笑った。
そして、二足の長靴を持って、雪の積もる大庭園へと飛び出す。
雪に残る足跡は――、
まるで猫のように小さかった。
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