掌編――マサキ
このごろ、マサキがおかしい。
波照間の珊瑚畑で、体を丸めたまま、長いことゆらめく天井を見上げていたという話を聞いた。
奄美の砂原でエイの死体みたいにおなかを上にして沈んでいたという噂も耳に入ってきた。
マサキのばーちゃんは、「ワカモンが必ず一度はかかる病じゃけん、ほっとけばええ」と言う。
ぼくにとってマサキはフ――フカっていうの?――したときから一緒にいた、兄弟のようなものだ。
へんな病気で死んだりしたら、ぼくはどうしたらいいんだろう。
泣いちゃうに決まってる。
毎日泣いて、泣きまくって死ぬんだ。
おかあさんに相談したら、「カイト、あなたもすぐにわかるわ」と笑われた。
確かに、マサキのほうがぼくより成長が早いし、マサキのほうがちょっとだけ足も手も長い。泳ぐのだって、マサキに一度も勝てないし、砂もぐり競争もこのあたりじゃかなう奴は一人もいない。
でも、ぼくもマサキといっしょにフカしたんだよ?
なんでぼくにはわかんないの?
おかあさんはほほえんだままなにも教えてくれない。
今日、家を出るマサキを偶然に見かけた。
ううん、偶然じゃない。
ほんとは、ずっと見張ってた。
だって、いつ行っても留守なんだもの。
お日様がきらきら光を投げかけてくれるころにはもうお出かけしたあとだし、夕日が沈んで真っ暗になってからもまだ帰ってないって言うし。
だから、砂にもぐってずうっとマサキが帰ってくるのを待つことにした。
途中でうとうとしちゃったけど、足音で目がさめたら、マサキが家を出たところだったから、オッケーかな。
それから、小笠原の若布林に着くまで、みつからないようにずっと後をつけてみた。
途中で、いつもみたいに声をかけて、馬鹿話をしようと思ったんだけど、そんな雰囲気じゃないみたい。
マサキは若布林のてっぺんにするすると登っていくと座った。
すぐ下までぼくは近寄っていたけど、一度も下を見ないんだ。ずーっと上ばかりを見ている。だから、砂に隠れるのをやめて、若布の根元に座り込んで見てた。
だんだん明るくなってきて、ばら色の光が差し込んできた頃。
何かが静かに降ってきた。白い白い、粉のようなもの。
夜光虫みたいに泳ぎ回るんじゃなくて、ただ静かに、上から下へ降ってくるんだ。
「雪、みたいだろ?」
はじめてマサキが口を開いた。上を向いたままそう言うもんだから、最初は他に誰かいるのかとおもって目をこらしたけど、誰もいないんだ。それでようやく、ぼくに言ったんだって気がついた。
見つかっちゃった。
ぼくはあわてて砂の中にもぐった。少し砂煙があがっちゃったけど、しかたないや。
「いまさら隠れたって意味ないだろ。上がってこいよ」
ばつが悪かったけど、砂を払い落としてぼくもてっぺんまで上がってった。
上で見ると、白いものはもっと一杯見えた。
「ゆき、ってなに?」
「カイトは知らないんだっけ。空から降る氷の粒だよ。白くてつめたいんだ」
「でもこれ、つめたくないよ」
手のひらに落ちてきたそれは、砂粒みたいだった。つめたくないし、重たくもない。
「それに、氷ってかたくってでっかいじゃないか。こんなにちっちゃいのはほとんど見ないよ」
北の果てに旅行に行ったおとうさんがくれたおみやげを思い出す。つめたくってきもちいいけど、手のひらに乗るほどじゃない。
「じゃあ、桜だ。春になると、桜の木に花が咲いて、風が吹くと散るんだ。水面に浮かんだ桜はきれいだよ」
「散っちゃうの? なんだか痛そうだね」
ぼくはいそぎんちゃくの花びらがばらばらになる様子を想像して身震いした。
「ちがうよ。ウミショウブの花を見たことぐらいあるだろ? 桜はね、もっと大きな花びらで、薄ピンク色していてきれいなんだ」
「ウミショウブなら見たことあるよ。でも、あれは浮かんだままで、こんな風に沈んでこないよ。夜光虫じゃないの?」
そういいながら、夜光虫じゃないことは分かってた。ぼくだってそれぐらい知ってる。それにこれはもっと小さい。ちいさくて、指で触ると粉々になっちゃう。
「違うよ。夜光虫ににた虫がいるって聞いたことはあるけど。たしか、ほたるって」
「へえ。よく知ってるね」
やっぱり、マサキは頭がいい。ぼくよりずっといっぱいいろんなことを知ってる。一緒にフカしたのに……。なんか悲しくなって、ぼくは膝を抱えこんだ。
「うん、いろいろあってね」
そう答えたマサキは、照れてるようでも、褒められて嬉しそうでもなかった。なんだか、悲しそうなんだ。
「で、これってなんなの?」
きっとマサキは答えを知ってるに違いない。ぼくは確信してた。
「灰だよ」
「はい?」
「そうじゃなくて、灰って名前のものだよ。死んだ人の灰」
よくわからない。火山が爆発したときに降り積もるのが灰だって聞いた。かいていかざんのある地区では、爆発するたびにお掃除がたいへんなんだ。ぼくもお手伝いに行かされたことがある。
でも、死んだ人の灰? 死んだ人も爆発したりするんだろうか。空高くから降ってくるほど、とてつもない爆発なんだろうか。
ぼくがへんな顔をしてたからだろう。マサキは苦笑いしてた。
「お前にはまだわかんないよな」
「うん、わかんない。なんでマサキにはわかるの?」
「そうだな。なんでだろうな」
「じゃあ、ぼくはいつわかるようになるの?」
マサキは振り返り、ほんの少し微笑んだ。
「きっと、恋をしたときだよ」
それだけ言うと、マサキはまた空から降ってくる細かい灰をながめ始めた。なんだか、じゃましちゃいけない気がして、そっとしておくことにした。
こい。
家へ帰りながら、ぼくはずっと考えてた。それがなんなのか、よくわかんない。でも、じっと空を見上げてるマサキは、なんか悲しそうだった。
悲しくなるんなら、こいなんてしない。
でも、だからぼくはマサキに追いつけないのかな。
ぼくがこいをしたら、マサキはいっしょに遊んでくれるかな。いっしょに、空をながめててもいいよって言ってくれるかな。
もしそうなら、こいってしてみてもいいかな。
だって、ぼくはマサキが大好きなんだから。
これって、こいかな?
だったら、マサキは遊んでくれるかな。
明日は三陸棚の冒険にさそってみよう。