恋人たち
アナスタシアを追いかけて、ウルフの代理としてフリジア入りした但馬は、思わぬ大歓迎を受けた。
港では領主であるフリジア子爵が何故か出迎えてくれて、良くわからない内に、とにかくアナトリア軍の最高責任者であるからという理由で、街の外の幕僚本部まで連れて行かれ、そこで帝国大将マーセルと会うことになった。
幕僚本部のテントに入ると、中で待っていたマーセルが、かつてヴィクトリア峰の基地で会った時のように、気さくな調子で出迎えてくれた。そして一緒にやってきたフリジア子爵とガッシリ握手すると、まるで旧友のようにお互いの肩を叩き合って再会を喜んだ。昨日も一昨日も会っていただろうに……
まったくわけがわからない。
色々と戦争のカタが付いたようなのは喜ばしいことだが、そろそろ何があったのかを教えてほしいとお願いすると、フリジア子爵は顔をしかめ、憤りを隠さない強い調子でアスタクス方伯を批判した。
ペストの被害はフリジアにとどまらず、子爵の亡命先であったビテュニアにももたらされた。その発生源がフリジアであることを知ると、彼は居てもたっても居られず、こっそりと少数で国へと戻ってきたらしい。
ウルフがエトルリア南部諸侯にちょっかいをかけていることは知られていた。そのため、フリジアへ帰りたいと申し出た子爵は、翻意を警戒した方伯に引き止められたが、その頃には戦争の原因も、敗因も、あまつさえ今回の疫病の責任さえ問われる始末で、もはや我慢の限界に達していた彼は、嫡男が人質になっているにも関わらず、アスタクス方伯軍の司令部を辞し、兵を解散させて帰国したそうだ。
しかし、街に帰ってきたはいいものの、そのあまりの光景に彼は絶句した。フリジア市内はまさに死屍累々で、感染者で街が溢れ、死者は日に日に増える一方だった。多くの老人子供が犠牲となり、働き手を欠いた街は流通が機能しなくなり、食料を求めてアナトリア軍に配給を求める始末……
そんな中、疫病はアナトリア軍がフリジア支配のためにばら撒いたのだと言う噂がまことしやかに流れた。市民は絶望に駆られ、一触即発の空気が漂っていた。
帝国大将マーセルは、その時の状況を回顧して、本気でヤバかったと一言で表現した。それだけ聞くと馬鹿っぽいが、他に何も言えないくらいに、手の打ちようが無かったのだ。
疫病が発生してから軍医のサンダースが奔走しても拡大は避けられず、彼はマーセルに後を任せるとカンディアへ救援を求めに向かった。
アナトリア軍は幸か不幸か、そのサンダース軍医のお陰で、衛生管理が徹底しており、さらに彼独特の食事法から栄養状態も良く、フリジア市民に比べて明らかに感染率が低かった。
自分たちが苦しんでるのに、軍隊は平気なのだから、疑心暗鬼にもなるだろう。そのくせ、アナトリア軍の配給をあてにしなければならないという現状もあって、軍と市民の間に深い溝が出来つつあった。
マーセルは頭を抱えた。もし、何かの切っ掛けで群衆が決起してしまったら、相手が病人だらけでは虐殺にしかならず、大義を失う。かと言って波風立てぬように接触を回避しようとすれば、フリジア市民は病気と飢えによって同じく死ぬだろう。
正直、詰み状態と言わんばかりの現状に頭を悩ませていたら……そんな時にカンディアからサンダース軍医がアナスタシアを連れて戻ってきた。
彼らは当初、今度はどんな病気を持ってきたのだと入港を拒否されるくらい嫌がられたが、マルグリットの説得もあって上陸、早速とばかりに重篤患者の治療を始めると、それまでの苦労が嘘のような回復を見せた。
そして時間が惜しいとばかりに礼の言葉も聞かずに、次から次へと自分の足を使って患者の家を回る少女の噂は、街のあちこちへで賛美され、マルグリットのマッチポンプもあって、あっと言う間に神格化された。
