ギル
ギルが生まれたのは、インターネット上のあるサイトの一角だった。架空のキャラクターがカウンセリングを行うという特殊なコンテンツ。ほんの遊び心でそのサイトの管理者が始めたものだ。そして、そのカウンセラーとなるキャラクターの名前が『ギル』だったのだ。ただし、この『ギル』は、特定された誰か個人を指し示すハンドルネームのようなものではない。登録さえしていれば、誰でもギルになれるし、来談者もそれを承知でやって来る。
そのカウンセリング・コンテンツのルールは簡単だった。少なくともネット上では、一対一で面談を行い、そして、その会話の内容、起こった結果は、その責任の一切を本人達が負う。つまり、何かしら問題が発生してしまった場合、サイトではその責任を取らないという事だ。
ギルのキャラクター設定は、大体この様なものだった。まず、子供の姿をしている。子供の姿をしていると言っても、冷たい知的な印象を受け、何処か大人びている。論理的な思考を信条とし、物腰は柔らかく高圧的ではないが、神秘的な印象を受ける。
ギル役になる人は、これらの設定を受け入れた上で、ギルに成り切って、来談者の相談を受ける訳だ。
こんなコンテンツが流行るとは、サイトの管理者は思っていなかった。しかし、驚いた事に、始めてから数ヶ月で、この『ギル』のコンテンツは大人気になってしまった。人気のあるギル役の人は、自然と登場回数が増えていき、下手な人や向かない人は少なくなっていく。そうして、“ギル”のキャラクターは自然と洗練され、成長していったのだ。
不思議な事に、プロのカウンセラーでも何でもない人間が(或いは、中にはプロのカウンセラーもいたかもしれないが)、ギルの中身だったというのに、ギルのカウンセリングには効果があった。その事実は、もしかしたらカウンセリングというモノには、その肩書きも重要な役割を果たしているという事を指し示しているのかもしれない。
やがて、変わった試みだからだろうか、このサイトは世間でも注目を集めるようになっていった。
そして、『ギル』の名前は、普通にインターネット上でも見られるようになっていったのだった。
――僕は、ギルだ。
多数のギルが現れ、そして、そのキャラクターの役割に沿った行動した。諍いを鎮めたり、悩みを聞いたり。その内に、ギルの名前を騙った犯罪紛いの事件も起きていった。その段に至って、サイトの管理者は、事態の収拾を計り、ギルのコーナーを閉鎖した。しかし、それでもギルは死ななかった。
掲示板や、チャット。個人の特定がし難い場所に、ギルは現れ続けたのだ。そうして、やがてはギルは日常の世界にも現れるようになっていったのだった。
都市伝説のような噂話。
ギルが出たよ。
ギルが出て、いじめ問題を解決した。
ギルが出たよ。
ギルが出て、薬物中毒を治療した。
ギルが出たよ。
ギルが出て、心の闇に働きかけてきた…
もちろんそれらは、ただの噂話だ。だけど、それらの話は、文化の中に、ギルが一つの機能として定着していった事を示す証拠でもあった。存在しないはずのキャラクターが、一人歩きをし、実際に血肉を得てしまったのだ。そして、そのギルは常に好ましい存在という訳ではなかったのだった。
――黒ギルを寄せ付けるな。
いつの頃からか、そんな事が言われるようになっていった。
白ギルと黒ギル。
つまり、良い影響を与える白ギルと、悪い影響を与える黒ギルという二つの存在に、ギルは分かれてしまったのだ。
それらギルは、お守りとして登場したり、妖怪の一種として扱われたりした。白ギルのキャラクターイメージ画像が、ご利益のある縁起モノとして飾られていたり、悪魔崇拝の如く黒ギルを信奉するサイトが現れたり。
しかし、それでも基本的には白ギルも黒ギルも同一の存在だった。それは、観る者の主観によって、白ギルにもなったし、黒ギルにもなったのだ。
例えば、こんなケースがある。