何しろその美貌である。彼女が通り過ぎるだけで大抵の男が振り返ると言うのに、その子が無私の精神で必死に人々を助けて回る姿は、まさしく天使としか言いようがなく、町の人々の心を打った。
そして、サンダース軍医の説得により、疫病の発生源が戦場跡の死体の山だったと知らされると、市民たちのアナトリア軍への不信感は一変してアスタクス方伯へと向けられた。
特にフリジア子爵の怒りは凄まじく……戦争が起きたのも、フリジアが占領されたのも、疫病が蔓延したのも、全部方伯のせいではないかと憤り、それまで過去のしがらみや祖先からの伝統を重んじ、苦しい状況下でも最後までエトルリアに忠誠を失わなかった彼もついには翻意し、即日アナトリア軍幕僚本部へ訪れると、全面的にアナトリア軍の進駐を支持した。
これが但馬がカンディアへ来るまでに起きた一連の出来事である。
もし、あの時自分がアナスタシアを強く引き止め、カンディアに留め置いていたら、もしかしたら今頃、決起した市民とアナトリア軍の戦闘という悲劇が起きていたかもしれない。
その事実を聞いて、但馬は肝を冷やすと同時に、自分の養女である同居人に対し尊敬の念を抱いた。
彼女のただ人を助けたいと願った心が、ペストの感染者だけでなく、より多くの人々を救ったのである。
その後、フリジア発のペストはエトルリア南部諸国に伝染したが、ジルの実家を中心とした独立派のネットワークを使い、フリジアへ向かえば治療が可能であると周知させたことによって終息する。
アスタクス方伯のお膝元であるビテュニアの民もペストの被害を受けたが、それを何も言わずに別け隔てなく助けたリディアの聖女の名はエトルリア南部の国々に轟き、それを擁するアナトリア軍の正当性を強調した。
そして、アスタクス方伯との決別を意味するフリジアの独立宣言と、アナトリア軍の段階的撤退の動きをもって、第一回フリジア戦役は一応の幕を閉じることとなる。
「あ、先生……」
「やあ、アーニャちゃん!」
但馬がフリジアへ来てから3日が過ぎた。その間もアナスタシアはフリジアの街や各地からやってくる患者の治療のために、寝る間を惜しんで働いていた。但馬はその彼女の手助けをするため、アナトリア軍を利用し方々に手を尽くしていたため、二人はせっかく再会したというのに、ロクに会話もなくお互いにすれ違いながら過ごしていた。
但馬は今回のペスト騒動で肝を冷やすと、公衆衛生の重要性を痛感し、サンダースと共にそれを説いて回った。結局、今回の疫病が蔓延したのも、大都市の清掃がままならないせいで、菌を培養する環境があちこちにあるのが原因だったのだ。
それがようやく落ち着いた頃、但馬はやっと人心地ついたアナスタシアに会いに向かった。
本当はお互いがお互いのことを気にしていたが、これまたお互いに相手を思いやる気持ちが先行して、邪魔をしないようとした結果だった。
「なんだか、久し振りな気がするね。アーニャちゃんとカンディアで別れたのは、たった三日前のことなのに」
「うん……先生が死にかけてたなんて、嘘みたい」
するとアナスタシアもなんだか懐かしそうに頷いた。
そしてそれきり、二人は黙ってしまった。
フリジアの街の目抜き通りには露店がひしめき合うマーケットがあったが、このところの騒ぎで露店はすっかり姿を消しており、代わりにアナスタシアやヒーラーたち、医療関係者が治療を行うためのテントが建てられ、病院として機能していた。
アナスタシアの必死の治療の甲斐あって、フリジアのペストは終息を迎えつつあった。それでも、潜伏期間の関係で、まだ時折感染者が出たり、他国からの患者がやってきたりもするから、彼女はそこで寝泊まりして受け入れ体制を維持し続けていた。
若い女性がそんな生活をして辛いだろうに、不平不満を一言も漏らさない彼女のその献身的な態度はとても美しく、聖女と呼ばれ崇められつつあった彼女に対して、但馬は誇らしく感じるとともに、どこか遠い存在になってしまったような、物悲しい思いも抱いていた。
だが、そんなことをおくびにも出すわけにはいかず、但馬はニコニコと笑うと、彼女の働きを労った。
「それにしても凄いね、聖女様だって。みんな、アーニャちゃんのことが好きみたいだ」
「う、うん。そんなのじゃないんだけども……」
「そんなことないさ」
「困る……」
但馬はカラカラと笑った。
「困ることないじゃない。君はそう言われるだけのことをしてると思うよ? みんな感謝してくれてるんだから、ありがたく受け止めておけばいい」
しかし、アナスタシアは頭を振った。
「だとしても、それは先生のお陰だよ」
アナスタシアは困惑していた。能力を使い、人々を助ける度に、自分ばかりが賞賛されることを。自分がそんな素敵なものじゃないことは、自分自身が一番良く知っていた。
何故なら、但馬が居なければ、自分がこの場に立っていることは、絶対にあり得ないのだ。聖女などと呼ばれていても、本当は但馬が居なければ、自分は何も出来なかったのだ。今でもあの薄暗い水車小屋の中にいて、機械的に男の性欲を処理していたはずなのだ。
真っ当な道に帰るあてもなく、大好きだった母親の残してくれた遺産にも気づかなかったことだろう。それがこんなにも多くの人達を救うことが出来る、素敵な力であることに気づかず腐らせていただろう。
だから、但馬のおかげでこの人達は救われたのに、どうすればそれを伝えることが出来るのか、彼女は分からずにもどかしかった。まるで彼の手柄を横取りしているような気がして悲しくなった。
レベッカが言ったことは本当だ。自分は彼には相応しくない。彼の邪魔をしてはいけない。
但馬のおかげで、自分はただの人形から、一個の人間になれたのだのだから。彼女はそう考えていたのだ。
「先生が、この多くの人達を救ったんだよ」
だが但馬も困惑した。アナスタシアが自分を押し殺してそう言っているのだと思い、彼は胸が苦しくなった。
「いや、そんなことないでしょう。俺は何もしてないよ。これはみんなアーニャちゃんが助けたんだよ?」
「ううん。違うの、先生がいなければ、私は今ここでこうしてない。本当は先生が褒められるべきなんだよ」
「そんなわけあるか」
但馬は唸った。
どうしてこの子は、こんなに萎縮しているのだろう。どう考えたって、これは彼女の手柄なのに、それを自分に差し出そうとするなんて。そんなことしなくていい、そんなことする必要がない。
なんで急にこんなことを言い出したんだ。そうすれば、但馬が喜ぶと思ってるのだろうか? みんなが彼女のことを好きになってくれたほうが、そっちの方がずっと嬉しいのに……
但馬は思い出した。カンディアで、丸一日待ちぼうけを食らった日のことを。
理由を問うても答えてくれなかったが……もしかして、これが答えなのではないだろうか。
彼女はずっと、自分のことを押し殺していたのではないか……但馬が彼女を欲したから、自分を差し出そうとしただけなのではないだろうか……しかし、カンディアのあの日、それが限界を迎えてしまった。
やっぱり、金銭で買ってしまったのが間違いだったのだろうか。そんなことされたら、誰だって感謝しないわけがない。その気持を利用して、自分は彼女を独占しようとした。自分が孤独だからって、家族ごっこに付きあわせてしまった。
本当なら、彼女にはこれだけ多くの人達を喜ばせる力があるというのに、それを但馬が金の力で独占してしまった。
「アナスタシア様!」
と、その時、広場から声が掛かった。
「休憩中にすみません。急患が来ました!」
「……ごめん、先生、いかなきゃ」