ある男が浮気をした。その男の妻は、高圧的で支配的。男は自分の妻からプライドを傷つけられ、無意識の内に妻を拒絶するようになっていった。そんな時に、浮気相手の女性と出会った。その女性は、依存的で自分を頼りにしてくる。妻からプライドを傷つけられ続けてきた男が、彼女に惹かれるのは無理のない話だった。しかし、男は常識的なタイプでもあったから、浮気がしてはいけない行為であるとも、また思っていた。
そこに葛藤が生じる。そして、その葛藤の中にギルが浮かんだのだ。男の世界にギルは現れ、そしてギルは言った。“無理をしないで、心の赴くままに生きた方がいい”と。もちろん、男にとってそのギルは白ギルだった。しかし、それを知った男の妻には、それは黒ギルに見えていた。そう。男の妻にもギルが見えていたのだ。彼女は、黒ギル払いのお守りすらも買ってくる始末だった。
この例では、男の人生は、ギルのお陰で楽しいものになり、男の妻の人生は、ギルのお陰で暗いものになった、とそう言えるかもしれない。しかし、本当にそうだろうか? ある人はこんな事を言った。結局のところ、ギルの存在なんて関係ないのじゃないだろうか?と。もし仮にギルが現れなくても、男の行動に大差はなかったかもしれない。男の妻の行動にも大差はなかったかもしれない。ギルはただの幻想だ。自分の心の代弁者に過ぎない。それは自問自答を、ギルという心的な道具によって行っているだけだ。
或いは、その意見は正しいのかもしれなかった。しかし、確証はない。そうだと言える決定的な証拠はどう足掻いても得られない。ギルが幻想だとしても、その存在の影響によって人々の行動は変化しているかもしれなかいからだ。そして、いずれにしろ、ギルは社会の中に存在し続けた。
ある時、そんなギルが一斉に言葉を発し始めた。
そろそろ世の中が危ない。
覚悟を決めないと。
報いを受ける時期だよ。
言い方は違っていたが、それらはどれも近い将来、悲惨な出来事がこの世の中に起こると予言していた。そして、白ギルから発せられた場合は、それは警告の言葉となり、黒ギルから発せられた場合は、呪いの言葉となった。ただし、それらはどちらにしろ同じ事を言っていた。方向性が違うだけだ。ギルは悲惨な近未来を予言していた。
この現象に人々は戸惑った。ギルは幻想の中の存在のはずだ。誕生の経緯だって分かっているのだし、それは間違いない。だが、にも拘らず、ギルは皆の中にほぼ同時期に現れ同じ事を言ったのだ。
集団心理学者は、それをこのように説明した。他人の意見によって、人の記憶は左右される場合がある。人は、今の現状というフィルターを通して、過去の出来事を観る生き物だ。他の誰かが警告を発したとそう言うのを聞いて、自分にも警告を発したと思い込んでしまう可能性がある。そして一度、そう思い込むとその人の中で、それは容易に真実になってしまう。人の数が増えれば増えるほど、これが起こる可能性は増す。その結果として世の中のギルが、一斉に警告を発するという現象が起きたのではないか。
或いは、それも正しいのかもしれなかった。ただし、それはギルが一斉に同じ事を言い始めたという現象を説明してはいるが、何故ギルが警告を発し始めたのかは説明していない。ギルは個人の心の代弁者であったはずだ。その心の代弁者が“警告を発している”とは、つまりは人々の不安が高まっている事を意味しているのかもしれなかった。
白ギルは危機を回避する為に行動しろ、と警告を発し、黒ギルはもう諦めて絶望しろと囁きかける。
ギルは本質的には同じものだ。
それは観る人によって、白ギルにも黒ギルにもなるのである。
さて。
あなたには白ギルが現れるだろうか。それとも、黒ギルが現れるだろうか。
ギルは存在しない。しかし、存在しなくても同じ事だ。ギルが存在しなくても、ギルの本質は、あなたの中に確かに存在しているのだから。
もう一度、繰り返そう。
あなたには白ギルが現れるだろうか。それとも、黒ギルが現れるだろうか。