「あ、ああ……」
立ち去るアナスタシアの背中に、但馬は語りかけた。
「アーニャちゃん。君の評価は正当だ。ちゃんと受け止めてあげないと、みんなが困惑する。だから、俺のおかげなんて考えちゃいけないよ」
但馬がそう言うと、彼女は一瞬立ち止まって振り返り、ニッコリしながら、
「うんっ!」
と笑って、にこやかに去っていった。
……本当に分かったんだろうか。但馬がそんな風に不安に思ってると、
「おーい! 社長!」
今度は但馬の方に、声がかかった。エリオスだ。彼はランを連れていて、
「社長、そろそろランがコルフに帰るそうだ。見送りに行かないか」
「あ、そうなんだ。ランさんもありがとう、色々手伝ってくれて」
「なに、当然さ」
カンディアでアナスタシアに助けられたランは、その後緊急事態と言うことで、コルフには帰らずに色々と手伝ってくれていた。具体的にはシドニアからの物資の輸送や、但馬やアナスタシアの護衛である。それも大分落ち着いてきたので、そろそろ帰るというわけだ。
それじゃ、港まで一緒に行こうということで、三人は並んで歩き出した。ランは遠ざかるアナスタシアの背中を見つめて、
「それにしても、彼女が居て本当に助かった。ヒュライアのやつが、国から正式な感謝状を出すとか言ってたが」
「そうなの? ……あの人も、本当に上手いことやったね。みんなあいつが何をやったか知ってるのに、誰もが呆れるだけで悪く言わないところが凄いわ」
「そうか? 私ははっきりいって不快だけどね……ふんっ、あいつが感謝状を出すというなら、我がコルフからも正式な礼を送るのもいいかも知れん。そう言えば、彼女はおまえの養女だったな。何か送るとしたら、名義はアナスタシア・タジマでいいのか?」
「え? ああ……」
そうだと言いかけて、但馬はふと思い出した。そういえば、彼女はファミリーネーム持ちだった。
「いや、アナスタシア・シホワだ」
「……シホ……ワ?」
読みが間違いじゃなければね……と思いつつ、ランの顔を見たら、彼女は訝しげな顔をしながら首を捻り、
「いや、気のせいかな……」
と何かに気づいたようだが、勝手に一人で納得していた。
それが少々気になって、声をかけようとしたが、突然、港の方で銅鑼が鳴り出して、声が全然届かなかった。仕方ないのでそのまま歩いていると、どうやらその銅鑼は、港に船が到着したことを告げていたようで……
「おや? 社長、あれはうちの船じゃないか?」
まだものすごく遠くて肉眼で捉えるのがやっとだと言う距離なのに、目のいいエリオスがそんなことを言い出した。ホントかね? と思いながら、目を細めて眺めていると、3分くらいたって、大分こちらへ船が近づいてきたことで、ようやく判別がつくようになった。
それはカンディアからブリジットを逃がした、例の但馬の自家用船だった。
「おお! やっと来たか……やっぱ連絡を取りづらいのが辛いね。あっちの大陸に居れば電話で一瞬なのになあ……」
但馬は自分が助かったあと、ペスト菌のことを調べるために、ハリチの工房に連絡を送った。自分の研究機材一式と、試験薬や人員をこちらへ送るようにと頼んだのだが、伝えてから到着するまで、優に1週間以上もかかった計算だ。
ランを見送りに来たつもりが、自分の船を出迎えることになるとは。
彼女の船は出発までまだ時間があるそうなので、但馬は自分の方を優先することにした。
近づいてくる船を三人で眺めながら桟橋に立っていたら、ようやくその全貌が見えてくる距離になると、甲板の上でぴょんぴょん飛び跳ねている人影が見えた。
「おや? あれって……ブリジットか?」
見れば身長は小柄ながらも、一部分だけがブルンブルンな人影が、ピョンピョンと跳ねている。その横には背筋をピンと伸ばしたメイド服が立っており……恐らく、そっちはリーゼロッテだろう。
まさか、その二人が来るとは思ってもおらず、但馬はエリオスと一緒にびっくりしながらその到着を待った。
言うまでもなく、ブリジットはアナトリアの王位継承者で、今回の旅行だって来るのに結構苦労したのだ、それが帰ってすぐにとんぼ返りの上、今度は国内ではなく、疫病の蔓延していたフリジアだ。相当、無理を言って陛下を困らせたに違いない。
リーゼロッテが居るのも、それを条件として付けられたからだろう。心配してくれるのは有り難いが、みんなに迷惑をかけるのはよろしくないと、但馬は船の到着を待って、ブリジットに一言文句を言ってやろうと思い、プリプリ怒りながら桟橋へと急いだ。
船が堤防に横付けされ、跳ね橋が下ろされようとする。しかし、それよりも前に甲板の上の影が何を思ったのかひらりと跳ねると、甲板からひとっ飛びに桟橋へと舞い降りた。
ビックリした人々が目を丸くして見つめる中、跳ね橋の方へ向かっていた但馬がたたらを踏んで立ち止まると、その彼に向かって一直線に、今しがた舞い降りた人物……ブリジットが飛び込んでいった。
思わず、襲撃されたと思った但馬が、
「うわっ! っとっと……待て、ブリジット、話せば分かるっ!!」
と泡を食って許しを請うが、
「先生! 先生! 生きててよかった……!」
彼女は大きな胸をギューっと押し付けて但馬に抱きつくと、人目をはばからずに泣いた。
ああ、ここまで心配かけていたのかと思うと、但馬は先程までの怒りをすっかり忘れて、申し訳ない気持ちになった。だが、その気持ちは多分彼の想像を大きく超えていた。但馬の予想はある意味正しかったのだ。彼女がフリジアへ行くと言うことは皇帝を大いに困らせた。だが、それは彼女がわがままだったわけではなく、それだけ必死だったのだ。
泣きながら彼女は言った。
いきなり帰ってきて、いきなり抱きついて、まだ再会の言葉も交わしてない、まだ何の心の準備もしていない彼に対し、彼女は言った。
「一人で船に乗せられた後、これが先生との今生のお別れだと思ったらどうしようもなく悲しくなりました。すぐにでも引き返したい。でも、自分が戻ることが許されないことも分かってました。私が戻っても……先生が悲しむだけだって……だから! ただただ泣き腫らしてリディアへ帰り、先生に自分の気持ちを伝えられなかったことを後悔ばかりして過ごしていたんです」
それは彼女のずっと隠していた気持ちだった。
「私は何も言ってない。何も言えずに、あんなのがお別れだなんて……いくらでも時間はあったはずなのに、手遅れになってまで、何一つあなたに伝えられなかった……苦しかった。どうしようもなかった。死にたくなった。あんな気持ちはもう沢山です。大切な人に、自分の気持ちを伝えることも出来ずに、ただ相手が居なくなるのを待つなんて、私にはもう耐えられません」
あの日、突然最後を迎えてしまったため、何も言えなかった彼女の気持ちだった。
「もし次、あなたが死にそうな目に遭ったなら、私は必ずあなたのそばに居ます。例え、あなたが駄目だと言っても、例え、あなたに嫌われたとしても、絶対にあなたと共に居ます。私は、あなたが、好きだから」
それは突然の告白で但馬は面食らった。しかし、人目をはばからずに泣いて縋る彼女は、彼のことをじっと見つめていた。
今更、彼女の気持ちが嘘だなんて思わない。彼女が本当に自分のことを好きで居てくれたのだと言うことが、信じられないなどとも言わない。けど、
「ブリジット……その……周りでみんなが見てるんだけど?」
「知ってます!」
一つだけ、彼女に確かめねばならないことがある。
「ブリジット……あのさ、俺は実は君に隠し事をしていて……」
「知ってます!」
まだ何も言っていないのに、彼女がそう断言した。但馬は思わず自分の何が分かるんだと怒鳴りそうになったが……
「メディアの遺跡には、私も一緒に居たんですよ? 先生が何者かだなんて……私はずっと知ってましたし、そんなの気にしたことありません」
そう言われて、但馬は憑き物が落ちたかのように、一気に気楽になった。
そうか、知ってたのか……そういえば、あの時、あの場所に彼女は居たのだ。
彼女と同じ船に乗ってやってきたリーゼロッテが、但馬にこっくりと頷いた。あの時、あの場所には彼女も居た。
ああ、そうか……みんな知ってたんだ。
自分が人間じゃないかも知れないと、一人でくよくよ悩んでいたが……そんなこと誰も気にしちゃいなくって、それどころか……目の前で泣きながら自分にすがりついている彼女は、それを知っておきながらも彼のことが好きだと言うのだ。
「……そっかあ……」
好かれているなとは思っていたが、本当にここまで好きで居てくれるとは思わなかった。そりゃそうだろう、考えても見ろ、彼女はお姫様なのだし、金髪で巨乳で美少女で、誰もが羨むような美貌を持ち、伝説の勇者みたいな凄い力を持っているのだ。
彼女が願えばきっとどんな望みだって叶う。そんな娘が自分なんかに夢中だなんて、中々自惚れられるものではない。
でも、それは本当なのだ。ブリジットは但馬が好きなのだ。
かつて祖父であるアナトリア皇帝は言った。
『あれもそろそろ年頃じゃしの。どうじゃ、但馬よ、お主が娶ってみては』
兄であるカンディア公爵は言った。
『ブリジットと結婚しろ。おまえと妹が結婚したら、きっとみんなが喜ぶ』
そしてアナスタシアが言った。
『姫さまが、先生のことを好きなんて、誰だって分かるじゃない。どうしてそうやって、気づかない振りをするの?』
気づかなかったわけじゃなくて、信じられなかっただけなのだ。
でももう、迷うわけにはいかない。待たせるわけにもいかない。これ以上、誰かを惑わせるわけにもいかないのだから。
「ブリジットは、俺のことがホントに好きなの?」
「はいっ!」
当たり前だ、今更何を聞くんだこの男……と言わんばかりに、彼女は挑むような目つきで言った。
但馬は、ウッと言葉を飲み込むと、その目を見つめ返しながら、なんとなく恥ずかしそうに、ソワソワした感じで言った。
「そっか……じゃあ、付きあおうか」
その言葉は馴染みがなく、その場にいるみんなが何を言ってるのか分からなかった。ただ、何を言おうとしているのかは理解した。
ブリジットは声が詰まり、口をパクパクさせた。なんて返事していいか分からない。
自分の言葉が余り一般的じゃないことに気づいた但馬は、ポリポリと後頭部を掻きむしると、今度は顔を真赤にしながら、
「つまりその……恋人になってください……有り体に、言えば……」
ブリジットはギュッと但馬を抱きしめると、彼の胸に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
リーゼロッテが敬虔なクリスチャンみたいに十字を切ると、お幸せにとその愛を祝福した。
エリオスとランが顔を見合わせて、苦笑いした。
船の乗組員の一人は、突然の出来事にビックリして海に落っこちた。
周囲でそれを見守っていた人たちからどよめきが起こる。
たまたま通りすがった人たちから、やんやと喝采が上がる。
しかし、桟橋に集まっていた人々は、ほとんどがフリジアの人たちで、そこで愛を囁く二人が一体何者であるのかを、全然知らなかった。
その日、フリジアの港で一つの若いカップルが生まれた。
このことが、後の世界にどれだけの影響を与えるか、その場に居る誰ひとりとして、想像することも出来なかっただろう。
(第四章・了)
次章は出来れば9月中には再開したいですね。ではでは。